第9話 崩れる

 私はその夜に夢を見た。結末から行ってしまえば、それは最低最悪の悪夢で、水場の三角コーナーより悪臭を放っていて、けがらわしく、なによりナンセンスだった。その夢には死者が出てくる。その時点でもう夢としての及第点に達していない。死者は喋らないし、動かない。つまり、死者が出てきた時点で「ああ、これは夢だな」と気付き得るのだ。けれども夢は、夢のくせに一級のリアリティを持ち合わせて私の眠りの中に現れる。


 舞台は地上で、私はいつものように、電気師として発電機のメンテナンスを行う。きているのはいつもの服——白いシャツと黒のスキニーとジーンズ。隣には、やっぱりいつもの相棒であるアイザキがいる。けれども或る日突然、日常は崩れ去るのだ。


「安全装置は掛かっている?」


 アイザキは私に訊ねる。私はぼうっとしていて、今の状況を把握するのに三秒くらい要した。それから我に返ったようなそぶりを見せて、ようやく「ちゃんと」と答えた。アイザキはそれを見て、ちょっとしかめ面をする。


「でも銃弾は込めてないね」

「必要がないでしょう?」


 変だ。変だわ。私は一度、このやりとりをした覚えがあった。そんなはずがない、アイザキは滅多に銃の話をしない。相手が「屠人とじん」だろうが、人の命を奪うことに抵抗感を持った人間だったからだ。けれど、彼はちょっとヨソヨソしいところを私に見せる。


「安全装置を外せば、すぐに撃てる状態にしてほしい。クレメンテから聞いたんだけれど、どうも最近、この辺りは物騒なようだから」

「物騒?」


 ねえ、アイザキ。それっていったいどういうことなの。と私が訊ねると、彼は笑って答えた。答えたはずなのだけれど、私の耳が遠くなったのか、世界から音が奪われてしまったのか。とにかく、彼は何かを話しているようなのだけれど、私には全くわからない。


 世界から音が奪われると、次に奪われるのはイメージだった。遠くから近くへと、少しずつ世界の表層ががれて、天へと登る。地面も、太陽も、発電機も。アイザキの顔も世界に合わせて、ポロポロと上へ剥がれていく。がれた皮膚の下から充血して肥大化した目玉が顕れる。レウコクロリディウム。寄生虫。


 ————すぐに撃てる状態にしておくんだ。


 彼の声が螺旋らせんを描く。私の意識まで剥がされていって、天地がめちゃくちゃになってしまったような感覚に襲われて、私は目を覚ました。


 アイザキが死んだ翌日、私は最悪な目覚めをしたつもりだった。人生で一番ひどい朝だと思ったが、その最悪の自己新を記録してしまったようだ。背中が気持ち悪いくらいれていて、不思議なことに涙を流している。


 今、自分の目の前に広がる世界が現実であることにしばらくの時間を要した。

 コンクリートの壁。 壊れた目覚まし時計と音の出ないラジオ。右を向けばリビング。机と椅子がある。机の上には大量の書類が出しっぱなしになっていた。今は片付ける気力がない。とにかく嫌な気分だ。

 喉がかわいて、コップに水を入れて飲もうとする。けれどもそれは無味よりひどい味がして、私は半分だけ飲んで、残りはシンクの中に流してしまった。


 普段の夢ならば、何が起こったか覚えてなんかいられないのに、今日の夢は焼き付いては離れないようなイメージだった。多分、一生忘れることができないのだろう。

 ラジオは細かなノイズがかかったまま、何も音を発さない。私はそれをしばらく聴いた後、舌打ちをして電源を切った。



 私はミレイナ・クルトから伝えられた住所へと向かった。そこが彼女の住むビルであり、集合場所でもあったのだ。そのビルに特別、特徴らしい特徴はない。地下都市に建てられた建物はどれも全て同じ形をしているから、それも仕方のないことなのだけれど。ミレイナとジャイディーがビルの前で私を待っていた。イヴの姿は見えない。それから新しい顔も見えない。たった三人。私の様子に気づいた彼女が軽く咳払いをしてから説明する。


「正直のところ、自警団もそこまで余裕があるわけではありません。非常事態が起こったとしても、人員も物品も割くことができない。所詮は大した力の無い、慈善団体ですから、イヴやあなたのような協力者が不可欠なのです」


 その言葉で私は少し不安に思ったが、昨日の私は同じことをたった一人でやろうとしたのだ。そう考えると、人数なんかどうでもよくなった。


「私がやらなければいけないことって具体的になんなの?」


 ミレイナ・クルトはジャイディーと私を連れて、使われていないビルへと招待した。ここは自分の部屋であると彼女は紹介する。電気は一つも灯されていない。それもあってか、彼女の部屋の生活感はひどく薄かった。机と椅子、ベッド、数冊の本、山積みになっている紙束。配給で配られている石鹸。ジャイディーから聞いた話によると、彼女は普段、自警団の役所で寝泊まりをしているらしい。


 薄く埃の積もった部屋。電灯ではなく、使いかけの蝋燭と着火のためのライターを見つける。紙縒りの先は黒く焦げていた。私はそれに吸い込まれるように目を惹かれた。ミレイナ・クルトが小さく咳き込むと、私はそちらの方に顔を向ける。


「特別なことをしてもらうつもりはありません。電気師としての仕事を自警団から割振るだけです。あなたはそこで、ジャイディーと共に作業してもらう。」

「その目的は?」

「まず一つは純粋に電気師に対する抜きうち調査のようなものです。しっかりとやっているか、どうか。知識がないのに経歴を詐称して点検作業を行い、リワードを受け取る詐欺が発生している、という報告を受けたからです」


 偽電気師の噂は自分の耳にも入っていた。電気師をよそおって住居に侵入し、強盗ごうとう強姦ごうかんを行う危険な奴もいるという話も。その噂が立って以来、地下での点検作業や修理作業の依頼が激減し、一時期は食に困ったこともあった。社会全体が閉鎖的な環境のせいか、そういったネガティブなニュースには敏感に反応しがちで、それから長く尾をひく。非常に困ったことに。


「それからもう一つ————こちらが本題なのですが————ジャイディーにはこちらの探知キットを持たせています。これを利用して、ミスラの送受信する信号をキャッチして、逆探知をかけます。問題は、このキットの範囲がそこまで長距離では無いため、自分の担当メンテナンスを中断して、<チャイルド>に近づかなければいけません」


 彼女が例えるには、発電機の根元に居れば、発電機の上、つまりナセル内部で作業している電気師が送受信する信号を捉えることができるらしい。ナセル内部でまじめに作業していれば、根元に人がいるなんて想像すらしないわけだから、近づくことについて、特に問題はない。同じ電気師からすれば、発電機の外からでも、発電機の動作で作業の進捗しんちょくを把握することができる。


「それについて、特に問題は無いと思う。注意を払っていれば、他の電気師に気付かれることはない。事前のミーティングでそれぞれの電気師がどの順番で発電機をメンテナンスするか、ある程度予測することができる」

「ナセルの中で待機するのは?」とジャイディーは尋ねる。

「さすがに、自分のメンテナンスに入る前に、誰かがナセルに入れば気づくわよ。それに根元にいた方がコントロールパネルも確認できるし、すぐに逃げ出せるしね」


 ジャイディーとミレイナはうなずいて、それから細かなスケジュールと、連絡の算段を考えた。ミレイナの方も地上の安全な場所にいて、遠隔でキットの逆探知結果を調べるようだった。非常事態の時は彼女が駆けつけると言う。

 彼女はそれから数枚の書類を私に手渡す。それには顔写真が全部で四枚、貼られている。男三人に女一人、誰もが電気師だという。


「私たちは今まで、この探知キットによる調査で、ミスラシステムを悪用している電気師の絞り込みを行っていました。そして、可能性の高い四人が彼らです。

 そうして今日、彼ら全員に発電機整備の依頼を行いました。もし、この中に犯人が居て、いつものように電気師殺しが行われるのならば、私たちがあらかじめ、先手を打つことができるかもしれません————今夜が勝負です」


 私は四人の顔を穴が開くほど見つめてみた。けれども、誰が<チャイルド>で誰が人間か、わからなかった。そもそも<チャイルド>とは何か、私は答えを聞いていない。ミレイナ・クルトは何かを知っているような様子だが、おそらく話してはくれないだろう。


 ミレイナ・クルトは外出の準備をします、と言って部屋の奥へと消えていった。私はジャイディーに電気師らしい振る舞いと、具体的なメンテナンスの手順や用語を教えなければならなかった。私はそのついでとして、彼に<チャイルド>とはそもそも何か、と訊いてみたが、彼も詳しくは知らないようだった。どうして、彼らの脳にはプレートが埋め込まれているのか。どのようにして埋め込まれているのか。


 そのヒントは、昨晩の<チャイルド>の彼女にあるような気がしたが、気持ち悪くなりそうで、出来るだけ考えたくない。自分の無力さを痛いほどに気づかされ、世界の残酷さに触れて、凍傷とうしょうを起こしてしまいそうなのだ。

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