第5話 Dawn 5

 焦げた臭い。生臭く濁った空気。


 それがなんであるかは記憶にしっかりと刻まれている。何年か前にも嗅いだ、墜落した時の臭いだ。ショートした機体の電気系統がスパークし、オイルが漏れ、中にいたはずの人間がぐちゃぐちゃのぬるい塊に変わってしまった後の、胃にのしかかる臭気。


 激痛の走る腕でどうにか体を持ち上げる。幸い、機体は横倒しではなく、地面に水平に落ちたようだ。というよりは、機長が彼の技量のすべてをもってしてどうにか不時着させたのだろう。墜落時の搭乗員の生存率を上げるためにも、彼らにはそのためのスキルが求められる。彼は自分の仕事をしっかりと果たしたということだ。


 機内は惨憺たるありさまだった。左右の外壁に穴が穿たれ、そこらに人が転がっている。壁と床には砕けちった人間の破片が飛び散っていて、クロードはその中に顔の半分を失った部下や、飛び込んできた大口径弾で上下を分断された機付き銃手の遺体を見つけた。


「クロード」


 きんとひどい耳鳴りのする頭の中にジョンの声が飛び込んでくる。その時になって、外で散発的な銃声が響いていることに気づく。


 見ると、カーゴベイの後部、搬入口からジョンがHK416を片手に覗き込んでいる。クロードはどうにか彼にうなずいて見せ、それからスリングで体につながっているカービンを手探りで持ち上げた。右手も左手もひどく傷むが、外傷はない。折れているかもしれないが、今気にするだけの余裕は持ち合わせていない。


損害報告ヘッドカウント


 短くそれだけを口にして、左手でM4A1を支え、右手でチャージングハンドルを少しだけ引く。装填はしたままだ。弾倉を抜き、安全装置を回してとりあえずの動作を確かめると、今度は銃身の歪みと照準器の破損を確かめた。問題はなさそうだ。


「うちだけで死亡五、重傷一。機長、副機長ともに死亡。機付き銃手二名死亡、残りは軽傷だ。パッケージは気絶してやがる」


 中に入ってきたジョンの報告にゆっくりと立ち上がって振りかえり、コクピットに目をやる。割れたキャノピー、ショートした計器類と、最初の攻撃で砕け散った副機長の肉片が飛び散るそこで、機長が計器に顔面を突っ込む形で事切れていた。くそ、と小さく吐き捨てつつ、平衡感覚を取り戻しきれずにいる頭に手をやる。頭の中でゴム玉がバウンドしているような不快な振動が残っている。ただぶつけたというわけではなさそうだった。


 ヘルメットの手触りが妙だった。ストラップを外してヘルメットを下ろすと、左側が大きく破損しその機能を失っている。暗視装置は割れ、アームが歪んでいた。幸い、ヘッドセットのほうは無事のようだ。クロードはヘルメットを外し、機内に転がしてから、壁伝いに死体をまたぎ超える。


 足元は見ない。それを見て自分が思考停止するとは思わないが、思考に変化を与えないとも限らない。そんな気がしたからだ。指揮官としての経験は長く、同胞の死体は見慣れたが、それでも不意打ちを食らったあとの意識の混乱だけは回避できない。その浮足立った隙間を、感情の波がさらっていかないとは言い切れなかった。足元が血と人体だったものでぬるぬると滑り、それがざわざわと胸の奥を逆立たせる。


「状況は」

「墜落後負傷者を優先して担ぎだしたが、小規模の敵が襲撃を仕掛けてきてる。ずらからないとまずい」


 ジョンの説明を聞きつつ外に出ると、真っ先に担ぎだされたのだろう負傷者が機体の影で衛生担当による手当を受けているところだった。あたりはまだ暗く、そのままでは手元がおぼつかないからか、フード付きのペンライトで傷口を照らしている。


「デイヴとエドは」

「応戦中だ、どっちも生きてる。無線担当ヘンリーは死んだ。無線機も木っ端微塵になってる、司令部に連絡はつかない」


 ジョンがこちらの欲しい情報を先回りして与えてくれる。気絶している間におよその状況把握はされていたらしい。のんきに意識を飛ばしていたことに申し訳無さと、情けなさを感じつつ、クロードは機体の向こうで聞こえる銃撃戦の音を見やって言った。


「墜落からどれくらいが経っている?」

「五分かそこらだ。対空機銃でめった打ちにされたあと、機長がどうにか稜線に機体を隠してくれたおかげでこの程度ですんだ。ま、エンジンをひどくやられて、そう飛ばずに落ちたが」


 五分。長いか短いかは状況によりけりだが、攻撃を受けているということは、長かったということだろう。贅沢を言えばそうなる前に逃げ出したかったところだが、この状況では望むべくもないことだった。


「機を爆破し、機密処理をする。国境までの距離は?」

「幸い一〇キロもない。っても、とてつもない距離だがな、この状況じゃ。問題は、司令部が俺たちの墜落を把握しているかだ。していたとして、見つけてくれるとは限らない」


 無線さえ生きていれば連絡のつけようもあったろうが、とクロードはヘリの方を見た。ローターがひしゃげ、機体のフレームにも亀裂が入ったそれの中で砕け散ったのだろうヘンリーと無線のことを考える。機体内蔵の無線もこの有様では生きていまい。


「それを考えるのは後でだ、荷物をまとめて逃げるのが先だよ。すぐに出られるかい」 


 クロードはあたりを見回しながら言った。山と山の間の涸れ谷に機は墜落したらしい。たまたまでこのなめらかで細長い谷間に落ちるわけがない。ここに機体が滑り込んだおかげで木々の中でもみくちゃにされずに済んだわけだ。最後の最後までしっかりと職務を全うした機長に内心で感謝しつつ、あたりを見回す。暗いせいでろくに物が見えない。暗視装置を工面する必要があった。


「まだ無理です、まず最低限の手当をしないと彼らを運べない」


 衛生担当のベンジャミンが言った。彼はジョンの部隊の班員だ。クロードとも縁が深く、というよりは同郷の友人としてよくつるんでいた。子持ちということで、ジョンとも話が合うのか一緒にいることが多い。気さくで人のいい、だれからも好かれる男だ。同時にベテランの衛生担当でもある。いくつか論文を出していると聞いたことがある。


「何分かかる」

「五分も要りません」

「それくらいは稼ぐ。手当をしてやってくれ」


 言って、クロードは手当てを受けている部下――エンリコの血に汚れてぼんやりとした様子の顔を見る。傷は腹部で、かなり出血したようだった。機体の破片か何かが刺さったのか、取り除かれた金属片が傍らに転がっている。彼がこちらを見、すみません、と口を動かす。クロードは何も言えず、いいよと小さく手を振ると、応戦中の部下に加勢すべくライフルを手にしてヘリの方へもどりながら、ジョンに生き残った機付き銃手を呼ぶように言った。


 戦うにしても、暗視装置が必要だ。戦死者の分で、無事なものが転がっているのを祈った。クロードは機内に入ると銃のライトでそこを照らした。白々しい明かりの中に浮かび上がる、かつては生きていた、ともに死地をくぐった戦友たちの遺体の残骸の中に目を凝らす。


 引きちぎられた腕、分裂した頭、真ん中から弾けた胴体に、穴まみれになった装備品。血と糞尿の、コールタールのように濃い匂いの中を嗅ぎ分けて歩き、無事そうなM4A1カービンを拾い上げ、それから、地面に転がって天井を仰臥するヘンリーの遺体から無事そうなヘルメットと暗視装置を剥ぎとった。彼の体は胸から下がどこかにいっていた。背負っていたマンパック無線機もはじけ飛んで跡形もなくなっている。その隣にはロジャースが下半身を失って血の海に突っ伏していて、その上には、別の誰かの下半身が片足を失ったまま被さっていた。


「ごめんよ、でもこいつは僕らに必要なんだ。すまない」


 死者は、声など聞きはしない。けれども何かを言わなければ自分が納得できないような気がして、意味もなく語りかける。誰のものだかネームパッチがなければ判断できないような胴体の残骸から弾倉を引きぬき、かつてはジョナサンだったそれに一瞬だけ目を閉じると、クロードはヘルメットを被り、ストラップを留めてカーゴルームを出る。


「こいつは君の分だ、すまないが今の僕らに子守をするだけの余裕はない。最低限の自衛だけはしてもらう。負傷者について護衛をしてもらえるかな」


 弾倉と一緒に押し付けられたM4A1を手にした銃手がうなずき、こわばった手つきで装弾と照準のチェックを行う。それをしり目に暗視装置を下すと、闇に慣れ始めた目の前に、緑に増幅された枯れ谷が映し出される。


 攻撃が行われているのは片方の斜面からだけのようだった。両側からはさまれていたら今頃ひどいことになっているだろう。クロードはそれを確かめ、手にしたM4A1のIRレーザーを起動する。視界に高出力の赤外線光の筋がまっすぐに伸び、それを散発的な射撃音と発砲炎の瞬く斜面へ向け、ヘリの残骸の攻撃を受けている側に半円を作って防衛にあたる部下の中に混じる。


「デイヴ、デイヴ」


 クロードは暗視装置を追加でマウントした長銃身のMk12を構え、斜面の木々の合間からこちらにあてずっぽうに近い射撃を繰り返す敵に反撃するデイヴの隣に小走りで駆け寄った。


「目が覚めたか。まずい状況だぞ」


 デイヴがざっくりと切った額から流れ出た血であごひげを濡らし、不愉快そうな顔で銃口を心持下げ、こちらを振り返って言った。彼の横顔には不快感と、それにまさる怒りがたっぷりと滲んでいる。見ると、コンバットウェアの袖がぐっしょりと血にまみれていた。彼のものではない、同胞の血。


「のようだ、参ってる。規模は」

「わからん、小隊も満たないとは思うが、この後に来るだろう客の方はどの程度の団体か見当もつかない。移動はまだか」


 デイヴは焦れているようだった。無理もないだろう、このままここにくぎ付けにされればろくな抵抗もできないまま死ぬことになる。それは何よりも腹立たしい結末だ。ただでさえ撃墜されたことが腹立たしいというのに、これ以上好き勝手やられてはたまったものではない。


「エンリコがひどい怪我だ。五分で応急処置が終わる、それを待たないで動かせば死ぬ」

「わかった、ここを五分固守しよう。だがそれを過ぎたら……」

「わかっている、その時は彼の容体にかかわらず動くしかない。この時間だって、賭けみたいなものだ」

「だが移動を開始したとして、負傷者と荷物を一つ抱えたままじゃ追いつかれるぞ。死ぬにしても、全員そろって無意味に討死は御免だ」


 デイヴが言って、使い切った弾倉を足元に落としてこちらを見る。クロードは暗視装置に隠れたデイヴの顔を見、それから半円の陣形を構築する部下たちを見回す。エドガー、ジョン、デイヴ、ライリー、ジム、ブラッド、ジュリアス、ティム。そして自分。最初は三二人、損耗を重ねて一六人、今ではもう、一一人しかいない。減ったな、などと考える間にクロードは左わき腹のポーチに手をやり、中につっこんであった衛星電話を掴んで、コンバットパンツのポケットに押し込んだ。


「僕も同意見だ。そして僕は指揮官として、この状況からどうにか“生還者”を出すために選ぶ義務がある。すまないが、君には付き合ってもらうことになる。これはエドにもジョンにもたのめない」

「すまない? 水臭いことを言うなよ、付き合ってやる。家のある人間には任せられん」


 デイヴが笑った。クロードは持つべき家庭もなく、帰るべき実家もない男の肩をたたいた。自分も形式はどうあれ実態は似たようなものだ。そもそも、この部隊にはそういうあとくされのない人間がそれなりの数いる。


「ありがとう。彼らに伝達してくる」


 クロードは言いつつ、近距離――といっても100メートルは先だが――で瞬いた銃火に応射する。抑制された銃声が響き、ほぼ同時にそちらに向けて数名が発砲したおかげで、木に身を隠そうとした敵の小さくおぼろげなシルエットが地面に崩れ落ち、追加の弾着で痙攣するように踊るのが見える。


 思ったよりも敵が距離を詰めている。まずいな、と思いはするが、いまさらどうすることもできない。時計を見ると二分が経っていた。クロードは敵の頭を下げさせるために見える発砲炎めがけて撃ちかえしつつ、今度は半円陣形の端っこで膝射の姿勢を取っているエドガーのもとへ移動する。


「エド、無事かい」

「なんとか」


 そううなずいて、彼は撃ちきった弾倉を捨てて満タンのものを差し込む。墜落の時に痛めたのか左手首に包帯を巻いていたし、たっぷりの鼻血が垂れた跡があった。クロードは彼の隣にたち、斜面側からの散発的な射撃に目を凝らす。


 まだ重火器の類は来ていない。おそらくはAK程度の個人火器しか持ち合わせていない小規模のグループだろう。射線の通っている相手を選別し、それに向かって応射しつつ、クロードは言った。


「君の班はジョナサンとロジャースが死亡、エンリコが重傷だ。ジョンの班に組み込む、いいかい」

「ああ、かまわない。エンリコは助かりそうか」


 エドガーが射撃の手を緩めて尋ねた。班員の半分を失ったエドガーの顔はこわばり、感情が凍りついたように無表情のままだ。クロードはその横顔から目をそらして、ヘリの向こうのほうへと視線を向ける。機体の影では今も手当が続いているはずだ。


「わからない、傷は深かった。彼のためにあと数分ここを固守する必要がある。移動のときは、君とジョンの班が負傷者を担いでくれ、僕らがケツを守る」

「わかった。お前たちが直掩で俺たちにつくんだな?」


 エドガーが怪訝な顔でこちらに問うた。クロードは自分とデイヴの取り決めを感づかれないよう、その眼を見ずに「もちろん」とうなずき、空になった弾倉を入れ替える。前進したボルトの立てる金属音が頼もしい。


「ああ、そうだ。僕らが君たちを“援護”する。負傷者のところに移動して、準備をしてくれ」


 クロードは立ち上がりってジョンの方へ向かった。エドガーがこちらを呼び止めようと何かを言ったようだったが聞こえなかった。銃声は間近になりつつある。時間が残り少ない。その残り少ない時間がもつ価値は、クロードはいやというほどに知悉している。万金を積み上げても買えないものだ。


「ジョン」

「クロード、どうした」


 ジョンがこちらを見ずに言った。クロードは頭を下げ、デイヴの部下の支援火器手が短く区切ったフルオートで敵の頭を押さえつける頼もしい連射音を背中で聞きながら、ジョンのすぐ真隣に膝をつく。


「エドを君の班に預ける。生き残った銃手と、ベンジャミンとジュリアス、それからデイヴの班からも衛生担当のティムを連れて、負傷者とパッケージを担いでくれ、今すぐ撤収の準備」

「そっちはどうするんだ」

「君らが負傷者を担ぐまでここを維持し、そのあとヘリを吹っ飛ばしてケツ守りをする。負傷者を担いでいるんだ、どうあっても敵に食いつかれる、護衛が必要だ。わかったかい」


 ジョンが何かもどかしげな眼差しでこちらを見、それから斜面の方を見た。遠く、稜線がごくごくわずかではあるが明るくなりつつある。夜間の優位性を失うまえにできる限り墜落地点から距離を取る必要がある。クロードはジョンの肩をたたいた。彼に思考の暇を与える気はなかった。


「いいから行くんだ、もうすぐ手当が終わる」

「わかった、尻は任せる」

「待つんだ、ジョン」


 こちらへの疑問と残り時間を秤にかけたジョンが立ち上がりつつ頷き立ち上がるのを一度制すと、クロードは気取られないように左手で衛星電話を引き抜き、彼のバックパックをつかんだ。


「空きっぱなしだ、中身をこぼすよ」

「お前は俺のお袋か?」


 切迫した中にあって、ジョンが笑う。クロードは嘘をついた。彼のバックパックは閉じたままだったが、そのサイドポーチをほんの少しだけあけ、力強く閉じるふりをして衛星電話を押し込んでやると、もう行っていい、と肩をたたいた。


「お袋に口元を拭われるうちは坊やだよ」


 笑わせるなと言いつつジョンがヘリの向こうへと指名された部下を連れて引っ込む。クロードは火力の薄くなった防衛網を維持するために欠員の出た位置に入ると、傾斜のきつい岩肌をどうにか下ろうとあくせくしている敵の小さな姿にレーザーを向けて三連射する。


 岩に命中して舞い上がる煙に霧状のものが混じって敵が倒れる。そのまま射撃を中断せず、その敵を物陰に引きずろうとした新手にも銃弾をお見舞いすると、すぐ隣によってきたデイヴに言った。


「ティムを向こうに預けた。僕と君、それからライリーと、ジム、ブラッドでそのケツを守る」

「そうか、わかった。妥当な人選だな」


 デイヴがこちらの残した部下を見回し、やれやれといった顔でうなずく。クロードは銃口の先で倒れた新たな敵の死体から目を離し、空模様を眺めるような達観した様子のデイヴの横顔を見て口を開く。


「そういうことだ、すまない。こうするしかないと思う、きっと」

「俺も同意見だよ、気にしないでいい。こうなった以上は、誰かがやらにゃならんことだ」


 気にするな、と彼が背中をたたく。クロードは何かが胸に詰まるような息苦しさを飲み込みゆっくりと息を吐き出してから、徐々に明るくなりつつある稜線に目を凝らした。夜明けが近い、生死を分かつ夜明けが。


 決断は下した。あとはやれることをやるだけだ。


 斜面側からの火力がにわかに増しつつある。こちらの反撃が弱まったせいもあるだろうが、単純に駆けつける敵の数が増えつつあるようだった。クロードは狙いを定めるのもそこそこに反撃しつつ、徐々にヘリの側へ後退するように声と手信号で命じる。これ以上粘り続けるのは危険に過ぎるし、遮蔽に利用できるものは近いほうがいい。


 しんがりを務めるために残った四名の部下は即座に反応した。まず片翼の端にいたブラッドが射撃を切り上げ、もう片翼に移動する間に、自分の隣にいたデイヴの肩をたたく。ブラッドがクロードの隣について支援火器を盛大にばらまき始めるころには、デイヴが同じように移動し、隣のジムの肩をたたく。


 標準的な射撃ファイアおよびアンド移動ムーブメントの動作だ。それを繰り返し、火力の減少を最低限に抑えつつ円滑に移動する。基礎の基礎だが、だからこそこういう時に有効となる。特に自分たちよりも火力、数的戦力で勝る敵を相手取るときにはこれ以上ないほどに役に立つ戦術だ。


 隊列が即座にヘリの陰にひっこめる位置に移動したころ、ヘッドセットから声がした。


『クロード、移動できる。エンリコを担架に乗せた』

「わかった、すぐに移動を開始してくれ、国境に向けて最短ルートをつっきる、北西方向に進むんだ。僕らはこれからヘリを爆破する」

『了解、すぐにこい』


 クロードはPTTの送信スイッチをおしながら、ストックに括り付けたGPSの現在座標を見た。そのあとで無意味な行為だったなと気づく。現在地点を自分が把握していても、司令部に伝えるすべはない。ただの体に染みついた習慣に過ぎない。


「デイヴ、ジムとライリー、ブラッドを集めてくれ。負傷者の移動が始まった、機密処理をする」

「了解」


 その時、間延びした口笛のような音が聞こえた。これまでに何度となく聞いたその音がなんであるかクロードが思い当たる前に、デイヴが叫んでいる。クロードは音のほうに視線をむけ、一直線にこちらに突っ込んでくる噴煙の筋を見た。


「RPGだ!」


 弾着。真隣というには少し離れた位置にRPGがはじけ、爆風で空気が震える。その余韻が消えきらぬうちに、今度は長く連なった低い銃声。ペチェネグの掃射音が一つ二つと数を増す間に、爆風と巻き上げられた土でひっくり返ったクロードは、左腕に刺さった岩の破片を引き抜き、耳鳴りのする頭を振って命じた。


「機体に焼夷弾サーメートを投げ込め、コクピットは絶対に破壊しろ!」


 岩の破片の刺さった腕から垂れ血を無視し、弾倉に残った弾を曳光弾の発生源へと叩き込む。暗視装置のなかで減音器のさきから湯気と発砲炎が立ち上り尾を引いたが、その先を見ることなく、もう一発追加されたRPGの弾頭がさく裂し、飛び散った土を背中に受けながらよろめきつつ離脱する。


 走る太ももに痛み。左足を見ると、太ももの横にも岩のかけらがいくつか突き刺さっている。それを引く抜く暇はなく、追い立てるような機関銃の濃密な火線からどうにかこうにか逃げ出すと、着弾のたびに甲高い音を立てるヘリの残骸に身を隠す。


「焼夷弾を投げ込んだ、いこう」


 デイヴが言った。クロードはヘリのほうを見た。


「カーゴは?」

「やった。C4の残りも仕掛けた、問題ない」

「よし行こう、急いで離脱する。せめて林の中に逃げ込みたい」


 容赦のない銃弾の雨がヘリの残骸にあたり、立て続けに甲高い音が鳴り響く。こちらが引っ込んだことで、攻撃はより容赦ない熾烈さを増しつつあった。こちらが引っ込んだのだから、迂回してくるにせよ直進してくるにせよ、じきに取り付かれる。


 そうなる前にこの枯れ谷から斜面へ移動し、生い茂る樹木の加護を得なければならない。右手でライフルを掴んだまま、すぐ背後、枯れ谷の境目から向こうを覆い尽くす木々を示した。ここは雨季になれば雨水によって川になる。よってその底はなめらかであり、木々が生えていないが、その脇には当然のようにマツなどの樹木が生い茂っていた。枯れ谷はコントロールを喪失しかけのヘリを滑りこませるには絶好の地形だが、遮蔽がない。ここに残れば良い的だ。


 機内に投げ込まれたAN-M14焼夷弾が点火され、想像を絶する高温を発して炎上する独特の音と、まばゆい閃光を放ち始める。コクピットのキャノピーの向こうで炎に包まれてゆく機長の影を見、底から漏れる明かりで地面に濃く刻まれる自分たちの影に目を落とすと、クロードは軽機関銃を携えたブラッドとジムを呼び寄せた。


「僕らが支援する、まず君たちが林の方へ逃げ込むんだ。君たちが支援位置についたら、無線で合図をしてくれ。こちらも移動する」

「了解」


 ジムが頷き、ブラッドがクロードの肩をたたいて走っていく。クロードとライリー、そしてデイヴは、その背中を守るために接近しつつある敵の方へ銃を向けつつ、ヘリから距離をとった。焼夷弾がいつ燃料に引火してもおかしくなかったからだ。しない可能性もあったが、その時は念の為に仕掛けたC4を起爆するだけだ。


 クロードがちょうど身を隠せる程度の岩の陰に飛び込むと、後を追って横薙ぎにされたペチェネグの銃撃が地面や岩にあたって甲高い音を立てた。即座に銃を岩陰からつきだし、レーザーの先を曳光弾の発生源へと向ける。ろくに姿は見えていないが三連射、更に三連射。当たろうが当たるまいが、射撃にはそれだけで効果がある。至近弾を受けたらしく、慌てて位置を変えようと動いた影が見えた。その手にもつ機関銃のシルエットも無論暗視装置の中にくっきりと浮かび上がっていて、クロードはそれを逃すまいと、慎重に狙って数発。


 横合いからの銃撃を受け、腹を射抜かれた男が転がる。それを見、こちらに仕返しとばかりに応射してくる敵にしっぺ返しの銃弾を叩き込むと、先ほど撃たれた男が助けを求めているのが見えた。それに手を伸ばそうとした男に向かって発砲する。


 男は片手にAKを持ってこちらにフルオートの弾幕を展開するが、距離がありすぎ、そして不安定な射撃姿勢すぎる。数発がクロードから少し離れた場所に命中し、間延びした着弾音を立てる。


 クロードがその男に引導を渡すまでもなく、ライリーか、あるいはデイヴが正確な銃弾を送り込んでいる。片手に持っていたAKを落とし、もんどり打って倒れた男の傍らで、機関銃手もまた息絶えていた。


 だが敵を三人殺しても安堵するだけの余裕はない。こちらの発砲炎を頼りに、向かいの斜面から再び勢い良く噴煙の筋が伸びる。RPGのぞっとする――そして同時にひどく間の抜けた――飛翔音。一瞬あとには、狙いのそれた弾頭が地面とかち合って炸裂し、噴煙とあれこれの破片をそこらに撒き散らしている。クロードは身を隠した岩にぶち当たった破片が立てる音に、更に一、二発分のRPGの着弾が続くのを聴いた。


「くそ、増援が来てやがる!」


 デイブが叫んだ。彼の照準に合わせてレーザーが斜面に伸びる。クロードらからみて、向かいの斜面の右側から、林の間を縫う人影がいくつも見えた。数が増えているのは疑いようがない。


 前哨戦は終わり、ここからが本当の戦闘になる。


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