第21話 銃弾
ゆっくりと、悲しみをこめて。私はミスラを破壊しなければならない。これが世界で最後の喪失にしたい。
「最後に少し、話をしない?」と私はミレイナに話しかけると、彼女は足を止めて、少し考えてから「そう、しましょうか」と肯定する。それから連れられたのは中庭だった。強い日差しを避けるために、私たちは人工樹の陰のベンチに座る。たぶん、私たちは、何かに飢えているのだと思う。これから犯す罪の気を紛らわすために、話し相手が欲しかったのかもしれない。遺物の破壊は重罪だ。それをおこなった人間は「屠人」と呼ばれる。私たちは、「私たち」から「それ」へと成り下がる。
何から話すべきか、私は言葉を選ぶ。話はしたい。話はしたいけれども、いかんせん、彼女のことなどほとんど知らない私だから、何を話せばよいかわからない。だから、最初に口を開いたのはミレイナの方だった。
「あなたは、これが終わったらどうするつもりですか」
「終わったら?」
「もう、電気師ではいられないでしょう」
「そうね。私はもともと、それしか能の無い女だし」
私は自嘲的に笑う。私たちは蜂だから、決められた仕事さえしていれば、生活することに不便は無かった。けれども、その役割を捨ててしまえば、何の準備をすることなく、生命の枯れた砂漠の真ん中に放り出されたようなものだ。笑ってしまう。
「屠人落ちの電気師らしく、発電機から銅線ひったくって売りさばいて生きていこうかな」
「女性電気師がそれをやるのは難しいのでしょう?」
「そうね、難しい。けれども」
銅線は重いし、力仕事だ。さらに言えば、屠人のコミュニティーにおいて女性の立場は弱い————たとえ、私が電気師といえども。未来はそこまで明るいわけではない。そんな時、彼女が思いがけない提案をしてきた。
「私と外に出ませんか?」
「外?」
「地下都市の外。世界の外側へ」
「別の地下都市ってこと? ここまで、いったいどれくらい離れていると思っているのよ」
「おおよそ一三〇〇キロメートル。歩けば一ヶ月はかかりますね。けれどもその程度の食料ぐらいだったら、調達ことは難しくない。私は自警団なので」
「冒険家ね」
「私はずっと、外側の景色を見てみたかった。誰もいないところに————どう、ですか?」
「どうですか、って言われても……」
二人だったら、寂しく無いかもね。と言って、私は笑顔になった。正しくは、笑顔に
なれた、と言うべきかもしれない。
それから、私たちはいくつかの話をした。アイザキが屠人を助けていたこと。ジャイディーの妻子はとっくのとうに亡くなっていたこと。暗いこと。明るいことはそこまで無かった。けれども、そこまで苦痛では無かった。むしろ、今までの苦労をお互いに吐露できて、踏ん切りがついたのかもしれない。今までの緊張感をほんの少しだけほぐすことができた。私の胸を締め付ける緊張感がほぐれれば、ほぐれるほど、今の状況を冷静に理解することができるようになる。冷めていく。
物語の終わりが近い。
「そろそろ、行きましょうか」とミレイナが笑った。
疑似太陽の明かりが頬を差す。私たちは破滅へと向かっている。喪失の方向へと歩いている。けれど、それは、今日で最後なのだ。
私たちは、長い階段を下る。うす暗い螺旋階段。私たちは同じような場所をぐるぐると廻っていく。ほのかな灯りを持つランタン。過去に来たよりも、長く、深くまで来た気がする。ようやく、壁の材質が白塗りの混凝土から鉄板に変わる。ランタンから電気に変わる。無機質からまた別の無機質へと移り変わる。
突然に階段が終わって、広い空間へ出る。
あたりを見渡すが、やはり、一目ではそこに何も無いように見える。ただ、広く、広がった空間。机も椅子も、本棚もない。巨大な機械も何もない。白い箱の中にいるような。
けれども、その遠くに、ミスラはその中に在る。しっかりと存在している。ただ、そこに沈黙していて、地上に災いを齎し続けていた。
壁を見ると、いつか見たかのように。密集した機械群が小さな音を立てて動いている。神の心音だ。それは、一つの命の集合体。一つ一つの細かな個が群がって大きな影を作っていたのだ。耳をすませば、カチリ、カチリ。それからその裏にシャカシャカと、まるで時計のように繊細で複雑な音が聞こえて来る。ここだけの話、それには美しさをも感じて居た。技術士にしか伝わらない、感覚的な美。
けれども、美しいからこそ、恐ろしいのだ。
ここまで、来るのに、いったいいくつもの犠牲を払ったのだろう。これに気づくまでに、いったい何人の血を吸ってきたのだろう。ミスラは自然現象のひとつなのかもしれない。雪崩や嵐と同じように、理由なく現れては、命を奪う存在。
理由なく、というのは語弊がある。
たとえば雪崩は傾斜地に降り積もった雪が、重力の影響により、大量に崩れ落ちるからこそ発生する。台風雨は温められた海面から蒸発した水蒸気が凝結し、上空で雲が発生する。そうすると、空気が薄くなった雲の下へと、空気が流れ込む。大きな空気の流れが出来上がり、大きな渦となる————そういった風に、全ての結果には原因が存在する。
だから「理由なく」というよりは、私たちは、未だメカニズムを解明できていない、と言うべきだ。ミスラには、ミスラなりの理由があったのかもしれない。ただ、それが明らかになることは、未来永劫、一切無いだろう。もし、何十世紀も前の人間に雪崩や台風をこの世から消せる権利を与えれば、彼らは喜んでその権利を行使するだろう。そして、私も、喜んでそうするのだ。
「あなたを、殺さなければいけない」
私は意を決し、そう呟く。そう呟いて、私は腰に巻いたホルスターから、拳銃を抜く。目眩がする、きっと緊張のせいだ。破壊するのだ、ミスラを、この行動で。
目尻が熱い。頭が重い————ただ、意識だけは冴えている、珍しく。松葉杖に体重をかけて、できるだけ体を固定して、銃の衝撃に耐えられる姿勢になる。
————すぐに撃てる状態にしておくんだ。
私の頭の中で反響する、誰かの言葉。そんなのはわかっているのだ。意識だけは冴えている。何も、ためらう必要など無いでしょう? セリア・ラーレン。私が私に話しかける。歯車の回転する音がつねに一定のペースで打ち続ける。決して激しくなどない。決して悲劇や喜劇でも無い。ただ「ゆっくりと悲しみをこめて」
ゆっくりと悲しみをこめて、私は、自分の目の前に立つミレイナ・クルトの胸を拳銃で撃ち抜いた。
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