第2話 電気師

 きらびやかに光るネオン。

 たくましく並ぶビル郡。

 忙しそうに走る自動車。

 青々とした木々と大空。

 

 全部レゾンテートルを失って、ネオンはもう「ないもの」を広告して、ビルは穴の開いたコンクリート塊になって、道路はちょっと歩くのが楽な、大地になって、木々は好き放題に伸びてしまっているし。疑似太陽はもしちてきたり、が消えたとしたら、もう誰も直せない。困ったことに、数年前からこの疑似太陽は消えることをしらない。地下都市はずうっと昼で、燦々さんさんと輝くそれに嫌気がさした人は、地下都市のもっと深くに逃げるか、どこかに残された理想郷ユートピアがあると信じて、何の保証もない「地上」へと旅をする。


 地上へと旅立った人間の中で地下都市に帰ってきた人間は一人もいない。嘘。怖くなって三日ぐらいで帰ってきた人間は少なくない。そして彼らは口を揃えて「理想郷なんて無いよ」と話す。けれど、その真偽は誰にもわからない。見つかるまで探していないだけかもしれない。地下都市に戻ってきてない人は、きっと「もう二度と地下都市に戻りたくない」と思ってしまうくらい、素敵な場所を見つけたのだと思う。そんなわけないか。


 無意味な妄想は余所よそに、私たちは四ハのB区中央にあるエレベーター前にやってきた。金属質でのっぺりとした扉には「関係者以外ノ立チ入リヲ禁ズル」と赤字で書かれた看板が付けられている。今となってはこの「関係者」が誰を指しているのかわからない。私は最初、電気師のことを指しているのだろうと、勝手に解釈していたけれど、アイザキによると、この扉は地下都市開発の黎明期れいめいき(つまり「電気師」という概念が生まれる前)からあったらしい。


 扉の前にはいかつい格好のした門番がいて————なんてことは全然なくって、私たちは誰にとがめられることも、励まされることもなく、地下都市から地上へと出向く。長いエレベーターの中で、私とアイザキは言葉を交わすことは少なかった。外の天気はどうだろうとか、とか、調子はどう? とか。彼は決まって他愛もない話題を私に振って、それ以上のことには踏み込もうとしない。


 イエス・キリストはきっと別の世界線に行ってしまって、私たちは生まれながらの罪をずっと背負っているかのようだ。生まれてしまった罪。「もっと早く生まれれば、素敵な文明を享受できたのに、なんて残念なの」と先祖の声が聞こえる。そういう罪を背負った自分たちは醜いと思って他者に近づけない。自分は穢らわしいから。


 ガタガタと鳴るエレベーターは何時自分を支えるロープが切れてもおかしく無いのだけれど、今日はその日じゃないらしい。

 密室空間の中に甲高くモゴモゴと鳴り響くノイズ(アイザキ曰く、もともとは合成音声で到着を教えていたらしい)の後、エレベーターのドアがゆっくりと開いた。エレベーターに乗る前と変わらないような個室。部屋の隅に棚と、ゴミ、瓦礫。電気の点いていない電燈でんとうは、配線がダメになっているようだ。この前、取り替えたのだが、付く様子は無い。だからといって電気回路を調べることはできない。これすらもブラックボックス。下手に弄ってしまうと、地下都市への電気供給が途絶えてしまうかもしれないからだ。「電気師」なんて言うけれど、電燈一個だって直せやしない。


 ドアから出ると最初に冷たい風が私たちを迎えて、次に作業服の上にコートを羽織はおった、壮年の男が私たちを迎えた。無精髭を生やしたラテン系の男だった。絶望を豊麗線ほうれいせんに畳み込んでいるような顔付きをしている。


「ナタリオ・アイザキさんとセリア・ラーレンさんですね。はじめまして」

「君が当直のクレメンテ・ビジオだね。今日はよろしく」


 私たちは手袋を外して、お互いに握手を交わす。クレメンテの手はとても冷たかった。外気温は摂氏二十一度。上着がなければ風邪をひいてしまいそうな寒さだった。遠くに見える山際は霞で輪郭がボヤけて見える。もうすぐ冬の季節が来る。そんな予感がした。


 この地下都市のある大地の気候は、夏に乾燥していて、冬は湿潤している。雨が降れば雪となって地上に降り注ぐ。雪が降れば地下都市に暮らす悪ガキがこっそりと地上に出て雪で遊びはじめ(そんな奴らを家に帰すのも電気師の仕事だった)、運が良ければウサギやキツネが顔をみせるが、電気師からしたら憂鬱ゆううつの季節だった。雪は発電機を止める。時々。作業は難航するし、日焼けするし、良いことなんかひとつも無い。


「冬に苦労しないように、今頑張ろうじゃないか」

「今頑張っても、結局冬は来るのよ」

「それは、そう。彼女たちは僕らの都合で動いちゃくれないからね。けれど、今、しっかりしておけば、後々楽になるのは君だって知っているだろう?」


 アイザキはそう言って私を慰める。下手くそな愛想笑いだが、その笑顔に救われたことが何度あっただろうか。ちょっとだけ愛おしいと思うのよ。彼の笑顔って。変な気遣いができるところも愛嬌がある————たとえば、今日来るはずだった、他の電気師二人が姿を現さないことについて、クレメンテに訊かないところとか。

 電気師が失踪するなんて、特別珍しい話じゃない。何処かトチれば、何が起こるかわからない。何十万ボルトによるスパークルに襲われ顔の皮膚を失ったり、深刻なシステムダウンが起こって、地区ひとつの電気設備が全滅したり。もし、そうなったら、今の人類に修理する術は無い。

 そういえば。風力発電機の高所作業中に誤って転落してしまった電気師の話を聞いたことがある。たまたま当直をしていた別の電気師が、その事件によって気をおかしくて、後を追うように飛び降りたらしい。総括そうかつすれば、電気師は職業というよりも与えられた役割なのかもしれない。不幸を背負って、地下都市という大きな生命の延命治療を行う、そういう役。


「一人頭おおよそ十七基に増えたわね」と私はアイザキにささやく。

「二十五基に増えなかっただけ、よしとしようじゃないか」

「もしそうなったら家に帰っているわ。そんな背筋がゾッとするようなハードスケジュール、お金貰っても、やりたくないから」

「同感だよ。けれども仕事なんだ張り切って頑張ろう」


 張り切って頑張ろう、なんて言うけれど、みんないずれ死ぬのだから、必死に延命する私たちに意味なんてあるのだろうか、って考えてしまう。地下都市で見た、ネオンやらビル郡や疑似太陽みたいに、とっくのとうにレゾンテートルを失って、狂ったように回り続ける歯車みたいになっちゃっているんじゃないのって、考えてしまう。


 そんな私の憂鬱ゆううつなど知らず、アイザキは笑って、クレメンテと打ち合わせを始める。そこまで難しい話をしているわけではない。ここからここまでは誰が担当して、何時まで作業を続けて、休憩は何時から何時までで、非常時にはどのような対応をするか————とか。


 打ち合わせを終えると、早速作業に取り掛かろうとした、が、その時にアイザキに引き止められる。ちた舗装に足を取られそうになりながらも、私を引き止めて、確認をしてきた。腰のホルスターにぶら下がった銃の取り扱いについてだった。


「安全装置は掛かっている?」

「ちゃんと」

「でも銃弾は込めてないね」

「必要がないでしょう?」

「安全装置を外せば、すぐに撃てる状態にしてほしい。クレメンテから聞いたんだけれど、どうも最近、この辺りは物騒なようだから」

「物騒?」


 私がそう訊ねると、アイザキはそわそわと周囲を見渡すようなそぶりを見せる。純粋に私のことを心配しているようだが、心配されるような心当たりがなかったので、私はアイザキの顔を見つめるしかなかった。見つめられたアイザキの方は、気まずく笑って、「とにかく、いざって時は自分を大事にしてね」と言って、別れを告げた。


 私は彼の背中を困惑の表情で見送る。それから、彼の言う通りに拳銃に銃弾を込める。地上では「屠人とじん」と呼ばれる危険な人間と遭遇することが稀にある。彼らは旅人や電気師を襲って、人食(食っているのは、精神的にも、肉体的にも、という意味)する悪人のことで、彼らのせいで地上に出るほとんどの人間は帯銃しなければならない。アイザキが「物騒」と言ったのは屠人とじんのことだろうか。

 彼の態度が気になるものの、私は発電機のメンテナンスを始めようと工具箱を片手に担当区域に向けて歩き始めた。

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