第10話 クロードという男 3


「どういう風の吹き回しですか」


 詰めるべき部分をつめ、経費の確認と移動に使える輸送機の飛行プランを確認し終えたジョナサンは、二人きりになった会議室の明かりをつけ、プロジェクターの電源を落としつつ問いかけた。


「質問は端的にお願いできるかしら」


 セシリアは処理するべき書類をシュレッダーにかけ、焼却処分用の袋に紙片を詰め込んで首を傾げる。魔女、そう呼ばれる敏腕の情報機関員でなければ、その端正な面差しと男心をくすぐる秘密めかした雰囲気に、見とれてしまってもおかしくない。そんな内心の感想をおくびにも出さず、ジョナサンは口を開いた。


「対価は要らない、などと。普段であれば、あれこれと要求してくるあなたが」

「いい機会なのよ、彼をアフガニスタンからイラクへ移すのは」

「いい機会?」


 怪訝そうに首をかしげ、ジョナサンは言葉を反芻した。そうよ、とセシリアはうなずいて、この世界、詮索は美徳にならないわ、と小さく釘を刺す。


「納得できないことを詰めておくのは、利益を守るためには欠かせないと思いますが?」

「確かにそうね。でも安心して、これで恩を売ったなんて、そんなことは考えていないから。単に、私と彼の都合の問題。有名人は辛い思いをするものよ、特に、悲劇の英雄というものは」


 含みのある言葉を投げ、魔女は静かに口元をほころばせる。部隊の壊滅を受け、その詳細が外部に漏れるや否や、クロードは責任を押し付けられる形で軍から投げ出された。たとえ傷痍除隊という形をとっていても、その事実だけは変わらない。当然、保護を失った彼は壊滅した極秘部隊という大きな獲物に食いついたマスコミに取り囲まれ、経歴の何もかもを人目に晒される羽目になる。


 祖父が狙撃手として、ベトナム戦争でCIAの汚れ仕事をこなしたこと。母親から引き離されての幼少期、学生時代の人柄、911で婚約者を失い、反動から特殊作戦の世界へ。幼少の母との離別、そして婚約者の死が彼を精鋭歩兵にして暗殺者へと駆り立てた、そう書きたてた大手雑誌の紙面を、ジョナサンも目にしたことがある。


「人の過去を暴きたて、あることないこと書きなぐる人種に追われる生き方、そんなのだれだって真っ平御免だわ」

「誰かが、彼が今何をしているか気付いた、と」

「さぁ、どうかしら。ただ、過去はどこまでも追ってくるもの。私は彼に約束したの、そういったものから、手の及ぶ限りは守ってあげると。たとえ、相手がローレンツであったとしても」


 それじゃあいくわ、と。何一つ明確な答えを示さないまま、女はすっきりとした後ろ姿を見せると、ひらと手を振って立ち去る。呼び止める言葉を見つけられないままそれを見送ったジョナサンが、ローレンツというワードが、クロードの死んだ婚約者の姓であることに思い当たったのは、セシリアが去って少ししてからのことだった。




 

 クロードは銃を愛していた。


 腰に挿した拳銃は使うたびにそのコンディションを確かめてねぎらうし、仕事でもプライベートでも自分のために働くライフルを何よりも大事に扱っていた。彼は同時に、狙撃というものを溺愛していた。


 それは彼の突出した分野のひとつだからというのもあるが、なによりもその行為に意識を傾ける間、自分がすべてを握っているという満足感があるからだった。


 彼にとり世界――言い換えれば彼が身をおく環境――というのは彼にはどうしようもないところで、あずかり知らぬうちに変質しときに崩壊するものであった。


 同時に、自分とはろくに接点のない人間がしばしば、彼の了承を得ず、彼を鑑みることもなくその世界を引っかきまわしたり、そうする権利が当然のように自分にあると言いたげな態度で何かを押し付けたり、命じたりしてくることがある。


 しかしライフルを携え、狙撃に意識を傾けている間は彼が世界を握っていた。恐ろしいほどの精密さで加工されたレンズが作り出す黒に縁取られた正円の世界の中では、クロードこそがルールであり、何かを殺すも生かすも自分が握っている。


 だからこそ、その時間が来たときクロードはまるで長らく離別していた恋人を抱き寄せるようにM700へと手を伸ばし、銃把に手を沿わせ、やさしく頬ずりをするようにストックのチークピースへと顎を乗せてやる。


 ちょうどいい位置に調節したストックパッドを肩と鎖骨の間に当てて固定すると、ライフルを固定した三脚の脚へ左手を伸ばし、腕をねじるようにして親指を下向きにして逆さに握りこむ。こうすれば筋肉に緩みは生じ難く、そのテンションで保持された骨が三脚と、自分の体の気まぐれな振動を封じ込む。


 目から数センチメートルの距離にある接眼レンズの曇りのない曲面が、その向こう側の景色の陽炎や砂煙に隠された輪郭を目の前に現出させる。景色に交じる赤みがかなり増しつつある。太陽が大きく傾いているのだった。


 夕暮れが始まっている。この地域の殆どの人間が信仰するイスラム教に定められた五行の一つ、最も重要とされる礼拝のうち、日没から日が沈むまでの間に行われるマグリブの時間だった。


 クロードもウィリアムも、この時間のためにここでひたすらに息を潜めていたのだった。 標的を外から目視できるのは日に数度、狙撃に適している条件がそろうのは一度だけだ。 スコープの中の風景をゆっくりと十字線でなぞる。


 すでに川べりにいた女達も歩哨もいなくなっていて、代わりに何人かの男たちが河に入り、礼拝前の洗浄のために身体――ことに排泄器官を――清めているのが見えた。すでに街の中では礼拝を始めているものも居るだろう。


 クロードはそれらを尻目に照準を横に流し、川を超えた先のクンドゥーズの北側の郊外へと視界を切り替える。沈み始めた太陽のまばゆい斜陽が何もかもを朱々と照らしだし、同時に長く伸びる濃い影を作り上げていたが、それはクンドゥーズよりも西側に陣取ったクロードらには関係のないことだった。


 太陽は背後にあり、向こうからこちらを見ても、屋内のディティールを確かめるには陽光が強すぎる。とはいってもこちらを肉眼で目視できる位置に人影はないが。


 意識がスコープの中にすっぽりと収まっていた。ライフルを構えた時からクロードの意識は照準と、指先が触れる鉄の感触に絞られている。それ以外のことは考える必要が無い、今彼は銃弾を正確に送り込むための機械だった。


 十字線が目標の家屋を捉える。クンドゥーズ郊外の小さな屋敷だ。立派と言うにはこぢんまりとしているが、質素には程遠い。外壁は綺麗に整えられているし、しっかりと屋敷を囲む日干しレンガの壁に、出入り口の鉄門が付いているのが見える。日干しレンガの中では何人かの武装した男が歩きまわっていた。


 が、クロードの興味はそこにはない。中の様子を確かめると、銃口を二階からせり出したテラスの部分へと向ける。そこではたっぷりの髭を蓄え、白地の衣服を身に着けた老人の前に、AKを肩から下げた男が礼拝用の敷物を敷いているところだった。


「目標、見えているかい」

「くっきり見えてる、時間通りだ」


 クロードの問いにウィリアムが答えた。クロードはそれ以上何も言わず、ナイトフォースのスコープのフォーカスを調整する。視界の中の老人はかなり小さく、髭があることはわかってもそれ以上の判別が効かない。クロードは倍率の調節ノブを回して倍率を上げた。載せているスコープはそれなりの高倍率だったが、かなり距離があるおかげでそれでも小さい。


 とは言え、それで十二分でもあった。映画のように、照準の中に大写しになる必要はない。狙撃において重要なのは相手の姿が確認できることだ。無意味に倍率を高める行為は周囲の動作兆候を見落とす原因になる。


 むろんこの倍率では、その白衣の男が髭の老人であることはわかっても、それ以上のことはわからない。狙撃において重要なのはその対象が何者であるかを確認することだが、それはウィリアムの仕事だった。


「間違いない、やつだ。イブラヒムだ、確認した」

「了解、イブラヒムを確認……距離は」


 クロードは身動ぎしないままに問いかけた。無論答えはわかりきっている。この位置から見てほぼ1100メートルだ。正確な数値を言えば、ウィリアムとクロードの居るこの地点から、あのテラスの端までで1097メートル。レーザーレンジファインダーで計測した数値だった。


「1100メートル」

「オーケー、ウィル」


 クロードはゆっくりと息を吐きだし、それからスコープのエレベーションノブへと左手を触れた。エレベーションノブは上下の調整を行うダイアルだ。それを掴み、必要な修正数値を考える。


 このM700は.300ウィンチェスターマグナムを装填していて、スコープ調整は500メートルの地点で弾道の第二交点が来るように調整していた。


 基本的に弾道は重力の影響を受け山なりの曲線を絵描くが、照準という名の視線はその影響を受けるものではないのでどこまでも直進する。その照準線と銃弾の放物線の交点を“照準距離”と呼び、弾道が上がる際に一度、落ちてくるときに二度交わるうち、500メートルの第二交点を照準調整距離にしていた。


 当然ながら、500メートルで調整していたのでは1100メートルの距離を狙えたものではない。弾道は山なりであり、降下開始後の500メートルに合わせていれば着弾はそれよりも下になる。その上弾丸は飛翔距離が伸びるごとに速度が低下し、落下量は飛翔距離に比例して増大していく。


 だからクロードは照準器距離を変更する必要があった。本来、銃器の照準調整は弾着を観測しつつ合わせるものであるが、この状況でそんなことを行う余裕が無いのはもちろんだ。が、だからといって調整が出来ないわけではなく、装填してある一九〇グレイン(およそ一二グラム)の300ウィンチェスターマグナムの弾道データは回収済みであるし、現在の調整距離もわかっている。つまりは500メートルから1100メートルまでの落下量に合わせて目盛りを調節すればいい。


 Minutes of Angle、MOAと呼ばれる単位がある。狙撃などにおける照準器の調整に用いられる言葉で、1MOAでは書いて字のごとく 1/60度になる。照準器の調節の際、あるいは弾道の落下量を示す際によく使われる単位だ。むしろ言えばそれ以外で見かけることはほぼないだろう。


 クロードが載せているスコープの1クリックは1/4MOA分に当たる。1/60度の更に四分の一の数値だ。普段この単位に関わりのない人間には一切何のことだかわからない単位だろうが、1MOA 照準が動くと100メートル先で2.91センチ動いたことになる。


 100 メートルでのおよそ3センチ分に相当するのが1MOAだ。このスコープでは 1 クリックにつき100メートル先で3センチの四分の一の移動量ということになる。

 

 クロードは頭のなかで素早く暗算した。500メートルから 1100 メートルの間の弾道落下量はMOAにしておよそ 35.1MOAにあたる。スコープのエレベーション 1 クリックが1MOAの四分の一であるから、調整は単純に35.1を4倍すればいい。つまりは140クリック分のエレベーション調整だ。端数は照準で補正するためにバッサリと切り捨て、クロードは140クリックの落下量修正をテキパキと行った。


 140クリック、1100メートル先ではおよそ11メートル近い移動量だ。弾道はたった600メートルを進む間にそれだけ落ち込む。狙撃と聞くとまっすぐに銃弾が飛んで行くのを思い浮かべるだろうが、実際はボールを遠くに投げるのと同じように、大きな山なりの放物線を描くことになる。


 とはいっても、これで修正が終わったわけではない。銃弾はありとあらゆる影響を受けて弾道を変化させる。クロードはエレベーションノブから手を離し、懸念事項を頭に並べる。


 自転の影響を受け弾道がそれるコリオリの影響が如実に出るほどこの地域は赤道に近いわけではないし、射撃を行う方向が、地球の自転に対しほぼ水平に近い角度をとっている。1100メートルであれば、この緯度であれば精密射撃には無視できないほどの横ずれが見込めるが、それは経度に対し角度が付いている場合だ。


 続いて考えたのは照準調節時の気温変化だが、これは15度以上の差があって初めて影響するので無視。最後に考えたのは、銃身に切られたライフリングのもたらす弾道の回転が起こす弾道の偏向だ。

 

 いわゆる定偏による弾道偏向もまた重要な要素だった。空気中を旋転運動しながら飛翔するライフルの弾丸は、その旋転力と空気抵抗によってもたらされるポアソン効果とよばれる現象によってその着弾点を変える。


 これは銃身内のライフリングがどちら向きで切られているかにより、M700は右向きだった。弾着は右にずれることになる。このM700では、過去に500から1200までのデータを取ってある。当然、野外射撃では風速の影響もあり、精確な定偏の数値の把握は不可能だが、そこは弾道計算式とデータの複合で確度を十分に補ってあった。あとは右向きの弾着のずれをノブで補正すればいい。


 手持ちの情報で判断できる内容での修正を終え、クロードは意識を再び照準線に戻した。照準線の十字は観測の邪魔になるから、狙撃のその時まで少し脇によけてある。


 標的は敷物の上に立ち、腕を自然に垂らしたまま目を閉じ、何事かを唱えているようだった。その内容が何であるかは、クロードはよく知っている。神への賞賛と誓いの言葉だ。彼らは日に五度それを行うことを義務付けられている。


 そして照準の中のイブラヒムがどういうペースで礼拝を進めるかもわかっている。すべて事前に行わせた航空偵察のたまものだ。その時間ピンポイントで飛行させた無人偵察機に礼拝の一部始終を撮影させ、数回分の映像をもとに、どのタイミングで狙撃を行えばいいかはわかりきっている。


 イブラヒムは齢七五になる老人だ。いまでこそ武装勢力の幹部であり、資金管理と武器調達を担当しているが、生まれはサウジアラビアの上流階級だった。そのころからのつながりのある者達が、いまイブラヒムを通じて武器と金をならず者に流している。だからこそ、それをピンポイントで排除することで混乱を狙い、資金源との分断を図る。


 唱え終えたイブラヒムがゆっくりと膝をつき、頭を垂れて敷物の上に額を押し当てる。日本で言う土下座のような姿勢だなとクロードは思った。こちらへ向けて――その自覚があるわけがないが――頭を垂れるイブラヒムの背中を見つつ、数秒してゆっくりと姿勢を起こし始めた彼に照準線を据えて、隣のウィリアムに問いかけた。


「風速は」


 ウィリアムはスポッティングスコープを覗き込んだまま、イブラヒムの屋敷の外に干されている衣服のたなびき方を見ているようだった。およその風速を割り出すには、旗や吊るされた布類や、およそ肩の高さからの落下物と地面からの垂直線に対しての角度を定数である四で割った数値がおよその風速だ。


 もちろん、それだけでは不十分であるから、陽炎の傾きかたや、草木の揺れで何重にもチェックを重ねる。何事にも、一つの杓子で十分ということはない。ミスをしないためには何重にもチェックが必要だ。


「風速六、角度は二時から。風速考慮値は半分ハーフウィンテージ


 っても、そっちもうわかってるだろう、とウィリアムが言う。クロードは笑うことはせず、しかし鼻から小さく息を逃がした。たしかにすでに角度と風の生起方向は確認済みだったが、それはそれ、これはこれだった。ウィリアムに計測させることに意味がある、と言っても良い。


 風の弾道に及ぼす横流れの影響はその風の方向で数値が変わる。風速をその数値のまま考慮するのは真隣からの場合、つまりは三時と九時方向からの場合のみ。逆に前後、一二と六時は基本的に弾道への影響はないとして判断される。よほどの風速の場合は上下への修正値となるが。


 ウィリアムの報告した二時の方向はHalf Value Wind、つまりは数値の半分で考慮する。


 風速が六マイル毎時だとすれば、事実上三マイル毎時分の数値でよい。


 そして三マイル毎時の風速環境下での、1100メートル先での弾道の横ずれは2.9MOA、修正は一二クリックでほぼピッタリ。考える間にノブを必要数回して修正する。銃を構え、最初の修正開始から一〇秒と経っていない。その間の計算はほぼすべてが暗算で行われている。参考にしたのは銃のフレーム側面に貼り付けられた弾道データメモ、ドープカードのみだ。


 射撃の用意が整うと、クロードはそのまま親指でボルト後端右横の安全装置を押し込んで解除した。カチリという音。銃のグリップに触れた手を動かし、ボルトを引く。指先を機関部へ押し込むと、そこに収まっているカートリッジに指が触れた。装填済みだ。右手を戻し、トリガーガードに人差し指を押し付け、一息ついて引鉄に這わせる。


「射撃は任意、任せるよ」


 ウィリアムが言った。イブラヒムが二度目の平伏へと姿勢を移行し、五指を揃えてメッカの方向へ、つまりはこちらへと頭を垂れ、額を地面につけて動かなくなる。それをレンズの向こうに見ながら、意識が集中していくのを感じる。クロードは肺いっぱいに吸いきる手前で止め、かすかに息を吐いてから口を閉ざした。


 左手はすでに、元の通り三脚の脚を逆手に握ってしっかりと姿勢と銃を固定している。程よくテンションの掛かった筋肉が土台を固定し、肩の筋肉で保持したストックと軽く引き寄せる右手の中指から小指までをリラックスさせると、ゆっくりと引鉄を引き寄せた。


 かすかなスプリングのテンションすら感じ取れるほどに研磨された意識が、すぐ眼前に展開された完全な正円の中央に修練する。喉を鳴らすことも、息を吐くことも、瞬きをすることもなく、身体と一体化したM700の火器管制装置になった身体が引鉄の残りの一ミリのストロークを滑らかに絞る。


 撃発までの瞬間、クロードの意識は完全にイブラヒムの背中、直径二〇センチの致命的な範囲に収束しきっていた。同時に彼の意識と切り離された身体は、その筋肉が記憶した動作をよどみなく反復し、かすかなブレもなく、引鉄を引き、シアが開放されて撃針が雷管を叩く。生じた小爆発が発射薬を燃焼させ、一九〇グレインの完全被甲弾FMJを銃口から射出するまで銃口を完全に制御した。


 たっぷりの発射薬が急速に燃焼した派手な破裂音は、銃口につけられたサプレッサが大部分を拡散させてくれた。一度に空気を噴出させるような低く鈍い音と同時に、噴き出したガスが部屋に堆積していた埃を吹き散らす。事前に部屋の地面を濡らし、埃をまとめて避けておいたとはいえ、それを免れた微粒な粉塵が舞い上がって空気を濁した。


「……命中、バイタルヒット。即死だね」


 射撃から弾着まできっかり二秒。ウィリアムが告げ、クロードは反動から立て直したM700を屋敷へと向ける。霞がかった景色の向こう、テラスで平伏した姿勢のまま、イブラヒムは背中を大きく弾けさせて事切れていた。慌てて駆け寄る歩哨や、異変を感じて騒ぎ出す周囲がこちらに気づいた様子はない。耳を澄ましたが、あたりは静かなままだ。


「帰ろう」


 外は暗くなり始めていた。斜陽が西の山に隠れつつあるのだろう。クロードは三脚のロックを外し、それをたたんでから、M700に安全装置をかけて傍らの開けっ放しのガンケースに押し込む。ウィリアムはその間にスコープとデータカードを片付け、三脚を自分のバックパックに括りつけた。


 ガンケースを背負い、立てかけておいたM4クローンを手にする。忘れ物がないかを見回し、先に外を覗いに出たウィリアムに続いて部屋を後にすると、西側の山脈の峰に隠れかけた太陽の、最後のきらめきが目に刺さった。


 周囲には誰もいない。遠く、一人の老人の死がもたらしただろう喧騒もここには届かない。ウィリアムを先頭に予め決めておいた、廃村と廃村の間の緑地を通る撤収路を辿りつつ、暗がりの中に沈みつつある、褪せた景色を眺める。


 二年前と何も変わっていない。このアフガニスタンはあいも変わらず戦地のままだし、命の価値は銃弾一発と同価で、自分はいまだに殺しを生業にしている。何も変わってはいないさ、と笑いつつ、昔に比べて熱を失った重い体を引きずって帰途につく。


 彼はいまだに戦士だった。そして殺し屋であった。たとえ、肩書と多くの戦友を失っても。





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