第29話 Date:7月30日(3)


「仮に持っていたとして、どうして初対面の男にそれを渡さないといけない?」

「金ならある、いくらでも用意する」


現実味のある言葉に、男が黙って控えていた残りの男たちを両手で仰ぐ。がさがさと足元に置いてあった巨大なカバンの中身を見せるように持ち上げられたそこには、白い帯のついた札束がぎっしりと詰まっていた。


「にっ二千万、現金でいま持ってきている」


言ってくれれば車にまだ積んであると、男は震える声で不瀬を見上げる。

自分の上司が懇願する姿をどう思っているのか、それぞれ一千万という大金を抱えた男たちは、黙ったまま事の成り行きを見守ることにしているようだった。


「ほほぅ。なるほど、なるほど。まあ、質問に答えてくれたら考えないわけではない」


ちらりと金を見た後で、不瀬の様子が希望の言葉を口にするのも無理はない。

それは目の前の哀れな男の願いであり、そうなるように運んだ結果でもある。やはり持つべきものは金なのだと、笑みの戻った男は了承の意味をこめて首を縦にふった。


「シュガープラムを使って何人殺してきた?」

「は?」


またこの場で聞くことになるとは思っていなかった質問が頭上から降ってくる。

娘を助けてほしいと懇願する男に向かって、何回殺人を犯したかなどという質問をするのはきっとこの男ぐらいだろう。まずは人助けが先だと、それが人情だと、心のどこかで日常的に刷り込まれた常識という存在が、ガラガラと音を立てて崩れ去っていく。


「理解力が低いね、まったく」


嘆かわしいと額に手を当てる男は、本当に人間なのかと疑えてならない。それでもここは、この男を信じて質問に答える道がないということも、本能のどこかに残された野生の常識なのだろう。


「わたしの作ったシュガープラムでどれだけの人間を殺してきたかって聞いているんだよ。わたしがバカだとでも、研究室にこもったままの何も知らない道化師だとでも思っているのかい?」

「い、いや」

「現在回収しているヴァージンローズは百二十八本。内、五十本はわたしでも、そこに座っている彼が回収したものでもない。それがどういう意味かわかるかな?」

「おっ俺は言われたとおりに納品した」

「そう、それは絶命した処女の数と同じなのだよ」

「だから、なにが」

「さらわれた娘だけを助ける理不尽は美しいのかね?」


ポカンと、男が口を開けたまま今度こそ本当に固まっている。今の話の流れで何がどう間違ったのか、途中で見えたはずの希望がなぜ潰えたのか、その答えにたどり着くことが出来ずに固まっている。


「それが答えだ、お引き取り願おう」


いつの間にどこに移動したのか、ガチャリと社長室の扉をあけた不瀬の仕草に、発狂した男の声が拳銃という似つかわしくない武器を取り出した。

ガンガンガン。昼下がりのビルの中で聞こえるその音は物騒と呼ぶにはあまりにも現実離れしている。ところがそれ以上に現実離れしたものをみたとき、人は何を「正常」だと判断できるというのか。


「ああ、イヤだねイヤだね。人間はすぐにそうして暴力に走ろうとする」


巨大な黒い鎌。白衣がはらりと舞い上がった下には、どこかで見た銀色の模様と黒い衣装。

ぽたり、と。赤い鮮血が壁や床に半円を描き、先ほどまで声高々に叫んでいた男も、大金を抱えていた従者たちも全員その場で朽ち果てていた。


「不瀬くん。あの黒塗りの高級車は目立って仕方がないような気がするのだけど」

「社長仕様にしてあげようか?」

「いや、もうたくさん持っているから遠慮しておくよ」

「それもそうか、なら、その金は遠慮なく使いたまへ。社長には必要だろう?」


現実離れした世界は非現実なことが次々に起こる。

むしゃむしゃと巨大な黒い鎌が男たちの遺体と血を床や壁から吸い上げるように捕食している光景が目に入らないのか、社長とよばれた中年の男は、眼下で亡き主人を待つ黒い車を見下ろしながら嘆いている。

そこにパラパラと不瀬は小さな黒い種を振りかけた。

アーモンドチョコに似た黒い結晶。夏にあられかひょうでも降ってきたのかと、驚いたような声が下から空を仰いでいるが、シュガープラムを見慣れた彼らでさえ、その黒い雨が意味する不吉さは瞬時に理解できなかっただろう。しかしそれも時間の問題。憑依するように姿を変えていく仲間に恐怖を覚えたのか、慌てて口を覆い、白い化け物に姿を変える元凶を体内にいれてなるものかと抗う姿が見苦しい。しかもその醜さを飲み込もうと、ビルからはい出した黒い影たちに主人の帰りを待っていた男たちは取り押さえられて、大量のシュガープラムを口の中に放り込まれていた。


「うんうん、実に美しくない。そういう醜いものはみんな溶けて、白く美しい花のための犠牲になってしまえばいい」


発芽するのはいつ頃か、それは不瀬にもわからない。男たちの体内に埋め込まれたのは人間ではどうすることも出来ない魔界の植物。そして、魔種という存在を人工的に作り出された最悪の異物。


「美しく、美しい、ヴァージンローズ。無垢な快楽、純白の花。さあわたしの愛しい人形たち、世界を白く染めようじゃないか」


ははははと甲高く響く笑い声は地上には届かない。何が楽しいのか調子はずれの鼻歌を奏でながら不瀬は研究室へと帰っていく。誰も止めることは出来ない。社長と呼ばれた彼も、謎の黒いスーツの男も、誰も不瀬那由太(ふせなゆた)と名札を下げたたった一人の存在を止めることはできなかった。


* * * * *



「は?」


突然掛かってきた電話に瀧世の声が不思議な一音を発したことで、紗綾たちは持っていた資料から顔を上げてその動向を見守ることにした。


「ちょ、待て待て待て。一体何がどうって?」


電話越しの相手が焦っているのかうまく聞き取れないノイズが、空気に波紋を描くように瀧世の挙動をおかしなものに変えていく。

少しでも電話の声を聞き取ろうと、しんと音をなくした室内で、紗綾は自分の知らないところで何かよくないことが起こったのだということを認識した。それは十和もダリルも岩寿も同じことだろう。みな、先ほどまで資料を見ながら考えを整理していたのに、今では誰もが資料から顔をあげて瀧世の顔を見つめている。


「わかった、おじき達が見つかったら俺に知らせろ」


ピッと音を立てて切れた通話。

静まり返る室内で重たい瀧世の息が床に埋もれていくが、すぐにそれを勢いよく吸い上げた瀧世は、次いで岩寿に向かって頭を下げた。


「岩寿、悪い。さっきの件、無理になった」

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