第2話「教室での私~リサーチ編~」
最近、橘の様子がおかしい。
放課後になって間もない時間、橘愛の所属する1-Aは一部ざわついた空気に包まれていた。
少し前までは静かに下を向いていたり、無表情に窓の外を眺めるだけだった橘。誰をも寄せ付けず、頼らず、独りで黙々と作業をこなす儚げでミステリアスな女の子。
しかし今は、何かの雑誌を真剣な表情で読み込んでいる。近くに行けばその表紙や内容を確認できるだろうが、正直近付ける雰囲気ではない。
そんな今までとは違う彼女のギャップのある様子にまた一部のクラスメイト達がざわついているのだ。
男子達は集まり、少ない情報から彼女の事情を紐解いていく。
曰く、「アイドル活動の予習では?」
曰く、「いやそれ否定されただろ、クリスマス近いしそれ関連じゃね?」
曰く、「いやまだわかんねーし。というか俺へのプレゼントを選んでいるのでは?」
と好き勝手に騒ぐ。彼らはアホだった。
その時、彼らの後ろからわざとらしいため息が聞こえてきた。後ろを振り向くと、一人の女の子が腕を組んで立っていた。
地毛と言い張る明るい茶髪。校則ブッチギリの短いスカートに、そこから伸びるカモシカのように健康的な足。口癖は「わたしモデルで雑誌に載ったことあるし」で、ついたあだ名は「枕(笑)ちゃん」。
男子達が疑問の目を彼女に向けると、彼女はチッチッチッと指を振りながら話し始めた。
「あれはねぇ……まさしくアイドル活動よ!」
男子達は、また始まったとばかりに白い目を向ける。先の「橘激怒事件」の際に流れた、「橘アイドル説」を頑なに推す一派があれからひそかに存在するのだが、彼女もまたその熱心なシンパの内の一人なのである。彼女はアイドル志望なのだ。
「きっと今度グラビアに挑戦するのね。水着では身体のラインとか誤魔化しがきかないから、他の撮影より真剣になるのもわかるわ」
うんうんとしたり顔で頷く枕(笑)ちゃんを男子達は冷めた目で見ている。いやお前経験ある~、みたいな雰囲気醸し出してるけど、一度もスカウトから声かけられてねぇじゃねぇか、と。
男子達は知っている。彼女の日課が放課後街にくりだして、派手な服を着てスカウトに引っ掛かろうとすることなのだと。
しかし彼女に声をかけるのは変なおっさんばかりで、それが原因で不名誉なあだ名がつけられているのも周知の事実である。この前も「なんだお前、んな妙な格好して?困ってんのか?」と声をかけてくるスーツ姿の変なおっさんがいたとかいう話をしていた。
怪しいおじさん達に声をかけられるたびに涙目になって逃げる姿をよく見かけられる枕(笑)ちゃんは、得意げにアイドルについて語っている。
「まぁ橘さんもまぁまぁ可愛いし?私ほどではないけどスタイルもいいし、水着撮影はきっと映えるでしょうね!」
その言葉に男子たちは強く夢想する。あの常時ストッキングに守られているおみ足が、白日の下に晒される姿を。白く瑞々しい肌、サラサラと流れるセミロングの美しい黒髪、大きすぎず彼女の体型にジャストフィットなほどよい大きさの胸(女子調べ)。
男子達は一度も見たことのない橘の照れたような顔を想像し「これは映える」、「映えるだ!」、「映えるの下に集え」と口々に囃し立てた。枕(笑)ちゃんとしてはここまで盛り上がるとは思っていなかったので若干面白くない。
「ふ、ふんっ、まぁいいところまでは行くだろうけどまだまだ経験が足りてないわね!アイドルへの道は険しいんだから!」
そう誰に語るでもなく言い放ち「私も負けていられないわ。さーて、お仕事お仕事~」と言いながら教室から去って行った。いかにも今から撮影に行きますよという雰囲気だが、また街でおっさん相手に涙目で逃げ惑うのだろう。
男子達はため息をつく。あの言動がなければ可愛いのにな……と誰かがポツリと漏らしたが聞く者もおらず、その言葉は放課後の教室の喧騒の中に消えていった。
橘愛の知らないところで、このクラスは今日も平和だった。
まさか自分がアイドル志望の女の子にライバル視されているとは露知らず、愛は真剣に読んでいた雑誌を閉じて表情を険しくした。
「(駄目ですね、あまり参考になりません……)」
閉じた雑誌のタイトルを見る。「これを贈れば気になるあの人も瞬殺☆私がルールだ」である。タイトルの時点で気づくべきだったが、やはり役に立ちそうな情報は載っていなかった。首輪かぁ……世には奇特な人もいるものだ。
愛は悩んでいた。もうすぐクリスマスがやってくる。もちろん優にプレゼントを贈る予定だが、いかんせん彼の欲しがるものがわからないのだ。
こうして慣れない雑誌を読んでみたものの、参考になるものはまるでなく、昼休みにも男子達の話に聞き耳を立ててみたが、そもそも彼らに彼女はいなかった。
なんとかして彼の好みを知りたい。今朝も密かに彼の趣味嗜好について探るために彼の部屋や態度を観察してみたが、やはり大っぴらにすると感づかれてしまいそうであまり上手く出来なかった。
彼はこちらの視線に敏感だ。というのも自分が言葉を発することが出来ないため、彼は視線の動きでこちらの意図を汲み取ろうとするのだ。自分の視線を探るのは、彼の優しさの一端としての行動の一つだった。
「……」
思わず上がりそうになった口角を慌てて引き結ぶ。今はそういうことを考えて悦に浸っている場合ではない。
どうにかして彼の好みを探らなければ……
――そういえば彼は今日遅くなると言っていた。自分も遅くなると言ったが、あれはプレゼント選びに放課後の時間を使う予定で言ったことだ。しかし、今のままではプレゼントを街に出て選ぶような段階ではない。
――これは、チャンスなのでは?
愛は彼の部屋のドアの前に鎮座している植木桴に隠されている存在に思いを馳せる。いやでも、さすがにそれは……
しかしここで頭の中に声が響く。「困ったらいつでも来い」という彼の声だ。
なるほどと思う。自分は今困っている。これは最初から言質がとれている……つまり彼の不在時に部屋に忍び込むのも合法なのでは?
しばらく懊悩したが、かくなるうえはと頭の中で呟き、愛は急いで帰宅するべく席を立った。
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