第7話  戦いへの対策

「どうにかして、壁を壊せないかな」



 格子の方を見た彩斗が、そう呟きを洩らす。

 時刻はすでにあれから時間が経っていた。初めは牢屋の中を色々調べたり、鉄製のベッドの上に座ったりしていたのだが、徐々に不安が鎌首をもたげてくる。

 薄暗い空間にずっと閉じ込められているせいで、時間の感覚が曖昧になってくる。体感ではもう何日も閉じ込められている気がするが、スララによると三時間くらいしか経っていないという。緊張と不安も混在した彩斗の中で、徐々に、息苦しさが募ってくる。

 

「何とかして、脱出できないのかな。スララはさっき、無理だって言ってたけど……」

「うん。出られるところはないみたい~。窓はないし、ひびが入ってるところもないよ。格子は鍵がかかっていて、開けられないみたい」

「そうなんだ……」


 出られるならば、出たい。このままアルシエル・ゲームを勝ち抜きにいくかどうかは、脱出できるかどうか、可能な限り調べてから決めていきたい。

 スララはスライムだ。でも強くない。むしろ弱い。それは、この数時間接しただけでよくわかった。

 彼女は紛れもない魔物だが、火も操れなければ、空を飛ぶこともできない。できるのは、半透明の房を操るだけ。夜津木のような危険な人物がはびこるゲームは、可能なら回避するべき。


「スララ、頼みがあるんだ」

「うん、なぁに~?」

「壁に向かって、その半透明の房をぶつけてみてくれないかな」

「いいけど、どうして~?」


 スララは小首を傾げて返事をした。


「どのくらい硬いのか、知っておきたい」

「うん、わかったよ~」


 言われて、スララは半透明の房のうち、右のもみあげから伸びる方を、ぐぐっと振りかぶった。長さは自由に調節できるため、元の数倍にまで伸びる。太さも、決まった幅は持たないのだろう、見る間に膨れ上がった。

 長く、人の胴体ほどにもなった大きな房。それは例えるならダイオウイカの触手といったところか。


「え~い」


 ビュッと、大きく遠心力をつけてスララは半透明の房を振り回した。

 だが、ダメだ。弧を描いた一撃は、壁にぶつかるとあっさりと跳ね返された。反動で房が反対側の壁にまでいき、勢いがありすぎてスララが少しふらつく。


「うわ、硬くて無理~」

「も、もう一度やってみてくれないかな」


 スララもこのまま牢屋の中に閉じ込められるのは嫌なのだろう、すぐに半透明の房を振り回した。


 しかし、結果は最初の時と変わらない。

 何度やっても壁は砕けない。

 仕舞いには、跳ね返された勢いで、半透明の房が彩斗の顔面へと直撃する。


「痛ぁっ!」

「わ、彩斗~、大丈夫?」


 尻から転んだ彩斗に、スララが駆け寄る。


「いたた……へ、平気だけど、悔しいね……」


 壁の同じ箇所に何度も房を打ち付けたのだが、結果は芳しくなかった。ぶつけた痕跡すらつかない有り様だ。


「そ、それじゃあ……房を両方ともぶつけることはできる?」

「やってみる~」


 今度は一撃の威力にかけるのではない。スララのもみあげから伸びる房、両方を交互にぶつけてみる。

 幾度も半透明の房が弧を描き、壁を強打する。しかし――。


「ダメか……」


 それでも結果は同じ。彩斗の眼には「速いっ」と言える速度で打ち付けられた打撃は、何の効果も示さなかった。さすがに、彩斗は落ち込みかけてしまう。


「あ、そうだ、これからどうかな~」


 スララが、半透明の房の形状を、変化させてみた。


 先ほどまでは鞭か触手といった先端が、薄い刃のようになっていく。夜津木の使うコンバットナイフの刃と比べれば太いが、それでも先ほどよりは殺傷力が上がっているように彩斗には見えた。


「それで……斬りつけるの?」

「そうだよ。え~いっ」


 ひゅ――と風切り音を振りまいて、半透明の刃が壁に叩き付けられる。


「うわ、危なっ」


 だが、それすらも簡単に弾き返されて彩斗の頬すれすれを横切って行く。


「これでもダメなのか……」

「それなら、こうだよ~、それともこっちかな。え~い、できる形、みんな試すよっ」


 刃がハンマーのようになり、盾のようになり、銛のようになり、仕舞いには破城槌のような形状になって壁に叩き付けられるが、それでも壁はびくともしない。繰り返される攻撃はことごとくが弾かれ、無益であることを示し、結果としてスララの体力だけが消耗することとなってしまった。


「つ、疲れた~」


 しゅるしゅると、半透明の房を元の形状、大きさにまで戻し、スララが床にへたり込む。


「だ、大丈夫? スララ」


「だめ~、動けない~。ちょっと休ませてほしい」


 スララが破壊できなければ、彩斗としてはどうしようもない。仮にも魔物だ。少しくらい状況を打破できる可能性があると思ったが、牢屋の壁は、異常に頑丈だった。

 しばらくの間、床に座り込むスララと、思案に暮れる彩斗の息遣いだけが聞こえる。


「……それにしても、その房、ずいぶんと色んな形になるんだね」


 気持ちが萎えるのを嫌がった彩斗は、ふと話題を作ってみた。


「なぁに~?」


 息を整えていたスララは、聞きそびれてしまったようだ


「いや、さっきからさ、スララのその半透明の房、色々な風に形を変えられるなって。――それ、スライムならではの能力なの?」

「うん、そうだよ~」


 少しばかり元気になってきたスララは、若干弾んだ声で答えた。


「この房はね、『リコリス』って呼ばれてるの~」

「リコリス?」

「うん。昔、エレアントで起きた魔物同士の争いで、すごく活躍したスライムが、そういう名前だったんだって」

「へえ……」

「それにあやかって、リコリスって呼ばれるようになったんだよ~」


 スライムにも歴史があるらしかった。スララは戦いには向かないような少女で、実際その通りらしいが、遥か過去の時代には、勇敢なスライムもいたのだろう。


 付け加えれば、スララは魔物も時代によって進化していると語った。

 遥か昔には、スライムは全て半液体状の魔物であり、自我はなく、人の形も取れず、ただ本能のままに獲物を求めていたらしい。

 他の魔物もほぼ同じ。喰らいたいときに喰らい、殺したいと感じれば殺す。


 けれど月日が流れ、長い生存の競争の末に、それまでとは異なる魔物も生まれるようになったのだと語った。

 それがスララ。新世代の魔物たち。


「人語を操って、人のような知恵を持って、人のような喜怒哀楽も持っている魔物が、わたしたちなんだよ~」


 スララは語った。

 本能だけで生きる旧来型の魔物は、難しい言葉だが、『無知性種(むちせいしゅ)』と呼ばれている。

 無知性種は力が膨大で、非常に強い力や魔法を使うことができるが、反面、理性的な行動は取れない。破壊か捕食のためだけに行動する。


 何百年か前には、無知性種と、知性種の間で大規模な戦いもあった。激しい戦いの末、臨機応変に戦える知性種が勝利を納め、以後の魔物の大半は、知性を操るもので占められるようになったとのことだった。


「その激しい時代を生き抜いた『英雄』の一人が、リコリスなんだよ~」


 どこか誇らしそうに、スララは語った。


「なるほど……そうなんだ」


 活躍した偉人にあやかって名前をつけるという感覚は――なんだか人間みたいで、面白いなと彩斗は思った。

 魔法や体の一部を武器として使えても、どこか人間っぽさがあるところが、不思議で、半分だけ夢のような感覚で、彩斗の気持ちを少しだけ現実から切り離す。

 けれど、スララは、少し曇った口調で続ける。


「でも、それと同じくらいの強さを秘めた魔物が、このゲームには参加させられてる~」

「え……?」


 彩斗の顔が、不安に覆われていく。


「そ、そんなに、凄い魔物が、ゲームには集められているの……?」


「うん。そうみたい~。この世界――エレアントはいま比較的平和で、強い魔物もあんまりいないよ。でも集められた魔物たちは、かなり厳しい戦いを経験した魔物ばっかり。びっくりしちゃった。みんな、すごく強そうなんだもの」


 疾風のような動きの狼の魔獣。

 鋭利な牙と爪を備えていた獅子の怪物。

 そしてそれら数多の魔物や、彩斗よりずっと優れていそうな人々を、丸ごと召喚してしまうアルシエル。


 どれほどの強さなのだろう。

 どこまで自分を高めれば、そんな次元にまで行き着けるのだろう。

 途方もない巨大な力を持つ存在に、彩斗は気が遠くなるほど怖さを覚える。何をしても中予半端で。誇れるものなど何もない。影だって薄いと言われてきた。そんな自分が、この先やっていけるのだろうか。臆病風が、背中を這い回る。


 気づけば、小刻みに手足が揺れていた。喉がからからに乾き、鳥肌が立っている。


「あ、ごめん、彩斗。脅かすような形になっちゃった、大丈夫?」

「……う、うん。ちょっと、これは、何とか押さえつけようとしても、体が勝手に。なんで、こん――」


 彩斗が、その先を言うことはできなかった。

 突如として、彼の腕輪が、紅く光り始めたのだ。


「こ、これは――?」

「闘技の、選定……!?」


 慌てる彩斗と呟くスララの目の前で、光は強く強く輝いた。

 血のように真っ赤な色彩が室内を覆う。不吉を呼び起こす真紅の光に、彩斗はたまらずたじろいだ。


「そ、そんな、だって、闘技は確か――」


 一日につき一回だけ。

 そうアルシエルが告げていたのを思い起こした。

 だが、その時間までは指定されてなかったことを、すぐに彩斗もスララも思い出す。

 牢屋の中で時間が経ち、日付が変わって、すぐさま闘技が行わても不思議ではなかったのだ。


「そんな……まさかボクが次の闘技で、戦うの……?」

「ソノ通りダ」


 振り向けば、格子の先、石の翼と体を持つ魔物――『ガーゴイル』が醜悪な笑いをして浮いていた。


「オマエたちガ次の闘技のペアダ。アルシエル様は狂乱の宴に飢えてイル。出ロ、人間。スライムの娘。オマエたちは今宵、死力を尽くして戦うことにナル」


 ギヒヒヒ、と不快な声でガーゴイルが石の牙を剥き出して笑う。

 鍵が開けられる。冷たく無機質な石の手が、彩斗とスララの腕を掴んだ。


「そ、そんな……」


 青ざめる彩斗に、ガーゴイルは万力のような力で引っ張り上げる。スララも同じだった。彼女も抵抗する暇もなく、暗い廊下へと連れ出される。


「く、くそ、やめてくれ、離してくれっ」


 アルシエル・ゲームは進んでいく。

 彩斗の決意が固まる間もなく。冷酷に、厳然に――進んでいった。



†   †




 彩斗たちの目の前で、コロシアムの決戦場は、無骨な光景でもって彼らを出迎えた。


 立ち並ぶのは岩石だ。いくつもの岩の柱が眼前を占めている。地面はごつごつとした土であり、漂うのは乾いた空気。砂まじりの乾燥した空間が、直径一キロにも及んで無機質な光景を作り出している。

 見上げれば、そこには何人もの人影や、魔物の姿が確認できた。彩斗とスララがいる岩場のコロシアムをぐるりと囲み、階段状に作られた観衆席から、いくつもの視線が降り注いでいる。


「――それでは、これより第二回目の闘技を始めよう」


 階段状の最も高い位置、バルコニーのようにせり出した場所から、魔神アルシエルが冷たい響きを渡らせる。


「前回の闘技は一方的過ぎた。つまらない武闘とは言わないが、物足りぬ。あのような武技しか披露できないのなら、お前たちには何の価値もない。全力で戦え。今宵こそはあたしを楽しませろ。それが、お前たちの責務だ」


 アルシエルの言葉に、憤りや反感の意を示す者はいない。

 わかっているのだ、アルシエルがどれほど強い力を持っているか。凄まじいほどの力を躊躇いなく使い、逆らう者には容赦をしない。昨日の闘技前、彼女に襲いかかった二人の戦士と二匹の魔物を焼き払ったことを、誰もが強く印象づけられていた。

 氷の響きで、アルシエルはそんな参加者たちを睥睨する。


「知恵を絞り、武技を尽くし、勇敢な戦士となって戦え。負ければ石化。理不尽だと思うか? ならば自らそれを払い除けろ。己の全てを使って戦い抜けなければ、お前たちに未来はない」


 ボウ――と、コロシアム全体が淡く発光する。薄緑色の幕が観衆席と戦場と隔てるように立ち上っていき、観衆への攻撃を全て遮断する魔法の障壁が、厳然と彩斗の見る先で光を発していく。


「彩斗、しっかりして~、体が震えてるよ」

「で、でも……」


 観衆席からの、いくつもの視線と戦いの予兆に包まれるコロシアムの光景に、彩斗の膝は笑ってどうしようもない。動悸は速まり、口の中はからからで、鳥肌だってぶわりと立っている。

 負ければ石化。

 初戦で負けたカーバンクルとその相棒の少年のように、自分もなってしまう。物言わぬままずっと硬く冷たい石像に成り果てるその姿を想像すると、平静さなど吹き飛び、細かく震えることしか彩斗にはできなかった。

 そして――。


「ヒャッハーっ! まさか、二回連続で戦えるなんて! 俺は最高に運がいいっ!」


 よりにもよってコロシアムの反対側から聞こえてきたその声が、彩斗を震え上がらせる。


「まさか……」


 かすれた声が彩斗の口から洩れる。


「斬りたくて、斬りたくて、次はいつになるかと待ち望んでいた! そしたらこんなに早くまた出番がくるなんてな! 殺戮バンザイ! 今度も切り刻むぜーっ!」


 歯を剥き出しにして、嬉々として夜津木啓太やつぎけいたはそう叫びを上げる。

 天井の光を受けて、コンバットナイフが鈍く光っているのが見えた。

 夜津木啓太。人を殺すことを快楽とする、異常なる青年。

 その手の中で弄ばれるのは、凶悪に煌めく刃。


 殺人鬼の隣、凝然とそびえ立つのは、一つ目の巨人サイクロプスだ。圧倒的な巨体、太く禍々しい金属の棒。岩など簡単に粉砕できる巨人が、低く唸っていた。


「あれ? なんだおい、あれ、昨日の女の子じゃねーか! あんときは世話になったなお嬢ちゃん! 今度こそ斬り刻んでやるから、楽しみにしておけよ!」


 サイクロプスが、太い声で忠告する。


「夜津木。相手は一人だけじゃない。貧相な少年もいるぞ。お前、きちんと相手を見ろ」

「え? 嘘、俺の眼には柔らかそうな女の子しかいないんだけど――ああ、ほんとだっ、いるじゃん、影薄い男が。なんだーおい、俺とサイクロプスを見て、びびってやがるよー」


 夜津木の眼には、スララしか映ってはいなかった。それどころか、昨日会話した彩斗のことを、ほとんど覚えていない。

 観衆席から似たような声が流れてくる。


「ん、あれ、本当だ。なんか少女の隣に少年がいるっスね」

「もやしみたいな男だわ。あんなので勝てるかしら」

「諸君、おそらくあの少年は負けるだろう。だが万一のこともある。せめて祈りを捧げてみようではないか。ご愁傷様と」


 皮肉に満ちたささやきに、けれど彩斗は耳を傾けられない。

 怖くて、恐ろしくて、歯がかちかち鳴っている。顔も真っ青だ。スララだけが彩斗の体に触れ、懸命に励ます。


「彩斗、しっかりして~。このままじゃダメだよ~」

「でも、ボク、こんな……こんな、戦えないよ。武器だってないし、ど、どうすれば……」


 蒼白な顔の彩斗を見て、スララが困ったような表情をする。だが次の瞬間、彼女はせめて優しい声音を彩斗に向けると、


「彩斗、始まったらすぐに岩の影に隠れて~。なんとかわたしだけであの二人を相手にするから。とにかく絶対に、あの人たちの前には出ないで。でないと、彩斗が危ないよ」


 彩斗は、何か返事をしなければダメだと思った。けれど口はからからに乾いていて、体の震えは止まらず、寒気が総身を包んでいる。そんな彼に、スララがなおも声を発しようとして。


「――闘技を始める。さあ、魂の底まで震わせよっ!」


 アルシエルの宣言に呼応するように、天井から光の銛が落ちてくる。鋭く真っ直ぐに降り落ちてきたそれは、長い尾を引いて地上へと着弾する。


 光の粒子が撒き散らされる。虚空へほのかに躍っていく。


 その直後。


「ヒャッハ――っ! 殺戮バンザイ! 斬って斬って斬りまくるーっ!」


 雄叫びを上げながら、夜津木が獣のように走り、――闘技は開始された。


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