第12話 イラクへの路 1
アフガニスタン最大の多国籍軍基地、バグラム。
標的を確保し、警官隊につかまる前に逃げ出したERTは、ヘリに乗り換えて自分たちの拠点へと舞い戻った。アフガニスタン国内で最も大きな航空機設備を持つここバグラムの滑走路からは、米軍機をはじめ数多くの航空機が離着陸を繰り返している。
「それで」
「なんだい」
「出頭しろって話じゃなかったか」
ウィリアムの問いに、さぁと返す。ヘリから降り立つなり、ウィリアムとクロードの二人だけが待機を命じられ、他のチームメイトは装備を担いで立ち去ってしまった。ご愁傷様と苦笑を残した
「人を迎えに行け、何て俺たちの仕事じゃない」
とウィリアム。装備も下ろせず、二時間ほど前に夜明けを迎えた空を見上げる。まだ太陽は昇ったばかりだが、既に気温は急上昇しつつあった。シャツの上に重ねた防弾装備の裏がじっとりと汗ばんでいる。
「つまり、普通の来客じゃないってことだよ」
「重要人物?」
さぁ、と。クロードはまた気のない返事を返して、滑らかにホバリングへと移行し、高度を下げつつあるヘリから、ウィリアムへと視線を投げる。
「“ウチ”だとこういうのは護衛業務だろう?」
「まあな」
「そういうのは事前通達があって、警備計画を練って、もっと大人数でやるものだ」
「たしかに」
「そうじゃないってことは、僕たちのための来客というわけじゃないかと思う」
なるほど、と分かったようで分かっていない顔のウィリアムが頷く。駐機係に誘導されてぐんぐんと高度を下ろすヘリが、猛烈な
「つまりどういうことだ」
「予想だけど、こういうときは美人が面倒ごとを運んでくるものだよ、ウィル」
グラスを下ろしたクロードの言に、何を言っているんだという顔で首を傾げるウィリアム。しかしその間の抜けた態度も、ヘリの後部ランプが開いて、中から一人の女が降りてくるまでの話だった。
日差しを反射する銀髪を風になびかせ、上着を左手に、右手には小さな革鞄を提げた女。首を下に傾け、遮光グラスの上から紫がかった瞳をこちらへ向けた彼女は、軽やかな足取りでこちらへと歩み寄る。
「おはよう、セシリア。いい朝だね」
「社交辞令なら結構よ、クロード。そういうのが得意な人じゃないでしょうに」
「気遣い痛み入るよ。ついでに、空調の効いた部屋で待たせてくれていれば完璧だったんだけども」
それはごめんなさいね、と悪びれる様子を一切見せず、セシリアが口元をほんのりとほころばせる。それから彼女は、隣で眼を白黒させているウィリアムを見遣ると、あなたもおはよう、と声を掛けた。
「ああ、どうも。しかしまた、急なお越しで」
「ごめんなさいね、もう少し早く連絡できればよかったのだけれど」
急に決まったことだから、あなたたちにもまだ伝えていないの、と続く言葉。一体何のことだと顔を見合わせるクロードとウィリアムをよそに、いたずらっぽく目を細めたセシリアはたった一言、
「さあ、イラクへ行きましょうか」
持ち出しを許可されないもの、つまり支給品である暗視装置や狙撃用ライフルを返納し、使いかけの弾薬もしっかりと数えた上で返却。貸し出されたものに欠品がないかを紙面で確かめ、ようやくクロードたちの準備が終わる頃には、セシリアの訪問から三時間が経過していた。
「それで」
滑走路での問いと同じトーンでウィリアムがこちらを見る。クロードはG&M濡れ仕事チームの責任者である管理担当に面会に向かったセシリアを待つ間、暇をしないようにと用意した雑誌から顔を上げた。
「質問は主語を添えてくれないか、ウィル」
「なんでイラクに」
「知らないよ、僕が教えてもらっているように見えるかい」
「いんや、ぜんぜん」
「なら僕に聞いたところで意味なんてあるまい?」
にべもなくそう返し、雑誌に目を戻す。アメリカ本土で刊行されている銃器雑誌には、昨今の民間市場のトレンドや法執行機関での新たな銃器採用例に加えて、長距離射撃競技の項目がある。クロードはそこを何度も読み返し、優勝者の銃やコース設定、その日の気象状況などに目を通していた。
「じゃあ、だ。何で俺まで」
「君は僕の相方だからね」
「でも、いくつか分かっていることがある」
「それは?」
お、とウィリアムが姿勢を正してやや前のめりになる。
「まず、これは僕らが何かをしでかしたというわけじゃない。それならセシリアの出る幕じゃない。次に、急に決まった、と彼女が言っていたということは、それなりに緊急性があるんだろう」
「なるほど、そりゃ確かに」
「それに、
暗殺の類か、それともまた別の案件かまでは分かりはしないけど、と最後を濁す。いつも通りってことか、と後を引き受けたウィリアムに頷いてみせると、待機室から繋がる廊下でドアが開き、セシリアと壮年の男が出てくる。
「待たせたな、二人とも」
「いえ、お気遣いなく」
男――管理担当がひらひらと手を振り、ウィリアムが答える。G&M濡れ仕事チームのアフガン業務、クロードたちの直属の上官にして、首狩りの長。元海兵隊員らしい、短躯気味だががっちりとした体つき、アフガニスタン派兵最初期のものだという頬の傷。日によく焼けた肌は黒く、五〇をとっくに過ぎているというのが信じられないほどだ。
「クンドゥーズ、マザリシャリフ、どちらも良くやってくれた。おかげで上は大喜びだ。特にクンドゥーズ、お前たちがいなければ実行は不可能だったからな」
どうも、とクロードは頭を下げる。二〇キロの縦深をとり、たった二名で標的に接近、敵の支配地域のど真ん中で標的を撃ち殺す。確かに簡単なことではない、というよりは半ば不可能に足を突っ込んでいる。潜入の難易度もさることながら、1100メートルで一撃必殺を期するというのは、並みの射手に出来ることではないからだ。
が、例えどれほど困難な仕事とはいえ、やすやすと褒めたりなど、この管理担当がすることではなかった。どのような仕事も、仕事である以上はこなして当然、そういった態度で部下を統率してきた男が、突然褒めてくる。
それほどに恐ろしいものもない。見れば、隣でウィリアムがほんのりと額に汗を滲ませ愛想笑いを浮かべていた。
「あら、ウィル。どうしたのかしら、そんなにここが暑いの?」
普段の管理担当の態度を知るセシリアが、からかうようにそう笑う。助けを求めるようにこちらに向けられたウィリアムの目を見、クロードは溜息を一つ。
「イラク送りだからって、そんな餞別をいただかないでも大丈夫ですよ」
「お前らがたるむなどと、そんなことは思っちゃいない」
クロードの発言に、きっぱりと管理担当が押し被せた。態度も普段どおりの、事務職員を戦々恐々させる歴戦の下士官顔に戻っている。
「事情は把握した。お前らを持っていかれるのは痛いが、そもそもクロード、お前はウチに“貸し出されている”身だからな。文句は言えん」
「俺は?」と自分を指してウィリアム「G&Mの契約社員ですが」
「添え物だ。相方を一人で送り出す気か」
酷い言われようだとかぶりを振るウィリアム。当然とばかりの態度の管理担当。その双方を見、我関せずの方針に決めたクロードは、
「ところで、僕らはその事情を聞かされていませんが」
「それについては機内で。あまり時間がないのよ、ドイツで乗り換えになるから」
わざわざ機体を待たせることになりたくないもの、と続け、セシリアはこちらに書類を突き出す。受け取ると、その中身は異動辞令だった。今更ではあるが、持ち出し許可品リストに目を通し、その他あれこれ細かい但し書きをざっと確かめると、それをたたんで荷物に押し込む。
「チームにはこちらから伝えておく。お前たちはもう行け、すぐに輸送機が出る」
ひらひらと、さっさといなくなれとばかりに管理担当が手を振る。餞別代りに褒めるだけ褒めたら、後は自分の出番は終わりとばかりのその態度に、ウィリアムもクロードも苦笑するよりない。
「それでは、失礼します」
「お世話になりました」
管理担当が敬礼すると、クロードとウィリアムも同じように返礼した。海兵隊員上がりの二人にとり、管理担当は大先輩といっていい存在だ。湾岸戦争を経験し、人生の半分以上を海兵人生にささげた下士官は最も敬意を払うべき存在のひとつだった。
それじゃあ、いきましょうかと、セシリアが瀟洒な腕時計に目を落とす。装備を詰めたバックパックを背負うと、三人はG&Mに供与されている施設を出て、迎えの車に乗り込んで滑走路へ。
そして滑走路で待機していた大型の輸送機に乗り込み、荷物を下ろす。乗客は荷物を含めても自分たち三人だけらしい。ウィリアムとクロードが荷物をワイヤーで縛る間に、セシリアが機長と話を済ませて戻ってきた。
座席についてベルトを締めると、セシリアが隣に座った。ウィリアムはといえば、着くまで眠ると言い出して対面で足を組んでいる。
「まずはおめでとうと言っておくわ」
「一体何の話だい?」
「懸賞金の話よ、死神さん」
ひらりと目の前に差し出された一枚の紙、アラビア語で何事かが書き込まれたそこには、まさにここバグラムで撮影されたらしい――それも隠し撮りのように見える――クロードの写真が添えてある。
死神、クロード・ビショップ。神の敵だのなんだのと続く文の最後に、しっかりと懸賞金額が書き込まれている。クロードの記憶にある自分の懸賞額よりも、よほど値上がりしているようだった。
「嬉しくないな。いつの間にこんな額に」
「あら、自分の懸賞金のこと、知らなかったのかしら」
「僕は自分の値札を確認する癖を持たないだけだよ」
この一年で二度も値上がりしているのよ、とセシリア。つまり随分と昔に、バグラムに出入りする誰かしらがクロードの存在に気付いて写真を撮り、武装勢力側に流していたということか。思わず眉根に皺が寄る。
「海軍の“伝説”を追い越す額よ。随分と大物になったわね」
「言ったろう、嬉しくない。それとも、君としては鼻が高いかな。飼い犬の名が売れるのは」
「貴方は犬ではないわ、そんなに可愛いモノじゃない。それに、私が飼いならせるような可愛らしい人なら、私だっていちいち世話を焼こうなんて思ったりしないもの」
こちらを見つめていた愉快げな瞳が、ほんの一瞬だけ真摯な色を帯びた。秘密を暴こうと息巻く記者に追い回され、心身ともに疲弊しきっていたころ、祖父から引き継いだ家を訪ねてきたときに見せたものと同じ眼差し。魔女と噂される紫の瞳を見つめかえし、貴方の飼い主は貴方自身でしょう、と首を傾げる魔女の美貌にほんのわずかな間だけ見とれると、対面から咳払いが聞こえた。
「本題……ほ、ん、だ、い」
寝るといいつつ話を聞いていたらしいウィリアムが、小さな声で、しかし大きく口を開いてそう囁く。
「で、だ。その件がどうかしたのかい」
「ローレンツが貴方に目をつけたのよ」
セシリアがにっこりと満面の笑みをウィリアムへと向けると、ウィリアムはすぐに引き攣った顔を背けた。が、クロードはそちらを見て笑うだけの余裕がない。
ローレンツ、クロエ・ローレンツ。とうの昔に亡くなった婚約者の姓だ。二〇〇一年九月一一日、ニューヨーク貿易センタービルのオフィスで午前勤務についていた彼女は、突っ込んだ旅客機によって退路を経たれ、クロードの目の前でビルもろともに崩れ落ちた。
もう一〇年以上も前の話だ。そのときクロードは二〇半ばを前にした若造で、アフリカでの実戦を経験したばかりの新米将校だった。まだ死神になる前の話。大勢を屠る前の話。
それを機に、クロードは
「彼女が僕を見つけたか」
「ええ、そうみたい。念願の相手だもの、ずいぶんなお熱みたい」
ローレンツ、とその名を何度も口にしてみる。懐かしい響きだ。カレッジでの出会い。素直で、しかし控えめな笑み。男運がないのよと泣いた横顔。ああ、そうだ。君は男運がなかった。最後に選んだ男は、とんだ殺し屋に育ったのだから。
「最愛の姉の婚約者、それをどんな気持ちで追っているのか。少しだけ気にはなるけれど」
貴方に今引き合わせるわけにはいかないわ、と続く言葉。それに、貴方の承諾が必要だものと更に言葉を並べ、セシリアは小さく肩をすくめる。
「良くそんな理由で、ウチのあの頑固親父が納得したね」
「まさか、その話はしていないわ」
おや、とクロードが首を傾げる。視界の端で、寝たふりを決め込んだウィリアムがそっと目を開き、こちらに耳を傾けているのが分かった。視線をチラリと合わせると、あわてて目を閉じる。
「そんなことで貴方をすんなりと手放せるほど、彼らに人的余裕がないのは分かっているの。それはあくまで、“私達”の取り決めの問題。本題は、こっち」
先ほどの手配書と同じように、目の前に差し出された紙。アラビア語で記されたそれを手にし、たった一文だけのそれに目を通す。
“お前たちは再び罪を犯した
だからこそこれに対し、私は復讐する“
記憶の彼方から、イラク北部の焼け付くような熱気がこぼれだす。二〇〇四年のイラク北部、スコープの向こうに捉えた、影の中の微かな揺らめき。戦死者報告を垂れ流す無線、800メートル超えの長射程。
「ありえない、僕が殺したはずだ」
クロードは、思い出の泉にふたをすると、それだけを口にした。輸送機が離陸を始めたのは、ちょうどそのときだった。
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