第4話 自警団

 正確にはクレセントに手をかけようとして、思わぬものにそれを阻まれた。


 コン、コンと、短く二回。


 玄関のドアからノックの音が聞こえた。私は体をビクリと震わせて、音のあった方へと首を向ける。アイザキではないだろうか、と一瞬思ったが、そんなはずはない、彼は合鍵を持っているのだからわざわざノックなんてする必要が無いし、そもそも彼は死んでしまったのだ。では、ノックをして私を呼ぶのは誰か————決まっている、アイザキを殺した人間に違いない。私は涙を拭いて立ち上がる。

 腰のホルスターにぶら下がる拳銃に弾は込められたままだった。私はゆっくりと銃身を触る。ひんやりとしていて、凍るような寒気が私の全神経をゆっくりと駆け巡る。私は銃を引き抜き、自分の親指を弾いて安全装置を外す。足音を立てないようにゆっくりとドアに近づく。昨晩は放心状態で部屋に入ったため、鍵は開けっぱなしだった。


 これは仇討ちだ、と自分に言い聞かせて、それから一息、己の精神を落ち着かせるために、目を閉じて深呼吸をする。それからゆっくりと目を開ける。そして次の一瞬にはドアを思い切り蹴り飛ばした。そして私はすぐさまにドアの向こうに立っていた人影に銃口を向けて、引き金を引こうとした————が、それは叶わなかった。人影は一息に私との距離を詰めたかと思うと、上が上へ弾き飛ばされるような衝撃と、痺れるような痛みに私の腕は襲われて、思わず握っていた拳銃を地面に落としてしまった。

 私は急いで拳銃を拾おうとしたところ足払いされ、地面にみにくく激突してしまう。組み伏せられ、頭に銃口が突きつけられるのを感じて、私は夢の中で味わったような「死」の恐怖を思い出す。私は観念して目をつぶったが、いつまで経っても、何も起こらない。私がゆっくりと首をひねって確認すると、私を倒した相手が妙齢みょうれいの女性だということに気づいた。


「手荒な真似をしてすみません。ただ、そちらが急に襲ってきたものですから。

 私は自警団じけいだんのミレイナ・クルトといいます」


 「自警団?」と思った時、彼女はゆっくりと拘束を解いた。私は彼女に手を貸してもらって立ち上がる。自警団は政治家と警察組織の「くずれ」のような組織だった。地下都市の治安を守る仕事をしている、といえば聞こえはいいが、それではそのために特別何かをしているようには見えなかった。

 そのような連中が、一体全体私になんのようだろうか、と口には出さなかったが、彼女は先回ってその問いに答える。


「昨晩の件————おわかり、ですよね。それについて聞きたいことがありますのでお伺いしました」


 彼女は黒い瞳を私に見せながら、淡々とそう話した。声の抑揚よくようがなくて、まるで、ロイドと話しているような気分になる。もしかして、私はまだ夢の中にいるのかしら。自警団が私のビルを訪ねてくるなんて、非現実的すぎる。非現実的すぎて「昨晩の件」と言われても、咄嗟に何のことだか、思い浮かばなかった。平生だったら、そんなことまったくありえないのだけれども。私は間抜けにも「昨晩の件?」と訊き返してしまう。


 ミレイナは視線を伏せる。何かを考えるような表情をしたのち、彼女は自分の肩から斜めに掛けたショルダーバッグから、数枚の紙(それらはまだ真新しい紙が使われていて、右上にホチキスで留められていた)を取り出して彼女は私に説明を始める。


「一昨日、私たちは電気師に業務委託を行いました。が、規定の時間になっても規定である中途報告が行われないため、不審に思った職員が翌日の晩、四ハB地区へと赴いたところ、電気師二名の遺体を確認しました————」


 鮮烈なイメージ。解剖されていく信頼。目の前で死んでいく人間と、破滅的な恐怖。忘れていたはずの死の実感が、腹部の奥からじわじわとこみ上げていく。胃液が逆流したのだろうか、喉に焼けるような痛み。聞きたくない。彼女の報告は非現実感がないからこそ、リアリティをたせて、不愉快だ。


「————一人の死因は銃殺、もう一人は拳銃で自殺です。遺体の名前はそれぞれ」

「もうやめて!」


 淡々と告げられる報告のせいで思い出したく無い事を思い出す。

 私は聞いていられなくなって声を荒らげる。命令されたロボットのように彼女はピタリと資料を読み上げるのを止めた。氷のような冷たい視線で私を責めるように見つめる。やはり、知っているのですね、とその目は語っていた。責められているという意識と、人形のように事切れるアイザキの顔と、飢餓きが感と、エトセトラ。色々なことに圧し潰され、混ぜられて、みだれる自分の気持ちが、視界を、ぐんにゃりと、曲がってしまって、立てなくなる。今自分が何時に立っていて、今が何処なのかもわからなくなって。もうそこまで来てしまうと、脳が処理できる限界キャパシティーを超え、プツンと、意識を失った。




 次に目が覚めた時、私の瞳には見知らぬ天井が映る。自室と同じコンクリートの天井なのだけれど、ほんの少しだけ、材質が異なるように思えるし、そもそも上質なベッドなんて、私の部屋にあるはずがない。ここは私の部屋ではない、と気づくまで、そこまでの時間はかからなかった。ゆっくりと上体を起こすと、幾つかの発見があった。まず、私の服装が気を失うまでに来ていた黒のスキニーと白いシャツから、患者衣のような簡素で清潔なものに着替えさせられていた……下着も。


 それから、なんとも悲劇的なことに、ここは乳白色にゅうはくしょくの壁と、鼻をつくような消毒用アルコール液の臭いに囲まれた病室————ではなくて、収容房のようだった。いかにも「檻ですよ」と言っているような感じだが、不思議と恐怖感や閉塞感はなかった。人の気がないのと、私がいつにも増してペシミスティックな感傷に苛まれているせいかもしれない。


 持ち物は全て没収されていた、誰かが来ない限り、物事はここから進展しない。私はあてもなく彷徨さまよう幽霊のように、この収容房に抜け穴がないかと、狭い部屋のはしからはしを行ったり来たりしていた。その成果として、この収容房が完璧に収容房足りえている、つまりは、何処にも、たとえば莫大ばくだいな財産が眠る場所を知っている敬虔けいけんな神父、彼の居る別の収容房へと繋がる抜け穴なんてないことがわかった。檻の一本一本を力任せに揺らしても、外れるどころか、ちょっとでも曲がることはない。ある程度予想の出来た結果を確かめるために、私は一汗かいてしまった。


 結局、私は遠くから足音が響くのを待つこととなったが、自警団のミレイナ・クルトがやってきたのは私が目覚めてから(体感的に)何時間も後のことだった。それなのに、会った時のような、まったく澄ました顔をしている。彼女に感情という感情は持ち合わせていないのか。それとも、私にさして興味がないのかしら————正直、どっちだっていいのだけれど、開口一番に「調子はどうですか」なんて言われて、私は静かに怒りに満ちていた。良いはずがない。皮肉か?


「逃走のおそれがありますので」

「逃走? なにから?」

「……強いて言うならば私たちから」

「疑っているっていうの?」


 自警団は平気でそういうことをする。法と正義だけが世界を救うと進行しているような、危険思想家の集まりだった。なんちゃら教と比肩ひけんして厄介なヤツら。しかし、残念ながら私は、その下に立ってせこせこと働く電気師で、配給まで貰っている。私の生殺与奪せいさつよだつ権は彼らが握っている。ここで怒鳴ったところでなにも生まれない。私は奥歯をぎっ、と噛んで怒りに耐える。ただ、ミレイナ・クルトの返答は私の肩を透かす。


「いいえ、ナタリオ・アイザキを殺した男は、クレメンテ・ビジオ。あなたと共にメンテナンスを行った電気師だと、こちらの調査では分かっています」


 目の前の彼女は私と同じ言葉をあやつっているんだろうけれど、私にはその意味がわからず、「クレメンテ・ビジオ」という名前をなぞるように口に出す。クレメンテ、クレメンテ、クレメンテ・ビジオ。私はその名前を知っている。ともに作業をした電気師。突然、映像を全部記憶していたのか、というくらい鮮明なイメージが私の脳内に浮かび出す。


 ————不審に思った職員が四ハB地区へと赴いたところ、電気師二名の遺体を確認しました。一人の死因は銃殺、もう一人は拳銃で自殺です。


 浮かび上がるイメージ。少しだけ、彼女は私の玄関の前でそのように答えた。けれども、それは、なんというか、とても気持ちの悪い、すっきりしない話ではないだろうか。


「クレメンテ・ビジオがアイザキを殺して、その後、自殺をしたってこと?」

「ええ、そしてそれと同様の事件が数件、発生しています。電気師が同じ電気師を撃ち殺して、自殺する」

「いったい何故?」

「私たちはそれが知りたいのです」


 そう言ってミレイナ・クルトは懐から鍵を取り出した。パチン、と錠が弾けるような音をさせると、ゆっくりと扉が開いた。ここから一歩出れば自由が手にはいるが、その前に目の前の自警団に協力をしなければならないらしい。私は煮え切らない気持ちを押し殺して立ち上がり、牢の外へと出た。

 長い廊下を進む。床も壁も天井もコンクリートで覆われていて、電気は通っているようだったが、ところどころ、電球が割れていたり、フィラメントが焼き切れていたりしているものが散見された。ずうっと同じような景色が続くのは、どこか地下都市にも通ずるところがある。


 ミレイナ・クルトは道中でこの建物について説明した。曰く、ここが文明崩壊前の刑務所だったらしい。構造は地下五階建てとなっていて、最上階だけは清掃されて自警団たちの倉庫や(彼らが作る独自の法律によってきまぐれに裁かれた)犯罪者を収容するために利用しているらしい。地下一階から下五層は清掃するほどの人員もなく、実質的な封鎖状況にあるということも。


「誠に勝手ながら、ナタリオ・アイザキとクレメンテ・ビジオの遺体はこちらの方で共同墓地に土葬させていただきました」


 収容所に関する説明の途中で、唐突にミレイナ・クルトはそう私に告げた。私はしばらく黙ったあとに「そう」とだけ返事をする。アイザキは天涯孤独てんがいこどくの身だ。妻もいなければ、家族もいない。強いて言うのならば電気師としての繋がりが、そのまま彼と社会をつなぐ糸のようなものだった。が、個人墓地を用意して維持できるほどの余裕が私にはなかった。


 そういえば、父が病に倒れた時、彼が私たちの電気師事務所から別の事務所へと移動することをかたくなに拒んだのは、私と彼には似たようなところがあったからかもしれないと、私は考えた。椅子に座って机の上に手を置き、空調の音を聞きながら時計を見て、じっと死ぬまでの時間を数えている。それは決して悲しいわけではないけれど、寂しい行為。私とアイザキはそんな虚無的な部屋のイメージを共有していたが、決して交わることはなかった。


 最後まで、と思った時、私の頬に涙が伝っているのに気づいた。泣くつもりなんてないのに。わかっているでしょう。泣いたってただ疲れてしまうだけ。涙を何ミリ流したところで、現実なんて一ミリも動きはしない。涙を流すことは、同情を誘いたがる、卑しいことだ。

 この世界のどこにも救いがないような気がして吐き気がしてきた。未来は誰の手の中にはない。ならば、せめてアイザキの死の真相だけでも明かして、彼の遺恨を晴らしてやろうと心に誓った。勝手ながら。

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