第6話 Date:4月5日(2)
「お待たせいたしました」
巨大パフェ。佳良の巨乳には秘密が何かあると思っていたが、この生クリームの量があの胸を作っている秘密なのではないかと疑えるほど、紗綾と十和の間におかれた巨大パフェは存在感を滲ませている。
「十和、甘いもの平気だっけ」
「いや」
「私も甘いもの苦手なんだけど」
「知っている」
「佳良の好きな食べ物他にもあるよね?」
「そうだな」
それでも律儀にスプーンで口に運ぶあたり十和らしい。手伝ってくれるなら別に構わないと、今日は佳良の誕生日だったことを思い出して、紗綾も巨大パフェに向き合う構えを見せた。
「ごちそうさん」
「え?」
たった一口くちにいれただけで、十和が終了の言葉を口にする。
「あとはお前が片付けろ」
今日が佳良の誕生日でなければ願い下げの命令だが、今日ばかりは仕方がない。ついてきてもらったお礼もある。紗綾はしばらくパフェとにらみ合いを続けていたが、やがて根負けしたようにスプーンをパフェに突き刺した。
* * * * *
「もう、無理」
これ以上は何も口にいれたくないと、目一杯詰め込まれた胃袋の暴動が起こっている。おしぼりで口を押えて、殻になったガラスの器にスプーンを放り投げた紗綾は、目の前でコーヒー片手に電話している男へと視線を投げかけた。
「ああ、友達と一緒だし、もう帰るよ」
その喋り方から、電話口の相手が一発で特定できるあたり幼馴染の強みだろう。
「お母さん?」
「ああ」
元から十和に対して束縛と依存が強かった十和の母親は、娘を失った事件以降、ますます十和に対してその傾向が強くなった。事件のことを忘れたいのか、一家は逃げるように引っ越し、紗綾に絶対近づかないように十和に強く言い聞かせているらしい。一緒にいることが知れたら、今度は紗綾が殺されるだろう。お忍びで会うこと自体、そう何度もないが、一度電話越しにヒストリーに叫ぶ声を聴いた時は、あの夏休みの間中、ほとんど紗綾の部屋に入り浸っていた佳良の行動にも納得がいった。
「十和、私今日はこの町に残るね」
店を出て、学校まで送り届けてくれようとした十和に紗綾は告げる。
「は?」
「せっかく出てきたんだし、今日は寮に戻りたくない」
「俺が何でパフェを選んだと思ってるんだ」
「え?」
「いいから、お前ももう帰れ」
「やだ」
「紗綾」
聞き分けのない子どもだと思ったに違いない。十和の声が重たい空気と共に地上に落ち、頭を抱えたその顔には「勘弁してくれ」と書かれている。
「大丈夫、ちょっとマシになった」
「嘘つけ」
「本当だもん」
「大体語尾にそういうのがつくときは、嘘なんだよ」
「う」
紗綾が十和のことをわかるように、十和も紗綾のことをわかっている。図星を言い当てられることなど今に始まったことではないが、ここは素直に騙されてほしかった。それができる相手ではないことを知っていながら、そう願ってしまう矛盾は間違っているのだろうか。
「この間の件で、夜は警察が多いし」
「だから逆に安全でしょ?」
「あのな」
こうなってしまえばテコでも動かない。従順にみえて人一倍厄介な性格をしていると、十和は落胆するように肩を落とした。
「というか、私を説得するより十和は帰って。今夜は家族で過ごす大事な日でしょ」
「紗綾」
「私ももう少し、佳良との思い出を辿ってみるよ」
ニコリと作った笑顔は上手に出来ていなかったと自分でも思う。それでも紗綾の努力の甲斐あってか、十和は全然わかっていない顔で「わかった」と帰っていった。
「十和、ありがとう」
十和が乗ったであろう電車を歩道から見上げて、紗綾は小さくお礼を口にする。暗くなってしまえば、明るいときより幾分かマシな体調にも感謝したい。本来事件の後遺症であれば、体験した夜に起こりやすくなるのかもしれないが、紗綾の場合、なぜか夜よりも昼間の方にそれが起こりやすかった。「男」という存在が目に見えて認識できてしまうからかもしれない。あの事件以降、他人に対して恐怖心が強くなった紗綾の身体は十和以外の人間を受け入れない。
自分に向けられる好奇の目も、好意の目も、周囲の囁きも昼の音は紗綾にとってあまりにも大きすぎた。
「やっぱり夜はいい」
夜は人の目を隠してくれる。誰も他人を気にしない。雑踏の中に紗綾がいても、黒い服で覆ってしまえば、影のように闇に紛れて存在を消すことが出来た。実際には消えていなくても、そういう気分になるだけで平常心を保つことが出来る気がした。
そしてこれは十和も知っていることだが、夜になれば平常心を保てる代わりに、紗綾は誰も受け入れられない絶対拒絶の時間になる。この世にたったひとりきり。それが紗綾が紗綾であり続けられる唯一の方法だった。
そしてもう一つ。
「佳良、まっててね」
午前中、実家に帰る前に立ち寄った佳良の墓前で誓った約束はあの日からずっと紗綾の心を奮い立たせている。
「絶対、犯人を見つけて復讐を遂げてみせる」
まだ犯人は捕まっていない。あれだけおびただしい量の精液を残しておきながら、DNA鑑定ではこの世界における誰も該当しなかった。たった一人も該当しない。そんなおかしな話があるわけがないと、納得がいかなかった紗綾だったが、大手化粧品会社の社長という肩書を背負った佳良の両親は世間体を優先して捜査の打ち切りを了承した。
遺族の了承は個人の気持ちよりも社会では重視される。
その後、あてにならない警察に期待も希望も見いだせなくなった紗綾は、密かに連絡を取り合っていた十和に話を持ち掛け、佳良殺害の犯人を捜す手がかりを見つけることにした。
それが半年前のこと。秋だった季節は冬を越え、今は春を迎えている。
そして見つけた手がかりはふたつ。
佳良のように白濁の海の中で強姦され殺される少女が、紗綾たちの住む町の周辺で少なくとも数件発生しているということ。そのどれもが未解決事件として処理されているが、新聞やテレビで大々的に報道されていないところをみると捜査自体難航しているのだろう。またそのほとんどが路地裏や空き家、倉庫などといった人気のない場所でおき、家出少女や売春を目的とした出逢いがらみであるという要素が大きいらしい。身元引き取り人がいない遺体もそうだが、おかしなことにその犯人である男性はみな、不審な事故死を遂げている。そしてどこから突き止めたのか、警察はこの犯行の根底に「シュガープラム」という麻薬の存在を匂わせ、マスコミの意識を少女連続殺人事件からドラッグに溺れる若者たちへと転換させた。シュガープラム、それは性欲を著しく掻き立て、暴力性を引き起こし、人間ではなく猛獣のようになるという奇怪の代物。しかしそれから得られる快楽を求めて、若者の間で流行していることは明白な事実だった。
「絶対アレやってるよね」
「やってるやってる」
夜が更けると必然的に増えてくる快楽主義者。ラブホテルの脇で不自然に止まった黒いバンが不規則に揺れているが、中はもちろん見えない。見る人もいない。紗綾の横を通り抜けていった女子大生の嘲笑のように、誰もがそれを意識しながら視界の隅に流してみなかったことにしている。異様でありながら通常。紗綾もそれを見ながら特に意識はせずに通り過ぎる。同意であればそれでいい。客引きの声も、居酒屋を目指す大学生も、夜の店で働く女性も男性も仮面をつけて趣向を凝らし、一夜限りの夢を見せようとする誘惑には勝てない。
それに今日は桜が魅せる魔力が強まっている。
今頃あの美しい桜並木も、十和と手を繋いで渡った昼とは違う光景に成り代わっているだろう。恋人たちの集う町。性欲を貪り合う夜を提供する愛の巣は、残念ながら満室のネオンだけが点灯し、幾分か暗いのもうなずける。あぶれた恋人がああして車の中で待てずに求めあうのも自然の流れなのだろう。
だからこそ、紗綾が雑踏を歩いていても誰もが気に留めながら気にはかけない。
明らかな女子高生が夜の繁華街をうろついている異質は、視界の端に埋もれて風景の一部となっている。それをわかっているからラクなのだ。まるで、ここにいる全員が共犯者のようだと紗綾が自嘲気味に笑ったとき、その会話が聞こえてきた。
「さっきのあれ何かな」
「えー、どれ」
列を作る居酒屋の前で携帯を片手に立っている男同士。誰かと待ち合わせなのか、あきらかに女性を探しているような様子で人混みの中に視線を泳がせている。
「ほら、さっきの道通ったときに聞こえたアレだよ」
「さっきの道?」
「コンビニ寄った後、抜けた道で変な声聞こえなかった?」
「んー、何も、いつもと変わんねぇよ。空耳じゃね」
「そうかな、あ、来た来た」
手を振った男に応えるように、通りの向こうから二人組らしき女性が笑顔で手を振っている。無事に待ち合わせを成功させたようだが、紗綾が気に留めたのはそこではない。
「コンビニ」
男たちのいうコンビニが紗綾の想像する場所であっているのなら、たしかにそこには大通りにつながる抜け道がいくつか存在する。人通りの少ない場所、中央に小さな公園があるらしいが家に囲まれた死角になっているその場所は、誰も近づかない危険な場所。入り組んだ都会の迷路は好奇心を駆り立て、小学生の頃に誰かが一度は挑戦して怒られていた。そこには仄暗い数本の道が交差していて、一番大きな道は数年前にコンビニが出来たことで人の出入りが多くなった。
「最近見に行ってなかったっけ」
繁華街から少し離れているせいで、紗綾が意識して見回っていた場所ではない。昔ながらの住宅と最近できたビルが有象無象に組み合わさり、摩天楼のような風景がみれるだろうが、意外と明かりが多く、犯罪は少ない区画のはずだった。
「まあ、今日は警察も多いみたいだし」
補導でもされたらたまらない。ごった返す繁華街をこのまま練り歩くよりは、少しでも手掛かりになりそうな道を行きたい。そして紗綾は人目を避けるように黒いフードを頭からかぶると、ふっと横道に滑り込んだ。
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