第7話「あなたに手を」
部屋に沈黙が満ちる。
話終わった少女は、俯いたまま表情を見せない。泣いているのか、それとも泣く気力すらないまま肩を震わせているのか。
まるで判決を言い渡されるのを待つ罪人のようだった。
そんな沈鬱な彼女の姿を見て、優は……
「姫さん、姫さん」
少女が顔を上げた先にいたのは――
「ぱぴゅ~」
「ぶふっ(美少女)」
ピロピロ棒を両方の鼻の穴に突っ込み、変顔をする29歳成人男性の姿が!!
花も恥じらう乙女にあるまじき吹き出し方をした少女は、あり得ないものを見る目で優を見つめ返す。
おかしい!やっぱりこの人絶対におかしい!!
ケラケラと笑って炬燵から出ると、優は少女からスマホを取り上げた。
「チーズは食えるか?」
「??」
曖昧なままとりあえず頷く。話の流れが全く噛み合わない。
「ちょっと待ってな」
そう言い残し、優はキッチンへと足を向けながら電話を掛ける。
「もしもし?デリバリー、パーティサイズな。時間外?まったまたご冗談を、頼むっていつも通り、そうそう」
舌打ちしながらも「もう何回目やねん、もうせぇへんで?」とデレてくれたバイト君に感謝しながら優は棚から鍋と、肩を貸してくれた時に預かった、もうすっかり冷たくなってしまったココアの缶を取り出す。
「なぁ、両親に会いたいか?」
それを鍋に流し込み、火をかけながら顔も見ずに少女に問う。
躊躇いながらも、少女が頷く気配がした。
「俺ってさ、死後の世界ってあると思ってんだよ」
唐突な話題に少女は首を傾げたようだった。
別に宗教について語りたい訳じゃない。これからするのは、要は心の持ちようの話だ。
「お前がもし死んだとして、両親に会った時なんて言う?」
そう言った時、少女は動きを止めた。賢い子だ。
「寂しかったから死んで会いに来ちゃったって言って、お前の両親は諸手を挙げて喜んでくれるのか?」
受け入れてはくれるだろう。しかし、その顔には悲痛な眼差しがあるはずだった。こんなにいい子に育て上げる親御さんだ、娘の死を喜ぶわけがない。
親はいつだって、子どもの無事を祈ってる。
「帰りを待ってる親ってのは、子どもが心配なのさ。暗い顔で帰ってきたら、何かあったのかと不安になっちまう」
だけど、
「笑顔で『楽しかった!』って待ってる親に伝えられたら――」
それは本当に素敵なことなんじゃないかと、そう思うんだ。
チラリと少女の方を見る。少女は、こちらの言葉を一言も聞き洩らさないよう耳を傾けている。
それを見た優は、自分の中だけにある大事な気持ち、光り輝くとっておきの宝物を見せてあげることにした。
「……俺にもさ、待たせてる奴がいるんだ」
左手の指輪を光に透かす。その瞳はひどく優しい。それを見た少女は一瞬疑問に思うが、すぐにハッとした様子で優を見つめた。まさか……
「あいつは俺に言ったんだ、土産話をたくさん聞かせろって。だから俺は、この『人に優しく』って道を全力で走ってる。いつか、誇らしくあいつに会えるように」
だけど、と苦笑する。
「最初からこうだった訳じゃないんだぜ?」
あいつが死んだ当初はそれはもう酷い荒れようだった。ひどく塞ぎ込んだし、家族や友人にも心配をかけ、立ち上がるのに長い時間を要した。
立ち上がった後でも傷は癒えず、酒を飲んで誤魔化さないとやってられない日もある。
「それに比べてさ」
ほどよく温まったココアを、用意したマグカップに注ぐ。
「お前はたった独りで道を歩き続けてきた。傷付きながら、頑張って……頑張って歩いてきたんだよ。俺なんて家族や友人もいて、あいつの示してくれた道に手を引かれてるってのにこのザマだ」
だから俺と違いお前は……『かわいそう』?『哀れ』?
違う。
「お前は自分のことを『弱い人間だ』って言ったけどな……」
そんな言葉は投げ売りできるほど言われてきただろう。
そうじゃない。独りで苦しんで、それでもなお走り続けてきた者には、もっと相応しい言葉があるのだ。
「お前は――」
そっと温まったマグカップを差し出しながら言った。
「すげぇかっこいいよ」
「っ!」
ハッと少女は顔を上げる。
投げ掛けたのは称賛だった。
「よく頑張ったよ、お前は」
「~~!」
投げ掛けたのは労りだった。
憐れむ言葉では決してない。道に惑いながらも走り続けた者は、憐れまれるのではなく、称えられるべきなのだ。
「っ!っ!」
少女の顔がくしゃりと歪んでいく。
自分のスカートをぎゅっと握り締め、ただただ静かに涙を流しだす少女。
この子は、ずっと迷子だったのだ。誰にも頼れず、どこともわからぬ道を歩き続け、目的地もなく――そして疲れて座り込んでしまった。
「疲れたのなら、休めばいいんだ。お前は、少し急ぎすぎたんだよ」
それはかつての自分だった。今でも傷は癒えたとは言えないが、少なくとも歩くことはできるようにはなった。
それができるのは、大事な人に手を引かれているからだ。
だったら――今度は俺が、誰かの手を引く番だ。
「俺じゃ心許ないかもしれないが……一緒に手を繋いで迷子になることくらいはできるぞ」
グズグズと泣く少女に、笑いながらスマホを差し出した。受け取った少女は流れる涙もそのままに、優に問う。
『私も、あなたのようになれるでしょうか』
「お前次第だ」
『私も、私だけの道を見つけることができるでしょうか』
「手を引く人次第だ」
『……なんですか、それ』
「いいんだよ、今はそれで。言っただろ、急ぎすぎだって」
もう一度、マグカップを差し出す。
「今は羽をゆっくり休めろ。そんで休憩に飽きて『もう大丈夫かな?』って思ったら、また歩く。それくらいでいいんだ」
顔を歪めながらも、両手で包み込むようにマグカップを受け取る。
口をつけると、じんわりと心と身体を暖めていく。
彼の全ての言葉に納得した訳じゃない。今でも胸に空いた穴は塞がらず、声が出てくることもない。だけど……彼の言葉は、胸に開いた穴を暖かいもので少しだけ埋めてくれた。私が取りこぼした大切なものを、思い出させてくれたのだ。
心も身体も、もう――寒くはなかった。
寒空の下に独り凍えていた少女はもういない。
迷子の女の子は、ついにその温もりに手を伸ばしたのだった。
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