第8話 鈍色の空
長く、長く、長い歩道を歩きながら、私は今までの人生を振り返る。レゾンテートルを喪失したコンクリート塊の中で、狂った太陽を見ながら寝起きをする日々。落下の恐怖に震えながら、発電機を整備する日々。与えられた食事。アイザキが私を起こした朝。息の詰まりそうな
ここは平和な世界かもしれない。しかし、それは同時に空虚な世界のように感じられた。味気の無いパンをずっと食べ続けているような感覚。決して餓死はしない、しかし、幸福はそこにない。世界が無意味であると認めたく無いのが人間の性だ。転がる石ならば決して満たされない。生から死まで、一直線に敷かれたレールの
私は家に帰らず、四ハのB地区へと徒歩で向かい、そのまま地上に出た。遺体安置所から二時間くらい経っていたようで、外に出ると少し日が傾き始めているのに気づく。真の太陽は、疑似太陽のそれとは違って柔らかな光を私の頬に当てる。ここまである喫飯しで私は息を切らすが、向かわなければいけない場所がある。
ここから十五分歩いたところに私とアイザキが会った場所、つまり当時の集合場所があるのを私は知っていた。パンパンに
集合地点に来た。アイザキの死体などあるはずがなかったが、草が不自然に折れていて、そこに
悲しいから涙が出る。寂しいから胸が辛くなる。私はそこに倒れて咽び泣く。嫌だったんだ。この世界が好きじゃない。古いロールプレイングゲームに出てくる悪の大魔王みたいに真っ二つに叩き割って、破壊してやりたい気分なの。
生まれたときから死んだような生活を強いられて、延命治療のための歯車のように生きて行く日々。狂った太陽、天井のある空、それに加えて監視社会と来た。そんな長期的な自殺のような世界に生きる私にとって、唯一とも言える救いが、仲間がアイザキなのだ。それを失ったら、私はもう何のために生きたらいいかわからない。けれどもせめて。せめて、アイザキを殺した真犯人だけは、とっ捕まえてやりたかった。彼のためにも、私のためにも。私はそう決心する。
偶然にも私は、四ハのB地区のメンテナンス作業に過去、何度か参加したことがあったため、近くの地理にはある程度の知識を持っていた。ここからおおよそ二キロ歩いたところに、電気師が過去に利用していた倉庫がある。火事や地震などの、なんらかの理由で地上へとつながるエレベーターまでたどり着くのが難しくなった場合、避難所として利用するため、数ヶ月分の食料やベッドがあった。あそこならば夜を凌ぐことができるし、こそこそと移動すれば、他の電気師に
夜が更ける。あたりは静寂に包まれ虫の声一つしない。
ショッキングなことがあったせいで、私はきっと夢を見るのだろうと思っていた。しかし、夢を見た記憶など一つも無い。まるで眠りについた瞬間に目が覚めたようだ。私の眠りを遮ったのは一発の銃声だった。私は跳ね起きて、痛む体なんか無視して急いで銃声の方へと駆ける。そこまで遠くない、私はここまで全速力で駆けたのは人生で初めてじゃないかってくらい速く、速く走る。背丈の高い草を
そうして辿り着いた先。蔭間の狭間から私は一人の女性の姿を見た。格好から彼女が電気師だとわかって、私は彼女に声をかけて、思わず言葉を失った。呆然とするあまり、ランタンを落としそうになる。血まみれの服、泣いている顔。
「ねえ……いったい、何があったの?」
私の声は震えていた。ねえ、聞きたいのだけれど、いったいどんな地獄を見たら、そんな顔ができるわけ。と尋ねたかったが、尋ねられなかった。瞬きを忘れる。胸の底が氷になってしまったようだ。彼女を中心に絶対零度の世界が広がっていて、私の指先が
「ねえ、なにが……」
「私は……私は言われたとおりに生きていただけなの」
電気師の女は私の方をゆっくりと見て、泣きながらそう言う。けれども視線は私の方を見ていながら、私を見ていない。私の裏の奥の奥へと話しかけているかのようだった。見るからに錯乱状態が続いている。
「命令通りに生きた! 命令通りにやった! 私はやったの!
……やった、やったのよ————ね、こんな理不尽なことがある?」
彼女はそう言って私の肩を掴む。あまりの強さに、私は思わず顔をしかめるが、痛覚はすぐに目の前の恐怖にさらわれてしまう。その瞳は異質だった。全てを飲み込んでしまいそうな闇の中を写していた。希望も、絶望も、過去も、未来も、今も全部背負い込んで、憎悪を
切っても、叩いても、殺しても。私が思いつく限りに彼女を痛めつけても、たとえ痛覚神経と脳だけの存在にして、ただいたずらに電流を流しても、視覚も聴覚も嗅覚も感覚も————思いつく限りの刺激を奪ってしまっても、視界三六〇度全方位を鏡張りにした部屋に放り込んでも。たとえ、私が思いつく限り彼女に痛めつけたとしても、彼女をこんな顔にできやしない。悪魔だって出来ない。
「ずっと前から、私の神は狂っていた。……ね、なら。この話に救いや希望はあるのかな。違う、こんな世界に意味なんてないじゃない!」
彼女は叫ぶ。彼女は錯乱する。私を見ていながら、私のことに気づいていないようだった。そこまで考えて、ようやく私は気付いた。彼女の右手に握られている拳銃がランタンの光でぬらりと輝くのを見た。銃口が
「怪我は」
数時間前に別れたはずの女が私の前に立って、そう尋ねた、それも
「私のことはいいから!」
彼女を止めて、と言った途端に、誰もが彼女に対して注意を払ってはいなかったかのようだった。線の抜かれたシャンパンのように
「セリア・ラーレン、あなたはまだそこにいますね」
ミレイナ・クルトはライターを片手に私に話しかける。
「……わかっていたのね。ここで事件が起こるってわかっていて、アナタは!」
私は彼女の襟首を掴む。彼女の体は動かないものの、私にとってはどうでもよかった。ミレイナ・クルト、あなたがやって来たのにどうして止められなかったの。自警団ってなんなの。誰が世界を守れるの————
「ミスラ・システムが不審な動きをしてから数秒後に、電気師からの救援信号が来ました。発信元は彼女です」
そう言ってミレイナ・クルトは足元に転がる
それから私の顔を見る。
「そこからすぐに私はここへやって来た。せいぜい十五分ほどの話だ。私に当たるのはお門違い。そうでしょう?」
私は苦い顔をして
「この世界が無意味なのは、神様が狂っているかららしいわ」
「そうかもしれませんね」とミレイナは答える。
「……ねえ、あなたに協力すれば。未来は私たちの手の中にある?」
そう言って私は彼女の顔を見た。
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