第13話 Date:4月20日(3)


* * * * *


授業をサボってまで突然現れた幼馴染に付き合うことにしてよかったと、堀田十和が思ったかどうかはわからない。大学に併設されたカフェの店内で、メガネ、ポニーテール、帽子と変装をどう勘違いしたのか幼馴染の顔が最後に会った日よりも少しだけ、本来の雰囲気を取り戻しつつあるということだけはわかっていたに違いない。

その原因が彼氏ではなかったことに安堵するもつかの間、目の前にいるのは胡散臭い笑顔を浮かべて、銀色の模様を施した黒い衣装をまとっている男。自称死神。名前をダリフォングラットといった。

「目的っていうか仕事なんだけどね」

一瞬で取り出した巨大な黒い鎌を煙のように消すという技を見せたばかりの死神は、その指先でごそごそと服の袖に腕を突っ込み、小さな黒い物体を取り出した。


「十和くんには危険だし、渡せないけど、これは魔種っていって人間に寄生して繁殖する魔界の植物なんだ」

「俺にだけ危険の意味がわからない」

「そこは、ほら。紗綾ちゃんが傍にいるからだよ」

「紗綾がいたら問題があるのか?」

「だって、紗綾ちゃん処女でしょ」


ぶほっと変な息を吹き出してゴホゴホと咳き込んだのは十和ではない。紗綾は飲み干したジュースのグラスをからからと転がしていた指をとめて、エセ死神を赤い顔でにらみつけた。


「処女だと問題があるのか?」

「十和」


紗綾は隣に座りながら平然と態度を崩さない幼馴染の横顔をついでに睨む。突然の来訪に付き合ってくれるのは嬉しいことだが、予想していなかった会話の展開に耳を塞ぎたい気持ちだった。


「魔種は処女の身体からしか生まれない。この種自体に繁殖能力はないから、人間の身体を借りて繁殖をしていくんだ。種は男に寄生して発芽し、処女の体内で花を咲かせて種を産ませる。ボクは最近異常な増殖を見せるこの魔種の回収をしに地上におりてきたってわけ」

「その話を信じろと?」

「別に信じても信じなくてもどっちでも構わない。ボクはボクの仕事をするだけさ。まあ、アリア・ルージュはボクの仕事内容に興味があるみたいだけどね」

「そういえばさっきも紗綾のことをそう呼んでいたな」

「え?」

「アリア・ルージュ」

「ああ、死神の間で有名なんだ。ある現象の遺体には、口紅で赤い十字架が描かれている。警察が犯人の残したメッセージだとか言ってるアレだよ。筆跡から女の子だって話だったけど、ボクたち死神が魂の回収をしに行く前に現れて、遺体に十字架を刻んで去るなんてよほど事件に思い入れがあるんだろうなって噂していたんだ。ちなみに、アリア・ルージュっていう呼称はボクがつけたんじゃないよ。なかなか洒落ているけどね。その正体が、キミの隣にいる女の子だって知ったのはついこの間のことさ」

「紗綾」


十和の視線がダリルから紗綾に流れたことで、慌てて視線をそらした紗綾の肩がピクリと揺れる。完全に怒っているときの名前の呼び方だと、長い付き合いが教えていた。


「お前」

「ゴメン」


パンっと顔の前で拝むように頭を下げた紗綾の髪が左右に揺れる。それを見下ろすように唇を噛みながら十和の瞳がきらりと光る。が、次の言葉が発せられる前ににこやかな仲介者の声が二人の間に割り込んだ。


「まあまあ十和くん、紗綾ちゃんを怒らないであげてよ。あの日はたまたま魔種の気配を感じて動いたボクの方が、紗綾ちゃんよりも少し早く遺体を見つけたってだけの話さ。口紅で十字架を描いているところを見て、声をかけたのもボク。まあ、本物の魔種被害者の遺体に触れたのは初めてだったみたいだけどね」

「本物?」


ダリルの言葉に違和感を覚えたのか、十和は謝罪の形を崩さない紗綾からダリルへと視線の対象を変える。十和の動きに合わせて、紗綾もダリルへと顔をあげた。


「んー、こういういい方はあれだけど、魔界の植物はバカじゃない。処女の匂いに敏感だし、処女の近くにいる男に寄生する本能を持っている。それからここが重要だけど、魔種に寄生された人間は絶対に死ぬ。男は魔種の根に養分を吸収されて射精後は溶けてしまうし、女は魔種を産むためにその命を対価にする。例外はあり得ない。ところが最近、魔種とよく似た現象を起こしながら魔種が原因ではない魂の回収が多くなった。それの原因を探っていたら、ある麻薬のせいじゃないかって、ね」

「え?」


そこまで話しておきながら、最後の場面を笑顔で譲ってきたダリルの仕草に困惑する。語尾にハートが付きそうな可愛い顔で「ね」と微笑まれても、心臓はバクバクと恋するどころか、いやな汗しか流れない。


「あ、ああ、うん。シュガープラムじゃないかって、ダリルに言っちゃった」


はぁっと重く深いため息が十和の全身から吐き出されていく。まともに顔を見る勇気がもてなかった紗綾は、冷めたコーヒーを口に含んで思考を巡らせる十和の行動が落ち着くのを黙って耐えていた。

十和の妹であり、紗綾の親友であった幼馴染の佳良は半年ほど前に強姦されて殺された。犯人は捕まっていない。証拠が残っていながら犯人像が浮上しない奇怪な事件に警察は手を焼き、同時に紗綾たちが住む町で似たような事件が頻発していた。それが全身性液まみれで溺死するという謎の遺体「白濁の少女」と、性欲と暴力性を高めるといわれる入手困難な麻薬「シュガープラム」の存在。佳良殺害の犯人がシュガープラムに関与していると踏んだ紗綾と十和は、独自に情報を集めて夜な夜なその事件を追っていた。だが、これはあくまで二人の秘密であり、遺体に口紅で十字架を描いているという事実は十和にも話していない紗綾だけの秘密だった。


「紗綾がアリア・ルージュだろうとは思っていた」


十和の声はどこでもなく、黒く濁ったカップの中に注がれる。


「佳良の遺品の中にあった紗綾の誕生日プレゼント、それと遺体に残る十字架からあぶり出された化粧品のメーカーと品番が同じだったからな」


将来は自社のブランドを背負うだけのことはある。どこにでもありそうで、なさそうな特別な口紅から紗綾の行動を読み取っていた十和の視線は、まだコーヒーの黒を見つめていた。


「佳良は紗綾のしていることを喜ばない。紗綾が危険な道を進んでいるのを止めるどころか協力をしている俺のことを許さない。それでも俺も、理不尽に妹の命を奪ったものが何であるか知りたい。でなけば、俺たちは一生、あの日に閉じ込められたままどこへも行けない」

「十和」


かしゃんと、今度は軽い音をたててカップはテーブルの上に戻った。それと同時に顔をあげた十和の瞳が、青紫のダリルの瞳を真っ直ぐに見つめる。


「魔種とシュガープラム、関係はあると思うか?」


答えを求めるように質問した十和に「それはどうかな」と、ダリルは少し困ったような仕草で視線を流す。そして十和の瞳を見つめ返すように「だけど、関係ないとも言い切れない。もしも魔種の存在を利用して、この世界の理を歪めようとしているやつがいるのなら、それは放っておけないかな」と苦笑した。

ふっと笑った十和に、紗綾はダリルを含めた三人での活動がここに結成されたのだと安直に理解する。それは内心願っていた状況で、ここにきた目的でもあった。


「それにね、ダリルは人の記憶が覗けるんだよ。シュガープラムをばらまいているのは、十和がにらんだ通り、翼心会が関係しているみたいなの」


喜んだ紗綾の声が、笑顔で十和を振り返る。


「お前、なんでそれ」


そこで十和の脳裏に、ある事件が思い当たった。「まさか」と瞳だけで物語った十和の気迫に紗綾の喉が「しまった」と音を鳴らすのも無理はない。先日、繁華街で起こった警察騒動。関与しているのではないかと疑っていたが、関与どころではなく真犯人だった事実を認識した十和の怒りが爆発する。結局のところ弁明の余地のない紗綾は呑気に笑うダリルの前で、十和の説教を聞く羽目になってしまった。

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