第3話「疾走するあなた」

 いっけなーい、仕事に遅刻遅刻☆

 私、新藤優!どこにでもいる三十路間近の普通のサラリーマン!

 今は台車を押しながら街を爆走してるの!なぜかって?フフ、それはね……


「う、産まれる……!」

「奥さーーん!しっかりしろぉーー!!」


 黄昏に染まる街の中、優は妊婦を乗せた台車を押して叫びながら疾走していた。


「どけぇ有象無象どもがぁ!幸せが通りまーーす!!」


 どうしてこうなった……優は我が身を振り返る。

 いつも通り営業に出た先、愛へのクリスマスプレゼント用に目をつけていた店が近かったので、ついでにと彼女に贈る予定のプレゼントを買ったのだ。

 思惑通りの品が買えた、とホクホク顔で店を出た矢先、買い物袋を持って歩いていた女性が膝を落とした。

 すわ何事かと思い急いで駆け寄ると、その女性はなんと妊婦で、間の悪いことに陣痛が始まった様子だった。

 なんで出産間近の妊婦さんがこんなところにと思いつつも急いで救急車に連絡したが、さらに間の悪いことに、救急車がこちらに来られる最短ルートでなんと交通事故による渋滞が発生していたのだ。今朝の占い番組が脳裏をよぎった。

 このままでは間に合わないかもしれない……危機感を覚えた優はすぐに無線イヤホンに切り替え、近くのスーパーから揺れの少ない大型の台車を借り、救急隊員に指示を仰ぎながら救急車との合流ポイントまで妊婦を運ぶことにしたのだ。

 ガラガラと派手な音を立てながら妊婦が乗った台車を押して走るスーツ姿の男にギョっとして通行人が幾人も振り返るが、そんなものいちいち気にしていられない。優は妊婦の負担にならないギリギリの速度で台車を疾走させる。あくまで安全運転。『急がば回れ』と頭の中で唱える。


「こんなところで産んじゃったら将来産まれたときのこと話すときどうするんですかー!?」


 優はなんとか陣痛から妊婦の意識を逸らそうとする。耳からも「なんとか合流するまで保たせてください!」という無茶ぶりが来る。どうしろと!?

 既に台車を押して両手が塞がっている。自分に出来ることはもはや話すことだけだ。なにか話題……話題は……


「そ、そうだ奥さん!最近少しわからないことがあったんでちょっと相談にのってくれます!?」


 陣痛の苦しみに顔を歪めていた妊婦さんは、「え!?今!?」という顔をしたが気が紛れるのであればとコクコクと頷いた。


「高校生くらいの女の子ってクリスマスプレゼントでなに貰ったら嬉しいですかね!?」


 優は既にプレゼントを用意している。しかしこれはどちらかというと実用的な面が強く出ている品物だったため、もう一つ何か用意したいところだったのだ。

 相談できる相手も少ない優は、えぇいままよという勢いで陣痛で苦しむ女性に問いかけた。


「そ、そうですね……ハァ、ハァ……やはりその子が、好きなものとか喜ぶようなものがいいのではないかと……」


 まぁそうだろうなと思う。優だって愛の喜ぶ顔が見たい。今まで笑顔を与えられなかった少女をこれまでの分以上に笑顔にしてあげたい。そう思っている。

 通行人を蹴散らし、ギリギリの角度で華麗なドリフトをカーブでキメながら考え込む。

 そんな優の言動に妊婦さんの目が「この人何者なの……」という目に変わってきているがそんなことは気にしない。冒険家の助っ人に駆り出され、地下迷宮で一緒にトロッコに乗った経験がなかったら危なかった。


「あの、失礼ですがどういったご関係の子で……?」

「あー……」


 自分と彼女の関係性。正直に他人に説明するには些か迷いが生じる。片や未成年の女子高生。片やあやしいおっさんである。そんな二人が部屋が隣同士で毎日会っているなど、いかがわしいと思われても仕方ない。

 もちろん馬鹿正直に理由を説明するつもりはない。ただ自分達の関係性を表す言葉に、少し迷いが生じた。『知り合い』?『ただのお隣さん』?『友人』?いや違うだろう。

 優は自分たちの関係を言語化するために今までのことを振り返り、組み立てていく。俺たちの関係を表す言葉があるとするならそれは――


「――そうですね。家族みたいなものです」


 家族。無論彼女が自分のことをどう思っているかはわからない。しかし優は、いつか彼女が家族のように甘えてくれる存在になりたいと思っていた。あの少女は、家族さえも失ったのだから。

 優の言葉に若干訝しむものの女性は「なんだそうなんですか」と言い、


「家族でしたら利害関係ではありませんし、喜ぶものというのも重要なことにはなりませんね。結局のところ大事なのは――」


 陣痛で言葉が続かなかった女性は言葉の代わりに『ここですよ』と胸に親指をトントンと当てる。やだカッコいい……

 心の篭った物ならどんなものでも関係ない。なぜなら家族なのだから。

 優は『なるほど家族か……』と心の中で呟き、自分の中で方向性が定まるのを感じた。

 感謝の言葉を女性に贈り、ラストスパートをかけるべく優はハンドルに力を込めた。


 無事に救急車と合流でき、妊婦さんを病院に送り届けた優は謝罪の電話を訪問する予定だった会社にかける。が――


「いや急な来客があってね、もう少しかかりそうなんだ。疲れただろう、シャワーでも浴びてからきたまえ」

「え」


 呆けたように口を開ける優に「君には以前に助けてもらった借りもあるからね」とそう付け加えられ電話は切られた。ツーツーと音が残るスマホを眺め、頭を下げておく。やっておくべきは善行である。


「シャワーねぇ……」


 幸いにも自宅には比較的近い場所にいたため、一応戻ることはできる。

 優は自分の襟をつかみ匂いを確かめる。緊張しながら走ったせいか、冬とはいえ汗をかいた。やはり多少臭い。


 折角の厚意だし一旦戻るか。そう呟き、優はまだ沈みきっていない太陽を見ながら、自宅へと足を向けた。

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