第18話 見知った敵 3

「それで、向こうさんは何て?」

「われわれが首を落とすから、どうぞごゆっくり、とさ」


 嫌味な奴だなあ、とバインダーを手にしたウィリアムが語気荒く鼻を鳴らす。クロードは先ほど試射を終え、レミントン700AICSの銃腔についたカーボン汚れを落としているところだった。専用の洗浄剤をしみこませた布をつけたロッドを何度か出し入れし、汚れの付着がなくなるまで繰り返す。


 狙撃銃はとても繊細で、細かに気をかけてやらねばならない。わずかな汚れ、ゆがみが弾着に思わぬ影響を及ぼす。一度撃てば、その残滓が銃身内にこびりついて弾着を変化させるし、高熱の発射ガスで熱せられた銃身は弾着に気まぐれの要素を持ち込む。


 当然、そのすべてをそのときの自分の勘だけで完璧に処理することは、人間には不可能だ。冷えた銃身からの初弾コールドボアショットも、汚れと熱の堆積した銃身からの射撃も、あらゆる条件下でデータを記録しする必要がある。そういった訳で、クロードが蓄積したデータの成果が、ウィリアムが持つバインダーに詰め込まれている。


 射手は常に、自分の技量と銃の性能が許す限りの精度を発揮することを求められる。研ぎ澄まされた意識で狙い済ました最初の一撃であろうと、長く続く戦いで神経を消耗し、熱だれした銃から放つ銃弾であろうと、その一点に変わりはない。


 だからこそ確度を高めるためにデータを集める。当然、このキルクークでの記録も必要なものであり、それは早朝のうちからウィリアムと時間をかけて集めた。今彼の周りには、クロードが数値を書き込んだ紙がいくつも散らばっている。


「しかし、そんなに懸賞金がほしいかね、クルド人の奴ら」

「金は二の次なんじゃないのかな」


 気温と湿度、日照条件や気圧と共に弾着データの記された防水紙をまとめるウィリアムのぼやきに、クロードはロッドを引き抜きながら言った。すでに、ロッドの先の布につく汚れはほとんどなくなっている。


「それじゃあ、なぜこの仕事を請けたのかしら」


 三人用の個室、クロードのベッドの足元に布を広げ、自分のG3ライフルをチェックするアネットが言った。大口径の自動小銃であるG3は、近年主流の5.56ミリのカービンよりもよほど重く大柄だが、アネットは慣れた手つきで分解し、不具合のないことを確かめている。銃の上にはレイルを介してELCAN倍率照準機が乗せられていて、ハンドガードもレイルつきのものに換装してあった。


「ハクをつけたいんだよ、若い連中に」


 クロードは言った。早朝、ハリソンの下に顔を出して追加の資料ともろもろの注意事項を伝達されたクロードは、すぐに自分を訪ねてやってきたクルド人狙撃チームとの面会に向かった。


 訪問者はセルダルと名乗る自分と同年代か少し上のリーダー格と、三〇になるかならないかと言った外見の副長。そしてその指揮下の、六人の若い狙撃手たち。快活で人の良い中年と言った風体のセルダルいわく、六人の若手たちはいずれも北部地域で六〇人以上の敵兵を射殺してきた中堅、と言うことらしい。


 戦果の数が示すとおり、射撃の腕前は間違いない。しかし、狙撃手の価値は射撃の腕だけで決まるわけでなし、大勢を殺したからと言って一人前と言えるわけではない。大事なのは、どのような状況で、如何にして標的の数を重ねてきたかだ。

大勢を殺した、だとか、あるいは何キロ先を撃ち抜いた、というのは分かりやすい指標の一つでしかない。


 現状、若手連中は狙撃手と命の取り合いをした経験が浅く、対抗狙撃で標的を仕留めたのはわずかに二名。その二名にしてもお膳立てと幸運の賜物である、と言うのがセルダルの談だった。


 だからこそこの機会に、本格的な人狩りというものを教えたい、と言うことだろう。標的を追い詰め、あるいは罠の只中に引き込んで始末するというのは、なかなか経験できることではない。これはそのいい機会ということなのだろう。


「そんなことのために、わざわざキルクークまで会いに来たの? アラブ人の支配下にあるここまで」

「僕に会わせたかったんだと。いわく、偉大なる先駆者にして、死神と呼ばれた老兵に敬意を払って、と」


 セルダルの朗らかな口調をそっくり真似して言葉をなぞりながら、クロードはげんなりとした顔で溜息をこぼす。それはお疲れ様です、と、部屋の隅で自分のM4をばらしているクルトがねぎらう。部屋の中には四人きりで、セシリアは朝の食事を共に済ませた後、また仕事よと言い残して出かけていた。


「うだつの上がらない中年に会いに来て、何か変わるわけもあるまいに」


 見てくれよこの冴えない風体、と、黒く汚れた指先で自分を示す。取り立てて特徴らしいもののない、アジア系の男。強いて目を引くものと言えば、合衆国の平均身長をゆうに上回る長身と父親譲りの深い海の青に似た瞳くらいのものだ。母親譲りの黒髪は、苛烈な中東の日差しに長く晒されてくすんでいる。


「あら、そんなに悪いものじゃないと思うわよ」

「君がそういうと、本当に意外とイケてるんじゃないかと思えてしまう」


 口元に手を当てて微笑むアネットに、クロードはひらひらと手を振って答えた。


「まあ、これが過激派のろくでなしを震えあがらせた狙撃手とは思えんわな」

「素直で心安らぐ評価をありがとう、ウィル。そう、僕は女性の心を奪えるような美形ではないし、ましてや噂に見合うほど“それらしい”見た目をしているわけでもない」


 カードの仕分けを終え、観測スコープや風速計のチェックに入ったウィリアムの雑な評価に、クロードは満足げに頷いて、銃口に突っ込んでいたロッドでくるくると円を描く。


「美形なら女性の気を引けるというものではないし、あなたの魅力は外面だけで計れるものじゃないとおもうのだけど」


 アネットが至極真面目な様子で首をかしげ、うなじの辺りで一房に束ねた金糸が肩にたれる。やたらとそこに食いつくね、とウィリアムが怪訝な――邪推を孕んだ愉快げな眼差しを、アネットとクロードの間で行き来させた。


「変な意味はないわ。ただ単に、自己評価の低さは幸せを遠ざけるし、気付くべきものに気付けなくなると言うだけ。あなたならこの意味、分かるでしょ、ウィル」


 はずした部品をもどし、ボルトをAICSに押し込んで動作を確かめるクロードを他所に、アネットがウィリアムへと含みのある視線を据えた。ウィリアムは数秒アネットの顔を見つめてから、片眉を持ち上げた彼女に、なるほどと頷いてみせる。


「理解できた、確かにその通りだ。まあ、こいつに期待しても仕方のないことだが」

「そうね、たしかに。不憫よね、そういう意味では」


 ちなみにあなたのことじゃないわよ、と微笑と共に鮮やかなグリーンの瞳を向けるアネット。


「どういう意味だかわからない」

「一体何の話をしてるんですか?」


 二人の間で通じ合ったらしいアネットとウィリアムを交互に見遣り、クロードが問う。同じく蚊帳の外に置かれたクルトが、M4の上下を結合してチャージングハンドルを引きつつ問うた。


「分からない人には分からない話よ、クルト。善意には理由があるものなのよ」


 謎めかしたアネットの微笑みに、クルトは頭の上に疑問符を浮かべる。それは当のクロードも同じことだが、意味を問うても答えてくれそうな雰囲気ではない。


「まあいいわ。とりあえず、彼らは私たちの様子を見に来たのね。その上で、こちらでやるから出張ってこなくてけっこう、と」

「うん、まあ、そういうことなんだろうと思う。僕の出る幕がないというのなら、それは喜ばしいことだ」

「あら、じゃあここで待機かしら」

「まさか、仕事はする。その上で、僕が撃つまでもなく終わるなら、手間が省けてそれでいいと言うものさ」


 ものぐさねとアネットが言った。子供の手抜きをいさめるような穏やかな声音だった。クロードはまさにいさめられた子供のように肩をすくめ、悪びれもしない態度でこたえる。


「誰かが望んでやりたいと言ってくれているんだ、それにのっかれるならそうしたいね」

「でも、まるで期待していないみたいな口ぶりじゃない」

「他人による解決を期待して上手くことが進んだためしなんかないよ」


 クロードは言った。大抵、こういう面倒は最終的に自分の下に転がってくる。だからこそ、自分はこうして人に語られ、畏れられる狙撃手になってしまったのだと、彼は心の底から信じていた。






「銃、弾薬、医療キット、無線、その他、全員確認」


 砂色のタクティカルパンツと安物のシャツ。その上から重ねた軽量防弾装備プレートキャリアにはいくつものポーチが縫い付けられていて、フラップを一つずつあけて中身を確かめる。5.56ミリ弾を詰め込んだ弾倉、拳銃の弾倉、脇腹の医療ポーチには個人医療品、反対の脇腹にはモトローラーの無線機。それらを一つずつ確かめ、蓋を閉じる。


「無線チェック、聞こえますか」

「どうかしら」


 クルトとアネットが無線から伸びた送信機のボタンPTTを押して声を吹き込む。接続したイヤホンから声が聞こえると、クロードは親指を立てた。


「クロード、チェック」


 ウィリアムが言って、クロードの胸を叩いた。防弾装備の内側に収まる抗弾プレートが硬い音を立てる。胸と背中を叩き、前後を確かめたウィリアムに、クロードは同じようにチェックを行った。問題なくプレートが入っている。

 

 クロードとウィリアムが用いるのはメイフラワーの製品で、破片や拳銃弾を阻止できるソフトアーマーも入れることが出来る優れものだ。


 それを終えると、クロードは自分たちの車の横に展開したガンケースの上、そこに二脚で立ててあるAICSを持ち上げ、改造ランドクルーザーの開け放たれた後部ハッチの中へ、ガンケースと共に押し込んだ。


 銃に固定されている弾倉には、同クラスの中では高い安定性を持つM118LRが五発詰め込まれていたが、薬室にはまだ装填していない。指と目で簡単に確認できる範囲をチェックし終え、ガンケースを閉じる。


 ハッチを閉じ、自分の背中に回していたカービンを前に回した。マザリシャリフでの戦闘で用いたのとは違う、オーソドックスなM4の形状をしていて、四面にレイルがついたRASにフォアグリップが取り付けてある。


 上部には、トリジコンの可変光学照準機VCOGが乗せられている。一から六倍までの可変式スコープで、使いようによってはドットサイトのように扱うことも出来る。四倍に固定されるACOGと違い、運用の幅が広い。その分、値段もライフルの何倍にもなる高価な代物だが。


「装填は、外に出てからだ」

「わーってるよ」


 同じものを手にしたウィリアムがひらひらと手を振った。ライフル弾を充填した弾倉は挿入されたままだが、お互い薬室は空のまま。撃鉄も起きていないからセレクターも安全位置には入らない。


「じゃあ、許可もらってきますね」


 しげしげとこちらのライフルを眺めていたクルトが、申請書類を手に立ち去る。アネットはアネットで、カミースのフードをかぶり、バイポッドを取り付けたG3を抱えてパックのジュースを啜っていた。


 クルトが戻るまでの時間つぶし、と、M4を背中に回してすぐそこにならぶ露天へ足を向ける。今日も、あの老人は敷物に商品を並べて座り込んでいた。岩のようにピクリとも身じろぎせず、しかし対面にしゃがみこむ少女と何かを話し込んでいるようだ。


「何を見ているんだい」


 クロードは少女に声を掛けた。ぴくりと、驚愕を滲ませた肩が震え、少女がこちらを見る。老人も、ほんのわずかにゆっくりと首をめぐらせてこちらを見た。


 中東の生まれとは違う顔立ち、染めた気配のない天然の金髪はアネットのそれより色濃く、こちらに向けられる眼差しは翡翠の色。欧州の血、細かな人種までは分からないが、そちらの生まれだろうとアタリをつけた。


 こちらを見つめる少女は無言。瞳の奥に見えるのは、強い警戒心と、その裏に隠された恐怖。何秒見詰め合っていたのか、少女の視線がこちらの腕時計に向き、彼女はあわてたようにたちあがって走り去る。


「あの子は大人が嫌いだ」


 走り去る背中がこちらをちらと見遣るのが見えた。老人の声に、僕だけかもしれませんよと苦笑交じりに返す。


「わたしはただの物売り、そこらに転がる石と大差ないだけだろう」

「大人には、みなああですか」

「こちらの知る限りは」


 事情は知らんよと老人が付け足す。それをこの男に問うつもりなどないし、子供兵の大人嫌いは不思議でもない。理不尽な暴力、自分たちを守るどころか前に立てて盾にする非道、特に女は、下劣な欲望のはけ口にされるのが常だ。


「ところであんた、狩りにでも行くのかね」

「狩り?」

「先ほど、長い得物を積み込んでいただろう」


 ああ、とクロードは頷いた。ランドクルーザーに積み込んだライフルを見ていたのだろう。


「ああいう銃は、狩りにつかうものだ」

「面白い見方ですね」

「昔、若かった頃に欧州に行ったことがある。そこでああいうものを見た」

「仕事ですか」

「そんなところだな。まだ若い頃は、あれこれと他所を見聞きする仕事をさせられたもので」


 向こうでは狩りの文化がのこっておるだろう、と老人。確かにアメリカほど盛んでないにしろ、ヨーロッパのいくつかの地域で狩猟は文化の一部として残っている。老人は何かを懐かしむように、深い笑い皺を目じりに刻んでいる。


「この地では、狩りの標的が違うものになっているようだがね」

「遺憾ながら。でも確かに、あれは狩りをするためのものです。少なくとも、故郷ではそういうものです」

「生まれは」

「生まれは日本です、ご存知ですか。育ちはアメリカの、南部の方」

「ニホン、知っているとも。行ったことはないが、いい国だと聞いている」


 それは見方によりますが、まあ僕は好きですねとクロードは笑った。生まれの国で育ったのは四つまでの話で、五つになる頃には父に引き取られ、南部の田舎に引きこもる祖父のもとで育った。自分の知る日本は、幼子の記憶とたまに帰国したときに見聞きした程度のものでしかない。


「狩りはいい。わたしも、すこしだけかじったことがある。一度でいいから、また寒々とした森の中で、獲物を追いたいものだが」


 狩猟を深く嗜んだものは、時としてかつての獲物を思い出し、それを追う自分の潜めた呼吸に沈んで遠い目をすることがある。自分の仕留めたトロフィーの記憶、この男が、かつて何を仕留めたのか、クロードには興味があったが、その問いは果たせなかった。


「おいじいさん、ガキ見なかったか。いつもここに来るだろ」


 声に気付いて振り返ると、刺青男が立っていた。はちきれんばかりの二の腕をシャツの裾から晒し、オークリーのスモークグラスをかけた男。がっしりとした顎、大雑把な眉の間には深い盾皺が寄っている。


「いたよ、さっきまで」


 刺青男――たしかラーキンと言ったか――のほうをチラリと見やり、それから不動の岩に戻った老人の代わりに、クロードがこたえた。


 ラーキンはグラス越しにこちらへ視線を投げたようだった。目は暗いレンズにさえぎられて見えないが、機嫌がいいとは言いがたいことは口元のへの字で理解できる。クロードはそれを見、もう彼女は仕事に向かったようだよ、と続ける。


「お前か、呼びつけられた殺し屋ってえのは」

「噂になってるのかい」

「死神なんて呼ばれてた奴が、こんなところに来りゃな。だれだって、殺し屋が来たと思うだろ。クルドの連中も動いてるらしいじゃねえか」


 ラーキンがグラスを額に押し上げると、小さな目が敵意に似た粘っこいものを覗かせていた。うらまれる理由はあったかなと振り返る。すくなくとも見ず知らずの男に恨まれる理由と言えば、殺しにまつわることだけだ。そしてアメリカ人に恨まれる理由は思い当たらない。


 しいて言えば、昨日のアネットの話か。彼女の首になったチームメイトが、彼の友人だったと言う話。自分に何か関係があるとは思えないが。


「それはどうも、否定は仕切れないね。なんにせよ、遅刻を叱りにきたのなら、それは今日はなしだ。彼女はもう向かったのだから、君も急いだほうがいい」

「そいつぁどうも。おいじいさん、あんまあいつをここに引っ張るんじゃねえよ。こっちが迷惑してるんだ、わかったか」


 老人は相変わらず無言のまま。それを見、舌打ちをしたラーキンが立ち去り際に投げた視線、どろついたそれの奥に潜む色を見て、クロードはなぜか妬みという言葉が脳裏をよぎるのを感じた。


「同じ仕事でも、人の程度は違うものだね、そうおもわんか、あんた」

「嫌いですか、彼のこと」

「人に好かれる手合いではないとおもうが」

「それは確かに」


 ラーキンが立ち去り、ようやく岩になるのをやめたらしい老人が小さく顔を上げる。クロードはようやく戻ってきたらしいクルトに手を振ってこたえた。ようやく散歩の時間だ。


「それじゃあ、僕は行きますよ」

「良い狩りになるといいが」

「狩りじゃないです、ただの散歩。平和になるといいんですけど」


 それは望むべくもないだろうねと老人が笑った。そうですねと笑ったクロードは、こちらにひたと視線を据えた老人の眼差しの奥の、鈍い光を背に受けて車へ乗り込んだ。

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