第7話 Dawn Breaker

 爆風を受けた身体がひっくり返る。


 衝撃が胸をたたいて押しのけ、掬いあげられるようにして足が持ち上がる。そのまま背中から地面へ落ちる頃には、クロードの意識は爆風によってきれいに吹き散らされていた。


 そして気づく、自分が仰向けにころがって、何かに引きずられていることに。気を失っていたのか、と内心に首を傾げる間に、断線した意識が繋がったことによって、身体のあちこちからひどい痛みが這い上がってきて呻く。ヘルメットがどこかに行ったらしく、頭が軽い。


「くそ」


 自分の声すらかすみがかっていて現実感がない。身体のそこかしこが痛みを訴えているのに、自分の四肢の存在がうまく認識できない。まるで物質としての身体が消え去り、意識と五感だけが残ったかのような奇妙な感覚に怖気を感じつつ、なんとか腕を持ち上げようとする。ひどい痛みとともに目の前にカービンを握りしめた腕が現れる。


 引きずられたまま、クロードは首をめぐらせた。木々や岩の向こうで発砲炎が瞬き、膜のかかったようにぼやけた聴覚が、銃声と擦過音を拾い上げる。目を凝らすと、視界の端で誰かがライフルを応射して敵の頭を下げさせようとしていることが分かった。


 クロードも焼けるように痛む腕を持ち上げ、ほとんど感覚のない左手をどうにか銃に添えさせると、引きずられたまま引鉄を敵の発砲炎めがけて絞る。鋭い反動が肩を走り抜け、それが瞬時に痛みへと変わるが、歯を食いしばってこらえる。どこをどう怪我しているのかすらもわからないほど、痛みがそこらへと伝播していく。


 自分の銃声はほとんど聞こえなかった。サプレッサをつけているし、聴覚が爆発の影響でぼやけたままだからだ。それでも引鉄にかけた指の動きは止めない。手当たり次第、見える範囲の瞬きめがけて銃弾を送り込む。一発撃つたびに、肩を通じて背中が、そして胸骨が傷んだが、弾倉を空にするまでクロードは射撃の手を緩めなかった。


「クロード、大丈夫か」


 弾切れのM4A1から弾倉を外し、新しいものを出そうと感覚のない左手でポーチをクロードがまさぐると、上から手が伸びて彼のポーチから弾倉を引き抜いた。少ししてその声がデイヴのものだと気付く。


 彼はクロードの左手に弾倉を握らせると、そのまま岩の裏まで引きずってから手を放す。クロードは岩に寄りかかり、弾倉をゆっくりとした手つきでM4A1に差し込んだ。


「今、どうなっている」


 混乱した頭でクロードは質問した。デイヴはクロードの前に膝をつき、もう一本新しい弾倉を出して、クロードの膝の上においてから、


「迫撃砲の雨あられだ、好き勝手やってくれる」


 言いながらデイヴが背中に回していた武器を手にした。Mk12ではなく、それがブラッドの持っていたMk46であることに気づく。べっとりと鮮血にまみれたそれを見て、クロードは膝の上の弾倉をきつく握りながら問いかけた。


「ブラッドは」

「死んだ、もう俺たち三人だけだ。敵がわんさと来てやがる、押しとどめにゃならん」

「なんてこった」


 クロードは吐き捨てた。会話の間に足の感覚が戻りつつある。といっても、感じられるのはほとんどが痛みだけだったが。どうにか左手で岩をつかみ、姿勢を持ち上げようとする。立ち上がろうと力を込めると左足でひどい痛みが生じた。それだけではなく、肋骨も折れたかひびが入っているようだったし、さらに、見ればわき腹から血が垂れている。


「岩から見て右翼を守ってくれ、頼めるか」

「どうにかする。岩の右に出してくれ」


 デイヴの問いに答え、痛みに呼吸を乱されつつ岩に背中を押しつけるようにして立ち上がる。足に体重がかかって、そこが燃えるように痛んだ。脂汗がどっとにじみ出るが、デイヴが肩を貸してくれたおかげで、どうにか立ち上がることができた。


「ひどいことになった」

「ああ、ひどいもんだ、こんなたこ殴りにされるのは久々だぜ」


 クロードがいうと、デイヴが応じた。彼はクロードを岩の右側に横たえさせると、弾倉をさらに二本抜き出して目の前に置いた。ありがたいことだった。この腕の具合では、弾倉を取り出すのにえらく時間がかかる。


「僕は移動できそうにない、おいていくんだ、デイヴ」

「バカ言え、指揮官を置いていけるか」


 もう役に立たないよとクロードは言って、M4A1のボルトを前進させる。木々の間から、緩やかな斜面をゆっくりと下って敵が近づいてくるのが見えた。


「お前はライリーを置いていかなかった。俺もお前を置いていかない、ここは任せるぞ」


 デイヴが笑いながら返し、クロードの肩をたたくと、岩を回り込んで防衛を続けているジムのほうへ走り去る。それを見送り、喉がひくつくような感覚とともに目頭が熱くなったが飲み込んだ。少しして、Mk46の連射音がとどろいた。敵がそれに呼応するようにAKを連射し、森の中にけたたましい銃撃戦の音が広がる。


 クロードはジムとデイヴのほうへ射撃を加える敵に狙いを合わせて引鉄を絞る。地面に伏せたまま、ありったけの火力をまき散らすデイヴとジムを支援すべく、クロードも痛みをこらえて素早く敵を撃ち殺す。


 右翼に迂回し、こちらを側面から攻撃しようとしていた男たちが数人撃ち殺され、ようやくこちらの存在に気づいたらしい敵がこちらへ応射をはじめる。こちらよりも向こうのほうが高い位置にいて、遮蔽はこちらに多いおかげでかなり有利だ。


 あたりは夜が明けかけているおかげでだいぶものが見える程度の明るさになっている。銃火の瞬きが木々の向こうできらめくたびに、クロードはそちらに銃口を向け、光学照準器の狙いを合わせて発砲する。


 肉眼ではシルエット程度にしか見えなくとも、射撃戦をする分には十二分だ。敵の姿さえ見えていれば狙うのに苦労はしないし、それが倒れこむのも見える。


 弾倉を撃ちきり、入れ替えて初弾を送り込む。それを数度繰り返すと、デイヴが出してくれた弾倉が切れた。撃ちながら左手で悪戦苦闘しつつ弾倉をポーチから引っこ抜く、まとめて二本分を目の前に置き、うち一本をM4A1に差し込んだ。


「装填!」

「支援する!」


 岩の向こうでも激しいし銃撃戦が続いていた。AKはひっきりなしにやかましい銃声をまき散らしているし、さきほどまでデイヴが操るMk46が休みなしに銃弾を送り込んでいた。今は弾切れなのか、Mk12の抑制された銃声が鋭く鳴り響くのが聞こえる。


 三挺分のライフルがフル稼働で銃弾を撒き散らす。度重なる連射で減音器がダレてきているのか、あるいは高揚感で聴覚が過敏に鳴っているのかわからないが、手の中でひたすらに銃弾を吐き出すM4A1の発砲音がやたらとやかましく感じられる。


「くそ、撃たれたI'm Hit!」

「ジム、ジム? ジム、どうした!」


 たっぷり数分の銃撃戦ののち、ジムのひきつった声にデイヴの呼びかける声が続いた。ぎょっとしてそちらを見ようにも、岩が邪魔で向こうまでは視界が通っていない。そのうえ、射撃の手を止めたとたんに、好奇と見たか膨大な火力がたたきつけられた。あたりに銃弾が突き刺さり、恐ろしい音を立てる。うち一発が岩で跳弾し、クロードの頬を焼いた。


「ジム! どうした、ジム! デイヴ、ジムはどうなった!」


 クロードは声を張り上げつつ、銃口をつきだして見える限りの敵に銃弾を叩き込んだが、敵の数があまりに多すぎるようだった。こちらに向かって叩き込まれる銃弾の数が減る気配のないまま、弾倉を丸々使い果たして、もう一本をつかむと装填しなおす。


 そのとき、岩を回り込んで背後に気配が回るのを感じた。振り返らず、前進しようとした敵へ狙いを定めて数回引き金を引く。と、男が被っていたパトゥが弾き飛ばされ、男も地面へ倒れこむ。


「クロード、逃げるぞ」


 背後に回り込んだデイヴが言った。クロードは肩越しに振り返り、彼の顔を見ると口を開く。なぜ彼は一人で戻ってきたのか。


「ジムは」

逝っちまったHe's gone、戦死だ」


 デイヴはクロードの目を見ずに行った。クロードは戦死という言葉に頭がくらりと揺らぐのを感じた。ジムは長くクロードの補佐をしてきた部下の一人だ。タスクフォース57が編成されてからずっとともに戦ってきた。その間にデイヴはバックパックをおろし、それからクロードのバックパックに手をかけると引きはがす。


「身軽にしてくれ、やつらの数は減りそうにない」

「ダメだ、僕を連れて行くだけの余裕はない。ここで敵を引き付ける、君が逃げるんだ」

「阿呆いうなよ。いいから手伝え」


 デイヴが岩の向こうにスモークグレネードをいくつか放り投げた。たちまちのうちに、夜明けを目前に控えた森の中に煙幕が満ちる。そのすぐ向こうで敵の声が聞こえ、クロードは適当にそちらに向かって銃弾を送り込む。まぎれもない悲鳴が聞こえ、そこにデイヴが破片手榴弾を一つ放り込む。


 炸裂音、遅れて悲鳴。デイヴがさらにもう一個破片手榴弾を投げ込んだ。低い爆発音がとどろき、あたりにばらまかれた破片があちらこちらで物に当たって恐ろしい音を立てた。その破片を受けて、敵が一人でも多く行動不能になっていることを祈る。


「デイヴ、命令だ、僕をおいていくんだ」


 クロードはゆっくりと、そして力強く命じたが、デイヴはそれを無視した。彼はクロードのわきの間に手を通すと、そのまま煙幕が効果を失わないうちに急いでクロードを引きずって離脱を始める。


「デイヴ!」

「命令違反だってなんだって知るかよ、一人で地獄に落ちるのは歓迎だが、お前を地獄においてくのは承服しかねるぜ」

「二人そろって地獄に行こうってのか」


 クロードはセレクターをフルオートへ入れると、煙幕の向こうから迫りつつある喧しい声を黙らせようと弾幕を張る。瞬く間に消費された弾倉と引き換えに、敵の頭を一瞬だけ押さえつけることに成功したようだった。


「上司を一人で送るわけにゃいくまい」

「馬鹿野郎」


 お前もだぜとデイヴが後を引き受け、斜面を下っていく。クロードは弾倉を破棄して、感覚が戻る代わりに痛みが支配する左手でどうにか新しい弾倉を引き抜く。もう残りの弾倉は二本分しかない。


 ずるずると引きずられていく間、クロードは煙幕を超えて敵が来ないかどうかをひたすらに見張っていた。出てくるものがあれば撃った。やがて、先ほどまで銃撃戦を繰り広げていた岩陰が遠ざかり、下りの傾斜が、緩やかな上りの傾斜に代わる。


 デイヴは藪の間を移動し、それを遮蔽に姿を見られないようにルートをとっているようだった。おかげで敵は一時的にこちらを見失ったようだったが、それが長続きするとは思えなかった。地面には、クロードの腹部から漏れた血の跡がところどころ続いている。そのいくつかを足でこするように消しはしたものの、すべてを消せるわけではない。


 デイヴがクロードを岩陰に引きずっていき、手を放した。緩やかな斜面を登り切った先の、下栄えに覆われ、倒木と藪、腰丈より高い岩によって守られた場所だ。ここなら、下から見てすぐには見つからないだろう。


 クロードは岩に背中を預け、それから額ににじんだ汗をぬぐった。あたりはもう、日が昇りかけの空から差し込む光で、暗視装置が不要なほどに明るくなりつつある。もう少し待てば、山の稜線から太陽がのぞくだろう。


 デイヴが暗視装置を外し、クロードの肩をたたいて少し待つように言うと、姿勢を低くして藪のほうへと歩み寄り、Mk12を構えて斜面の下へ向ける。スコープを介して索敵しているのだろう。すこししてMk12をおろすと、彼は地面を這うようにして戻ってきた。


「敵は」

「こちらを探している、そう長くは持たない」


 デイヴは何でもないことかのように言った。その一方でクロードは顔をしかめる。それは足や、肋骨がきしむ痛みのせいだけではない。すぐそこまで敵が来ているというのに、まともに動くこともままならない自分という荷物のせいだ。


 それがどうにも悔しくて、どうにか立ち上がろうと踏ん張ってみる。途端に言葉で表しきれない痛みが神経を食い荒らすように体中でのたうち、唇をかんでその場にへたり込む。切れた唇からにじんだ血が鉄臭い匂いを口腔に広げたが、その苦みは何ももたらさない。


「僕は動けない」

「ああ、知ってる。二進も三進もいかんのは、墜ちたときにわかってたさ」


 やれやれとデイヴは首を振り、Mk12の弾倉を確かめた。それから残った弾倉をポーチの取り出しやすい位置に動かし、破片、煙幕手榴弾の残量を確かめ、最後に拳銃のチェックをする。グロック21の弾倉を半分抜き、弾倉背面の確認孔から装弾を確かめる彼の横顔にはすでに、最後までここで戦闘を継続する決意がにじんでいる。


「二人そろってここで討ち死にはマズイ」

「この状況以上にマズイものがあるってのか、そいつは愉快だな」

「茶化すなよ」


 クロードは口の中にたまった血とともに吐き捨て、それから腕がきしむのを無視してデイヴの襟首をつかんで引き寄せた。間近に、たっぷりのひげを蓄え、厳しい日差しにさらされてよく焼けた男の顔が迫る。クロードはデイヴの青い目を見、鼻先を突き合わせるほどの距離で、ゆっくりと発音する。


「この部隊の指揮官は僕だ、デイヴ。僕はまだ正気で、手は動く、戦える」

「それで」デイヴは目を細め膝立ちになると、Mk12のストックを地面につき「何が言いたい」

「作戦がある、二手に別れよう。君が西に、僕が東に、だ」

「お前、頭でもぼけたか。まともに動けるありさまじゃないんだぞ」


 デイヴが鼻を鳴らし、それから視線を岩の向こうに向ける。かすかに足音と声が聞こえている。まだ距離があるが、時間はそこまでない。ここで言い争うだけの余裕はもうすぐ潰える。クロードはこちらを睨みつけるデイヴに負けず、彼を見つめ返すと、身に着けたプレートキャリアのメディカルポーチを開き、中に納まっているモルヒネの注射器を取り出した。


「何とかする、少なくとも、僕はここでそろって討ち死にはごめんだ、死んでも拒否する」


 だからさっさと行ってくれとクロードは続けて、それから、モルヒネ注射器の安全カバーを取り外した。こいつは諸刃の剣だ。痛みを抑えてくれるから、多少動くことはできるようになるかもしれない。だが出血している状態では意識の低下を招きかねないし、そうでなくとも、指先で細かい動作をするのが難しくなる。戦闘行動に支障をきたす可能性は大いにあった。


 しかしクロードはリスクを無視してそれを太ももに刺すと、プランジャーを押し込んだ。体内に流し込まれたモルヒネが効き始める前に、スリングで身体にかけたM4A1を外し、弾倉を確かめ、レッグホルスターのキンバーも確認する。破片手榴弾の残りは二つ、拳銃とライフル合わせて一二〇発もない。


 ゆっくりと、薬品のもたらす鎮痛効果が体を浸していく。ひっきりなしにクロードをさいなむ苦痛が緩んでいくのを感じつつ、クロードはデイヴが姿勢を落とし、脇にライフルを携えると、こちらに向けられたまなざしを見つめ返した。


「いいんだな」

「僕は命令を発した」

「二手に分かれた後にやっぱりなし、とはいかないぜ」

「言われないでもわかってる。君は僕の兄貴か何かか」


 神経に刺さる痛みの鋭さがなくなっている。クロードは右手でライフルをしっかりとつかみ、ゆっくりとした呼吸を心掛けながら岩に手をかける。もう少しすれば、痛みは気力でどうにか飲み込める程度にはなるだろう。とはいえ、激しく動けば悶絶するほどの激痛に見舞われることは想像に難くない。


「お前のような手間のかかる弟はごめんだ、大馬鹿野郎の弟はな」

「そっくりそのまま返してやる」


 クロードはデイヴの肩をたたいた。彼は下を向き、クロードのぼろぼろの身体を確かめ、それから大きな手でクロードの肩に手を置くと、目を見ていった。


「あばよ、兄弟。また会おうぜ」

「ああ、またね。おたがい、うまく回収されることを祈ろう」


 言いながら、白々しい言葉だなとクロードは思った。どうあったって、クロードが回収される見込みはゼロだ。デイヴにしたって、このまま逃げたとして回収される可能性は低い。お互いがお互いに、十中八九無意味なあがきになるだろうことを、それでもやろうとしている。おとなしくはいそうですかと、首を差し出せるわけがない。


 デイヴが物陰に身を隠しつつ離れていく。その大柄な背中を見送り、クロードはゆっくりとため息ついた。じっとしている限り、痛みのほとんどはモルヒネが包み込んでくれている。だがそのまま身じろぎ一つしないままでいると、いずれ意識が眠りに中に引き込まれそうでもあった。それなり以上に出血していたし、身体には澱のような疲労がたっぷりと積み重なっている。背中を預けた岩のすぐ下で敵が小枝を踏みつける音が聞こえ、クロードはポーチの中から破片手榴弾を一つ取り出した。その安全ピンの部分にはビニールテープが巻かれていて、脱落防止の効果を果たしている。


 グローブ越しの手で、ゆっくりと、悪戦苦闘しつつビニールテープをはがす。耳を澄まし、足音の距離をおおよその感覚で勘案しながら、ゆっくりとピンのリングにひっかけた指に力をかけた。


 遠くで銃声がした。


 一発、二発。乱射ではなく、正確に狙いすましていることがよくわかる落ち着き払った射撃音が五度連なった。それは先ほどまでと違い、減音器を外した、むき出しの銃声だったが、それがMk12から放たれるものであることはクロードに理解できた。


 モルヒネが回りつつある脳みそが、非常にまったりとした速度でその意味を考える間に、あたりにはMk12の銃声を圧倒する、何十倍もの数の斉射音が満ちている。AKのおおざっぱで耳に刺さる発砲音が、一時の途切れもなく続くのを聞きながら、クロードは状況を理解した。


 デイヴが自らをおとりとして敵を引き付けようとしている。


「馬鹿野郎!」


 クロードは怒鳴った。怒鳴って、握りこぶしを岩にたたきつける。敵はデイヴのほうに気を取られているようだった。姿勢を変更し、鋭さはなくなったが鈍く焼けつくような尾を引く痛みを、歯を食いしばって飲み込み、岩の脇へと膝立ちでどうにか移動する。


 すぐ目の前で、いかにもといった格好の男がAKを東側へ向けて連射している。クロードは斜面を登ってこちらを追跡していた敵の陣形が、東側へと射撃姿勢を維持したまま移動しているのを見て取り、破片手榴弾のピンを引き抜くと、それを高めに放り投げた。


 そのまま手でライフルを引っ張ってくると、手榴弾の投擲でこちらに気づいたらしい黒装束の男にライフル弾をお見舞いした。胸に飛び込んだ銃弾が肉をはじけさせ、男がもんどりうって倒れこむ。すぐそばにいたもう一人が、一瞬何が起こったのかわからないといった様子で周囲を見回す間に、そちらも撃ち殺した。そのすぐ後に手榴弾が炸裂し、近くにいた男たちがなぎ倒される。


「くそ、くそ……なんで素直に逃げなかった」


 視界を木々に覆われ、デイヴがどこにいるのかはわからなかったが、鋭い銃声が、AKの大合唱の合間に森の中に響き渡っている。敵は大部分が彼のほうへと引き付けられたようだった。とても一人では対処しきれないほどの量を彼が東へと引っ張っていく。


 それでも残った敵の一部が、こちらに気づいたようだった。遮蔽を取り始めるまでの間に、さらに二人を葬り去り、クロードは岩の上にペチェネグを据えようとした男の頭に銃弾をたたきこんでやる。


 一方的に撃てる時間は終わった。木々の間や、岩の隙間から突き出された銃口が好き勝手火を噴きはじめ、あたりに砂煙が立ち込める。ものの数秒のうちに数十の銃弾が至近で跳ねまわり、まき散らされた岩の破片が顔を切る。無煙火薬の燃焼がもたらすコルダイトの特有の刺激臭が漂ってきた。


 クロードは射撃を繰り返しつつ近づいてくる影を撃って、倒れこんだそれにさらにもう二発叩き込んだ。銃声が近づいているのを感じ取り、右手で発砲しつつ、痛みの鈍くなった左手でもう一つ破片手榴弾を取り出し、M4A1から手を放すとビニールテープを必死にむしり取る。


 ピンを抜く、岩のすぐ向こうで複数の気配。転がすようにして投擲し、弾切れのM4A1をつかんで岩陰に引っ込む。遮蔽を取っていても、間近で爆発が生じればその衝撃、吹き散らされたあれこれの危険から完全に身を隠すことはできない。一時的に馬鹿になった耳がほんのかすかな気配を拾い上げ、弾切れのM4A1に新しい弾倉を装填するよりも先に、クロードは右手でホルスターのキンバーを抜いた。


 モルヒネで鈍った腕がもたつく。巻き上げられた粉塵の中から、岩を飛び越えるように男が躍り出てクロードの足元に着地すると、こちらにAKを向けようとした。させじと、まだ不安定な男の足元を蹴っ飛ばすように払いのける。激痛が瞬時に体を貫き、目元にじっとりと脂汗が浮かび、遅れて顔いっぱいに冷や汗がにじみだすが、姿勢を崩した男の顎に左手を叩き込むことはやめない。


 体中が叫びたいほどの痛みに襲われているが、動きを止めれば死ぬのは自分。顎に一撃を受けた男がのけぞり、仕返しとばかりに頭突きを放つが、左手を曲げその頭にこちらの肘をくれてやると、どうにか引き抜けたキンバーを腹に寝かせるようにして構え、痛みにうめいた男の身体に連続して四発。


 ピンと背筋をのけぞらせ、声も上げずに男は絶命した。顔を覆う布から露出した目は見開かれたままで、胸には大きな血のシミがにじんで、そこからばたばたと大量の血が垂れ落ちてくる。


 クロードは死体を押しのけ、耳を凝らした。即座に襲い掛かろうとする敵の気配は感じられない。半分しか残っていないキンバーの弾倉を入れ替えてホルスターに戻し、敵が来る前にM4A1の再装填を終えようと残り二本の弾倉をポーチから抜くと、遠くから歓声のようなものが聞こえてきた。


 アッラーフ・アクバル!


 風に乗って響き渡るそれは間違いなく勝鬨で、それが示す意味は考えるまでもない。やかましいほどによく通る猛った男どもの声のほうへ目を向け、東の木々の間から漏れる陽光のきらめきを見つつ、数秒、呆然としたように動きを止める。痛みは引いていた、代わりに冷たいものが背筋を流れていく。


 デイヴが死んだ。


 頭の中が真っ白になっていた。馬鹿な奴だと吐き捨て、M4A1のボルトを閉鎖する。クロードはそのまま、煙幕手榴弾を取り出すと、適当な位置に転がした。こちらの位置さえ見えづらくなってくれればそれでいい。腕の中の銃に視線を下ろす。視界が滲んでいた。腕で目元を拭い、唇を噛む。


 モルヒネと精神的な衝撃で鈍化した痛みをいいことに、木々と岩に手をかけてその場を離れる。せめてものことできる限りの抵抗を試みなければならない、そういう、理由のない、もはや無意味に等しい義務感だけが身体を動かしている。


 M4A1を地面につき、杖の代わりにしながら、緩やかな下り傾斜に転じた坂を這いずる。みじめな撤収だが、それでもクロードは必死に手足を動かした。デイヴにどういう意図があったにせよ、彼が自分のために時間を稼いだことだけは確かだった。とうてい生き残れるとは思えないが、それでも地面からは生える藪をつかんで身体を引き寄せ、痛む足で岩をけって、距離を徐々に稼ぐ。


 薄くぼんやりした意識が段差を認識しそこね、クロードは姿勢を固定する間もなくそこへと落ちた。肋骨がきしみ、息が詰まる。そのまま傾斜をずるずると体が滑っていく。後ろのほうで大勢の声がしているのが分かった。


 逃げろったってそりゃ無理だぜデイヴ。クロードは言った。少なくともそのつもりだったが、声が出ているかはもうわからなかった。意識を束ね、モルヒネが回り切った脳みそをたたき起こして、目の前へと視線を向ける。少し登れば森が開けているのが分かった。


 息をきらせ、どうにか姿勢を起こして膝を立てる。視線を上げる余裕もなく、地面の足場になる部分を見分けてそこを蹴るようにして森から転がり出る。


「ゲームオーバーか」


 そこは急な傾斜に面した、岩の突き出た部分だった。下を見ると、直角には程遠いが、降りるにはあまりに急すぎる岩とまばらな木の崖のようなものが続いている。ここから先へはいけない、行くだけ無意味だ。クロードは地べたをはいずり、崖のすぐ淵まで出ると、そこでうつ伏せになって息を整えた。


 東の空で夜が明けたのが見えた。まばゆい陽光が稜線から漏れ出し、こちらへとたっぷりの日差しを浴びせている。それに目を細め、しっかりと目に焼き付けると、クロードはそこまで迫っている追撃者の声へとカービンの筒先を向けた。


 坂を上ろうとしている男の頭が見えた。引鉄を引く。弾着は下に逸れた。腕に力が入らなくなりつつある。それでも撃つ。飛び出してきた男の胸に銃弾が飛び込み、それに気を取られたもう一人が狙いを定めるより先に、そちらにも銃弾をくれてやる。もはやあてずっぽうな連射に過ぎない。


 弾切れ、指先で何度か引鉄を引くが、シアの落ちる感覚もなければ反動もない。森の中から放たれた銃弾が左手をえぐる。神の名前を叫びながら、男が飛び出してくるのが分かった。


「ふざけるな」


 吐き捨て、弾切れのカービンを捨てると、最後の力で姿勢を正し、膝立ちの体制で右手をホルスターに伸ばす。藪を突っ切って、短銃身のAKを携えた男が現れる。親指でロックを解除、引き抜きつつ安全装置をおろす。男が銃口を持ち上げる。


 にらみつけた先で、まだ二〇を過ぎたかどうかといったほどに若い男の目が細められる。銃口がこちらにポイントされ、その若者が引鉄を絞るまでにクロードはキンバーの狙いをぴたりと据え、一足先に指をまっすぐ絞っていたが、それはこちらへの銃撃を止めるには遅すぎた。


 手の中でキンバーが跳ねる。ほぼ間をおかずに若者の首がのけぞり、力なく膝から崩れ落ちたが、それを確認する余裕はクロードにはなかった。


 鋭い衝撃が身体を突き抜けていたからだ。どこに被弾したのかを考えるより先に胸が赤熱し、身体がのけぞる。制御を失った身体がゆっくりと後ろに倒れこみ、空を仰ぎ見たクロードは、そのまま後ろに倒れこんだ身体が崖へと滑って行くのを止める余力を残していなかった。


 自分が落下していくのを感じる。手から離れたキンバーが岩に当たって転がっていく。そのまま視界が暗くなり、急速に自分の体が軽くなるのを感じながら、頭の中には死んだ部下のこと、ジョンとエドガーのチーム、自分を育ててくれた祖父の背中や、故郷の自室、彼を一度も裏切らずに死んだ女や、瓦礫の下に埋まった婚約者や、あらゆる思い出が浮かんでは消えていく。


 いつかくるとわかっていた時が来た。


 その奇妙な充足と、全身に響く衝撃を最後に意識が暗転した。


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