第26話 Date:7月18日(4)
「紗綾、久しぶりだな」
「瀧世も元気そうだね」
「え、なんなん、紗綾ちゃん、たっちゃんとそういう風に呼び合う仲なん、じゃ俺のことも岩寿って呼び捨てにしてくれたらええのに」
「え、でも」
「紗綾、誰だこいつら」
「は、お前喧嘩売ってんのか?」
「まあまあ、十和くんここはほら、ね」
「せやで、たっちゃん。何事も穏便にいこうや」
一触即発。個性は波長が合わない限り、波紋しか生まれないらしい。長生きと言うには表現が曖昧だが、ダリルと岩寿の掛け声が十和と瀧世の行動をせき止める。
「ほら、電話で言ったでしょ。この人が翼心会の会長の息子さんだよ」
「天広瀧世(あまひろたきせ)だ」
「で、こっちがこの間であったばかりの、ええと岩寿、岩寿」
「佐伯岩寿(さえきがんじゅ)やで、紗綾ちゃん」
「そう、佐伯さん。フリーのカメラマンをしているの」
「なんでそんな奴らと知り合いなんだよ」
「えっと、話せば長くなるんだけどね。五丁目のシュガープラムを瀧世と一緒に追いかけて、その現場で見つけた遺体に十字架を描いているところを写真に撮られちゃったの」
「長くない」
「え、あ、ほんとだ。なんだか前にもこんな会話したよね」
ここでケタケタと笑うのは紗綾だけだったと一言添えておきたい。紗綾のまとめが凝縮されすぎて、十和が本当に知りたい情報がそこに備わっていないのは今回に限ったことではない。紗綾の傍にいる人間なら誰もが一度は頭を悩ませるその姿に、少なからず同情を覚えたのか、感情を共有したのか、瀧世たちと十和たちの間に流れていた空気は少し緩和したように見えた。
「俺は紗綾の幼馴染の堀田十和(ほったとわ)」
「ボクは死神のダリフォングラット。長い名前だからダリルでいいよ」
「ええええ、死神。ちょ、マジで言ってる。たっちゃんたっちゃん、死神やって。マジでそんなこと言うてるやつおんで」
「それがマジなんだよね、あ、写真撮っちゃう?」
カッコよく映してねなどと軽い口調でポーズをとる死神をどうしろというのか。岩寿は写真に写らないらしいダリルの超常現象にテンションがあがっているし、目に見えるものは一通り受け入れてしまうらしい瀧世も特に何も言わない。
「嘘か本当かは付き合ってりゃわかるだろ」
そう紗綾に向かって微笑んだ顔は、やっぱり人懐っこい可愛さが滲んでいた。
「瀧世はどこかに行く途中?」
芙美香の件と、五丁目の一件以来すっかり打ち解けた瀧世に対して、紗綾はここを通りがかった理由を尋ねる。学校と繁華街の中間地点。公園へも並木道へも繁華街へも住宅街へも、行こうと思えばどこにでも行ける分岐点を通る理由は目的地があるからだろう。
「ああ、まあな」
瀧世の声は、紗綾を通り越してチラリと十和に視線をよこす。
「なんだよ」
その真っ直ぐな視線に怯えることなく疑問の声を返した十和に、瀧世はふっと小さく吐いて濁した行先を明確にした。
「シュガープラムによる犯行かどうかわからねぇが、最近どんどん手口が荒く、物騒になってやがる」
「また被害がでたのか?」
「ああ」
十和の質問を肯定した瀧世の言葉に弾かれたように、紗綾の髪が宙に揺れる。その体が前に進むより先に瀧世に抱き留められた紗綾は、驚いたように動かない自分の体をひねって抵抗していた。
「瀧世、放して」
怒った紗綾の声は無視される。いつもなら助けてくれるはずの十和もなぜか瀧世の行動を認めるように黙っている。
「十和とか言ったな。お前、紗綾がアリア・ルージュだって知ってるのか?」
「逆になんでお前が知っているのかが知りたいよ」
もがく紗綾を抑え込みながら瀧世は十和と会話を続けている。悔しそうに顔をゆがめる紗綾は、薄い笑みを浮かべてコチラを見守るダリルと目が合うなりその唇を噛み締めた。
非力。
その言葉が、なぜか全身に降りかかる。
「非力だよ、こうしてただの男にだってキミはかなわない」
いつだったか、ダリルの言葉が今頃になって現実味を増してくる。
「やめさせたほうがいい」
瀧世の言葉は、自力では止めることのできない紗綾の奇行を唯一止めることが出来るだろう人物に向けられる。十和。本来であれば瀧世が告げる間もなく、十和はそう行動していたであろう。瀧世だけではない、ダリルも以前に進言している。
それでもこういう結果になっているのは、気づかないなんていう馬鹿な回答を持ち合わせていない十和が、協力しているか、そう仕向けているかの二択でしかない。
「シュガープラムを服用し続けた人間は白い化け物になる」
瀧世は紗綾ではなく十和に向かってしか話さない。現場に足を踏み入れ、向き合ってきた人間だけが持つことの許された独特の低い声で。
「ああなっちまえば人の言葉は理解しねぇ。今までが無事だからと言って、次も無事だとは限らない。紗綾が次じゃない保証はどこにもない」
誰かの腕の中でその言葉を聞いたのは何度目だろう。いくら変わりゆく日常に穏やかな日々が舞い込んでいても、その心は今もまだあの日に囚われ続けている。見えない檻の中で自傷行為を繰り返している無垢な少女を一体何人の人が気づいているのだろう。
「お前に言われなくてもそんなことはわかっている」
苦悩するように、今にも泣き出しそうな十和を責めることは紗綾には出来ない。
「だけどどうしろっていうんだ」
そう、これは一種の契約。二人で分け合った禁断の果実。
「佳良を、妹を殺した犯人を、何もかも奪ったあの日を、誰も救えなかった現実を、俺は俺を許せないのに」
大人しくなった紗綾が瀧世の腕の中からするりと抜けて、覗き込むように十和の名前を呼びかける。身動きが出来ないままあの事件の日に縛られているのは一人ではない。
「妹?」
瀧世が怪訝そうな顔をする横で、「あ、そうか」とカメラをもった岩寿が何かを閃いたような顔でその場の空気を切り裂いた。
「どっかで聞いた名前やと思たら思い出したわ。堀田十和くんがいう妹の佳良って、堀田佳良やんな。去年の九月に起きた少女強姦事件の被害者の名前。たしか、彼女もこの事件の被害者と同じ白濁の少女やったはずや」
どうしてただのカメラマンである岩寿があの事件を知っているのか。紗綾は十和を抱きしめながら、事態が自分たちの手を離れて何か巨大なものになってしまったように、畏怖の眼差しを岩寿へと向ける。十和も瀧世もダリルも何も言わない。もちろん紗綾でさえ、岩寿が次に何を口にするのか予想もつかなかった。
「この事件に関連する写真や情報は俺が全部持ってる」
夏の風がひとつの希望を連れてくる。
「情報、整理しといたるから、一週間後俺ん家においで」
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