第11話 Date:4月20日(1)


「お前には苦労以外かけられたことがない」


ふんっと鼻を鳴らした目の前のいけ好かない男は、コーヒーを片手に啜りながら優雅な午後を演出している。さまになるその姿は、大学内に併設されたカフェでも有効だったらしい。制服ではなく私服で、変装するように髪を高く束ね、メガネをかけて帽子をかぶった紗綾の顔が不機嫌にふくらむのも当然といえた。


「従来の幼馴染にひどい言い草」

「はぁ、で。今日はそんな話をしに来たんじゃないんだろう?」


桜も散り、新緑が優しい、じめじめとした夏の入口。平日の昼に現れた美人の幼馴染と午後のティータイムを過ごすために授業をひとつ潰したわけではないと、安易に十和の口調が語っている。


「お前と違って俺は暇じゃない」

「私だって毎日さぼってるわけじゃないもん」


心外だと紗綾はジュースの入ったグラスのストローを口に含んだ。「今月に入って早退をしたのは、あの一日だけだし」と、もごもご口を動かした紗綾の言葉は甘い飲み物と一緒に胃袋の中に溶けて消えていく。何気ない会話。落ち着いて座っていられる場所、周囲の視線が気にならないのは十和が選んでくれた席だからだろう。


「紗綾、しばらく会わないうちに少し元気になったな」

「え、そう?」


自分では気づかない事でも、他人から見えば変わっていることもあるのかもしれない。紗綾はどこかにその変化の目印でもあるのかと、自分の身体を眺めるように視線をきょろきょろと動かした。


「らしさが戻った」

「どういう意味?」


紗綾の疑問には十和は何も答えない。昔からそうだが、十和はよく紗綾の疑問に明確な答えをくれないことが多かった。それどころか、こういう場合は大抵十和のペースに巻き込まれる羽目になる。


「この間、繁華街で警察騒動があったとかで心配していた」

「え?」

「どうして最近、連絡がない?」


音もなくコーヒーカップを置いた十和の視線が痛いほどに突き刺さる。真っ黒な瞳。顔が綺麗なだけにその迫力はすさまじい鬼追を感じる。


「あ、もしかして十和怒ってる?」


カランと十和の代わりに、グラスの中の氷が肯定の音を荒げた。


「当たり前だろう」


意外にも答えをくれた十和の瞳に、紗綾の心臓がドクンと小さく跳ねる。離れていてもよく知っている。昔から両親が不在がちだった紗綾にとって、唯一頼れる年上の存在。佳良のことがなければ、そうして見つめられる機会はもっと多かったかもしれない。


「彼氏でも出来たか?」

「ふぇっ!?」


思わず変な声が出たと、紗綾は突拍子もない十和の質問に慌てて首を横に振った。正確には首と手で「ないない」と表現したのだが、それを目の前で見た十和の視線はまだ疑り深く鋭い眼光を放っている。


「彼氏なんて出来る訳ないじゃない」


言葉で弁明を測ったところで、ようやく十和は納得したらしい。コーヒーを口に含んで、瞳をとじ、また静かにカップを机に置いた。


「毎日来ていた連絡が前振りなく無くなると俺の心臓がもたない」

「あ」

「寮に尋ねて行くわけにもいかないし、毎晩自由に出歩ける立場でもないからな」


そこまで聞いて紗綾はようやく十和の気持ちを理解した。あの事件の日、紗綾が最愛の親友を失ったように、十和も妹を亡くしている。突然奪われた当然の存在。あの日で時間が止まったまま囚われ続けているのは、何も紗綾だけではない。

加えて十和の置かれている立場は何も変わらない。母親の圧力、将来を約束されたその身の上は、紗綾も幼いころよりずっと傍で感じてきた。


「ごめんなさい」


しゅんと、うなだれた紗綾の頭にポンっと苦笑した十和の手が乗る。わしわしと優しく撫でるその手は、懐かしくて落ち着く温かさだった。


「紗綾が無事であればそれでいい」

「十和」


見つめ合う男女。十和の優しさが胸に沁みると潤んだ紗綾の視線に、頭を撫でていた十和の手がすっと力を抜いていく。


「やっぱり十和くんとそういう関係だったんだね」


この場合、「は?」という音声は十和と紗綾両方から発せられたものだろう。しかし銀色で模様が描かれた黒い衣装を纏った奇人相手に両者からかけられる言葉の意味は異なる。


「そういう関係ってどういう関係?」

「やだなキミ、それをボクに答えさせるつもり?」

「絶対何か勘違いしている」


四人掛けの角机。半個室のように区切られているとはいえ、昼日中のカフェで騒ぐと周囲の視線は知らずと騒音を発する場所に集中する。それを知っているからか、普段から視線を集めないように過ごしている紗綾と十和は突然現れた得体のしれない人物を前にしても最小限の反応で済ませていた。


「ダリル、十和とはそういう関係じゃないって説明したでしょ」

「百聞は一見にしかずって知らないの?」

「今のを見て、どこでそう判断できるのよ」


バカじゃないの。と鼻を鳴らしてストローを吸い上げる紗綾の手の中からジュースは勢いを増して減っていく。それをニコニコと眺める変な男を凝視しながら、十和は行方を失った腕をあげたまま固まっていた。


「誰?」


今日一番の重低音。受験の最中、ずっと不機嫌だったときにも聞いたことがあるが、十和がこういう声を出すときはあまり感情を刺激しない方がいい。


「ボク?」


感情を刺激するしか出来ないらしい死神の声が変な高さで空気を切り裂く。


「死神だよ」

「は?」

「だから、し・に・が・み」


発声練習を教える家庭教師のように、十和に向かってダリルの唇がゆっくりと動く。美形の男同士、向かい合い見つめる姿を傍目に拝めるのは嬉しい状況かもしれないが、そこに吹き荒れる温度の差が紗綾に変な汗を流させる。


「あ、あのね十和」

「誰だ、こいつ」


ついに死神の存在を無視した十和は、間を取り持とうとした紗綾に向かって問い詰めるようにがんを飛ばす。ひくひくと口元をひきつらせた紗綾は「死神です」とは言えず「ダリフォングラットさんです」と答えにならない名称を吐き出した。


「留学生か?」


もっとも現実的な答えを求めた十和らしい。


「そうだね、死の世界からの留学生とも言えるかな」


はははと楽しそうに笑う死神を誰か黙らせてほしい。

どこの世界に「死神です」とあいさつされて「そうですか」と受け入れられる人間がいるのだろうか。紗綾もダリルの存在を随分と疑っていた。魔種の存在を聞き、自分以外には見えない姿を確信し、死神の鎌を見た今になってもまだダリルの曖昧な存在をどこか信じきれていないというのに。

それを十和に理解を求めても無理なことは言われるまでもなくわかっている。わかっていてもこの状況で十和にダリルが「見える」ということに対して、説明を求められても紗綾に十和を納得させられるほどの語彙は備わっていなかった。


「十和にも見えるんだね」


一番曖昧な紗綾の言葉が虚しい。

けれどその言葉が一番不意に落ちたのか、十和は再度その変人の存在を確かめるように上から下まで念入りに眺め始めた。


「お前、どこから現れた?」


冷静かつ的確。十和の目は答えを自分で探る能力にたけている。


「俺はずっと店の出入り口はもちろん、この付近に人が通っていないことを確認している」

「さすが十和くん」

「昼間は特に紗綾が怖がる。今日、この大学に出てきただけでも驚いたのに、なぜお前は紗綾と普通に会話ができる。紗綾はなぜ拒絶しない。まるで初めから隣にいたかのような存在だな」


そこで十和は焦燥にかられる紗綾をみて、またダリルへと視線を戻す。


「いいだろう、死神だというなら証拠をみせろ」


嘘ならタダじゃ置かないとばかりに腕を組んだ十和が不敵に笑う。その視線を受けて何かが燃えたのか、ニヤリと笑ったダリルの顔が楽しそうに十和の挑発に乗ったように見えた。


「十和」

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