第14話 残響

「ファームを一周したけれど、反応は無いわね」


私が言葉を吐くと、白い息が空へと上っていった。それを目で追えば、もう随分と太陽が傾いてしまっていることに気がつく。夜が近い。気温も下がっていって、視界も悪くなる。時間を確認すれば、あと二時間で集合場所へと向かわなければならない。


「今日は『無い』ってことなのかしら」

「それは、まだわかりませんね。事件は夜に起きているケースもありますから」


 私の記憶ではアイザキは夜に、この前の女の電気師は明朝に起きていた。いつ起こるかわからない、気まぐれな、あるいは衝動的な殺人事件。メンテナンス業務の終わりが近いとはいえ、気を抜くことはできない。

 墓標のように細長い発電機が夕陽にさらされて赤く光っていた。私は目を細めて海の方を眺める。電気師達は逃げ出したのだろうか? それは特別珍しいことではない。働き手は流動していく、昨日まで電気師だった人間が、明日には配達員や自警団に転身していたっておかしくはない————本当に?

 私は考えたく無い可能性から、目をそらしてしまったのではないだろうか。ここに居たのは非常に危険ではないだろうか。イヴの言葉が急にトゲを持って、背中に当てられているような寒気が襲ってきた。


「ジャイディー、キットに反応は無いのよね?」

「……ええ」

「キットに何の反応が返ってこないのと、この地区の電気師が消えているのは、何か関連性があると思わない? 嫌な予感がする」

「それは分かっています。その予感はおおよそ間違っていないでしょう。セリアさん、この発電機がメンテナンスされているかどうかってわかりますか?」


 私たちはダリウス型風力発電機を一つ一つ確かめる。このタイプの発電機はメンテナンスが容易だった。単純な理由、メンテナンスするべき機械が全て地上にあるから。

メンテナンスがされているかどうかは、ナセルの内部が清掃されているか、否かで判断することができる。一部は清掃がなされている、つまりメンテナンスがされているわけだったが、その数は少ない。


「途中で作業を中断して、どこかへ消えた、ということですか?」


 私は頷く。


「電気師殺し事件が起こる前兆かしら?」

「わかりません……まったく」


もちろん、電気師だって途中で仕事を投げ出すことはしない。それは「電気師が非常に責任感を持った人間が多い」からなんてことではない——なぜなら、仕事をしたくないのなら、初めから地上に集合しないからだ。危険な香りを私は感じ取る。

ミレイナから渡された資料を見返す、事前の打ち合わせの通りならば、この男がファームの担当だったはずだ、と男の顔を見る。男の顔は口をへの字曲げていて、眉ひとつ動かしやしない。それもその筈だ、写真なんだから。


「彼がダエーワですか」


 ダエーワというのはジャイディーたちの民族に古くから伝わる言葉で、神に対する「悪魔」という意味を持っていた。神の名前であるミスラに対して、ミスラを悪用する人間を「ダエーワ」と呼ぼう、と提案したのは他ならぬ彼だった。ダエーワは本来、地獄で亡者どもを苦しめる役割をしているようだ。

 もし、衰退する文明、地下都市というシステムそのものが地獄だとしたら、ダエーワのしていることは、まさに亡者を鞭で打つようなことだろう。悪魔という形容にふさわしい所業だ。それが、写真の中で口をへの字曲げている男は、今にも口角を上げてニヤリと笑いだしそうだと私は思った。


 ダエーワ。悪魔のダエーワ。


「彼を探さなければいけないわね、ジャイディー。あなたの息子のためにも」


今の私に比べれば、それまでの私は霧の中に居たようだった。もしくは盲目。なにも見えていないため、この世界が無意味だと思い込み、自分で自分の首を絞めながら、かすかに息をするような存在。それからミレイナ・クルトに出会って、ジャイディーに出会って、イヴに出会って——ようやく私はほんの少しだけ変われたのかもしれない。可視化された悪意を倒さなければいけないという使命感が生まれつつあった。けれど。


————それで、ここからが重要なことなんだけれど。


けれど、そこで私はアイザキの言葉を不意に思い出した。途端にクリアになっていた視界が不思議なことに一気に遮られてしまう。今まで見えていた敵の姿が再び霧の向こう側に隠れてしまったような、そんな感覚。


「——……一度、ミレイナさんと合流して、指示を仰ぎましょう」


ジャイディーが何かを話したが、なにひとつまともに頭に入ることはなく、私は生返事を返す。ほとんど朧げな記憶の中にある、たった一言、死人の言葉が、私をひどく戸惑わせる。その理由はわからない。わからない、ではなくて、正確には思い出せない。

私は再び写真を見る。いや。いいや、まさか。それは私の幻覚に過ぎない、写真なんだから。男のへの字に曲がっていた口が、歪に笑うのを見たが、それは私の幻覚にすぎないのだと言い聞かせる。

ジャイディーの背中が遠くなるのを感じて、私は追いかける。追いかけながらも、私の頭の中ではアイザキの言葉が熱を帯び、執拗くリフレインする。


————科学の発展とともに、神は排斥されていく。今まで説明のつかなかったことが、全部科学で説明されていくんだからね。


それは知っている。私はあなたの知らない「その先」も知っているのよ、アイザキ。神が科学に成り代わったからこそ、人々は科学を崇める。ミスラと名付けて、人々はそれをありがたく崇拝していたんでしょう————違うの?

煩雑な思考。纏まらない視線。散乱するイメージ。私は奥歯を噛む。何か、とても大切なことを忘れてしまっているような気がする。その不安に私はフラストレーションを隠しきれない。汗ばむ。


私は草の根を掻き分けながらジャイディーを追いかける。燻んだ灰色をしている丈の長いそれは、鋭く、それでいて鮮やかな切れ味を隠し持っていた。草はなめらかな曲線を描いて私の指を切る。小さな痛みは長く残る。私は舌打ちをしてそれを眺めた。


「なるほど、事情は大体飲み込めました」とミレイナ・クルトは話す。それからしばらく考えに耽っているようだった。それを妨げる形でジャイディーが彼女に質問した。

「ダエーワの顔がわかりました。今からでも仲間たちに連絡したほうが良いでしょうか?」

「他の自警団へは私から連絡しておきます。二人はこれから電気師とのミーティングを行い、そこで各自解散してください。ただ、ジャイディーは家まで彼女を送り届けること」

「わかりました」


 陽は既に沈みかけていた。それに照らされる山際は淡く、眩しく、煌めいた。私はとある風力発電機のナセルから外の景色を眺めていた。手を広げて、草で切ってしまった指を見て、握り締める。再び空を見ると、紫と濃紺に染め上げられていた。それが酷く美しいので、私の気持ちはかえって不安になる。だって、私を飲み込んでしまいそうだったから。


「……ミレイナ・クルト」


 私は彼女の名前を呼ぶ。薄暗いナセル。その窓から差す、この日最後の陽光が彼女の顔を照らしていた。彼女はアイコンタクトでジャイディーをナセルから出すと、


「どうか、しましたか?」と訊いた。私が確かめたかったのは、目的だった。

「目的。既に一度、話していますよね。ミスラシステムを悪用する人間、ダエーワ——と、ジャイディーは言っていましたから、私もそれに倣いましょう——を捕獲することだと。自警団は現在の保全を目的とした団体、その志は電気師にも似たところがあるので、理解できると思います」

「違う、自警団の目的じゃなくて——ダメだわ、言葉がうまくまとまらない。あなたの行動の目的……そう、ミレイナ・クルト、あなたの目的がわからない。自警団のじゃなくて、ミレイナ・クルトの目的がわからないのよ」

「質問の意図がわかりません、セリア・ラーレン。私の目的は自警団の目的を達成する事に他ならない。私は自警団の一員なのだから」


 それはおかしい、と言いかけた。それはおかしい。それは人間の思考ではなく、働き蜂の思考だ。共同体のための存在だ。

たとえばジャイディーの人生において一番大きな目的は息子のことだろう。自警団に入って治安維持に努めることは将来的に、自分の息子を助けることにつながる。そういった想像が容易にできるし、大きく外れてはいないだろう、という自信が私にはある。

しかし、ミレイナ・クルトは違う。彼女はいつも「自警団の目的は」と言っていた。全ての行動理念が自警団という組織の中にあるように私は思っていた。繰り返すようだけれどそれは人間的に見て異常なのだ。だってそれは非人間的なのだから。人間よりも働き蜂に近い。蜂で居られる人間は正気じゃない。


「……あなたは狂っている、うまく言語化できないけれど。どこかがおかしい」

「この世界でおかしくない方がおかしい——それに、あなたも同じでしょう」


そう言ってミレイナ・クルトは微笑んだ。

確かに微笑んだ。私は驚いて、目を見開く。陽が落ちる。彼女の顔に影が差す。ただでさえ薄暗いナセルが、さらに暗くなった。闇夜の中でミレイナ・クルトは少し楽しそうに私に話しかける。


「正直なところ、私はあなたに好意を抱いている」

「恋愛的な、じゃないでしょうね」

「まさか。親近感のようなものです。初めて会った時の、世界の終わりのような表情を見た時、私は直感した、目の前に立つ彼女は同類だと」


 初めて会った時のことを私は思い出す。それはアイザキが殺された直後の出来事だった。彼の死のショックから熱に浮かされた私は、飛び降りてしまえという衝動につき動かされて、ベランダのクレセント錠に手をかけた時、ちょうどその時にインターフォンが鳴り響いて、私はその手を引っ込めたのだ。そして、音に誘われるままにドアを開くと、ミレイナ・クルトが居た。


「あなたは世界の終わりのような表情をしていた。それは出来損ないの悲観主義や、嘘っぱちの虚無主義には、とても出来ない顔だ。」

「親しい人が死んだら、誰だってそんな顔をするわよ」

「ええ、そうかもしれませんね。だからこそ、あなたは狂っている。あなたは世界が無意味だと言いながら、ナタリオ・アイザキの死に悲しみ、他の電気師の死に恐怖している————ああ、そうですね。あなたは至って正常だ。至って正常だからこそ、この世界では異常なのだ。セリア・ラーレン」

「詭弁よ、そんなの。私とあなたは違う」

「ええ、確かに違うけれど、よく似ている」


 私がそう呟いた時、ナセルの内部に居る私たちをセンサーが感知して、ナセルの内部の照明が光る。コントロールパネルに内蔵された電子時計がタイマーとなっているのだ。


「ああ……そろそろ行かないと、ミーティングの時間に間に合いません。無駄話はここまでにしましょう」


 そう言って彼女は先に梯子を下りていった。塔体を伝ってナセルに残響が響き渡る。その音に心奪われた私はしばらく呆然としていた。

 ダエーワを倒せばそれでいい。それで全てが終わるはずだ、と今は自分に言い聞かせる——終わるって、いったい何が? など、考えてはダメだ。今は目の前のことに集中しなければいけない。自分に言い聞かせて、集中できるのなら、苦労はしないが。

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