第17話 見知った敵 2
「結局死体は見つからなかったけど、上は仕留めたと判断した」
クロードは話をそう締めくくり、良くあることだからねと付け足す。
誰かが遺体を持ち去ってしまう、というのは珍しくない話だった。武装勢力の仲間か、家族か、あるいは見知らぬ誰かか。いずれにせよ、イラクではままあることだ。だからこそ、死体が見つからないことを誰もとがめない。
現場には血がたっぷり残っていた、という、捜索に向かった陸軍チームの報告があったし、以後一ヶ月のあいだクロードらがその地域で武装勢力狩りをしている間も、そして別の地域に転戦した後も、復讐者は姿を現さなかった。死んだと判断されて当然といえる。
「だけれど、生きていた。一〇年以上も沈黙していたのに、何故いまになって?」
「分からない。そもそも、誰も彼の言う復讐の意味すら知らないんだ」
あのビラを見ただろう、とクロード。ここにいる皆があのビラを見ているが、誰もその復讐が、何に対してなのかを知らない。君らは知っているかい、と問いかけると、皆一様に首を振った。セシリアだけは、我関せずといった様子で新しく調達した紅茶に口をつけている。
「分からないことだらけさ、なぜ、どうしてなんて考えても意味はない。どだい、僕は今まで殺してきた相手のことなんてろくに知りやしないよ、どこのだれで、どんな生き方をしてきたかなんてね」
必要ないんだよ、そんなものはと小さく続け、胸のポケットから煙草を取り出す。ウィリアムに握りつぶされてひしゃげた箱から、同じくひしゃげた煙草を一本。咥えて、ジッポで火をつける。ゆっくりと肺に煙を溜め、上へと吐き出す。
現役の頃は、悪影響しかない煙草を吸うことはなかった。手を出したのは軍をやめた直後のことで、以来、上機嫌とは言いがたいときに、こうして一本だけ吸う癖がついた。
「必要なのは、殺しの情報だ。時間、場所、距離、方位、使う銃と弾薬、標的。そういう意味では、前回と今回には明確な違いがあるね。前回、彼は米軍の
「私の知る範囲だと、どれも
「そこは同じってわけだ」
「でも、そんな違い程度で何か分かるものかしら」
「さあ、そればっかりは。もっと色んな情報を集めれば、何か分かるかもしれないけれど、人となりに繋がることはないだろうね。見つけるために役に立つ、その程度さ」
しかしそれで十分、見つけられれば殺せる。照準に収めてしまえば、あとはこちらのものだ。狙撃に限らず、誰かを殺す場合というのは、おおよそそれを見つけるまでの過程が重要になる。たとえ歩兵同士の殴り合いだとしても、発見し、射程に収めるまでの準備と行軍のほうがウェイトが重い。
それに、一般的に考えて途方もない距離を狙える狙撃手であっても、届くのはせいぜい数キロだ。クロードの場合、手持ちの銃で命中が見込めるのは一キロがほぼ限界だ。この広大な土地で、敵を殺すためにはせめてその一キロに収めなければならない。当然、初弾必中を期すのなら、より近く、500メートル以下で発見したい。
「そのために、明日は現地を回る。報告書を読み、そして偵察する。探しものは地道にやらないとね」
「狙われませんかね、それ」
不安げな様子でクルトが眉を下げる。
「大丈夫じゃないかな。奴が撃ったのは、標的か、張り込んでいる射手だけだ。散歩するだけの人間を撃つほど暇じゃあるまい。自分の決めた条件は守る、そういうタイプだよ」
「それならいいですけど」
「むしろ、それ以外の雑魚の心配をしたほうがいい。このあたり、安全じゃないんだろう?」
クロードの声音は、質問というよりは、当然のごとく横たわる事実を再確認するような響きだった。そもそも、安全な地域に武装保安職員など必要ないのだから、当然といえばその通りであり、この質問にも意味などない。
「IED、VBIED、待ち伏せ、何でもござれです。南部はいま安定しているらしいですけど、こっちはぜんぜん」
「防弾装備と銃は必携だな。無線、医療用品、個人携行物は全部持ち出さないといけない」
「いつ出る?」
ウィリアムが、空になった炭酸水のボトルを指でもてあそびつつ問う。
「ハリソンのところに顔を出して、それから準備になる。1100でどうだろう」
「ああ、言い忘れていたけれど、昼過ぎまではこの基地にいてほしいの」
沈黙を保ち、静かに話の推移に耳を傾けていたセシリアが口を挟んだ。それに従うのが当然とばかりの、堂々とした、静かだが命令的な声音だった。
「なぜまた」
人に従うのではなく、人を従えるのがこの女の才能。その手元で仕事をしていればそのくらいは理解できるし、それに文句を言う理由もなく、クロードは単純な疑問を投げた。
「貴方に来客の予定よ。わざわざクルディスタンから」
謎めかした、かすかな笑みと共にセシリアが目を眇める。こういう笑みが似合うのは美人の特権だななどと、くだらないことを考えつつ、クロードは無言で先を促した。
「クルド人たちが、手を貸したいって。今日、仕事のついでで寄ったときにそう言われたのよ」
「気前のいい話だ。何を餌にしたんだい」
「懸賞金が出てるという話をしただけよ」
「誰が出しているんだい、そんなの」
「ここの何社かの寄り合いよ」
それだけかい、とクロードはからかった。セシリアはどうかしらねと、曖昧な笑みと共にはぐらかす。大方、何かしらの便宜や情報供与をちらつかせたのだろう。
「それなら、向こうの連中が仕留めてくれることに期待したいね。人数もそろえているだろうし」
「あら、自信がないのかしら」
頬杖をついたセシリアが、ゆっくりとからかうような声音で目を眇める。最初はこういう態度にわずかではあってもどきりとしたものだが、二年も顔を突き合わせて働くうちに慣れた。ウィリアムは未だにそうも行かない、自分に向けられたわけでもないのについと視線を逸らしたようだ。それを見たアネットが、面白いものを見たとばかりに目じりを下げた。
「僕は一人だよ、網は張れない。一騎打ちに期待しているのかい」
「彼らはただの賑やかしよ。別に私が呼んだわけではないもの。向こうが興味を示したから、釘だって刺して上げたのよ。それでも懲りないようだから、仕留めたなら飴を乗せてあげると言っただけ」
「彼らだって素人じゃない。普通に考えれば、向こうが網を張って、それにかかると考えるべきじゃないかなぁ」
「かかるような、そんなヤワなタマならそうね」
あえて粗野な言葉遣いに切り替えたセシリアが、ほんのわずかに化粧を施した口元に薄い笑みを浮かべる。一切、何の期待も持っていない、そういう態度だ。前線で戦うクルド人の狙撃チームを賑やかしと言い切る程度には、“復讐者”と強敵と見なしているらしい。
その上でクロードの勝利を信じて疑わないその態度の裏づけはどこから来るのか、自分のことながら何も分からぬクロードは、テーブルの灰皿に燃え尽きてしまった煙草を押し付ける。
「昔のようには網にはかからない、と」
「敵の無能に期待するのは馬鹿のすること、そういったのは貴方じゃなかったかしら」
それは確かに、かつてクロードがセシリアに向けた言葉だった。予想外の事態に不運が重なり、狭い部屋に雪隠詰めにされたとき、彼女の提案にそう返した覚えがある。良く覚えていらっしゃる、と溜息を一つ。
「覚えておくのが私の仕事の一つだもの。さて、そろそろいきましょう?」
「そうね、もういい時間だわ」
瀟洒な腕時計に視線を落としたセシリアにアネットが頷く。時計を見れば、たしかに部屋に戻って休むにはいい時間になっていた。
「それじゃあ、明日は0600には僕とウィルの部屋に集まってくれ」
了解、と三々五々返事をよこす。食器を返却し、ごみを廃棄すると、そろって社員食堂を出た。外の空気は日が暮れたせいか肌寒く、上着を羽織った夜間巡回が、ライフルを提げて歩き回っている。
どこか遠く、北のほうでかすかな銃声が連続していた。どこかで銃撃戦をしているのだろう。時たま、南の方でも発砲音らしきものがとどろいている。どちらも、それなり以上に離れているようだ。
「明日からは大忙しね」
やることがあるからとセシリアとクルトが自室に向かうのを見送り、二本目の煙草を咥えたクロードの隣に来て、アネットが言った。風が強く、吹き消されるジッポを手で覆ってくれた彼女に、小さく頭を下げる。ウィリアムは便所と言い残して、トイレを探しにどこかへ消えた。
「多分ね。とりあえず、調べものと地形の把握を優先して……その間にクルド人がどうにかしてくれるのを祈りつつ、準備だ」
「この仕事は気乗りしない?」
「別に。でも、人数の問題で僕の出る幕はないんじゃないかと思う」
網を張るのが最も一般的で、かつ安定した戦術である都合上、どうしても狙撃手を狩るというのは人数が必要な作戦になりがちだ。二人一組で各地に拠点を構築して潜伏し、その網に引っかかって照準に身を晒すのを待つ。それ以外に、確実に狙撃手を仕留める方法はない。
もちろん、機材や装備がもっと充実しているのならば他の戦術も考えられるが、いずれも人手を集め、広範囲を監視下において狩るほうが効果が見込みやすい。狙撃手狩りというのは、常に受動的な作戦になりがちだ。
実際、二〇〇四年に復讐者を撃った時、クロードは数に頼って警戒網を敷き、そこに掛かった相手を撃った。それですら、銃の必中距離を越えた射撃だったわけで、今回はより少ない人員で狙うよりない以上、数の多いクルド人のほうが有利なのは間違いない。
「でも、セシリアの言っていたように、同じ手に引っかかるかしら」
「このまま続けるつもりなら、いずれは掛かると思う。それまで何人が殺されるかは分からないけど」
どのような腕利きの狙撃手も、同じ標的を狙い続ける限りいつかは自分を狙う者の網に掛かる。だからこそ、クロードは復讐者を照準に収めることが出来た。
「確かに、人は学ぶものだ。一度撃たれれば、同じパターンを警戒するのが普通だよ、たとえ昔のことであっても。それでも、
「そうだといいのだけれど」
「そうでなかったときは、本当に僕が狩りをするしかない」
「彼女は、そうなると信じているみたい」
アネットはセシリアの部屋の方角を向いて、半ば独り言のようにつぶやいた。真上に上がった月が薄暗い基地内に投げかける、青白く柔らかな明かりが彼女の横顔を照らす。目を眇め、遠くを見つめるその横顔は美しかった。
「君は、どう思う。僕が狩ると思うかい、それが出来ると」
「私が聞いたとおりの人なら、きっと」
小さく首を傾け、視線をこちらへ流した彼女が頷く。近くを通り過ぎた同業の男たちが、それを見て小さく口笛を吹いたが、彼女はそれを一顧だにせず、こちらにグリーンの視線を注いでいる。セシリアのそれが魔女と呼ばれるとおりの魔的な艶やかさなら、こちらは静謐な、しかし真っ直ぐで力強い色香だ。どちらにしたって、長らく仕事一辺倒だった男にはなかなか抗いがたい。
「誰かの語る他人の武勇なんてのは、誇張された理想の羅列に過ぎない」
クロードは煙を吐くのにあわせて視線を逸らし、恥じるようにそうつぶやいた。
「でも、生き残って、多くを成した。それは間違いなくあなたの実力じゃないかしら。なんて、出会ったばかりの人間が言う言葉じゃないかも知れないけれど」
「余りおだてられるのには慣れていないんだ、けなされてばかりでね」
「あら、そうなの」
「国ではね、僕は子供も女も必要であれば容赦なく撃ち殺す冷酷なやつだと記事に書かれたこともある。同業はおおむね好意的だけれど、社会的にはどうだか」
それは、目立つ意見、一面的なものよと、やわらかい声でアネットが笑う。そうかもしれないねと曖昧に返し、指先でフィルターの吸い口をはじいて灰を落とす。
意外と繊細なのねと、意外そうな、しかしどこか嬉しそうな声が風に流された。視線の先で、仕事を終えたらしい車両が基地へと戻ってくる。車両集積所に停まった車両群から、武装した大人たちに混ざって、昼間に見かけた子供兵たちが降りてきた。
大人の一人、腕に海兵隊ロゴの刺青を彫った男が、子供たちに何かを怒鳴っている。今にも拳が出そうな勢いでまくし立て、子供たちから銃と装備を乱雑に引っぺがすと、大人たちはそれを籠に突っ込んでいく。子供たちの中に、露天の前にしゃがみこんでいた金髪の少女が見えた。
刺青の男が、拳を振り上げる。それを見、反射的に身をすくませた金髪の前に、昼間同様に同じ背格好の少女が割り込んだ。男はそれで動きを止めたが、気分がいいものではない。ふと、脳裏に血に沈む子供の姿がちらつく。
自分が撃った子供兵。爆弾を括り付けられ、吹き飛ぶ瞬間に誰かの名を呼ぶ子供兵。アフガニスタンの川を流れてくる、体中あざにまみれた子供の死体。訳もなく胃がむかむかする。
「やめたほうがいいわ」
何事か確かめようと思わず煙草を投げ捨て踏み出そうとしたクロードを、アネットが手で制した。
「柄のいい人たちではないの」
「昼間にも聞いた気がする。そのフレーズ」
「解雇された社員の友人、そういえば分かるかしら」
類はなんとやら、とクロードは苦笑した。視線の先では、刺青男が子供たちに大声でがなりつつ、仲間と共に荷物を運んで立ち去っていく。途中、刺青男がこちらに気付き、はたと足を止めてアネットとクロードに視線を注ぎ――忌々しげに唾を吐き捨てて離れていった。
「あの子達は」
「ここの民兵組織の一つ。ということになっているわ。
「なぜまた、そんなリスキーな」
「色々あるのよ。米軍の撤退にあわせて人権団体もほとんど立ち去って、行き場をなくした子供たちは多いわ。武装勢力に使われた子供兵だとか、身よりもなくて飢えた子供たち、そういった子達が集まって、食い扶持のために銃を手にしているだけ」
「それだって、なんでわざわざうちが?」
「追い出したこともあったそうだけど、ほとんどがそう掛からずに野たれ死んで、このあたりには子供の死体が溢れた。飢えて死ぬならまだマシ、売られたり、もっと酷いことをされたり。特に女の子はね。だから、民兵であって、社員ではない。彼ら彼女らの意思であり、連携相手でしかない、という名目になってる」
それに、アラブ人にせよクルド人にせよ、もう子供兵の動員はこの国では珍しくないもの、とアネットが続ける。とくにクルド人子供兵の存在は有名で、自分たちの自治領を守るべく戦地に立つ若者として、アメリカでも記事になったことがあるのを、クロードはおぼろげながら覚えていた。
「ろくなもんじゃない」
「ろくな地域で、仕事が出来たためしなんてないわ」
アネットが言った。諦観をたっぷりと含んだ、感情のない声だった。
「ところで、なんでよりにもよって、あの柄の悪そうな奴らが面倒を見てるんだい。託児所をやるほど子供好きには見えないけど」
「盾よ。
普段は優しい、耳ざわりのいい声音が、ほんのわずかに不快感を孕んでいることにクロードは気付いた。横目に見れば、アネットの物静かな眼差しがわずかに細められ、眉根がかすかに寄っている。
「人でなしはどこにでもいる。子供の面倒を見たがる社員なんて、そういるまいし」
「ええ、本当に。仮にいたとして、子供を統率するなんて大変だわ。少なくとも、私たちのような人種にはとくに」
薄く唇を噛んだアネットの横顔を見、クロードは幾分か感情的なその様子に首を傾げる。
「随分と気にかけるんだね」
「何人かは、時々話す子がいるから。でも、恥ずかしい話、私はラーキンに喰らいつけるほど強くはない。何をするか、分からない連中よ」
ラーキンとはあの刺青男のことだろう。確かに、ああいった柄の悪い男集団に、一人では向かうのは楽ではない。まして、クルトまで巻き込みかねないとあってはなおのことだ。
「君は優しい人だ」
「優しかったら、こんな風に眺めていたりしないわ」
静かに吐き出された呼気には、苛立ちとほんのわずかな怒気の、ささくれ立った気配が混ざっているように感じられた。自己嫌悪のかすかな重い響きが語気を沈ませている。
「それについて悩み、何かを考えるのは優しさじゃないかな。むやみと食いつくのは無謀さで、優しさの証明じゃない。だって君は、どうにかできる算段があれば何かをする人だろう」
少なくとも、大抵の人間は無関心だ。子供兵のことなど気にもかけず、自分に面倒が回らずに済んだと胸をなでおろす。それに関して、ふと思いをはせもしなければ、こうして盾に利用する人間に怒りもしない。
それが戦地での平均的な感情であり、普通のあり方だろう。それが出来ない人間は去っていく。そういう意味で、アネットの態度はよほど人間的であり、優しいあり方ではないか。たとえ何もしない事実を人でなしと誹る人間がいたとして、それは戦地に身を置けば壊れてしまう“戦えない”人間の勝手な意見でしかない。
後先省みずに突っかかることは優しさとは無関係だ。自分と、その周りの安全を第一に考えることが、悪いわけがない。
「それならあなたは、随分と直情的なひとね、クロード」
ろくに思考もはさまずに足を踏み出したことを差して、アネットが小さく笑った。いたずらっ子を見守るような、そんな笑みだ。
「喧嘩っ早かったよ、昔から」
「意外だわ」
「みんなそう言うよ。売られた喧嘩を買いもすれば、気に食わないやつに食って掛かりもする。
半ば自嘲的に言い切ると、アネットが声を上げて笑った。聞いていて心地よい、しかし上品な笑いだった。
それから少しの間世間話に興じると、トイレを終えたらしいウィリアムが戻ってくる。三人で自室に戻るまでくだらないおしゃべりは終わらなかったが、子供兵たちが記憶を掠めるたびに、脳裏には自分が照準に捉えた子供の姿がちらついていた。
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