第43話 終章:ルージュの妄信 (4)


「友人と旅行に行く予定にしてある」

「今回はちゃんと外出許可とってきた」


こんなこともあろうかと。悪戯に笑った二人の姿に、変なところだけ用意周到だなと瀧世も笑う。なごやかな朝。幸せの時間。

そこから三日ほど瀧世の家にお世話になった紗綾と十和は、一度別れ、各々にやるべきことを片付けていた。宿題や課題に追われる定番の時間はあっという間に過ぎ去り、世の中は悲惨な事件の記憶を脇に追いやるように、次第に別の事件へと話題は移っていった。死神が仕掛けた種は、まだ芽吹きそうにない。

時々、シュガープラムの噂を聞くことはあるが、流れる時代に埋もれるように、それらの存在は意識の波にさらわれていった。そうして、季節は新学期を迎えた九月六日。


「今年はいい天気になったね」


明るい日差しはまだ夏の暑さをつれて、うるさいセミの鳴き声を響かせている。


「あ、十和」


最寄りの駅前で待っていた紗綾は、目当ての姿を見つけて笑顔で駆け寄る。十和の周りを取り囲んでいた女子たちが、なぜか紗綾を見たとたんに蜘蛛の子を散らすように去っていったのは仕方がない。


「紗綾、また綺麗になったな」

「え?」

「いや、なんでもない」


モゴモゴと言葉を濁すように赤面している十和の姿は今日もいつもと変わらない。


「あの女の子たちはいいの?」

「何それ嫌味?」

「モテる男はツラいですな」


大方、予想はつくと紗綾は十和と並んで歩き始める。十和と待ち合わせをして、十和が一人だった試しはない。紗綾と十和にとって、これは何の特別でもない日常の一端でしかなかった。

目的を口にしなくても行先が自ずとわかっているのか、紗綾と十和は目に触れた新しい店の話から昔は別の店だったという他愛のない思い出話をしながら歩いていく。


「あ、岩寿」


すれ違う人の群れがひと段落した先で、紗綾は顔見知りの姿を見つけて声をかけた。

紗綾の声に気づいた姿が、カメラ片手にその手を振る。ぶんぶんと元気のいい姿に思わず笑みがこぼれるが、紗綾たちが近づいてくるまで岩寿は動こうとしなかった。


「なんやねんほんま。二人揃ったら絵になるな」


何やら構図を考えているのか、少しのけぞった岩寿の仕草が面白い。


「元気そうでよかった。体はもういいの?」

「当たり前やろ。カメラマンなめたらアカンで。体力だけは自信あるんやから」


そう言ってぶんぶんと肩を回す姿に心がホッとする。道行く人が何事かと視線を残して立ち去っていくが、紗綾たちは気にせずに談笑していた。


「せや、記念に一枚撮ったろ。紗綾ちゃん、あとで携帯に送っとくわ。あ、それから例のモデルの件の返事考えといてな」

「うん」

「ちょっと待て」


かしゃっと軽く一枚撮った、軽い岩鷲の言葉に引っ掛かったのは十和の方。


「モデルってなに?」


どこか焦ったような怒ったようななんとも言えない雰囲気で尋ねてくるが、そんな大層な話じゃないから大事にしなくていいと紗綾は顔の前でひらひらと手を振った。


「ほら、この間岩寿に撮ってもらったじゃない?」

「いつ」

「工場見学に行った日だよ。十和も見ていたと思うけど」

「それがどうしてモデルって話になるんだよ」

「どうしてって、ねぇ?」


どう説明したらいいのか。経緯を口にするには言葉が難しい。紗綾は助言を求めるような形で岩寿に視線を流したが、それに気づいた岩寿がニヤリと悪戯に口元を歪める。


「俺、この町のフリーペーパー作ることにしたんやわ。そこで町で見かけた美少女特集みたいなんで紗綾ちゃん出したら、はけがいいのなんのって。で、せっかくやったら専属モデルみたいになってもろて、一緒に町の紹介できたらええなて」

「ね、面白そうでしょ?」


口早に説明した岩寿に肩を抱き寄せられ、紗綾は十和の説得のために無理矢理話をしめくくる。特に反対する権利が十和にあるわけではないが、どうせなら反対よりも応援をしてほしい。自分にも何かできることがあるという事実は、何かとても大きな意味を持っている気がした。

あきらかに十和が不満そうな顔をしている。

こういう時は了承の二文字がいただけるとは思えないと、紗綾が肩を落としかけたとき、岩寿が紗綾から距離をとるように十和に抱き着き、そっと顔を寄せた。


「十和くん、面白ないのわかるけどな。ほら、これあげるからここは大人ししとき」

「なっ」

「最高やろ。俺に撮らしてくれたらこんなもんやないで」

「ふざけるな」

「過保護な男はもてへんで」


ひそひそと何の話をしているのかはわからない。それでも男二人。視線はなくても感じる雰囲気がよくないもののような気がして、紗綾はにゅっと二人の脇から声をかける。


「なにの話?」

「いや、なんでもない。な?」

「お、おう」


普通に声をかけたつもりだったのに、意外にも驚いたような顔をした二人の表情がそっくりで、それがなんだか余計におかしくて、予想外の展開がツボに入った紗綾は「変なの」と息を吹き出して苦笑していた。


「ほな行くわ。また連絡するわ」


多忙なのか、カメラをもって町中を動き回るその姿は実に頼もしい。


「岩寿ってたくましいね」


その背中に手を振りながら見送った紗綾に「そうだな」と、隣で同じように岩寿を見守っていた十和からも聞こえてくる。残暑の風がさわさわと肌を通り抜けていく中、しばらく二人並んで立ち尽くしていたが、再び足を進めようとしたそのとき、鳴り出した携帯の画面をみて、紗綾はふふっと声を漏らした。


「だれ?」


横から画面を覗きこんできた十和にも見えるように、紗綾は携帯の画面を傾ける。


「瀧世」

「は?」

「はって、なによ。十和も瀧世の連絡先くらい知っているでしょ」

「いや、そうじゃなくて」

「見てみてマメだよね。出会って一周年記念だって」

「は?」

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