第9話 クロードという男 2


「状況に関しては、資料の三枚目からを確認していただけるかしら。ここで議題になる前に現場でとった対策について、いまさら再討論する無駄は遠慮したいもの」


 紙をめくる音はしない。既にこの場にいる全員が、ざっとではあっても全文に目を通している。真偽はさておき、武装勢力からの犯行声明が出ていること。狙撃手は単独で、復讐者と名乗っていること。現地軍が対応を試みたものの、対抗狙撃のために配備されたチームが返り討ちにあっていること。


 現場の努力で解決できなかったからこそ、こうして遠く海を挟んだ本社で、重要議題の一つとして報告されている。


「待て、そのクロードというのは」


 幹部の一人、普段は人前に顔を出さず裏方に引っ込んでいる男が問うた。


「私が抱えている資産アセットのなかで、最も腕の立つ射手。元海兵隊員、第57任務部隊タスクフォース57の指揮官を務めていたわ。この部隊の名前くらいは、聞き覚のある方が多いのではないかしら」


 第57任務部隊タスクフォース57。二年前、パキスタンでの作戦から帰還中に待ち伏せを受けて壊滅した特殊作戦部隊であり、もっぱらCIAや参謀本部が高レベルの作戦を実施するために重用していた精鋭部隊の名。部隊の壊滅がマスコミにリークされて人目に晒されるまで、数多くの高価値目標を屠ってきた、人狩り部隊マンハンター


 この業界で、ある程度以上の身分を持っている人間なら誰もが知っている名前だ。最も過酷で、最も重要度の高い作戦を受け持つ彼らが、七年の活動期間の間にどれだけの首を落としてきたか。マスコミがどれほど追いかけてもその多くは機密の壁の向こうだが、機密にアクセスし得た人間であれば、その仕事ぶりを想像するのは難しくない。


「いま、彼はあなたたちG&Mの濡れ仕事チームに貸し出しているところ。アフガニスタンでの高レベル業務に従事しているのだったかしら。今年に入ってから、もう一〇人以上も仕留めているそうね」


 各地で活動するG&Mは、そのいくつかの地域において特殊作戦を実行する濡れ仕事チームを抱えている。民営の特殊部隊とでもいうべき組織を維持し、運用するに当たってG&Mは数多くの元特殊部隊員を抱え込んでいるが、クロードはまさにその部隊に“貸与”されている身だった。


「彼の運用に関しては、君の許可を得ない限り契約地域の変更を出来ない。そうでしたね、ミズ・セシリア」


 出方を伺うように黙り込んだ幹部連中を見、出番が訪れるまで口を閉ざしていたジョナサンが横から問いかけた。セシリアは首を巡らせ、そうよと言いたげに紫の瞳を眇める。


 切れ長の目に収まった瞳の鮮やかさは見るものを魅了するつややかさを備えていて、彼女が情報コミュニティで「魔女」と呼ばれる所以の一つを端的に示している。


 そもそも変人と呼ばれる類の多い情報機関の世界だが、先天性白皮症アルビノという特異体質と、三〇にも満たない若さで責任と権力の伴う仕事を任された手腕が合わされば、人々が彼女を指して魔女と噂するのも無理はない。


「現場での対処が失敗したと聞いて、彼が私を呼びつけた。でも彼の独断で事を決めるわけにはいかないわ。だからそう、ただ事前承認がほしいというだけ」


 不遜というよりない態度だが、それに文句が出ないのは、ここにいる者すべてが彼女の手腕を理解しているからに他ならない。会社の経営上、この女が好意と称して持ち込む情報に大いに助けられているのは事実であり、濡れ仕事チームの運営はそれ抜きには行えないといってもいい。


 持ち込まれる依頼の裏をとり、あるいは必要な情報をそろえるのは、民間企業単独では難しい。もちろん、好意に対しての対価を支払う礼は必要ではあるが。


「承認は構わない、君に異存がないのであればね。それで、こちらは足を運んでくれた君への礼に何を支払えばいいのかな」

「何も。今回はこちらの都合もあるものですから。後で何か見返りを、何て、そんな貧乏じみたことを言うつもりはありませんわ。必要な経費と装備の工面をしていただければ、それで十分」

「死神の力添えを願うというのに、随分と気前のいい話だ」


 こちらの都合、という部分には触れず、しかし探るような眼差しを向けたマクダネルは、小じわの目立つ頬に小さな笑みを浮かべた。死神、イスラム過激の武装勢力がクロードにつけたあだ名。公式記録で一五〇人以上を狙撃した男にふさわしい名だ。同時に、人狩り部隊マンハンターの指揮官という肩書きがこれほど似合う兵士もいるまい。


「いいだろう、後のことは君たちにゆだねる。構わないかな」


 マクダネルの問いに、会議室に詰めた男たちは小さくうなずいて見せた。満場一致、この男の判断に口を挟む者はいない。


「では、後のことはこちらで詰めさせていただきます。もちろん、決定した事柄と状況の推移に関しては、逐次報告を入れるようにしますので」


 後はお任せください、そう付け足すと、魔女と呼ばれる女は小さく一礼して見せた。





 クロードの肩書は保安要員だった。より詳しく言えば、米資本の警備会社であるG&Mの契約社員であり、業務は活動地域での保安サービスの提供ということになる。有り体に言えば警備員だ。たとえ業界外から傭兵、軍事会社と呼ばれていても。


 が、しかし、今この場所には彼が守るべき人もいなければ守るべき施設もなかった。かれは夕暮れを間近に控えたクンドゥーズを、覗き穴をつくるようにこしらえた窓から見つめながら、ぼんやりと時間を待っている。実際、目の前の窓は覗き穴だ、これから仕事をするために必要なものである。


 しかし、その覗き穴は同時に銃眼でもあった。そこを通して弾を送り込み、ある男の命を断ち切ることがクロードとウィリアムの仕事だ。この手の仕事はクロードにとっては慣れ親しんだものであったし、特殊作戦部隊にいたわけではないウィリアムも、クロードと つるむうちに慣れた。彼らはプロの殺し屋だった。


 保安要員などというのは、肩書でしかない。実際に保安の仕事をすることもあるが、概ね彼の仕事は後ろ暗いことばかりだった。クロード自身はそのことに一切の不満はない。もう長く後ろ暗いことばかりを片付けてきているし、自分で望んでその世界に飛び込んだのだから。


 右手を、目の前で三脚のクランプに固定されたライフルに伸ばす。座ったままで構えられる高さに調整されていた。一種の艶かしさを感じさせる、機関部からマズルまでほんの微かに絞られた銃身。その先にはカバーの付いた減音器が組み込まれていて、静かに自分が役目を果たすべき時が訪れるのを待っている。


 レミントンM700はメジャーなボルトアクションライフルだ。スポーツ用途、法執行機関はもちろん、軍でも使われているし、高い汎用性、操作性、精度を兼ね備えたハイスペックなライフルだ。


 クロードがこの場に持ち込んだのもM700だった。とはいっても一般的な7.62×51ミリカートリッジよりも装薬量の多い.300WMを使用する、ロングアクションモデルを使っているし、ストックはマクミラン製のものに取り換えてある。フレームは砂色に塗装されていて、よく触れる部分が剥げていた。


 手をストックに這わせ、ざらりとしたグリップを右手で軽く引きよせる。ストックパッドが肩に触れ、頬を軽くストックに乗せてやると、まるでライフルが身体に吸い付くかのようにぴったりとそこに納まった。


 馴染み深い感覚だ。クロードにとってライフルは靴やシャツのように、常にそばにあるものだった。彼とライフルの付き合いは長い。日本からアメリカに連れてこられて少ししたころ、慣れない子供との付き合いに困った祖父が持たせたからだ。


 最初は22口径で、すぐにもっと大きな銃になった。祖父は多くの実戦を経験した優秀な狙撃手であり、クロードはその血を引いていた。このマクミランのストックにしても、海兵隊の狙撃銃がフレームをマクミラン製にしてから長らく世話になっている。


 海兵隊のM40でなくとも、彼はアフガニスタンでマクミランのTACシリーズを長く使っていた。どのような環境でもしっかりと薬室や銃身を保持するこのフレームを、クロードはとても信用している。


 意識せずともレンズとの的確な距離を保った彼の目に、スコープが遥か彼方の拡大図をもたらす。ともすれば、肉眼で見るよりもよほどくっきりとした輪郭に縁どられた景色はしかし、照り付ける太陽の熱気が生み出した陽炎の中で揺らいでもいた。


 ナイトフォース製スコープのクロスヘアでクンドゥーズの地形をなぞる。クンドゥーズは北部有数の大きさの都市であり、目下のところクロードの雇い主であるG&Mが与する多国籍軍やアフガニスタン政府軍からみて、戦略上攻略すべき重要な拠点の一つとして注視されている街でもある。


 つまるところ、クロードはいま、敵の手中にある都市を眺めているというわけだった。しかも現在地点からクンドゥーズまではそう遠くなく、彼のいる場所も敵性勢力の実効支配地域のど真ん中にある。事実上の交戦地域となっているアリアバードとハーナーバードをつなぐ地図上の最前線から、二〇キロ近い縦深をとっていた。


 この辺りには、いまどき特殊部隊でもそうそう立ち入らない。この数か月で投入されたチームのいくつかが痛手を受け、捕縛され処刑されたものもいる。バックアップを受け十全な装備を持った特殊部隊ですらそのざまだ。


 クロードはそんな地域に侵入し、いましがた、ほんの僅かではあるが仮眠をとったばかりだった。基本的に襲撃にせよ、偵察にせよ、およそ部隊の最小単位は四人が原則であるが、いまのクロードは四人どころか二人だ。ウィリアムはすぐとなりぼんやりと窓の外を眺めている。クロードはそれをちらと見ると、再びスコープへ視線を戻した。


 この潜伏地点から市街までは一キロ程度。間にある地形障害は皆無に等しく、唯一それらしいものといえば、クンドゥーズの西側を通る川くらいのものだった。


 クロードの陣取る廃屋からその川までの間には、細かく区切られた畑や、背の引く廃屋、道路に打ち捨てられた廃車の山、大きめの樹木が点在しているだけで、市内の様子が邪魔されずに見て取れる。むろん逆も同じであり、もし発見されればひとたまりもない。支援はなく、人員は二名だけなのだった。


 ゆっくりと呼吸しながら、砂色に褪せた景色に目を這わせる。クンドゥーズは州都であるだけあってかなりの人口を抱え込んでおり、外から眺めているだけでもその活気が分かるほどだ。そしてそこに住む人々はいま、この一帯を支配する武装勢力の管理下に置かれ、事実上の生きた盾として扱われている。それを受けて現在この地域への爆撃は中止されていた。


 ナイトフォースのスコープの十字線を気になるポイントへとゆっくりと移動させる。川べりを歩くブルカを被った女達。少し離れたところにいる、黒い衣服にAKを下げた“敵”の姿。どれもレンズを介して拡大されてなおそのシルエットは小さく見えるが、AKを携える黒服の中に、大人というにはあまりに小さな背丈が混ざっていることがはっきりと確認できる、


 十字線をそのまま移動させ、市街の外周をパトロールする敵の姿を探す。その中にも、一目で子供とわかる影が散見された。今時、戦地で子供が徴用され敵として現れることなど珍しくない。クロードはそれらを無視し、ゆっくりと銃口を巡らせて、自分たちの近くに人影がないかを確認する。少しして誰も近寄る気配がないことに満足すると、クロードはスコープから目を離した。


「まだ時間まではもうすこしだけあるんじゃないかと思うんだがね」


 横でウィリアムが言った。彼は入れ替わりで姿勢を起こすと腕時計を見、刻々と近づきつつある予定時刻を確かめ、それから目の前に設置したスポッティングスコープに目を当てる。


「動作は」

「ないよ」クロードは応じた「静かなものさ、平和だよ」

「敵地のど真ん中で言うと、中々奇妙な気分だな」

「まったくだ。でもまあ、こうしている分には、ここが戦地だとは思えないくらい静かだね」

「向こう岸に子供兵さえいなければな」

「そればっかりは仕方ない」


 たしかに仕方がないとウィリアムがうなずく。彼はスポッティングスコープを使って詳細にクンドゥーズの周辺を確認しながら、手元に転がしておいたバインダーを手にするとそれを開いた。バインダーの中身は狙撃手が狙撃に用いる情報を収めたデータカードブックで、彼は手探りでレンジカードを開くと、すでに記入済みの地形図と目の前の光景をもう一度照らし合わせて検討し始める。


 レンジカードというのは年輪のように等間隔に刻まれた半円の示された紙で、その中央の最も小さな半円の内側が自分の位置になり、そこから見て前方 180 度にあるものを、その指標物との距離にのっとって対応した位置に書き込む。この場合の例を挙げればクンドゥーズとの間にある川や、道路上で朽ちかけたトラックの残骸がそれにあたる。


 レンジカードは素早くそして円滑に標的や注意対象の位置を確認し、記録や共有を行うための覚書であり、狙撃の際に即座に目標との距離を導き出すカンペのようなものだ。現代の狙撃手の活動においては、狙撃や監視任務に於いて無くてはならない重要なものになっている。


 とはいえ一度記入済みのそれをチェックするのは暇つぶし以上の何物でもないが、いまから仮眠をとるにはあまりに“その時”は近すぎた。引鉄を引くべき時が来るまでは待ち続けるしかない。


 クロードはM700を撫で、それから再び壁に背中を戻す。腕時計を見ると、すぐそばまでその時が迫っていることが分かった。窓の外から見えるクンドゥーズは傾いた太陽の投げかける光で橙色に色づき始めている。


 引鉄を引くべきその瞬間は、目前だ。


 彼の仕事は引き金を引くことに他ならない。

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