第14話 イラクへの路 3

「そういえば、チームが二人だけってのは、どうしてまた」


 ウィリアムがおもむろに新しい話題を投げた。助手席で頬杖をつき、窓の外を見ていたアネットは振り返ると、


「解雇されたの、他のチームメイトは」


 端的な説明だった。おやま、とウィリアムは目を丸くする。契約社員が現場のほとんどを占める民間軍事会社は、社員の入れ替え速度は速い部類にある。が、常に人手不足である現場の人間が解雇される、というのは珍しい。


 おおかた、そういうケースは不祥事が裏にあるものだ。不必要、あるいは過剰な射撃による一般人への被害、あるいは行き過ぎた喧嘩や備品の横流し、犯罪行為。そういったところかとあたりをつける。無法者の代名詞のように民間軍事会社が扱われるようになってから、企業は特にそういう部分に敏感だ。


 さて、それを問うてもいいものか。ウィリアムがちらとこちらに目を向ける。クロードは肩をすくめて応じた。解雇されたチームメイトについて問うのはデリケートな問題だ。どの程度親しかったかにもよる。


「あまり、がらのいい人たちではなかったわ。前から素行に問題があって、いつかは追い出されると思ってた」

「それで四人解雇、俺たち二人だけが残りました」


 おかげで臨時休暇みたいな感じになってます、とクルトが笑う。四人も首が飛んだということは、そうとうの大事だったのだろう。同じことを考えたらしいウィリアムが、おっかないところに来たもんだなと視線をこちらに向けた。


「アフガニスタンは、どうでしたか」

「平和だったよ、とっても。僕らはずっと、車に乗って走り回っているだけだった」


 真っ赤な嘘で答えつつ、クロードは窓の外を流れる町並みに目をやる。砂っぽい街路、もうすぐキルクークの市街地が終わり、K1と石油施設の間を通る道路へと繋がる。


「車で走り回る分には、本当に平和だった」


 ウィリアムがそれに頷いた。そこだけは真実だった。一般の保安職員が警備や輸送をする分には、今のアフガニスタンは安定している部類だ。単にクロードとウィリアムらの属した部署が物騒な仕事ばかりを対象としていただけで。


「こっちはひどいもんです」

「そんなにかい?」

「米軍が一度撤兵したときよりはマシですけども、安定しているとは言いがたいですね。簡易爆弾IED自動車爆弾VBIED、最近じゃ、狙撃で大勢死んでます。狙われるのは僕らばかり」


 市街地が終わりに近づき、左右に並ぶ建物がまばらになると、クルトがアクセルを踏み込んで速度を上げる。速度が出ているほうが、射撃による攻撃を受け辛い。爆発物はその限りではないが。


 狙撃と聞いた瞬間、ウィリアムが興味津々の様子で身を乗り出し、運転席と助手席の間に顔を突っ込む。


「狙撃で死人がぽんぽん出るなんて珍しいな」


 ウィリアムが言った。実際、狙撃は歩兵にとって非常に大きな脅威であるが、民間企業の保安職員がそう何人も殺されるというのはそうあることではない。おおむねにおいて、保安職員にとっての最大の敵は爆弾の類だ。


 そもそも、狙撃というのはそう簡単に当たるものではない。クロードを含め、およそ狙撃手というのは専門の教育を受け、弾道を曲げるあらゆる要素に精通し、標的に忍び寄る技術を身につけている。一方、こういう地域で狙撃をしてくる“敵”というのは、そういった教育とは無縁の人間ばかりだ。


 単に周りより射撃が上手いか、そもそも適当に選ばれたか。過去に名を上げた過激派の狙撃手がいないわけではないが、たいていの場合、短距離での待ち伏せによる狙撃がほとんどだ。300メートルを超えてくると、戦場でピンポイントに射撃できる人間というのは極端に減る。


「それも長距離です。報告じゃ500メートルは取ってるって。聞いた範囲では、だいたい一撃必中」


 こちらの知りたいことを、クルトがすべて教えてくれる。もうウチだけで九人ですよ、とクルトが続ける。およそ一カ月前から狙撃が始まったこと。クルド人や、イラク政府軍、ようやく再展開を始めた米兵は無視して保安企業職員ばかりが狙われていること。犯行声明のビラがまかれていること。


「おしゃべりなんだな、こいつ」

「無愛想な口下手よりよほどいい」


 ウィリアムのささやきに小声で応じると、彼は小さく笑って確かにと頷く。


「僕らが知りたいこと、全部教えてくれてありがとう」

「やっぱり本当なんですか」

「やぱりって、なにが」

「クロードさんたちは、狙撃手を倒すためにここに来たって」

「なんだい、噂にでもなってる?」


 様子を伺うようにミラー越しに視線を向け、クルトが問う。クロードは肩をすくめて逆に質問を投げた。


「私が、そうなんじゃないかって言っただけよ」


 どう答えたものか、と言いたげに視線を前に向けなおしたクルトの代わりにアネットが答えた。彼女は肩に垂らした金髪を指先でもてあそびつつ、こちらを振り返る。


「だって、こんなことになっている場所に、あなたが突然送られてきたら、誰だってそう思うんじゃないかしら」

「確かに。ご明察、僕はそのために呼ばれたらしい」

「らしい?」


 アネットが形の良い眉を持ち上げる。クロードは頷くと、僕にも良く分からない、と肩をすくめて見せる。アネットが怪訝な眼差しをこちらへと向けた。


「正式に対処しろという命令を受けたわけじゃない、まだね。まあ、K1についたらすぐにでも、あいつを殺せといわれるんだろうけども。ところで今更だけど、僕らをふくめて四人といっていたね」


 クロードがそう質問すると、アネットは頷いて微笑む。


「ええ、あなた達を迎えに行くよう言われたときに、新しいチームメイトだって教えられたから、今日から一緒に仕事をすることになるわ」

「ありゃ、そりゃご愁傷様」


 ウィリアムが言う。横を見れば、彼はニヤニヤといたずらっぽい笑みを浮かべていた。クロードがやれやれと溜息をつく間に、アネットはどうしてかしらとばかりに首をかしげた。こういう小さな動作がいちいち様になるのは、美人の特権だろう。


「こいつは人使いが荒い。それに人狩りマンハントに付き合わされることになる。俺もアフガンでどれだけこきつかわれたか」

「要領が悪いからそうなるんだ、ウィル」

「俺がど下手の素人みたいないいざまだな?」

「君が一流になるように鍛えたのは僕だけど、その苦労を汲んでくれてもいいとおもうんだけどね」


 言ってくれるねぇ、とウィリアムが目を眇めて笑う。クロードはあくまで事実だと悪びれもせずに返す。実際、いくら十分な軍事教育を受けてきた精鋭とはいえ、門外漢である狙撃技術のあれこれ、忍び寄りスニーキングや閉所制圧メソッド、特殊作戦に付随する技術を教え込むのは楽ではなかった。


 そういったものは専門機関で時間をかけるものだが、クロードはほとんど単独で、しかも実地を交えて彼に技術を伝授したのだ。


 それを見て、アネットは口元に手をやって小さく笑っていた。ウィリアムはそれをチラリと見やり、笑って貰えて何よりとばかりに肩をすくめる。


「そろそろ基地に着きますよ」


 クルトが言った。外を見やると、防護壁に守られた基地の外郭が見え、すぐに自爆車両防止用のブロックを積み上げた通路に入る。






 前線基地の中はどこへいっても代わり映えしないものだ。


 防護壁に囲まれ、監視塔が立ち、プレハブの建造物が並ぶ。銃を手にした人間が出入りし、車両がひっきりなしに入れ替わる。出入り口などは最たるもので、大抵は自爆車両の足を止めるためにブロックで進路を制限し、入り組んだつくりになっていることが多い。


 K1もその例に漏れず、自爆車両対策の入り口を抜けると、担当の保安職員がミラーを使って車の下を確かめる。それを経て、許可証をクルトがまとめて差し出すと、データベースに全員の名前があることを確認した職員が通過許可を出した。


 基地の入り口を通ると、その付近には許可を得て基地に出入りする民間人らの出店が並んでいた。食事や娯楽用品、雑貨、みやげ物の類を売るイラクの人々を観察する間に、クルトが操るSUVは、すぐ傍の駐車エリアに滑り込み、エンジンを停止した。


 車を降りて荷物を引きずり出す。クルトはクリップボードの書類を手に、事務処理を済ますので、しばらくこのあたりで待っていてくださいと言い残して立ち去った。


 荷物を車の隣に降ろし、クロードは足を入り口の露天へと向けた。海賊版のDVDを売る若者の熱心なセールスを控えめな笑みと共にかわし、一つ一つ店頭に並ぶものを見て回る。


 どこにて敵がいるか分からないため、おちおち街に出られない保安職員や兵士たちを対象としているのか、とくに娯楽物を売る店が多いようだった。どこからどう仕入れたのかも分からないゲームの山、ポルノ雑誌、兵士が喜びそうな娯楽の山。


 そういったものの中に、一つだけ目を惹く店がある。敷物の上に並ぶのは、装飾剣や飾り物たち。煌びやかで女性が喜びそうなものばかりを並べているその店先には、小柄な影がしゃがみこんでいた。


 店の主は老人だった。白の目立つ顎鬚を生やした、よく日に焼けた老人。折りたたみの低い椅子に腰掛け、目の前の敷物に並べた商品を食い入るように見つめる客と、言葉を交わしている。そこまで確認して、クロードの眉根に皺がよった。


 しゃがみこんだ小柄な背中にぶら下がっているのは、AK74を切り詰めたAKS74U。取り回しのいいカービンと比しても小柄な体躯と、頭を覆うベールから覗く髪が、年端も行かぬ少女であることを示している。


 クロードが軍人になり、前線に降り立ってからこの方、武装した子供というのはいくらでも見てきた。この砂の大地に降り立つ以前、アフリカでの作戦の頃からずっと。敵は当然として、友軍として肩を並べたこともないわけではないが、自分たちが身を置く基地の中で見かけるというのは初めての経験だった。


 しかしなによりもクロードを驚かせたのは、ベールからはみ出た髪の色だった。降り注ぐ日差しを反射する豪奢な金髪。手入れを余りしないのか、毛先は痛み気味だったが、染色の気配のない天然の淡い蜂蜜色は間違いない。


 このあたりで子供兵というのは珍しいものではない。クルド人たちも、指揮下にある女性部隊に少女と言って差し支えのない年齢の女性人員を多く抱えているし、最近イラク各地で目立つようになった民兵集団にも数多く子供たちが属している。


 とはいえ、それはあくまでこの地に住まう人間の話であって、染色の気配のない、生まれついての金髪――欧米圏の血を引く少女が含まれるわけではなかった。


 クロードが半ば唖然とその少女を見つめていると、車両集積所の方から酒に焼けたような、ほんのわずかに掠れ気味の怒鳴り声。装飾剣に見とれていた少女ははじかれたように立ち上がると、ほんの一瞬だけクロードに薄緑の瞳を据え、それから声の方向へと走り去る。


 その背中を視線で追うと、車両集積所に武装した保安職員らが集まっていた。半そでのシャツからはみ出る、溢れんばかりの筋肉。些か鍛えすぎのそれは、筋肉信仰者が求める強い男のシンボルそのもので、リーダー格らしき男の二の腕に地球儀と鷲の図柄、海兵隊のマークを認めるのと、走り去った少女をその男が拳で小突くのは同時だった。


 拳を受けた少女がひるみ、男たちのすぐ傍で待機していた小柄な集団から二人ほど飛び出してくる。小突かれた少女をかばうように立つのもまた少女、それに後から追いついたのは、二人よりは長身とはいえ、まだ二〇にもならないだろうアラブ系の若者だ。車の陰からぞろぞろと武装した子供たちが出てくると、金髪の少女を小突いた男はいらだたしげに唾を地面へ吐き捨てて、車へと乗り込んでしまう。


 すぐに子供たちが後に続き、車列は基地を後にした。タイヤの巻き上げた砂煙に目を細め、額に押し上げていたグラスを下げる。


「あんた、みていかんかね」


 そう声を掛けたのは、装飾剣を売っている老人だった。


 まあそこに座れと言いたげに対面を示す老人。深い眼窩の奥から物静かな眼差しを向けてくる彼の前に言われるままに腰を下ろし、クロードは老人と正対した。


「あんた、ここは初めてだね」

「分かりますか」

「みな、ああして子供たちを見るもんだ、初めてここに来た連中は」

「でしょうね。他所では見ません」


 素直に頷くクロードに、老人は快活に笑った。


「不幸な子供たちだ。親もなく、身よりもなく、生きるためにはああして、食い扶持を得るしかない」


 車列の走り去った方向を見遣り、流暢な英語で老人が言う。クロードもつられてそちらを見、それからふたたび目の前の男に視線を戻すと、自由に触っていいぞと並べた品物を示す老人に小さく一礼しつつ問う。


「ここに座っていたあの子は。どうも、このあたりの生まれでは無さそうですが」

「わたしも詳しくは知らんがね、どうも欧州の生まれのようだよ。こちらから尋ねたわけではないが」


 当然というべきか、どの装飾剣も刃がついていない。完全に飾り物として作られたもののようで、最初から刃をつけた気配がなかった。鞘にも柄にも精巧な金細工が施されたそれ――本物の金ではないだろうが――をざっと見回し、一つだけ他のものとは違う、控えめな細工の短剣を手に取る。


「それに、あの柄の悪い男たち。あれが一番厄介だ」

「あの子を殴りつけていた?」

「そうだ。粗暴で、品のない。アレに比べると、君は随分とおとなしいな」

「野蛮に振舞うのは仕事ではないですから」


 そう答え、短剣の鞘を撫でる。細工は先端と口の部分に控えめにつけられるのみ。剣自体も似たようなもので、他のものと違って刃を潰した跡が見えた。形状から察するに、護身剣、それも女性用だろう。柄の長さが男が使うには些か短い。


「それが気に入ったかね」

「装飾の類が、実は余り好きではないもので」

「実用一途、そういうものの方が好みかね」


 ええ、まあ。曖昧に返事を投げるクロードに、老人は残念だがそれは売れないよと重ねた。


「非売品ですか」

「何故そう思う?」

「他とはつくりが違う。刃も、元々あったものを潰したようですから」

「目ざといな。だがそれは先約がおる。先ほどの子だよ」


 なるほどと頷く。それで熱心に、ここの商品を見つめていたわけだ。


「他のものでよければ、安値で売っても構わないが」

「考えておきます。帰国の土産にはいいでしょう」

「渡す相手でも?」


 老人の問いに、クロードは苦笑を返す。帰国して土産を渡す相手など、この一〇年と少しいたためしがない。思い出される笑顔を記憶の底に沈め、クロードはかぶりを振る。


「思い出か、それも悪くはない」


 その笑みの意味を違わず理解したらしい老人が、欧米人がするように肩をすくめて笑った。


「クロードさん、終わりました」


 クリップボードを片手にクルトが戻る。車の陰で休んでいたウィリアムが荷物を抱え上げ、アネットがSUVから自分のライフルを下ろした。フルサイズのG3ライフルだった。


「また来るといい。大抵ここにおる」

「ええ、暇なときにでも伺います」


 笑みを浮かべた老人にそう答え、クロードも微笑みで返す。そのまま自分の荷物をかつぎあげ、肩にのしかかるストラップの鈍痛に文句を垂れながら、クルトに案内されるままG&Mのオフィスへと向かう。

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