第9話 Date:4月10日(2)

叫ぶことをやめてダリルを見つめる紗綾の身体がガタガタと震えている。恐怖に染まった瞳の中を覗き込むように、目をそらさないダリルの瞳は、宝石のように青紫の光を放っていた。


「うん、その日は災難だったね」


ビクリと紗綾の身体がわずかに揺れる。


「うん、キミは非力だ」


ニコリと笑って今度は優しく抱きしめてきた男の胸の中で、紗綾の泣き声がしんしんと吸収されていく。

そう、非力だ。あっけなく奪われた。その日まで当たり前のようにもっていたすべてが、一瞬にして奪われてしまった、失ってしまった。簡単に、何年も繰り返してきた日常が、その日から色までなくしたように、時間が止まっている。


「キミの求めている答えではないだろうけど」


よしよしと泣きじゃくる紗綾の頭を撫でながらダリルは言葉を降らせていく。


「どうしてあの日死んだのが自分じゃないのかって、自分を責める必要はどこにもない。誰がいつ、どこで死に迎えられるかなんて死神にもわからない。生まれるものがいるように、死ぬものがいるだけ。不条理で、不合理な仕組みにみえて、単純に繰り返されている世界の理。季節が巡るように、当たり前のように何億年も巡っている生死の順番なだけだ。あの日、死ぬのはキミだったかもしれない。あの日、生きたのは彼女だったかもしれない。でも、彼女は死んでキミは生きている。これは紛れもない現実であり、ゆるぎない事実だ。どうなってもいいなんて、当たり前のように生きることを放棄することが許されるほど、世界は甘くないし、簡単に死ねるほど世界は残酷でもない。結果はどうであれ、今を急がなくてもいずれキミにもその日は必ず訪れる」

「その日は必ずおとずれる?」

「うん、必ず」


今までで一番死神らしいといえばダリルは怒るだろうか。泣いてぐしゃぐしゃになった顔で見上げた笑顔は、今までで一番信じられる笑顔に見えた。


「さて、キミの秘密を無断で覗いてしまったことだし」


そう言いながら、ダリルはポンポンと紗綾の頭を二回たたく。


「お詫びに、死神の秘密を教えてあげるよ」



* * * * *


鼻をかみ、涙をぬぐった紗綾は保険医に早退しますとメモを残して保健室をあとにした。だからといって向かう場所はどこでもない、寮の自室に戻った紗綾は「さて」と当然のようにもう一人の寮生である洋子のイスに腰かける死神と向かい合うように自分の椅子に腰かけた。


「この黒い種のことを覚えているかな?」


銀色の模様を施した真っ黒な衣装の袖から、ダリルは手の平に乗るほどの大きさをした種を取り出す。佳良、そしてこの間の夜に見た少女の遺体から生まれた黒い種。


「魔種(ましゅ)」


紗綾の答えが正解だと、唇を三日月に歪めたダリルの顔が物語っている。


「そう、一見すると何の変哲もない黒い種。だけど、これは第一種魔界特定危険生物として登録されている、非常に危険な植物の種だよ」

「え、第一種?」

「第一種魔界特定危険生物。魔界で生まれた植物は本来魔界で生息をしているけれど、これは少し特殊でね。人間の男に寄生し、少女の身体で花を咲かせるんだ」

「花を」

「キミは彼女たちの身体に咲いた花を見たことがあるだろう?」


あ、と。紗綾の口がぽっかりとあく。白濁の液に沈む少女の身体から芽吹いた花の姿は、まだ記憶に新しい。


「だけど、咲く人と咲かない人がいたわ」


年齢は関係していないはずだと、紗綾は記憶を覗いた目の前の男なら知っているだろうと言わんばかりに、身を前にのりだした。その反応を予想していたのか「うん」と死神は黒い種から紗綾に目を合わせるように静かに告げる。


「処女にしか花は咲かない」

「え」

「この魔種は、乙女の液体を養分に育つ魔界の植物でね。さっきも言ったように人間の男に寄生し、少女の身体で花を咲かせるんだ。ここでいう乙女や少女というのは、処女であることと同じ意味だよ。この種に寄生された男は芽が孵化する頃、精液にのせて魔種を少女の体内に送り込む。受精させられた少女はその体で魔種を育て、人によっては数分から数時間、美しい花を咲かせたのち絶命と同時に一粒の種を産む」


そうして生まれたのがこの魔種だとダリルは黒い種を紗綾の手に渡るように差し出した。紗綾の指が躊躇しながらその種をつまむ。想像通りの重さと大きさが、紗綾の手の中で乾いたように転がった。


「魔種は、昔から存在していることもあって特にどうってわけじゃなかったんだけど、ここ最近この町の周囲で異常増殖しているからボクが調査に送り込まれたってわけ」

「異常増殖?」

「魔種にはその異常な特質上、増殖するような代物ではない。たとえ男に寄生したとしても、処女ではない女性の中では魔種は育たないからね。数うちゃ当たるなんて考えるかもしれないけど、魔界の植物はそこまで馬鹿じゃない、寄生した男は魔種が発芽する頃には全身を根っこでおおわれて、ただの化け物になるんだ。本来であれば」


その姿には思い当たる部分がある。全身を真っ白に染め、腐敗臭のような異臭を放つ元は人間のような畏敬の生物。あのとき追いかけることが出来ていれば、今頃正体をつかめていたかもしれないが、仮にそれが叶っていれば、今こうしてダリルと対話していることもなかったかもしれない。

選択肢はいつも突然目の前にあらわれて、決まってどちらかの道しか歩けないようになっている。紗綾は魔界の植物だというその種をダリルに返しながら、その話の続きを聞いていた。


「ところがどうだい、最近魔種の気配を感じて現場に駆けつけてみてもそこに転がるのは死体と、普通の外見を保つ男だけ。どうやら体内は正常とはいえない状態なのか、みな不審な死を遂げる羽目になっているけど」

そこまで話して、んーっと考え込む顔を見せるダリルに、紗綾はふと思いついた答えを口にした。

「それ、あれじゃないかしら」

「あれ?」

「シュガープラムっていう麻薬」

「しゅがー?」

「シュガープラムよ。最近、この町で流行ってるの。レイプ被害も出ているみたいだけど、カップルでも使う人がいるって話。だけど、いつから出回っているとか、どこで売買されているとか全然わからないの。偶然入手できた人だけが使用することが出来るから、みんな興味本位で欲しがるのよ」


いつの間にか町に入り込み、いつのまにか日常の中にその存在は根付いていた。変化が起こった日がいつなのかは誰にもわからない、それでも当然のように繰り返されるはずだった日常は、ここでも何かに狂わされたように違う道を進んでいる。


「私は、佳良を殺した犯人はそのシュガープラムが手掛かりかもって思っていたの」


だけどここにきて、魔種という未知の植物がその原因ではないかという仮説が持ち上がってしまった。「なるほど」と小さく納得したのかしていないのか、よくわからないダリルの声が聞こえてきた。


「魔種の影響なのであればボクは仕事をしなきゃならないし、シュガープラムの影響なのであれば別の仕事が増えるかもしれないってことだ」

「別の仕事?」

「魂の回収だよ」


ダリルのもつ青紫の瞳が、怖いくらいに綺麗な色を見せつけながら紗綾を見つめている。ゴクリと、無意識に紗綾の喉が鳴っていた。


「まさか私を殺しに来たの?」


本当は死ぬはずだったのに生きていることがおかしいとか、つじつまが合わないとかいいんだすんじゃないだろうか。世界の理を正すために、本来の死者を迎えに来たと言い出すのではないだろうか。

巡る紗綾の思考回路をどうくみ取ったのかはわからないが、青紫の瞳は一度パタンと閉じるように瞬きをしてから「ふ」っと軽い息で笑った。


「キミは死神を何か誤解している。死神は人を死に至らしめる存在ではない、死者のリスト通りに魂を回収するだけの回収屋さ。生まれる数が一定数あるように、死んでいく数も一定数存在する。その数は初めから決まっていて、異常事態が起こったときは調整する役割をもっているっていうだけの存在だよ」

ホッと安堵の息がこぼれたのは隠しようがない。

「驚かさないでよ」


紗綾は乗り出していた身を椅子の背に預けるように脱力すると、はははと笑う呑気な死神に向かって引っ掛かった言葉を繰り返した。


「異常事態?」

「今回のようなね」


そう言ってダリルは紗綾から自分の手に戻ってきた魔種を再度指でつまんで二人の間に持ち上げる。黒い楕円形をしたその種は、部屋の中央で乾いたような表面のまま何の変化もなく存在している。異常事態と言われても、紗綾には何の異常かが判断がつきにくい。そもそも魔界の植物が存在しているだけで異常なのではないだろうか。いや、ここまで来てしまえばもう何が異常で何が正常なのかも定義が難しい。


「魔界の植物は、ボクら死神の持つ鎌でしか刈り取れない。魔種以外にも色んな植物が地上には転がっているんだよ。人間の魂は極上とされるから狙われやすい。それを守るために必要な武器というか道具がこれだね」


今まで目にした不思議な現象の中で、こればかりは信じるとか疑うとかの次元ではなかった。空間を切り裂くようにして現れた巨大な黒い鎌。ダリルの身長ほどの柄と、その柄と同じ長さはある三日月形の刃。相当重さがあるだろうに、ふわりと羽のように宙に浮き、ダリルの着ている服と同じように銀色の不思議な装飾が柄に刻まれている。


「どこから出したの、それ」


説明のつく答えが欲しいと鎌を凝視していた紗綾は、次の瞬間パチンと指を鳴らすことで消えた鎌の行方を追って放心したような息をこぼしていた。


「さあ、どこでしょう」


ニコリと手品を見せてきた自称死神はどこか嬉しそうに微笑んでいる。


「これで少しはボクが死神だってこと、信じる気になったかな?」


その質問に、紗綾は「いいえ」と答えられなかった。

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