地下都市の太陽に嫌気が差した、と言って彼女は笑った

Sanaghi

第1話 息苦しいもの

 息苦しいもの。


 水の取り替えが行われていない水槽。

 気の合わない人との食事。

 青春の無い学生生活。

 曇天模様。理論詰め。

 ビニール袋。

 公衆トイレ。

 人ごみ。

 騒々しさ。

 静けさ。


 それから————地下都市。


 私たちは地球の地面の下数百メートルで、じっと息を潜めながら暮らしている。地下都市計画は。それは、それは、素晴らしいもので、人類が直面した危機のうちの二つ、「居住地の不足」と「電力不足」を解消してしまった。


 地球の内部、つまり地下に人は住む。人が地下に住むので、地上は天敵のいなくなった動物の楽園になった————わけではなくて、大量の風力発電機を設置し、大地を埋め尽くし、動物たちのほとんどが、いつの間にか姿を消してしまった。

 いくつもの階層を持った地下都市は、一つの区域で五〇〇〇万人から二億人。それが世界に三〇〇個ある。概算がいさんすると人類は最大六〇〇億人まで人口増加に耐えられる環境を作った、それは、全くの無意味に終わってしまったのだけれど。


 世界の人口は三〇〇万人にまで減少してしまい。地下都市は世界に片手で数えるほどしか機能していない。人口の減少はそのまま、科学力の低下を意味する。使用方法はわかっても、その内部機構まではわからない、いわば、ブラックボックス的な技術はだんだん増えていき、どんどん人間は生きる知恵を失っていく。誰かがそれを「進化の過程を逆回しで見ているみたいだ」と揶揄やゆして、笑った。


 世紀の大失敗で済めば、まだ笑えたかもしれない。

 あらら、失敗失敗。でも次があるさ。きっと僕たちなら上手くやれる。

 未来は僕らの手の中なんだから。みたいに。


 けれども現実って、なんて非情なんでしょうか。死にかけの人類は、新しい技術を生み出せない。飛べない鳥みたいなものだった。地下都市構想から百数十年。風力発電施設はとくのとうにガタが来ていて、風が吹いて、回転する度に、亡霊を見た女性の悲鳴みたいな、甲高い声をあげる。


 翼をもがれた人間には、新たな発電機を作る技術も物資もないわけだから、応急処置として、緩んだビスを締めるくらいしか、できない。悲しいね。


 ゆるやかに死んでいく。


 この世界は人生で例えれば後期高齢者みたいなものだ。何をやろうとしても体じゅうが悲鳴をあげるし、何より何かをしようっていう気力は湧いてくれない。そんな世界の終わり間際に生まれてしまった不幸は、だんだんと虚無感へと変身していって。世界に意味あるものなんて一つだって無いような気がしてきた。実際、終わりの無いものなんてない。手の中にある未来だって、いつまでも握っていたら中で腐ってしまう。もしかして、世界のどこかにキラキラ輝いたものが埋もれているなんて話、本気で信じている人がいるの?



 冗談はクリスマスだけにしてよ。



 誰かがそれを聞いて笑った。気がする。私たちは常に何かに監視されている————のかもしれない、と思わせるような視線を感じていて、私はそれが不愉快に思って目を覚ます。


 体を起こす。ところどころヒビが入った皮のソファの上に薄手のソファをかけて寝ていた。電燈でんとうがジリジリと音を鳴らしながら光っている。その光に影を落とす男が居た。無造作な黒髪は自分の端正たんせいな顔立ちを隠すために、わざと伸ばしているらしい。


「……————アイザキ」

「あ、セリア。起きたんだ」

「ええ、アナタがガサゴソやっているからね」

「そうかい。じゃあさっさと顔洗って、朝ごはん食べて、シャワー浴びて、着替えてきて……それから、まあ僕の手伝いをしてくれ。始業時間から一時間も経ってしまっているよ」


 ————始業時間から一時間経っている?


 私はアイザキの言葉を聞いて目を丸くするやいなや、後ろに振り返って目覚まし時計を取り上げ、確認する。歯車が何処かで馬鹿になっていたみたいで、短針が三を指し————午前だろうが、午後だろうが、現在の時刻が三時なわけがない。私はソファから転がるように飛び出して「どうして起こしてくれないのよ!」と自分の部屋の方へと駆ける。


「君って死んだように眠るから、起こしづらいんだよね」

「死んでても起こしてよ。だって今日は『地上』の日じゃない!」


 私は焦る心に任せて急いで着替える。タイツが面倒臭い。髪を三つ編みにするのも煩わしい、モーターに引っかからなければ、それで良いので、とにかく後ろに高く結ぶだけ。髪の毛はくせっ毛でかすのを諦める。いつもの服————白いシャツと黒のスキニーとジーンズ(私の住むタウンでは、特産の一つ)の上着を着て、慌しくリビングに向かう。


 配給で貰った芋とソーセージを茹でながら、ラジオに耳を傾ける。とっくのとうにラジオ局は全て廃止されてしまったのだけれど。時たまに何かが聞こえるという噂がある。自己メンテナンスと自家発電で細々と生き延びたアンドロイドがほとんど死にかけの人類に対して出しているだとか、大災厄メイルシュトロームで亡くなった亡霊が、恨みつらみを誰もいない放送局の放送室にあるたった一本生き延びたマイクに込めている、とか。

 私の場合はそういう噂話を信じているわけではなくて、ただ、雑音が混じるラジオの音を聞いていると、不思議と心が落ちつくだけなんだけれど。


 皿の上に茹で芋と茹でソーセージを盛り付けて、口にフォークをくわえながら、事務所の部屋、つまり私が朝起きた場所にやってきた。死にかけ人類時代の嬉しいところは、土地が有り余っていることだ。つまり、この五階建てアパート全ての部屋が私の家であり、仕事場なのだ。稼働率は一〇パーセントほど。使ってない部屋が二〇弱ある。使いたかったらご自由にどうぞ。ただし、掃除はしてないので、トカゲが出てくるかもしれない。


 行儀の悪さをアイザキにたしなめられながら、私は彼の仕事を手伝う。私たちの仕事は「電気師でんきし」と呼ばれていて、市政から連絡のあった風力発電機のメンテナンスや配線のチェックなんかを行ったりしている。が、同じ発電機とは言っても、昔の人は馬鹿だったんだろう。同一規格で造られていないため、依頼のあったエリアではどのような発電機を使用しているか、確認する必要があった。


「ドイツ製?」「いいや、日本かな」「日本って何処よ」「この部屋から右に三つ隣の部屋。奥の棚に資料書があったと思うよ」と、そんな会話を交わして、私はビルの部屋から部屋を走って、紙資料を集めて、コピーして、それをまとめて、アイザキに提出する。

 提出資料を見たアイザキはこの発電機は操作盤がここにある、とか、これここにこういうマークがあって、そこは開くようになっているから、そこを開けて、そこからはいつもと同じ流れさ。と、そのような調子で代読し、私に指示する。私はうんうん頷いて彼の指示をメモ取って、作業鞄の中にしまうのだ。


「よし、じゃあ最後の確認をしよう。乗るエレベータは?」

「四ハのB」

「いいね。推定本数は?」

「五〇基。私の他に電気師が三人参加予定だから一人頭十基……今日は多いのね」

「人間が少ないのさ……——」


 そう言ってアイザキは私の目を覗き込む。彼の癖のようなもので、私の瞳の深遠に潜んでいる何かを確かめるように、そうして懐かしむように、私の瞳を見るのだ。言い忘れていたけれど、彼はアジア系の血が少し混じったような顔つきをしていて、何処か神秘的というか、見つめられるとドギマギするのだ。私が声をかけると、彼はハッと我に返って「ごめん」と言って、それからはにかむように笑って、「それじゃあ行こうか」と、私を外へと連れ出した。


 岩塊がその内部に秘めている彫像を、彫刻家が見出すみたいに、アイザキも私という岩塊から、私の母をイメージしているに違いない。と、考えていた。母は私が物心の付く前に肺を悪くして無くなってしまった。しくも同じ肺の病気で三年前に亡くなった父は「お前はお母さんによく似ているんだ」と言っていて、アイザキもうんうんと頷いていた。ただ、もうこの時代に、新たに写真を撮る機械なんてもの、消えてなくなってしまっていたから、私は母の顔を見たことが無い。

 だから、時々、アイザキが羨ましく思う時がある。アイザキの脳髄のうずいを頭蓋骨からおろろして、それをらってしまいたい————と思う。それで私が彼の記憶を得ることができるのならば。

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