第30話 Date:7月30日(4)

「なに、さっきて、どの件のこと?」

「シュガープラムの生産者につながるような情報をもってた組のやつが消えた」

「マジで、それヤバいんちゃうんか。なんでそないなったん?」

「俺にもわからない。車は路上で異常停止していたって通報があって、だけど誰もいなかったらしい。娘は別の場所から遺体で見つかったって」


白濁の少女の遺体はこれで何件目かはわからない。岩寿の集めていた情報をくまなくさらってみても、関連性が何もない実態は犯人像さえ絞り込めていない。煮詰まって出したうえでの希望が、薬を流している有力候補、翼心会の組員だという話だったが、先ほどの電話一本で状況はまた振り出しに戻ってしまった。


「瀧世、行かなくていいの?」


紗綾は、持っていた資料をおいて瀧世のほほにその手をあてた。

覗き込んだその顔はひどく疲れているようにも見えたが、瀧世は紗綾の手を握り返してその先を拒絶する。


「組のことは親父がなんとかする」


瀧世の瞳は真剣だった。それが伝わってくるからこそ、紗綾もそれ以上は瀧世の身体に手を伸ばさない。


「うん、私たちは私たちに出来ることをしよう」


事件は確実に葉脈を広げ、根を張るように広がっている。他人事ではなく、誰もが身近に感じるものへと変化を続けている。望むものはなにか。紗綾たちはまた資料に向かって、いちから事件の経緯をたどることにした。


「何か見落としているものがありそうなんだけどね」


ダリルの声が資料を置いて、電気のついた天井に疲れた息を吹きかける。

岩寿の集めた情報、ダリルが回収した魔種と魂の記憶、十和の分析と瀧世の閃きを併せ持ってしても、歴史的に事件を並べることが出来ただけで、犯人像は曖昧なまま。被害者の関連性も特にない。近隣に住む若い女性。無差別に近い事件の原因は、魔界の植物という曖昧なものが関係している以上、どこまでも曖昧なものかもしれなかった。


「十和、今夜は帰らなくてもいいの?」


すっかり暗くなった窓の外に気づいた紗綾が時刻を確認して慌てたように十和へと声をかける。ないようである門限。いつもであれば鬼のようになり始める着信も、今日は一度も鳴っていない。


「ああ、夏休みだからな」

「夏休みは平気なんだ」

「友達の家に泊まりに行くことにしてある」

「十和に友達っていたんだ」

「いるに決まってるだろ」


そう言って顔を見合わせた十和にも少し疲れがたまっているように見えた。あの事件以降、母親からの依存性が強くなった十和にも自由な時間が少しはあればいいと思っていた。事件を早く解決させることが出来たら、十和の羽ももっと遠くへ飛ぶことができるかもしれない。少し寂しい気もするが、貴重な開放時間を事件のことでつぶすなど、近い将来はなくなってほしいと願うばかりだ。


「早く日常が戻ってくるといいな」


ポツリと呟いた紗綾の声は資料の隙間に消えていく。壁にかかった地図に描かれた無数の赤い印が、紗綾の望む日常が二度と来ないと言っているようで、切ないような悲しいような気持ちに沈んでいく。


「佳良がね、私の誕生日は特別なケーキを焼くんだって言ってた」


壁の地図を見つめながら紗綾の声だけが室内に沁み込んでいく。


「食べたかったな」


幾度となく口にしてきた手作りの味のはずなのに、二度と口にできなくなった途端に、味がわからなくなる。同じレシピ通りに作っても、同じ味にはならない。紗綾は近づいてくる夏の終わりを想像して唇を噛み締めた。


「白濁の少女事件って私の知らないところでこんなに起こっていたんだね」


はぁっと、紗綾の息が全員の疲れた顔を代弁するかのように束の間の休憩を訴える。全員で洗いだした壁一面の時系列は、もう書き込めるものがないほどには埋まっていた。膨大な量。きっと警察もこんな気分かもしれない。彼らはひとつの事件だけを追うわけにもいかないだろうから、すぐに解決してもらえるはずがないと、今ならわかる気がする。そんなことを考えながら紗綾は、事件当時を振り返るように苦笑した。


「白濁の少女以外の事件もいれたら、この町だけで一体何人の人が消えているんだろう。同じような気持ちで毎日を過ごしている人がいると思うと、なんだかとてもいたたまれないよね」


その苦笑を共感してもらいたくて見渡した室内の空気がわずかに揺れる。


「それやぁあ、紗綾ちゃん、それやで」


岩寿が抱き着くように紗綾に迫る。なぜか十和と瀧世とダリルの三方向から腕が伸びてきて、岩寿の腕は空中を抱きしめたが、それでも興奮した彼の声は止まらない。


「俺たちはひとつの事件に囚われすぎてんねん。ここは別の事件も調べてみて、あらゆる可能性から結び付けたほうが絶対早い」

「そういうものか?」

「これやからお坊ちゃんは、発想の転換は時として真理への近道やねんで」

「まあ、一理あるか」


ここは気分転換に他の事件も探ってみた方がいいのかもしれない。全てが曖昧な中で、答えのないものを見つけようとするから難しいのかもしれない。十和が岩寿の意見を肯定するような素振りを見せたが、紗綾もその流れに今は身を任せることにした。


「だけど何の事件から探るつもり?」


ダリルの意見ももっともな意見だった。


「闇雲に選んだって、それこそただの模索にしかならないと思うよ」

「んー、何か事件に関係ありそうな案件がいいよね」

「キミね、そんな簡単に見つかれば苦労しないよ」

「ダリルの能力で町中の人の記憶を覗くとか?」

「キミはボクに何を期待しているの」


いい考えだと思ったのに却下された事案に紗綾の頬は膨れる。それをよしよしと簡単に頭を撫でることで誤魔化そうとしてくるのだから、ダリルの行動も意外と詠みにくい。


「じゃあ、一番近い簡単そうな事件から解決していこうや。たっちゃん、車は路上で異常停止していた通報があったって言うてたけど、それがどこかわかるか?」

「え、ああ。ちょいまち」


瀧世の指が携帯の上を滑っていく。電話ではなく情報共有のグループがあるのかもしれなかった。そして数秒後、瀧世の顔がひとつの社名を口にする。


「株式会社へルシードっていう会社の前らしい」


それは初めて耳にするくらい最近出来た小さな会社の名前だった。

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