第15話 Date:5月30日(1)
ダリルが常に傍にいることで干渉が少し和らぐかと思いきや、紗綾は相変わらずマメに連絡を寄こす美形の顔を思い浮かべてがっくりと肩を落とした。
「はい」
毎日決まった時間に電話をしてくるのは、それだけ十和に許された時間が分刻みで拘束されているからだろう。大学の勉強と事件の調査、この二つだけでも時間は削られるだろうに、彼には約束された将来のための責務が課せられている。
「紗綾、無事か」
「さっき返事送ったばかりでしょ」
紗綾の携帯はもはや十和のためだけにあるといっても過言ではない。元から友達が多かったわけでもなく、佳良の事件以降は極力他人と関係をもつことを拒絶してきた紗綾にとって、携帯を持つ意味はほとんどない。ただひとり、現在通話中の人物以外は。
「十和、そんなに心配しなくてもダリルが傍にいるから大丈夫だよ」
「いや、それが一番危ない」
「ひどいなぁ、十和くん。それより紗綾ちゃんの今日の格好聞きたくない?」
紗綾から携帯を取り上げた人物は、上から下まで紗綾に視線を送ってから、電話越しの相手の顔を想像してケタケタと笑っている。
「ダリル、携帯返して」
「やだ」
電話越しにいちゃつく男女の声を十和がどう聞いていたのかはわからない。それでも紗綾がダリルから携帯を取り返すころには、すっかり機嫌が悪くなった十和の声だけがそこにいた。
「で?」
一言に重みが随分と詰まっている。紗綾は死神の姿から一転、普通の人間のように誰にでも見える存在としてしばらく地上に滞在することを決めたダリルと、人がごった返す場所に出向いていた。近年、外国人も増え、それなりの反響のある町は見慣れない人間が一人増えたところで特に何とも思わない。
「え、ちょ、めっちゃイケメン」
「嘘、顔見ればよかった」
「彼女もめっちゃ綺麗だった」
「やっぱああいうのがくっつくのか」
羨望と嫉妬の声は紗綾の周囲に少し増えたが、別にそれは十和と歩いている時でもさほど変わらない。誰と歩いていようが、いなかろうが、周囲の声を気にしなければそれはただの風と同じ。風景に溶け込むように絵になる二人がそこで立ち止まっていても、誰も直接声をかけてきたりはしない。
「大丈夫、今のところ誰にもダリルが死神だって気づかれていないよ」
「そういう話をしているんじゃない」
間抜けた紗綾の言葉に、頭を抱えた十和の息が携帯越しに吹きかけられる。夜も更けてきた繁華街に男女が一組。時刻は夜の七時を迎え、オトナの密度が増すように周囲の色が変わっていく。
いくらダリルが見目麗しい男性でも、あの奇怪な衣装では目立ちすぎる。そのため、紗綾はダリルが普通の人間のように町を歩くにはまず普通の人間の衣装を用意してきた方がいいと提案し、この一ヶ月、ダリルに地上観光の案内を買って出ていた。
「紗綾ちゃんの教育を受けてボクもこの町の住民みたいだよ」
ダリルが恍惚の表情で地上生活を楽しんでいるのであればそれでいい。
「この間、十和くんが通う大学の女の子が襲われたからかな。あまり町に一人で行動する女の子はいないし、ボクと恋人みたいに歩けば紗綾ちゃんが襲われることもないない」
「え、ちょっと。どこ触って」
「そういうわけで十和くん、ボクと紗綾ちゃんは忙しいからまたあとでね」
爽やかな声で電話を切ったダリルの行動に、紗綾の顔からさーっと音をたてて血の気が引いていく。案の定、折り返し十和からの着信が携帯の画面に現れたが、ダリルは電源を強制的に切ることでそのわずらわしさをなかったことにした。
「ダリル」
紗綾の声が、飛んでも届かない位置に持ち上げられたダリルの手に向かって放たれる。はたから見れば彼氏に携帯を取り上げられた彼女が、それを取り返そうと必死になっている光景だが、飛んで密着してくる紗綾の行動をダリルがどこか嬉しそうな顔で答えているのがその関係をそう見せている要因でもある。微笑ましい日常の一片。通り過ぎていく人々は、誰もがそれを視界の端で認識しながら、特に気にもせずに歩き去っていく。
「さ、キミとボク。ちゃんと恋人らしくしなくちゃね」
「どうして恋人である必要があるのよ」
「えーだって、その方が楽しそうだからに決まってるでしょ」
何が死神の道楽に引っ掛かるのかはわからないが、ダリルは携帯を自分のポケットにしまいこみながら、紗綾の手を掴んで歩き出す。どこに向かうのかは特にない。ただ町をぶらぶら探索するだけ。
「ほら、キミももっと楽しみなよ」
事件の前兆を見逃さないように全神経を張り巡らせている紗綾に向かって、ダリルの顔が視線を合わせるように覗き込む。綺麗な顔。先ほどからすれ違う女性が好意の視線を向けて去っていくが、なるほどとうなずけないこともない。
「楽しむったって、この状況でどう楽しめって言うのよ」
「キミは人生を損しているよ」
「死神に言われたくない」
ふっと笑うダリルの瞳が少し寂しそうに揺れる。永遠のときを生きる死神が、人間の少女相手に何を伝えようとしているのか、紗綾は再び歩き始めたダリルに手をひかれながら、その背中を見つめて小さく肩の力をぬいた。
「紗綾ちゃん?」
足を止めた紗綾に気づいたダリルが、振り返った先で紗綾が見つめているものを口にする。
「ああ、同じ口紅だね」
ガラスのショーウィンドウの中で人気女優の特大ポスターが、紗綾の持つ口紅と同じ色の唇で笑っていた。血のように赤い色。透き通るような紗綾の白い肌にのせれば、白雪姫を連想させるとでも思ったのかもしれない。
「私も佳良にえらんだの」
「え?」
ポツリとこぼした紗綾の声をダリルはポスターから視線をはずして聞き返す。相変わらずポスターを見つめていた紗綾は、ダリルから手をはなして、ポスターに触れるようにそのガラスを指でなぞった。
「去年の春、佳良の誕生日にね、この口紅を私は贈ったの。佳良の家は有名な化粧品会社なんだけど、そこのじゃないこの口紅を選んだのは普段自社以外の化粧品を買ってもらえない佳良が欲しがっていたから。ほら、このポスターの左から二番目。ちょっとオレンジっぽい色をした淡くて可愛い色のやつ。ちょうど高校二年になったばかりで、桜が舞う中で、佳良は嬉しそうに笑ってた」
今でも目を閉じればあの頃の光景がよみがえる。色褪せることなく舞い散る桜の一片まで詳細に思い出せると、紗綾は目を閉じて懐かしむように笑った。
「高校生のお小遣いじゃちょっとした奮発なのよ。だから私も欲しかったんだけどお揃いには出来なくて、これは佳良からもらった大事な形見なの」
紗綾はポケットから取り出したポスターと同じ口紅をあけて、クルクルと中身をダリルに見せるように公開する。
「矛盾しているでしょう」
本来の役割ではない使い方をされた口紅の先端は、クレヨンのように削れてぐちゃぐちゃに広がっている。それをもう一度丁寧にしまいながら紗綾は再びポスターに目を向けた。
「一番大事にしなければいけない宝物のはずなのに、一番大事にしたい宝物なのに、私はこの口紅が早くなくなってしまえばいいと思っている」
ガラスの中に反射したのは、もう引き返せない場所まできた紗綾の顔。
「この口紅がなくなるまでに私は絶対犯人を見つける」
「紗綾ちゃん」
「佳良にそう誓ったの」
非力な少女が事件を追いかける理由に複雑な説明は何もいらない。動機はわかりやすく、単純でいて明確。アリア・ルージュ誕生の秘密を知ったダリルは、よしよしと紗綾の頭を優しく撫でた。
「何度も言ったけど、佳良ちゃんを殺した犯人が魔種に寄生された人間なら、もうこの世にはいないよ」
「うん、わかってる」
「それでも続けるのかい?」
「例えそれが魔種でもシュガープラムでも私は続ける。佳良のように突然奪われる悲劇はもう誰にも味わってほしくない」
「人間は自らの手で破滅に走るか」
「え?」
「いや、なんでもない。仕方がないからキミに死の順番が来るまでの間、ボクが傍にいてあげるよ」
「なにそれ、不吉ね」
泣くように笑った紗綾の顔が、ダリルの手のひらの下から空を見上げる。ゴロゴロと不穏な雲がポツリと地上に雨を落としそうな気配を醸し出していた。
* * * * *
ぽつりぽつりと降り出した雨は、やがて激しく地面に波紋を広げていく。美しい夜景の町は一片。黒い絵の具で塗りつぶされていくようにどんよりと気色の悪い空気を漂わせていた。
「あーあ」
雨宿りがてら入ったチェーン店から望める窓の景色に、ダリルの声が不満そうに歪んでいる。甘辛い牛肉が乗ったご飯を口に運んでいた紗綾は、その声につられて窓の外を仰ぎ見た。
「今日はやみそうにないね」
天気予報は見ないがこの荒れ模様だと今夜いっぱいは雨で間違いないだろう。
「せっかくキミとのデートだっていうのに」
「デートじゃないから」
「つれないなあ」
にこやかに苦笑する態度のどこまでが冗談でどこまでが本気かはわからない。人間らしく器用に箸を使いこなしているが、死神がものを食べているのもにわかに信じられない光景なのだから、彼自身の存在が曖昧であやふやなものなのだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます