第13話「本当に来るあなた」


「~♪」


 放課後、愛は今にもステップを踏みそうなほどご機嫌な足取りで廊下を歩いていた。


 ようやく指笛が鳴りました!


 そう、昼休みに指笛の練習を屋上でしていたところ、ようやくそれらしい音が出るようになったのだ。まだ完全とはいかないまでも、指笛だといえるクオリティに愛はご満悦だった。


 なにせ自分の口から音を出すなど数年ぶりのことだ。しかもそれが優を呼び出す合図であることもプラスし、愛は頬のにやけが抑えられない。


 早く帰って彼に聞かせたい。


 こんな自分でも出来ることを増やしてくれた彼に、早くお礼が言いたい。自分も成長できるのだと伝えたい。

 その一心と、優に褒められ頭を撫でられる想像をしながら愛は下駄箱に急ぐ。


 下駄箱に到着し、いざ帰路につこうとしたところで愛は空を見る。先ほどまでは浮かれていて気づかなかったが、少々ポツポツと雨が降り始めていた。


「……」


 ガサゴソと鞄を漁る。

 折りたたみ傘は持ってきていましたっけ……?

 底の底まで探す愛。しかし――


「――」


 ない。愛はがっくりと肩を落とす。よりにもよってこんな日に傘を忘れるとは……


「……」


 チラリとスマホを見る。彼に連絡して傘を持ってきて貰うという手もある。ちなみにこの学校はマンションから徒歩通学圏である。


 一つの傘に二人で寄り添い合いながら歩く姿を夢想する。

 ナチュラルに相合い傘をする姿を疑わない愛は、いやいやと首を振る。休日の彼に足労をかけるというのも気が引けた。


 そこでふと、自分の指を見る。


『地の果てからでも飛んでいってやるよ』


 彼の言葉がリフレインする。いやまさかね……


 そう思いつつも、愛の指は勝手に唇の方へと動く。そして――


 ピー!


 と、抜けるような高音が雨空に木霊した。

 これには周囲の、愛に傘を貸そう、あわよくば相合い傘出来るのではと機会を虎視眈々と狙っていた男子生徒も驚く。

 しかし今までで一番いい音が鳴った愛はそんなことには気づかない。自分でも会心の出来に、心の中で『おぉ』と目を白黒させた。


 木霊も静まり、雨の音が戻ってくる。

 愛は一応周囲を眺めてみる。

 特に変わらない状況に、愛は肩をすくめてコロコロと笑う。なーんちゃって。自分でも浮かれていることを自覚していた。


 さて、コンビニまで走りましょうか。


 ブックカバーに身を包んだスケッチブックを肩から外し、大切そうに鞄にしまう。

 鞄を頭の上に乗せ、準備は万端。あとは走り出すだけ……というところで、なにやら違和感を覚えた。


 校門の方から車の止まる音がしたかと思えば、そちらの方に少数の生徒たちが集まっていっている。ここからでも聞こえるざわめきに、愛はしかし妙な胸騒ぎを覚えた。


 とても……とてもいや~な予感がする。いやいやまさかそんな。


 一瞬無視して走り去りたいと思う愛だが、校門は避けて通れぬ道。

 愛は早足で校門の方へと急いだ。


 ちらほら見える、物珍しそうに目を瞬かせる生徒の人だかり。その視線の先、校門に到着した愛の目に飛び込んできたものは――


 一台の、純白のリムジンだった。


 さすがの愛も目をむいた。この学校は一般的な家庭の子が通う学校であり、このような高級車で送迎をする生徒など在籍していないはずだ。どこのお嬢様学校なのか。


 本物見るの初めて……


 その美しさに、目を奪われる。これは確かに人だかりができるのも納得である。

 しかし問題は誰が、というところである。こんな車に乗る人間だ、ただ者ではないだろう。

 いまだ沈黙を保つリムジン。窓はスモークとなっており中は見えない。

 まぁ私には関係ないですね……きっと送迎先を間違えたのでしょう。そう結論づけ、その場から離れようとする。その瞬間だった。


 ガチャリ、と運転席のドアが開いた。そこから現れたのは……


 まるでボディガードのような黒服に身を包み、髪をオールバックに固めた男だった。表情はサングラスでよく見えない。


「!」


 一見誰だかわからない。しかし愛は気づいてしまった。黒服のネクタイ。そのネクタイを止めるネクタイピンに燦然と輝く、橘紋に。


「あぁお嬢様、お待ちしておりました。本日は傘をお忘れになったでしょう? どうぞ早くお入りください」


 そう言って視線を向ける先はもちろん愛である。愛は顔を覆ってしゃがみ込みたくなった。


 この人は……この人はほんとに……


 ざわめく生徒たち。「あの子がお嬢様?」「やっぱり……」「ただ者ではないと思っていた」そんな声が聞こえてくる。やめて欲しい……


 愛は頭を抱えたくなる事態に、しかし毅然として立ち向かう。

 ここで弱気な姿勢を見せたら彼の思うつぼである。ここは、さも当然といったような雰囲気で乗り切る!


 顎をツンとあげ、背筋を伸ばしてリムジンに近づいていく。そう、堂々と。堂々としていれば違和感を与えることもないはず。


 しかしそんな虚勢が続くわけもなく、慣れない姿勢で歩いたせいか愛は段差につまずいてしまった。


「!」


 このままではこけてしまう、誰もがそう思った。愛も衝撃に備え目を瞑る。


「?」


 しかし、予想していた衝撃は来ず、代わりにふわりと柔らかい感触が身を包む。周囲の女子からきゃあと黄色い悲鳴が響いた。


 目を開けるとそこには――


「お怪我はありませんか、お嬢様」

「!」


 彼の顔が目の前にある。いつの間にか愛は、優にお姫様抱っこされていた。


「執事よ執事」「禁断の恋……」「私も奴隷が欲しい……」そんな声が聞こえてくる。


 愛は真っ赤になりじたじたと暴れようとする。しかし優が耳に顔を近づけ「暴れるとパンツ見えるぞ」とささやいた瞬間大人しくなる。


「さあ、雨に濡れてしまいます。帰りましょうかお嬢様」


 そう言って優は愛を抱えたままリムジンへと近づきドアを開け、愛を車に迎え入れた。「それではお騒がせしました」と周囲の生徒たちに礼をした後、運転席に乗り込み、高級車は校門を去っていった。


 呆然と見送る生徒たち。これが後に「橘トップアイドル説」「橘組若女将説」などが浮上する事件であった。





「お嬢様、このままスーパーに寄って惣菜でも買いましょオゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲ」

「~~~!!!」


 信号待ちになった瞬間、運転席近くに移動してきた愛が優の肩をつかみガクガクと揺らす。そんな愛の様子に悪戯成功と言わんばかりにケラケラと笑う優。


「いやいや女の子の夢だろう? 女の子ってこういう車で送迎されたいもんなんじゃないのか?」


 限度がある。それにそれは小学生だけが夢見ることを許されるシチュエーションだと思う。


「……」


 愛は無言でフワフワのカーペットが敷かれた床を指さす。この車はどうしたのか、だ。


「これか? 昔物好きなディーラーを助けたことがあってな。そのツテでちょっと借りた」


 またそれですか……愛はもはや悟りを開きそうだった。この人の横の繋がりが恐ろしい。


「冷蔵庫のオレンジジュース飲んでいいぞ」


 愛はチラリと車内を見る。真っ赤なカーペットにキラキラとしたガラスの照明。そして備え付けの冷蔵庫にグラス。本当に車内なのかどうか疑わしい。


 冷蔵庫に近づき開けてみる。中には確かにオレンジジュースがあったが、これ絶対その辺に売ってるジュースじゃない……


 愛は冷や汗を流して冷蔵庫を閉めた。とてもではないが落ち着いて飲めそうにない。


 再び運転席近くに行き呆れたような顔で優を眺める。彼のサプライズ精神には困ったものである。格好まで変えて。一応変装なのだろうか。でもピンは橘でちょっぴり嬉しかった。


「さーてちょっとしたドライブデートと洒落込もうぜ」


 青信号となり車を進ませる優。そんな彼を助手席に移動して横目で見る愛。


 普通の相合い傘でよかったんですけど……この人相手だとままならないものですね……


 女心をあまり理解していない優にため息をつく。「ボウリングでも行く?」と呑気に聞く優にハリセンが閃いた。


 偶然ではあるだろうが、二度と学校で指笛は吹くまい、そう心に誓う愛であった。

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