第12話 偽物

「着きましたよ」


 ジャイディーの言葉に、私はハッとする。気づくと次のポイントまで来ていた。私は今までの乱れた思想に戸惑う。私の中で何かが変わりつつある。変わったせいで、迷いつつあるのだ。一体何に、など考えても、わからないけれど。

 私は発電機を一つひとつ見回して、メンテナンス中のものを探そうとするが、どれかわからない。どの発電機も気だるげに、しかし規則正しくそのブレードを回し、電気を生み出している。焦燥。


「メンテナンス時にはブレーキ装置で、ブレードの回転を止めなければいけないはず。なのに、どの発電機も止まっていないわ」

「メンテナンス時には必ず風車の回転が止まってないといけないのですか」

「そうしないと、危険よ。もし服の袖なんかが巻き込まれたら、死ぬんだから。いくらメンテナンスに慣れているからとって、ブレーキ装置を使わない電気師はいないはずよ」

「……わかりました。ミレイナさんに連絡してみましょう」


 そう言って、彼は小型の通信機を取り出して、それに話しかけると、しばらく待って、ノイズ混じりの返答が帰ってきた。そのノイズが、耳を突き抜いてしまいそうなほどうるさく、私には聞き取ることのできなかったが、彼は「わかりました」と言って、通信機をカバンの中にしまった。彼の表情から、そこまで深刻なことではないように捉えている。


「ここの電気師は飛ばしていいそうです」

「彼女はなんて言っていたの」

「ここを担当している彼は、電気師ではない、と」

「……ああ、なるほど」


 私は相槌を打つ。非正規の電気師。もしくは電気師くずれ。あるいはそれ以下のカスか。少し嫌な気分になる。電気師の中には偽物がいる。電気師を殺して、事業許可証を強奪し、特権(と言っても大したものは無いが)に預かるもの。彼らは電気師として持ち合わせるべき知識を持っていないため、発電機のメンテナンスができないのだ。


「ミレイナ・クルトは今どこに?」

「どこかの発電機のナセル————で合っていますよね?————から望遠鏡を持ってそれぞれの電気師を監視しているそうです。つまり、逃げ出した電気師や、仕事をしていない電気師を見つけるために。それで、彼女が電気師くずれの隠れ場所を私たちに伝えました。このルートを通って行くと、鉢合わせになってしまうので、一旦引き返しましょう」


 そう言うと彼は踵を返して別の道を進む。電気師のフリをするのは、今に始まったことではない。私が事業許可証をもらった時から、悩みの種の一つとなっていたから、「そう言う人間がいる」ということにショックは受けなかった。それにそもそも、今はそんなことをしている場合じゃないんじゃないか、と考える。

 ミスラの問題の前では全ての物事が些事ではないだろうか。そう考えているのは世界で私だけという気までしてきた。もしくは、彼らがミスラを軽視しているか。


「そんなことありませんよ」とジャイディーは否定する。「ミスラを軽視しているわけではなく、全ての問題を等しく扱っているだけです」

「物事には全て、優先順位があってしかるべきものだと思っていたけれど」

「その通りです。けれど自警団の最優先事項は『ミスラを悪用する人間』を捕まえることではなく、地下都市の秩序を守ること。アナーキーを防ぐこと。そのためには、自分たちの思想と相反するものは等しく取り締まる必要がある。たった一人の生徒に愛を注ぐ人間が教鞭を取る教室は健全とは言えないように」

「やっぱり。自警団ってみんなそんな感じなのね」


 これ以上、私たち二人は会話をすることなく三番目のポイントに向かった。私と彼とでは全く別世界の人間だ。その全く別な世界が「ミスラ」という共通点を持ってチグハグに縫い合わされたのが今の状況である、ということを私は忘れていた。アイザキと私だって、最後の最後まで理解し合うことが出来なかった。この世界で人と価値観を共有することができないことを、私は忘れていた。

 それは私が悪いとか、ジャイディーが冷酷というわけではなくて、これもやはり人間の内側にある、獣性のようなものが原因なのだろう。私たちはめいめい異なる人生を歩んでいる。獣性、という言葉に私はひっかかりを覚えた。獣と神のことを。


 誰かが言った「信仰とは人類にとって最大の発明の一つである」と。信仰によって私たちは擬似的な運命共同体を生み出すことができたのではないだろうか。全ての人間が同じ道徳規範の下で生きてきたからこそ、お互いがお互いを慈しみ、憎み、喜び、怒りあった。


 ————ねぇ。もしその信仰がなくなれば?


 科学の発展が信仰を衰退させ、ゆくゆくは滅ぼした。という事実は、この地下都市で歴史を研究する者にとって周知の事実だという。アイザキが昔、何気なく話したのを私は思い出す。ちょうど地上での話。私がまだ電気師として見習いだった頃の話。

 冬の寒さが身に沁みる。


 ————あの太陽が神だ、と考える人が昔居たんだよ。それも大勢ね。


 アイザキは天に座す太陽。それも地下にある偽物なんかじゃなく、誇り高く煌々と光り輝くそれを指さしながら話を始めた。彼の表情は逆光で見えなかったが、声の調子からして、少し微笑んでいたのかもしれないって私は思っている。

 地面が割れるのも、ずうっと雨が降らないのも、また、雨が降り続けるのも皆、「神」の御業だと考えていた。そう考えることが、当時にとって彼らにとって一番、合理的な結論だったからだ。大衆は真実ではなく納得を求めるんだよ。と、アイザキは得意げに話した。だから「そうか、神の仕業なら納得だな」と大昔の人はそう呟いて、鍬を地面に置き、太陽に祈る。それが正しいイメージなのか、ということについてはそれこそ、「神のみぞ知る」というわけなのだが。


 ————そう、それについては神のみぞ知るっていうところなんだけれど、セリア、重要なのはそこじゃないんだな。


 そう、そう言って彼の前提解説はしばらく続く、科学の台頭が神を排斥し始めたことについて、彼は延々と講釈を続ける。思い返してみればアイザキの語り口は迂遠で、長々しく、勿体ぶりをする。幼い頃の私はそれを頷きながら聞いていた。


 科学の発展が、神の正体を暴き出していく。地面が割れるのは地震のせいだ、日照りのせいだ。雨がずっと降り続けるのは、降らないのは、上空の気圧配置が————そんな具合に。誰かが気付く「神が人間を作ったのでは無い、人間が神を作ったのだ」と。


 神が、次第に科学に代わっていく。

 世界が少しずつ色を変える。


 閉じていく。


 合理性の箱の中に閉じこもる。

 その箱の中で人間は神を作った————いったい何故?


 「神が人間を作ったのでは無い、人間が神を作ったのだ」と誰かが言った。太古の神も、ミスラ・システムも、どちらも人間に造られた神だ。


 ————それで、ここからが重要なことなんだけれど。


 アイザキは笑って話を続ける。渇いた大地、渇いた笑い。そのまま口を開いて


 ————そこから先は失われたイメージだった。そこから先の話を私は覚えていない。幼い頃の私にとって難しすぎたのかもしれないし、ただ単に覚えていられるほど強烈な話ではなかっただけかもしれない。

 冬の寒さが身に沁みる。太陽は天頂ある。日が傾けば夜はすぐそこだ。背の高い草を静かに掻き分け、ジャイディーは足を進め、私はその後ろを着いていく。私たちは電気師が通る道を避けて、道なき道無理やり作って進んで行く。

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