第19話 狩りの手管 1
「方角は西から。時刻は1710過ぎ。銃声は遅れて聞こえてきたと」
「命中箇所は」
「頭部、見事即死」
頭上、ようやく傾き始めた太陽が地面をあぶり、遠くの景色は陽炎と砂塵で霞んでいる。キャップをかぶり、資料を手にしたウィリアムが概略を読み上げる中、クロードは持ち込んだ双眼鏡で西の方角を見た。
起伏の薄い砂の大地、砂色の外壁の家屋が散見されるがいくつかは空き家で、むしろそれが寂れた空気を強くしている。太陽はいまだ高い位置にあるが、被害の出た時刻になれば、日没間近の太陽が眩く映るはずだ。
「どう思う?」
「これはアタリだね、リストに移していいよ」
「了解、っと」
イラク政府軍が敷く検問、その脇に止めたランドクルーザーの傍では、アネットが地面に伏せて二脚を展開し、遠くを警戒するように寝そべっている。クルトはその傍らに膝をついて、M4を抱えたままぼんやりと遠くを見つめていた。
「これで大体終わりか?」
「あと何枚、未査定のが残ってる?」
「六枚だな」
「被弾箇所が頭部、胸部以外のものは」
「四枚ってとこか」
「じゃあ、それはハズレ。全部そのままでいい。あいつは絶対に急所を狙う」
クロードは断言した。自分の知る限り、復讐者に撃たれたものはほとんどが頭部を打ち抜かれている。次点が胸部で、頭部より大きく充分な効果の見込める胸より頭を優先するのは、米軍兵士の装備する防弾装備を嫌ってのことだろう。
距離が伸びていれば銃弾はエネルギー失い、そうなれば防弾素材を貫通するのは難しい。その点、頭部はヘルメットで防護されていても、その素材は拳銃弾ですら十分に防げないものばかり。当然、ライフル弾の前にはひとたまりもない。
と、簡単に言いはしても、頭部を狙うのは楽ではない。的が小さく、そして人体では四肢についで動作の多い部位だ。可能性がかなり低いとはいえ、頑丈な頭蓋骨には曲面が多く、弾丸が滑らないとも限らない。
そこを好んで狙う、というのは相当の手だれだけだ。クロードでも、狙えるのであれば胸部を狙うことを好む。そこを貫通できないようであれば、重要器官が多く、出血も見込めて防弾装備の範囲外になる下腹部を狙いたい。
だが、復讐者は胸を狙えないとなれば頭部に異様なほどに固執していた。かつてこの地で狩りをしたときに見た犠牲者資料は、そのほとんどが頭部を撃ち抜かれている。例外は気を抜いて防弾装備をはずしていたただ一名のみ。絶対に殺す、それだけを意識して撃っているかのように、彼の射手は急所を――即死を見込める部位を――狙い撃ちにする。
もしこの狙撃手が本当にあの時と同じ人物であれば、狙うのはその二箇所のみだとクロードは考えていた。それ以外を狙うのは、よみがえった亡霊にあやかろうとする下手糞だけだろう。
「死人が出てるのは、全部その“復讐者”のしわざってわけか。のこりの七件は乗っかったどっかの
「酷く痛かったろうけど、死なずに済んだだけ下手な奴に狙われて幸運だったんじゃないかな。あと、それ。検問にいる連中に聞かれないようにね」
ウィリアムの口をついて出た現地民への蔑称にクロードは釘を刺す。ウィリアムは眉を上げ、それから検問に立つイラク兵を見た。こちらの会話を聞いている人間はいない。
「被害はなくとも、狙撃されたと思われる報告はこの一ヶ月で三倍に増加、前もこんな感じだったよ。腕の立つやつが名を上げると、息を殺していた連中がわらわらわいてくる」
「それらとかち合うかもしれないって訳か、ぞっとしないね」
「それはどうかな。セシリアが手を回してるから」
クロードは双眼鏡を下ろし、車の傍へと戻った。酷く暑く、防弾装備の裏は汗でべったりとぬれている。ハッチを開け、ガンケースと共に積み込んだ箱からアルミパックのジュースを取り出した。喉が酷く渇いている。
「っていうと」
アネットとクルトにいるかいと声を掛けると、二人とも頷いた。適当に二つ掴み取って投げ渡し、クロードは自分のパックにストローを突き刺す。甘いオレンジの風味を楽しんで、空を見上げた。上空は風の流れが強く、雲が流されていく。
「クルド人、あれ、たぶん露払いのために引っ掛けたんじゃないかな」
「はなから、あいつらが“復讐者”を殺してくれるなんて期待しちゃいないと」
「そういう女じゃないだろう、彼女。手駒しか信用しない、手駒ですら全幅の信頼を置きはしない」
お前は唯一の例外だがな、とウィリアム。彼はファイルを分けたうち、どこのだれとも知らぬ半端者の七件を収めた分を車の中に放り投げ、クロードが「本命」とみなした分に目を通しなおしている。
「まあ、なんにしたって僕は雑魚に構う暇はない。それを向こうが喰ってくれるなら、願ったり叶ったりだよ。向こうにも、いい経験になるだろう」
「そうなってくれれば、お前は奴さんに集中できると言うわけだ」
上手くいけばの話だけれど、とクロードは空になったアルミパックを握りつぶした。それをくずかご代わりにしている箱に投げ込み、自分のライフルを手にしてアネットとクルトのほうへ足を向ける。
「何か見えるかい」
「動くものはないわ」
「潜んでいれば分からない、か」
どうしようかなとクロードは考える。斜面を上がり、射撃があったとおもわれる方角を確認しに行きたい。時刻的にはいまだ昼と夕刻の狭間、復讐者が好むのは日没直前であるから、いまはまだ比較的安全な時間帯であると言える。
撃ってくるとしてもその他大勢の有象無象、とはいえ、堂々と身を晒すのは流石に阿呆のすることといっていい。クロードは少し考え、出向いて現場を探すのは諦めることにした。射撃を行った場所を割り出すのは余りに地道な作業に過ぎ、時間をかけてうろつくというのは懸命ではない。
どだい、見つけたところで、えられるものはそう多くない。無味なリスクを侵すだけだ。それにまだ、二件の確認が残っている。目的地はキルクーク南西部、ここからは少し距離があった。
「そういえば」
アネットの声は、お使いのついでを頼むような柔らかなものだった。
三階建ての廃屋の中はほこりっぽく、手にしたシュアファイアのライトの光軸の中を粉塵が舞っている。目に見えない微細な粒子が反射して、光の筋がはっきりと視認出来た。
「なんだい」
「これって普通の手順?」
「まさか、普通はこんな風に現場を見て回ったりしないよ」
クロードは言った。二人だけの屋内に声がかすかに木霊する。ウィリアムとクルトは、途中でハリソンに連絡してよこしてもらったイギリス人チームと共に、下で周囲の保全に当たっている。時刻は既に日没を過ぎ、“復讐者”の活動時刻を過ぎていたが、他の過激派の戦士は時間を問わない。
「なら、何故って聞いても構わないかしら」
「本当に彼なのか、気になってね」
昔は誰かが住んでたのだろう住居、いつから無人なのかも分からぬ市街の外れにある廃墟群のひとつ。念のために抜いたグロックの銃口を視線に同期させ、無人の闇を精査する。ここはクロードが目をつけたポイントで、被害の出た道路を目視できる。一方、道路から見ると、この家屋は樹木と別の家屋に挟まれ、一見すると見つけ辛い場所にあった。
「確かに、8ミリマウザーを使う銃はこのあたりにそうあるものじゃない。でもないわけじゃないし、それが証拠とは言いがたい」
二階に足を踏み入れ、東側の部屋に向かう前に、他の部屋をすべて確認する。人はいない。誰かが来た気配もない。だが、東に面した部屋は違った。
ドアが開け放たれたままで、砂塵とほこりの層をドアが押しのけた、比較的新しい痕跡が残っていた。足跡も同じで、クロードはそれを携帯端末で写真に撮り、足跡のスケールを図る。大きすぎず、小さいわけでもない、平均的な大きさ。靴裏の痕はスニーカーか何かのそれだ。
足跡以外の痕跡を見落としていないかを確認し、それから部屋に踏み入る。トラップの類も見当たらない。外から確認できた足跡以外にも、部屋の中にはいくつかの「人のいた気配」が残されていた。
東側の壁の手前に、何かを置いたような痕がある。大きさは一般的なリュックサック程度で、その手前の砂塵とほこりの層が押しのけられている。砂の上や、柔らかい地面に人が伏せると痕が残るように。
「それで、あなたの見立ては」
「わからない。ビラは出てるし、弾も同じ。皆が奴だと言うのなら、そうなのかもしれない」
言いながら、それも写真に撮る。
ライトを右に走らせる。部屋の隅、置き去りの戸棚の足元に光るものがあった。真鍮製の薬莢が一つ。それを拾い上げ、ポケットに押し込む。クロードに続いて部屋に入ったアネットが、東の壁、ふくらはぎぐらいの高さに開いた穴にライトを向けた。
「くりぬいたのね」
穴の足元には、削り取られた壁面の欠片が転がっている。穴の大きさは直径二〇センチ程度で、あけられたのは最近のことらしく、断面がまだ真新しい。
「よくやるよ、僕らも。素直に窓から狙うと命が足らない」
「教育を受けている狙撃手、ということかしら」
「どうかな。こういうテクニックは、いまやネットで普及しているからね」
でも、とクロードは続け、穴の外を示してやる。暗く、街灯のない外の景色は判然としないが、家屋と家屋の間を通して、小さく道路を走る車のヘッドライトが見えた。こちらからだと、道路を斜めに視認することになる
「射界は狭い。あのあたりはカーブで速度が落ちるし、斜め前方か後方から視認することになるけど、目視時間は多く見てもせいぜい6、7秒がいいところ。目視、照準、
「あなたみたいな狙撃手ね。生き残ってきた、経験のある」
「だろうね。奴かどうかはともかく。まあ、たしかに彼でないとするなら、だれが成りすますんだ、と言う話になってしまうけども」
「懐疑的なのね、ずいぶん」
「これだけ長い間沈黙してた奴が、突然顔を出したんだ。本人かどうか、疑って掛かりたくもなる」
クロードが言う間に、アネットがG3を手に地面に残った痕跡に伏せた。ライフルを構え、左手をストックエンドに添えて穴の外をスコープで覗く。
「違うわね、こっちじゃない」
「なにがだい」
「合わないのよ、痕と。たぶん、右ひじが前ね」
言って、アネットが左手で銃を握り、右腕を曲げてストックエンドをつかむ。どうかしら、と問う彼女の隣にしゃがみこみ、ライトで照らしてかすれた輪郭をたどる。確かに、アネットの言うとおり右ひじが前のように思える。
「左利きなのか」
クロードはつぶやいた。別に大した収穫と言うわけではないが、ポーチから取り出したメモに留めておく。それを見ていたアネットが、刑事ドラマみたいねと笑った。
「刑事さんは、イラクで狙撃手を追い回したりなんかしないよ」
「でも兵士はこうして調べたりしないじゃない?」
「それはたしかに」
立ち上がったクロードは部屋の中を見回した。もうめぼしいものはないようだ。
外に出ると、街灯のないせいで周囲は完全に闇に飲まれている。警戒に当たっていた連中がこちらに気付き、低くしていた姿勢を起こした。
「随分遅かったな、お楽しみか」
イギリス人の一人が笑った。クロードはひらひらと手を振り、苦笑交じりに返す。
「こんな汗臭い男は向こうからして願い下げだろうさ」
「あら、そういうのも嫌いじゃないわよ。でもマック、そういうのは、女性のいないところでするべき話題じゃないかしら」
アネットが茶かし、イギリス人――マクドゥガルに釘を刺した。これは失礼、と暗がりに沈んだ影が笑う気配。
視線を転じると、キルクーク市街がぼんやりと輝いているのが見えた。非常に不安定な情勢だが、人の営みは続いている。キルクークの外では殺し合いが続いているが、それでも人々は自分の生活を続けていくものだ。
「帰ろうぜ、腹が減ったし、シャワーを浴びたい」
ウィリアムが言う。だれも彼もがシルエットとしてしか視認できず、声で個人を把握する以外にない。クルトはといえば、ランドクルーザーの傍で何かをかじっているようだった。
「ああ、帰ろう。遅くなると明日に響く」
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