第11話 蜂の話

 蜂の話。

 蜂は女王蜂、雄蜂、そして働き蜂と三類することができる。女王蜂の役目は産卵。一日に自分の体重ほどの卵を産んで、産んで、産み続ける。その一方で雄蜂は交尾のためだけの存在。巣の中で一切何もせず、性的な成熟を終えると交尾飛行へと外へ出て行く。

 働き蜂の寿命は一ヶ月。

 働き蜂は生殖以外の全ての役割を担っている。育児。外敵の駆除。巣作り。蜂蜜作り。巣内の掃除。彼ら働き蜂はコミュニティーの維持のために生まれ、コミュニティー維持のために死ぬ。コミュニーティーのための彼ら。人間のコミューンは人間のために作られた外側だが、蜂の作るコミュニティーはコミュニティーのための蜂なのだ。そこは人間と比べて決定的に異なる。


 電気師の話。

 電気師はコミュニティーのための存在。地下都市を生かすための存在。彼ら働き蜂はコミュニティーの維持のために生まれ、コミュニティー維持のために死ぬ。

 死ぬ。


 死ぬってことは、あまり考えないように努めた。だってそこから先に意味など無いし、まだ来ていない未来について不幸なあれこれを予想するのは、悲しくなる。残酷な世界からは目をつぶっていればいい。そうして子守唄の音符に身を委ねて、死を死と気づかぬままに迎えることができるのならば、それが私にとって最高の終わりなのだ。アイザキはそれを果たせなかった。それだけ、それだけの話。

 そして、私はアイザキを奪われた悲しみを晴らすために、犯人を見つけ出す。言葉にしてみれば、簡単なことだった。


「……なにか、考え事ですか?」


 ふと顔を上げると、ミレイナ・クルトが目の前に立っていて私を待っていた。気づくと、そこはもう地上で、私はエレベーターから降りずにそこに突っ立っていたのだ。「なんでもないわ」と気丈なフリをして答えて、彼女とジャイディーの後を追った。


 息を深く吸う。もう、冬はすぐそこにまで来ている。下手をすれば、今夜にも雪が降るかもしれない。今にも溢れ、こぼれ落ちてしまいそうなほどに、雲は空を埋め尽くす。外気温は摂氏十二度。日が落ちればここからもっと低くなる。湿度は高いはずなのに、空気は痛かった。カミソリを頬に当てられたかのように。


「自分の命を大事にしてくださいね。お互い」


 ミレイナ・クルトがジャイディーと私にそう告げると、私はそれぞれ別れる。私たちは今日ともに仕事をする電気師と顔合わせをしなければならない。ため息をついて私はそこへ向けて足を歩き出す。地面を踏みしめると、時たまにサクりと霜柱が潰れる音がした。


 集合場所に到着すると、私より先に三人の電気師が待機していた。お互いが認識した時に、礼だけ交わした。まだ一人、到着が遅れている。全員が集まってからした方が良いだろうと、誰一人、口を開くことはなかった。めいめいが整備計画書を読み直したり、自分の道具の点検を行ったりしている。

 私も彼らに同調して書類を確認した。整備計画書ではなく、ミレイナ・クルトが私に渡していたもの。電気師の写真とそれぞれ確認出来る限りの経歴が記載されている。誰もが最低でも二度、自警団から依頼された発電機のメンテナンスを行ったことがあるようだ。ここから「<チャイルド>が誰か」など分かるはずもない。私はため息を吐いてその書類を四つにたたんでカバンの中に入れておいた。それから数分遅れて、最後の一人がやってくる。来ないと思っていた。電気師が逃げ出す話なんて、もう珍しくないものだから。


「私はセリア・ラーレン。こちらが見習いのジャイディーです」

 私たちはそれぞれ紹介を終える。基本的に電気師は一期一会なので、交わした言葉は少なく、自己紹介もそれぞれ淡白なものだった。それぞれが働き蜂のように与えられた仕事に取り組もうと道の奥へと消えていく。誰も、ジャイディーのことを疑わなかった。

 私は他の電気師が近くから消えていったのを確認して彼に話しかける。


「ねえ、ミスラを悪用すれば、本当に人を操れると思う?」

「……ええ。事実として、私とミレイナさんは目の前で、自分たちが知っている人間を壊されました、ミスラによって。もう二度と見たくもない」


 興味本位でしてしまった質問が、してはいけないものだったことに気付き、私は思わず開けていた口を閉ざした。彼は微笑していたが、私は気まずく感じる。


「……じゃあなんで、あの機械を破壊してしまわないのよ?」

「ミスラは神でもなんでもない。あれはただの道具です。使う人が正しければ正しき道具として、悪しき人間が使えば悪しき人間となる、それだけです————それに、みすらについてはまだ、よくわかっていないところが多い。無計画に破壊してしまえば、何が起こるか、まったく予想がつきません」

「そう、そうよね」


 私は曖昧な返事をして、その場を濁す。少し考えの足らない質問をしてしまったのを恥じたのだ。この世界のほとんど全てがブラックボックスで覆われている。大地に乱立する風力発電機も、ジャイディーの持つ電波の探知キットも。全てそれぞれ使い方や役目を知っていても、その中身、つまりどうやって動いているのかについて、まったくわからないものが多い。忘れていた、私たちはあまりに無知なことを。考えなしにミスラを破壊してしまった結果、天井が崩れ落ちてきてもおかしくない。


「急ぎましょう、急げば、先回り出来る。発電機のところまで行ければ、柱を影に隠れることが出来るから」


 そうして、私たちは一人の男に焦点を当てる。彼は自分が見られているとはつゆにも思っていないようで、鼻歌なんて歌いながら上へと登っていく。私たちは草を掻き分けながら進み、息を殺し、張り付くように柱のそばに立った。


「一度、ナセルに登ったら、早くても一時間は下に降りてくることはないから」


 ジャイディーはキットを取り出し、機敏な動きでカバンから部品を一つ一つ組み立て始める。パラボラアンテナが慎ましくも、腕のように反射機を大きく広げる。こうすることによって電波の探知機が通常の何倍も電波をキャッチしやすくなるそうだ。冬の寒空を見ながら、アンテナはくるくると回り始める。

 しかし、それから何分経っても、キットが電波を探知することはなかった。ジャイディーは水筒の水を飲みながら、キットのディスプレイとにらめっこをしている。棒グラフが作成され続けていて、青い線がまっすぐに伸びている。私には詳しいことはわからないが、ミスラからの信号を受け取っているようには思えなかった。


「ハズレ?」と私が訊ねると彼は「その可能性が高いですね」と言ってため息を吐く。寒さのあまり、吐く息は白くなって、やがて霞のように消えていった。時間は無限にあるわけでは無い。日が落ちれば発電機のメンテナンスは終わってしまう。そうなれば、ミスラを悪用する犯人を追い詰めるチャンスをみすみすと逃し、また新たな被害を生んでしまうかもしれない。太陽は頭の真上に座していて、光は燦々と私たちに降り注いでいる。頭上にあるということは、これからどんどん日が暮れていくということだった。タイムリミットが、私をすこしずつ焦らせていく。


 その一方で、私たちは「キットが電波をキャッチするのに、どれくらいの時間を要するか」について、正確に知っているわけではなかった。反応が無いのは、ミスラが動いていないから、なのかもしれないし、キットがまだ、電波をキャッチしきれていないからかもしれない。暗中模索の中に立っているような気持ちだった。だから、一体何を優先してうごくべきかについても、ジャイディーを頼りにするしか無い。


「あと十五分で一時間が経つ」

「次の電気師のところに向かいましょうか」


 ジャイディーはそう言って立ち上がり、キットを分解しようとしたが、私はそれを静止させる。そうして、上の足音に耳を済ました。足音からわかることが多いからだ。彼が仕事に慣れているのか、今、作業全体から見て、どのあたりか、仕事は早い方か、遅い方か。この男は電気師の仕事に手馴れていて、仕事はうまくやっているのだろう。足音に迷いが見られない。けれども作業の進行具合から見て、慎重な人間なのだろう、と予想する。私はまだ粘れることをジャイディーに伝えるが、こちらも電気師の男同様、慎重な性格なようで、「念には念を重ねて」と言って、探知キットの片付けを続ける。これが正しい選択だったか、それとも間違った選択だったか、私にはわからない。


「そこまで深く考えたところで、答えが出てくるわけじゃありません。たしかに、犯人をみすみす逃してしまうかもしれない、という懸念はありますが」

「懸念はあるけれど?」

「一番大切なのは自分たちの命です。あまり犯人を深追いして、痛い目を見れば、ミレイナさんは泣いてしまいますよ」

「彼女が涙なんて流すの?」


 私は怪訝な顔をするが、彼の横顔が微笑をするだけで、返事は返ってこなかった。あの、冷徹な彼女が涙なんて、流すわけが無いでしょう。そう思って私は苦笑いをするが、私は彼女の何を知っているのかと聞かれれば、ほとんど何も知らない。全く知ろうともしていないし、何もわからない。その点ではアイザキでも、目の前に居るジャイディーでも等しく同じなのだけれど、ミレイナ・クルトだけは本当に異質で、何を考えているのか、全く読み取ることができないのだ。


「ねえ、本当に流すの? あの彼女が?」

「彼女だって人間ですよ。まあ、あなたとは確かに相性が良く無いのかも知れません。けれど、自分から見れば、あなたたち二人は何処か————」


 ジャイディーは似たようなところがあるように思えますよ。と言ったので私は嫌な顔をした。好きじゃ無い人間と似ている、と言われて嬉しい人間なんかいない。私を見てジャイディーは微笑んでいる。納得がいかず、とても憎たらしく感じた。私と彼女が一緒なら、犬と猿だって似た者同士ってことになってしまう。


 けれどジャイディーから見れば、私たちはほとんど似ている、という。「いったい何処が似ているって言うのよ」と、私が悪態を吐くと、彼は自分の瞳を指差した。彼の国では、瞳の中に、瞳が今まで写してきた光景の残影を携えているという。だから、瞳を見れば、その人間が何を見てきた人間か、なんとなくわかるのだという。


「同じでは無いけれど、似ているのではないかと思いますよ」


 ジャイディーの言葉から、私はアイザキを思い出した。彼は私の瞳を見た。私はそこから自分の母を見ているのだと思っていた。けれど、ジャイディーの言葉が本当ならば、もっともっと深遠な所を垣間見ようとしていたんじゃないかと、そんな気になってしまう。彼は私の瞳を通して、私を見ていた————そんなわけはない。と私はかぶりを振る。彼は私を見ながら、私を見ていなかった。彼は優しいけれど、それは渇いた優しさであることを、直感的にだが、私は知っていた。


 歩きながら考える。


 誰かが言ったことを思い出す。「死が怖いのですか?」と彼は訊き返し、それから、木陰で休む牡鹿を指差す。「あの鹿は、死ぬ直前まで、自分が死ぬことを考えていません」と。その答えを出された人間はその答えに満足できなかったようだが、今の私は、それが胸の内にすん、と音を立てて落ちる。

 人間は本質的に獣なのだということ。人間はどこまでも主観的であるということ。「客観的に見れば、君は怠惰なだけだ」というような判断は、その台詞を吐く人間の主観にすぎないこと。つまり、真の客観性とは主観の群生ということ。真の主観、人間の内の獣性が、私たちの相互理解を阻む。ゆえに、私たちは私たちを完全に知ることができないように、私たちは誰かを完全に知ることができない。まして死者の気持ちなど、確かめようが無い。


 気持ちなんて、雲だ。夕焼けだ。私たちに心は無い。ただ、目の前の現実から合理的な理由をこじつけているだけなのよ、セリア・ラーレン。見知らぬ私が私に声をかける。彼女は言う。「彼はただあなたの瞳を見ていた。それ以上でも、それ以下でもない。だって」その声がどんどん変調していって、最後にあの女の声に変わる。ミレイナ・クルト。


 掃き溜めにふさわしい考え。段々、何が現実で何が夢。何が真実で何が虚構なのか、わからなくなってくる。そもそも世界はそう言った概念で綺麗に分割されることはないのだろう。「夢であって現実」「虚構であって真実」————これらもまた雲だ。雲が空に立ち込めながら雨は降らない。けれど今にも降り出してしまいそうだ。しかし、その一方で雲間から光の梯子が降りている————雨であって晴れ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る