第7話 レウコクロリディウム
安置所から引き出されたクレメンテさんの死体は非常に綺麗な状態で残っていた。しかし、頭部だけは白布で覆われていた。間違っても取らないようにと、ジャイディーから注意を受ける。ミレイナによると、彼は自分の顎に銃口を突きつけて引き金を引いたらしい。想像するだけでも痛ましい話だが、彼女曰く、本題はここからだった。
死体が置かれている部屋を抜け、私たち三人は建物内にある、事務室のような場所へ移る。そこに一人の女性がデスクに腰掛け、コンピュータの前で何やら作業をしていた。ミレイナさんは彼女に声を掛ける。
「イヴ。クレメンテ・ビジオのレントゲン写真を見せてください」
「あら、ミレイナとジャイディー。そして……」
「彼女はセリア・ラーレン。事件の生存者です」
「事件の生存者?」
「自警団にとって唯一の手かがりですから協力してもらわないわけにはいかないでしょう。それで、レントゲンをお願いしているのですが」
「ああ、はい。レントゲンね。ちょっと待って」
彼女は椅子から立ち上がることなく、片っ端からデスクの引き出しを開けていく。イヴという女はずいぶんとズボラな性格らしく、引き出しの中にはクシャクシャになった紙が溜まっていた。彼女はそれを一つ一つ取り出す。埃が舞う。ジャイディーは顔を少ししかめるが、ミレイナは眉ひとつ動かさない。どうやら彼女は普段から感情の起伏がないらしい。イヴがようやく取り出したレントゲンをミレイナに渡した。彼女はそれを私の方に向ける。一見、何の変哲も無い脳のCT写真のように思えたが、彼女の指差す先に、奇妙な影があるのを見つけた。
「これは?」と私がミレイナに訊ねる。
「イヴ」と彼女は言って医者の方に一瞥する。
「ジャイディー」イヴ、と呼ばれた医者はそのままジャイディーの方に視線を動かして名前を呼ぶ。彼は苦笑いをして事務室のドアから出て行った、と思うと数十秒後にまた戻ってきた。片手には小型の薄いプレートが手にされている。白いカバーの掛かった大きさは自分の掌の半分も無いほどの大きさで、細い足のようなものが四隅に付いている。
「解剖医である彼女、イヴ・ウィジーがメスを入れたところ。脳にこのようなプレートが埋め込まれていました。つまり、CT写真に写っている影の正体がこの機械です。分解して調べてみたところ、ミスラと同じ時期に作られたものだということもわかっています」
「埋め込まれていた? 人間の脳に、こんな機械があるっていうの?」
「あるかもしれないし、ないかもしれません。ただ、殺害側の電気師の脳には例に漏れず、このプレートが埋め込まれています。そして機械を分解して、専門家に調べてもらったところ、この機械はとある電波を送受信する役割を担っていることがわかりました」
ミレイナは一息吐いて、話を続ける。
「電波強度や方向を調べたところ、電波の発信源は自警団庁舎の地下、つまりミスラだとわかりました。電波はこのプレートを通して別の波長に変換されます。非常に短い波長です、脳に影響を与えてもおかしくない——」
「問題はいつ、どうやって、どのようにして、脳にプレートが埋め込まれたのか、ということなのよね。困ったことに頭蓋骨に切断痕がない。いったいどういうこと、魔法でも使って脳にぶち込まれたのかしら——ああそうだ、ジャイディー。話が長くなりそうだから、紅茶か珈琲を淹れてきて。先月の配給の分が、給湯室にあったはず」
イヴはミレイナの話を途中で遮る。ミレイナはひとつも嫌そうな顔をせず、イヴの方を見た。ジャイディーは三人の中でそこまで位の高い人間では無いらしい。
なんとなく、それぞれの話から私は今の状況を想像することができた。
「どうやったかは知らないけれど、とにかく脳に入れられたプレートが、人間の脳に影響を与えるような怪電波を発して、電気師を殺し、自殺させたってこと?
……あのね、私だって暇じゃ無い。そんな陰謀論のような世迷言を、自警団は真剣に追っているわけ? そして私に協力しろだなんて、冗談でしょ? 人間を操るなんてありえない」
二人は困ったかのように黙るが、「……カタツムリをご存知ですか?」とジャイディーは口を開く。珈琲を淹れてきたようで、両手にはプレートが握られていて白いコップが四つ。そこから湯気が上がっていた。
「カタツムリ————ええ、図鑑で見たことがあるわ。陸にすむ貝類よね」
ジャイディーは頷くと淹れていたコーヒーを私たちに手渡した。プレートを誰も使っていないデスクの上に置いて、彼はコーヒーに一度口をつけると
「レウコクロリディウムはカタツムリ中間宿主とする寄生虫の名前です。その寄生虫は最終宿主に捕食されるようにカタツムリを『操る』のです————あくまで直接脳に影響を与えるわけではなく、あくまでそのように誘導しているだけなのですが。
ともかく、このプレートのような機械はそのレウコクロリディウムとよく似ています。この機械が置かれていた場所が何と呼ばれているか知っていますか」
「脳の部位に名称があるの?」
「脳は脊髄の前方が発達し、分化したものです。ここでは多数の神経細胞が集結して全身の神経を支配しています。つまり、脳は一つの物体ではなくて、小さな個の集合体なのです。よって、部位によってそれぞれ違う役割を司る仕組みとなっています。たとえば、動きや空間を認知するために使われる場所を頭頂連合野、言語認識に関わるのがウェルニッケ野、といったように」
ジャイディーはそう言いながら自分の頭を指差した。脳のどの辺に何があるかを示したらしいが、専門外の私にはすこし難しい。聞いたところによるとジャイディーは一時期、学者としてイヴとともに働いていたらしい。それが奇妙な縁が働いて自警団のもとで汗水垂らして動き回っているらしい。適材適所がなっていないのではないか、と思った頃に、彼は話の本題に入った。
「この機械プレートのあった場所というのは、非常に重要なことです。もし、このプレートが出す電波的な波長が、本当に人間の脳に影響を与えるのならば、その影響の内容をある程度予測することが可能だからです」
「例えば、の話だけれど、もしウェルニッケ野にプレートがあれば、意図的に言語障害を引き起こすことが可能ってこと?」
彼は頷いて私の言葉を肯定する。
「それじゃあ、プレートは脳のどの部分に埋め込まれていたの?」
「前頭葉の前端部————つまり思考や判断といった高等な精神作用が営まれる場所に設置されていました」
思考・判断。その言葉に私は軽く戦慄を覚える。
「そこが電波で操ることが出来たら、人を意のままに操れるの?」
「それについては……正直のところ、正確にはわかりません。ですが、過去に治療として前頭葉の切除をしたケースについて、研究結果が残っています。当時、この治療法はロボトミー手術と呼ばれ、統合失調症などの画期的な治療法と紹介されていました。が、後に副作用が判明し、禁忌の手術法として扱われることになります」
「ロボトミー手術を受けた患者はどうなるの?」
ジャイディーの顔が暗くなる。苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、少しの躊躇いを見せたあと、彼はゆっくりと口を開く。
「様々な副作用があります。突然無気力になってしまったり、人格の変化、てんかんを起こしたり。あるいは、衝動性の増加————」
「ジャイディー、簡潔にまとめて」イヴがピシャリと言葉を切る。
「————廃人になります」
私は唾を飲む。それと同じようなことが、起こる可能性があると、彼は暗に示した。脳に時限爆弾が仕込まれている。それは音を立てて爆発するわけではないが、命を奪うわけでは無い。しかし人間性と記憶を奪っていく。
ここまで材料が出揃っていると、陰謀論や誇大妄想といって切って捨ててしまうほうが難しいでしょう、とジャイディーは深刻な表情で離すが、私は現実味を感じられない。こんなプレートが? とてもじゃないが信じられない。
「私たちは寄生されている。知らぬ内に、自らの体の内側に何かが孕んでいる」
ミレイナ・クルトは呪文を唱えるように、もしくは上から下に流れる水のような調子で、そう言った。頭に爆弾を埋め込まれていて、ミスラによって私たちは支配されている。
「私たちはこのプレートを埋め込まれた人間を<チャイルド>と呼んでいます」
「ミスラの子供、というわけね」
「ええ。真犯人は何らかの方法でミスラを乗っ取り、<チャイルド>を操って『電気師殺し』を行っている。自警団は真犯人を探すために、信用のできる人物を探しています」
「それが私ってこと?」
「ええ、あなたは電気師殺し事件の被害者側の人間でありながら、生き残った唯一の人間です。頭に爆弾を抱えている可能性は限りなく低い。他の電気師にミスラのことは話せない、あらぬパニックを生む可能性があるし、<チャイルド>を通して、真犯人に私たちの動向を知られてしまう可能性がある。
言うまでも無いでしょうが、電気師とは地下都市の生命線。この恐ろしい事実を打ち明けるわけにはいかない」
ミレイナ・クルトはそう言って初めて、ジャイディーの渡したコーヒーに口を付ける。それから遠くを見るような顔をした後、視線だけを私に合わせた。私は彼女の瞳を見る。たまたま、そこから、アイザキの癖を思い出してしまった。彼の死の真実を暴いて、私は真犯人を倒し、彼の遺恨を晴らしてやりたい、その気持ちが湧き上がるが————しかし、やはり、自警団を信じることができない。その言葉を信頼したい気持ちはあるが、私は直接何かを体験したわけでは無いのだ。目の前の現実として体験していない。
私が目にしたのは暗闇の中で事切れるアイザキと、何が起きたのかわからないまま、殺されるかもしれないという恐怖。ミスラとか、<チャイルド>とか、言われてもイマイチ現実感はなく、無意識的にあった自警団に対する不信感が頭を出す。彼らは発展信者だ。科学の発展、文明時代を取り戻すことが、幸福へ至る唯一の道だと考える。それが私の信条と合わなかった。この世界に意味など無い。両親も失い、アイザキも失い、身寄りのなくした私にとって、社会の発展は何も生まない。それで私の寂寞が去ることはない。
「……もし仮に。仮に協力するとして、私はどうしたらいいの?」
「ほんの少しだけ、危険な賭けに」
「具体的には?」
「具体的には、あなたに囮になってもらいます————」
私は突発的な自分の感情の高ぶりを抑えきれなかった。ふざけないで、と。ミレイナ・クルトは叩かれた頬を抑えることも痛がる様子も見せず、真っ直ぐと私の目を見た。その目がほんの少しだけ恐ろしく感じた。ふざけないでよ。
ジャイディーがおろおろとした表情で、私とミレイナ・クルトを交互に見る。私と彼女の間に、奇妙な空気感が立ち込めた。イヴはじっと私たちを見ている。
「自分の身が可愛く無いと思うほど、私だって落ちぶれちゃいない」
「ミレイナ。今のはあなたが悪いわよ」
「悪い、どこが。事実を申しただけですが。あなたが囮になれなければ、それでも構わない。あくまでこれはお願いであって、命令ではありません。このままあなたはこの世界で平和のまま一生を過ごすことできる。それを誰も責めません。
あなたは<チャイルド>ではない、自警団でもない。これからの話は非常に危険が伴う。けれど、あなたはその危険に付き合う義務はない」
高圧的な彼女の言葉に私は、思わずカチンときてしまった。初めての出会いから最悪だったが、そこから彼女を見直すことはしていない。
「自警団の話はイマイチ信じられないし、私は私のやり方でアイザキの死の真相を調べる。第一、ミレイナ・クルト、あなたのことが気にくわない」
私はイライラした気持ちが抑えられず、遺体安置所を飛び出すように出て行った、後ろからジャイディーがやってきて、ミレイナの不敬を詫びながら、家まで送ると申し出たが、全然そんな気分になれなかったので、丁重に断ってやった。
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