第2話 電気師
たくましく並ぶビル郡。
忙しそうに走る自動車。
青々とした木々と大空。
全部レゾンテートルを失って、ネオンはもう「ないもの」を広告して、ビルは穴の開いたコンクリート塊になって、道路はちょっと歩くのが楽な、大地になって、木々は好き放題に伸びてしまっているし。疑似太陽はもし
地上へと旅立った人間の中で地下都市に帰ってきた人間は一人もいない。嘘。怖くなって三日ぐらいで帰ってきた人間は少なくない。そして彼らは口を揃えて「理想郷なんて無いよ」と話す。けれど、その真偽は誰にもわからない。見つかるまで探していないだけかもしれない。地下都市に戻ってきてない人は、きっと「もう二度と地下都市に戻りたくない」と思ってしまうくらい、素敵な場所を見つけたのだと思う。そんなわけないか。
無意味な妄想は
扉の前にはいかつい格好のした門番がいて————なんてことは全然なくって、私たちは誰に
イエス・キリストはきっと別の世界線に行ってしまって、私たちは生まれながらの罪をずっと背負っているかのようだ。生まれてしまった罪。「もっと早く生まれれば、素敵な文明を享受できたのに、なんて残念なの」と先祖の声が聞こえる。そういう罪を背負った自分たちは醜いと思って他者に近づけない。自分は穢らわしいから。
ガタガタと鳴るエレベーターは何時自分を支えるロープが切れてもおかしく無いのだけれど、今日はその日じゃないらしい。
密室空間の中に甲高くモゴモゴと鳴り響くノイズ(アイザキ曰く、もともとは合成音声で到着を教えていたらしい)の後、エレベーターのドアがゆっくりと開いた。エレベーターに乗る前と変わらないような個室。部屋の隅に棚と、ゴミ、瓦礫。電気の点いていない
ドアから出ると最初に冷たい風が私たちを迎えて、次に作業服の上にコートを
「ナタリオ・アイザキさんとセリア・ラーレンさんですね。はじめまして」
「君が当直のクレメンテ・ビジオだね。今日はよろしく」
私たちは手袋を外して、お互いに握手を交わす。クレメンテの手はとても冷たかった。外気温は摂氏二十一度。上着がなければ風邪をひいてしまいそうな寒さだった。遠くに見える山際は霞で輪郭がボヤけて見える。もうすぐ冬の季節が来る。そんな予感がした。
この地下都市のある大地の気候は、夏に乾燥していて、冬は湿潤している。雨が降れば雪となって地上に降り注ぐ。雪が降れば地下都市に暮らす悪ガキがこっそりと地上に出て雪で遊びはじめ(そんな奴らを家に帰すのも電気師の仕事だった)、運が良ければウサギやキツネが顔をみせるが、電気師からしたら
「冬に苦労しないように、今頑張ろうじゃないか」
「今頑張っても、結局冬は来るのよ」
「それは、そう。彼女たちは僕らの都合で動いちゃくれないからね。けれど、今、しっかりしておけば、後々楽になるのは君だって知っているだろう?」
アイザキはそう言って私を慰める。下手くそな愛想笑いだが、その笑顔に救われたことが何度あっただろうか。ちょっとだけ愛おしいと思うのよ。彼の笑顔って。変な気遣いができるところも愛嬌がある————たとえば、今日来るはずだった、他の電気師二人が姿を現さないことについて、クレメンテに訊かないところとか。
電気師が失踪するなんて、特別珍しい話じゃない。何処かトチれば、何が起こるかわからない。何十万ボルトによるスパークルに襲われ顔の皮膚を失ったり、深刻なシステムダウンが起こって、地区ひとつの電気設備が全滅したり。もし、そうなったら、今の人類に修理する術は無い。
そういえば。風力発電機の高所作業中に誤って転落してしまった電気師の話を聞いたことがある。たまたま当直をしていた別の電気師が、その事件によって気をおかしくて、後を追うように飛び降りたらしい。
「一人頭おおよそ十七基に増えたわね」と私はアイザキに
「二十五基に増えなかっただけ、よしとしようじゃないか」
「もしそうなったら家に帰っているわ。そんな背筋がゾッとするようなハードスケジュール、お金貰っても、やりたくないから」
「同感だよ。けれども仕事なんだ張り切って頑張ろう」
張り切って頑張ろう、なんて言うけれど、みんないずれ死ぬのだから、必死に延命する私たちに意味なんてあるのだろうか、って考えてしまう。地下都市で見た、ネオンやらビル郡や疑似太陽みたいに、とっくのとうにレゾンテートルを失って、狂ったように回り続ける歯車みたいになっちゃっているんじゃないのって、考えてしまう。
そんな私の
打ち合わせを終えると、早速作業に取り掛かろうとした、が、その時にアイザキに引き止められる。
「安全装置は掛かっている?」
「ちゃんと」
「でも銃弾は込めてないね」
「必要がないでしょう?」
「安全装置を外せば、すぐに撃てる状態にしてほしい。クレメンテから聞いたんだけれど、どうも最近、この辺りは物騒なようだから」
「物騒?」
私がそう訊ねると、アイザキはそわそわと周囲を見渡すようなそぶりを見せる。純粋に私のことを心配しているようだが、心配されるような心当たりがなかったので、私はアイザキの顔を見つめるしかなかった。見つめられたアイザキの方は、気まずく笑って、「とにかく、いざって時は自分を大事にしてね」と言って、別れを告げた。
私は彼の背中を困惑の表情で見送る。それから、彼の言う通りに拳銃に銃弾を込める。地上では「
彼の態度が気になるものの、私は発電機のメンテナンスを始めようと工具箱を片手に担当区域に向けて歩き始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます