第6話 監視者
「……まるでお話みたいね」と私はせせら笑う。が彼女はピシャリと否定する。
「いいえ、確かにあった現実です。証拠が三つ。一つがその機械の壁です。この部屋だけに特別な細工をしているわけではありません。たとえ、どこを撃ったところで、この機械が無いところなんてない。自警団はずっと、その事実を確かめていました」
それから、証拠の二つ目。と言って彼女は私を連れて部屋から出た。そこから階段を使って地下(地下都市で『地下』というのもの、奇妙な話だけれど、地下都市の設定する地面から、さらに下の層があった)へと降りていく。回り階段になっていて、私たちは同じような場所をぐるぐると廻っていく。照明は発電機から電気を引いているわけではなく、ひとつひとつが電池式のランタンのようなものを掲げていた。数は、あたりを照らすには十分だが、すこし薄暗い。注意しながら下っていく。
一〇階分ほど降りただろうか、と思った頃に、壁の材質がコンクリートから鉄板に変わった。段差が今までと打って変わってよく見えるようになる。無機質からまた別の無機質へと移り変わる。境界を超えたら、途端に階段が終わって、広い空間に出た。
「ここは?」
「<ミスラ・システム>を統治するミスラ、そのものです」
あたりを見渡すが、何も無いように思えた。ただ、広く、広がった空間。机も椅子も、本棚もない。巨大な機械も何もない。白い箱の中にいるようだった。情景描写の不足した小説を読んで想像するイメージ。ただ白い空間に、考察する登場人物が一人。会話役の人物が一人。ポツンとそこに立っているような感覚————けれども、目を凝らして見れば、真実はしっかりとそこに佇んでいた。
壁を見ると、先ほど見たように、密集した機械群が小さな音を立てて動いていた。密集しすぎて、それは一つの壁のように見えていた。小さな写真を寄せ集めて一つの巨大な絵を描くモザイグ画のように、それは一つ一つの細かな個が群がって大きな影を作っていたのだ。耳をすませば、カチリ、カチリ。それからその裏にシャカシャカと、まるで時計のように繊細で複雑な音が聞こえて来る。音は耳の奥に入り込む。巨大な鯨が静かに眠って居るかのようで、私は腹の底から驚いた。
「……これが人間の所業なの?」
「ええ。これがミスラ。地下都市に生きる現代の神話。都市伝説の電気システムを一手に担って、自動運営しています。世界の監視者であり、世界の保護者でもある」
ミレイナ・クルトがそう話した時、鯨の寝息の他にドタバタと足音が聞こえてきた。やって来たのは彼女と同じ自警団の、アジア系の顔立ちをした男のようで、彼女に気づくとお辞儀をして私たちの方へと近づいてきた。二人は私を余所に会話を始める。
「お疲れ様です。ミレイナさん。報告が————いや、その前に、そちらの方は?」
「セリア・ラーレン、おとといの事件の重要参考人です。それで報告は?」
彼は目を一度開くと、少し戸惑うような表情を見せて、気まずそうな声のトーンで「……席を外してもらってもよろしいでしょうか」と、私に話し掛ける。その言葉から私はなんとなく内容を察した。彼の指示通りに私は階段の方へと行こうとしたが、私の手をミレイナ・クルトが引き止めた。
「大丈夫です。彼女にはおおよその事情を話しましたから。
むしろ、ささいな情報共有の差が、これからの命取りになる危険性がある————ジャイディー。事件ですか」
「はい。ええと。三ホのC地区です。そこで電気師による電気師殺人事件が起こりました。四ハのB地区の事件と同様の手口です。自殺した電気師はチャイルドでした」
チャイルド。突然知らない単語が出てきて、私は小首を傾げる。ミレイナ・クルトはそれを聞いて納得したような顔をすると、自分の後に続くように私に指示して、ミスラの部屋から階段を上って地上(正確には地下都市の地上)に出た。
「遺体の安置所へ行きます」
「なんのために?」
「私たちはあなたたちにもう一つ隠し事をしていて、その説明のためにはクレメンテ・ビジオの確認をしなければなりません」
車の中でミレイナ・クルトは話す。ミレイナ・クルト、それからジャイディーという男。そして私の三人は自警団の役所から出ると、次は車に乗せられた。もう、この時代には車は貴重品、そして骨董品と化している。ところどころ怪しい挙動をしながら、時速八〇キロメートルを保って、大きな道路を真っ直ぐに走った。窓を覗くと、背景が右から左へと流れてゆく。中心から離れるように車は進んでいく。そのため、流れ行く背景はどれも同じような印象を抱いた。まるで、無限に作られた
ところで、都市構想は芸術家の手によってではなく、数学徒的性格に気触れた建築家の手によって行われた。よってもし、神的な視点を手に入れて、この地下都市を上から見下ろした時、街は幾何学的な模様を描く。それが当時、美しいとされていたからだ。しかし、それは美しけれども芸術とは言わない。私が思うに芸術とは百年、二百年経っても、芸術である、と拍手とともに賞賛の念を抱くことの出来る作品なのではないだろうか。
しかし、目の前のそれに、私は何も感じることができなかった。公衆トイレの落書きのほうが、まだ心を揺り動かされる。この都市には神聖さも芸術性も無い。かといって合理的というほどでもない。いや、正しく言えば合理性である必要性がなくなったのだ。
たとえば、世界で一番切れるハサミがこの世に存在するとする。紙だって人間だって、ダイヤモンドだって、刃を入れれば、スパン、と切れてしまう、素晴らしいハサミ。切れないものはない。人によっては機能美すら感じるだろう。けれどこの世界にそんなハサミはいらない。ダイヤモンドや人間を切る機会なんて、人生がいくら長かろうと、一度だってないだろうし、紙を切るのだったら、世界で一番切れる必要は無い。
必要が無いのだ。世界で一番切れるハサミも、莫大な人数を収容できる巨大なビル群も。いくら合理的とはいっても、いくら機能性に優れていると言われてもそんなハサミも都市も必要が無い。流れていくビルのうち、一体何棟が空き家となっているだろうか。
取り留めの無い思考が溢れるのは、自分の神経が不安定な証拠だった。正直に言って、一昨日から信じられないようなことが連続して起きている。アイザキが死んでから、今の今まで、多くのことが連続している————そしてそれは、これからも続くのだろう、と私は思った。そして実際、その考えの通りになった。
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