第10話 彼女は夕焼けに似ている

「目の前で人が死ぬのを見たことはある?」


 私は寒気を感じて、誰かに話しかけたくなって仕方がなくなった。純粋に彼女が怖かったのだ。一度考えてしまえば、そのイメージから抜け出せなくなっていく。


「……ええ、親しい人も全く名前すら知らない人でも」とジャイディーが答える。

「私はね、ずっと無感覚の世界に生きてきた。親は私が幼い頃になくなっていたから、亡くなったというよりも、どこかへ消えてしまったような感覚なの。悲しさより、寂しさが強いの、ねえ、私の言いたいことわかる?」

「わかりますよ。死というのは刺激的なものだ。鋭い槍で胸を突き刺されるような感覚。しかもそれは、一度だけじゃない。ふとした瞬間にやってくる」

「もう、私、わからないのよ。世界なんてずっと無意味なもので、窒息死してしまいそうな世界で、閉塞感を感じながら死んでいくものだと思っていた——けれど、けれどね」


 なんだか泣きたくなってきた。言葉が詰まる。私は世界のほとんど全てを知っていたはずなのに、世界はだんだん自分と違う顔を見せはじめている。そのせいで、自分が今どこに居るか、わからなくなっていく。視力を奪われてしまって、うろうろと幽霊みたいに彷徨うはめになっているのだ。ジャイディーはやわらかい顔をして、そんな私を諭す。


「世界は無意味ではありません。たとえば私には息子が居る。私にとってそれはかけがえの無い大切なものだ。決して無意味ではない。あなたにとっての大切なもの、意味のあるものが未だ見つかってないだけ。見つかってないからこそ、あなたは迷っているのです」

「息子?」

「ええ、かわいい息子です。写真、見ますか?」


 彼はそう言って、笑いながら胸ポケットから写真を取り出して、私に見せた。


「これが私の宝といっても過言ではありません。そして、あなたは自分よりも若い。きっとこれからです。これから、大切なものが見つかりますよ」


 彼につられて私は笑った。乾いた笑い。私だけが知る、後ろに立つ恐怖の存在。

「見つからなかったら、どうなるの?」と訊く気にはなれなかった。彼は今までの勉強に戻って、私にわからない単語の意味や、仕組みについて説明する。地上の発電機は、様々な国が協力して建てていったため、種類が無駄に多い。しかしジャイディーは、まるでスポンジのように、それぞれの発電機のメンテナンス方法を覚えていった。


 私は自分の家にあった、使っていない制服をジャイディーに渡して、着替えさせる。それはアイザキの数少ない私物だった。と、いうのも彼には彼の家があるはずだが、私はその場所を知らないのだ。したがって、彼が私のビルの空き部屋に置いていった、制服やら、食料やら、家具が、私の知っている彼が居たという存在証明になる。


「準備ができましたか?」


 ミレイナ・クルトはそう言って、私たちの準備を待っていた。いつもの仏頂面で。それが私にとっての彼女の気にくわないところだったが、今は協力しなければならない。協力して、ミスラを悪用する真犯人を追い詰めなければならない————その先は? と言う疑問については出来るだけ考えたくなかった。真犯人を追い詰めて、ミスラの呪縛を振り払ったとしても、私をむしばむ虚無的感覚を何一つ変えることはないだろう。


「じゃあ、行きましょうか」


 ミレイナ・クルトは抑揚の無い声で私たち二人に話した。彼女は武装をしている。

 前文明の武器はブラックボックスの権化であって、かつ危険な道具だ。使いこなせれば強力なのかもしれないが、その実、「使いこなせているつもり」でした、となって思わぬ目にあったら悲惨なことになりかねない。そもそも、そんな素敵な科学技術の粋を扱わずとも、人を殺すのなんて簡単だ。

 前文明よりもさらに前の時代の武器は、私たちがギリギリ理解できる構造で作られていて、私にだって分解整備もできるし、職人の手にかかれば生産も出来る。ただ、問題は弾薬だった。これに限って私は自作することはできない。それから長持ちはしない。弾薬の消費期限は一年と言われている。ゆえに、銃は安いが銃弾は高い。だから、ミレイナ・クルトが弾薬箱をいくつもカバンに入れているのを見て、私はぎょっとした。


「熊でも殺しに行くつもりなの?」

「地上にもう、熊なんていないでしょう。

 ……それに今となっては、熊より人間の方が怖い」


 怖い。そうかもしれない。私は実物の熊を見たこと無いし、おそらくこれからも無いのだろう。地上から動物がいなくなってひさしい。動物の種族名は体を表す名詞的扱いではなく、ほとんど形容詞的に用いられる。熊を思わせる人間。鷲みたいな女、蛇のような男。だが、植物が安定した生態系を気づいている現状、動物たちは人間に姿を見られぬように、密かに生きているのではないだろうか、と予想する電気師は少なくない。もしかした、地上に熊はいるのかもしれない。


 けれど。たとえ、熊が地上にまだ生きていたとしても、私は人間を怖がるのかもしれない。そんな考えが脳裏を過ぎったが、よくよく考えてみると、「よくわからない」という点においては、熊も人間も亡霊も、等しく恐ろしいと私は思う。そう考えると、彼女は人間の恐ろしさを知っているかのような口ぶりだった。私は彼女を二度見するが、その表情からは何一つ読み取るべきものはない。いや、少し悲しげな顔をしている気がする。まさか。

 まさか、そんなわけがあるわけないじゃない、と私は思う。彼女は夕焼けと似たようなものだ。悲しい時に見る夕焼けはメランコリーとか、ノスタルジーな気持ちに私をさせて、何かを達成した時に見れば、世界が美しいと思えるような。

 でも結局、そういうのって全て見る側の視点に依っているものであって、夕焼けは夕焼けのままなのだ。夕焼けはただそこにあって、私がそれに勝手な意味をつけているだけにすぎない。彼女は弾薬を詰め込んだバックパックを背負って、肩からライフルをぶら下げる。腰には拳銃。私とジャイディーも電気師の制服に着替え、カバンに携帯食料と探知キット、安全帯を肩からぶら下げる。「使い方は大丈夫?」というとジャイディーは力強くうなずいた。私も頷き返して、エレベーター前に向かう。


「九ヌのFです」とミレイナ・クルトは話した。


 金属質でのっぺりとした扉。「関係者以外ノ立チ入リヲ禁ズル」と赤字で書かれた看板。エレベーターに繋がる扉は、どこもこんな調子で、個性的なんて言葉は似つかわしく無い。まあ、どれもこれも個性的だからといって、なんという話では無いのだけれど。ただ、その看板は私の足を止めた。私は「関係者」が誰を指しているのか、なんとなくわかってしまったような気がしたからだ。

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