第15話「あなたと私と喫茶店」
晴れ間に映えるスカイブルーのリボンがひょこひょこと揺れる。
「そろそろだぞ、姫さん」
言葉はなくても足取りだけで彼女がご機嫌だと伝わってくる。
そんな様子で隣を歩く彼女に、優は苦笑して声をかける。
先ほどまで部屋で虫と格闘していた二人は、現在商店街の片隅を歩いていた。
本日の予定は、優の行きつけの喫茶店で昼食をとり、その後映画に行くというものである。
どこで昼食をとろうかと悩んでいると、愛が『行きつけの店に行ってみたい』と言い出したのだ。優としては知り合いがいるのであまり行きたくはなかったのだが。
買い出し以外のお出かけは初めてのことであり、愛は気合いを入れて準備をした。といっても少し着替えただけだが。しかし、もはやデートと言ってもいい今回のこの一連の出来事は、確実に愛の心をウキウキさせた。
「ああ、ここだ」
優が一件の建物の前で足を止める。隣を歩く愛も自動的に足を止めた。
一部蔦に覆われた、小さい木造のシックな雰囲気のお店だった。知る人ぞ知るという感じがする。
「単に知られてないだけだが、人があんまいなくて商談とかでたまに使わせて貰ってるんだよ。さ、入ろうぜ」
優は少し緊張した愛の手を引き、喫茶店のドアを開けた。チリンチリンとドアベルの音が店内に響いた。
「いらっしゃいま――て、なんやあんさんか」
明るい照明と木の匂いが迎えた店内で待っていたのは、二十代前半くらいの、関西弁を話す一人のエプロン姿の男だった。
「ようバイト君、二人な」
「……ほーん? 今回はまたかわいらしいお客さんやないの。まーた誰かの事情にちょっかいかけとるんかいな」
糸目でなかなか表情の読めない男が好奇の目線を愛に向ける。愛は身を縮こまらせて優の後ろに隠れた。
「おいセクハラでマスターに訴えるぞ」
「お? なんやなんやあんさん、随分と入れ込んでる様子やん」
バイト君は物珍しそうに優を眺める。そんなバイト君を尻目に、優は愛に彼を紹介した。
「姫さん、こいつはバイト君。俺はたまにこの店で席を貸してもらって、商談だったり人助けの事情を聞くときだったりに利用させて貰ってるんだ」
毎度~とバイト君は手を小さく愛に振る。
「あとこいつはいろんなところでバイトしててな。あの日の夜にピザを届けてくれたのもこいつだ」
え、と愛はバイト君の顔を見る。そういえば玄関口から関西弁が聞こえていたような気がしないでもない。
「営業時間内やったらいつでもここに来てくれてえぇで~。まぁワイの店やないけど」
店主……マスターは奥のキッチンで料理を作っているらしい。滅多に人の前に姿は見せないのだという。
「ほんで? 今日もまた奥の席かいな」
「いや、今日は純粋に客としてだ」
「へー、珍しいこともあるもんやのう。あんさんが普通に女の子連れとるなんざ」
言ってバイト君は愛に目線を向ける。優の服の裾をつまむ愛の姿を見て、バイト君は「ははーん」と目を光らせた。
愛に目線を合わせてコソコソと喋る。
「お嬢ちゃん、気をつけた方がえぇで。こいつはなんだかんだで人助けジャンキーやさかい、結構女にモテるんや。お嬢ちゃんも背中に隠れとるだけやなくてもっとガツガツいかなアカンで」
「アルゼンチンバックブリーカー」
「あだだだだだだだだ!?」
コソコソとふざけたことを喋る店員にはお仕置きである。
「いたいけな店員にンなことやるか普通!?」
「ウチの愛にふざけたこと抜かすからだ。いいからさっさと席に案内しろって」
赤くなって下を向く愛。そんな愛を見て優はやはり店を間違えたかと思い始めていた。ここ飯は美味いんだけどなぁ。
「へいへい、二名様ご案内~」
客のいない店内を軽薄な態度で案内するバイト君。しかし案内された席は日当たりのいい窓際の席であった。彼は仕事はきちんとこなすのだ。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
「はえーって。んじゃヒラメとイクラ二貫ずつ」
「喫茶店でンなもん出るかいな」
「えー? 出せないの? 俺なら出せるぞ。へいお待ち」
「寿司出せるか出せないかでマウントとんなや。ってホンマにカバンから出すなや! くっさ! お前のカバン酢飯くさ!!」
「赤だしも出そうか?」
「お前とはやっとられんわ、もうえぇわ!」
「ありがとうございました」
二人で揃って礼をする。愛は『おぉ~』と適当に拍手をしながらメニューを眺める。そんな愛に「反応薄ない?」「いや最近慣れて来ちゃってさぁ……」という声が聞こえるが彼女の関心は完全にメニューだった。
「決まったか、姫さん?」
愛はニコニコしながらメニューを指さす。サンドイッチにレモンティーね。俺も同じのにするか。
「というわけで注文頼むわ」
「はいはい、サンドイッチに紅茶な」
「ごゆっくり~」と残してバイト君はキッチンの方へと去って行った。
「すまんな姫さん、騒がしいか?」
首を横に振る愛。彼が親しい誰かと喋っている姿を見るのも珍しいので愛は新鮮だった。それに気になることも言っていた。
愛は肩にかけたスケッチブックを引き寄せ、言葉を綴り始めた。
『よくここを利用されているんですか?』
「たまにな。商談のときもあるし、道ばたで困ってそうな人で長くなりそうならここで話聞いたりしてる」
ここで愛の目がじっとりとする。な、なに?
『女性と、ですか?』
「……そりゃあ、そういうときもあるが」
『おモテになると、バイトの方は言っていましたが?』
やだ愛ちゃん怖いわ。
爆弾処理に対する気持ちになってきた。
優が冷や汗を垂らして言い訳を考えていると、キッチンの方からこちらを眺めていたバイト君が楽しそうに笑った。
「こらぁ珍しい、あんさんが尻に敷かれてるで」
気弱なんかと思たら、案外やるやないのと彼は呟く。
「お嬢ちゃん、安心してえぇで。確かにあんさんは女性とこの店を利用することもある。助けた人から食事に誘われることだってザラや。でもな――」
ニマニマと笑う。
「純粋に客として誰かと利用するなん、今まで一回もなかったんや。お嬢ちゃんが初めてやで。よっぽど特別なんやろなぁ?」
サッと愛の顔が赤くなる。優はばつが悪そうに顔をそむける。そんな反応を見せる二人に「なんや苛ついてきたわ」と素直な反応を返しながらキッチンの方で料理のトレーを受け取るバイト君。なんて勝手な。
「ほい、サンドイッチと紅茶お待ち~」
テキパキと皿を並べるバイト君。注文した品を並べたところで、しかし彼はさらに一つ皿を追加した。
「こっちは店からのサービスやで。最近客足が遠のいてなぁ、いろいろ試してるんや」
そう言ってテーブルに置くのはカラフルなジュースが入った一つのグラスだった。
「カップル限定で販売してるんやけど、どうも注文も少なくてな。何が悪いんかわからんでちょいモニターになってくれや」
そのグラスに刺さったストローは一本だが、飲む先が二つに分かれていた。つまりはそういうドリンクだった。カップルと言われた愛の顔が真っ赤に染まる。
「おいおいお前――」
「あっ! すまんなワイ次のバイトの時間やわ! 今はマスターしかおらへんさかいゆっくり二人で楽しんでってや~!」
感想はマスターに言うんやで~、そう言って彼は奥に引っ込んでいった。もとい逃げていった。グラスを下げることもなく。
妙な空気が二人を包む。愛はもじもじと膝を擦り合わせている。あのバイト次会ったら覚えとけよ。
「……とりあえず食うか」
ぎこちない雰囲気で食事を開始する二人。他人からからかわれることはお互い初めてだったので、料理の味はよくわからなかった。ジュースはもちろん交互に飲んだ。こっちはおいしかったです。
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