第2話 Dawn 2

 クロードは胸元に抱え上げるようにして保持したM4A1の筒先を慎重に視線と同じ正面方向へと向け、消音器でやや長くなったそれの先、暗視装置で狭まった視界に広がる痩せこけた斜面からなる山岳景色に意識を傾けた。


 見慣れた眺めだ。鋭い岩や、髭の剃り残しのようなみすぼらしい藪、マツの木立からなる無法者の土地。荷車にアヘンや銃器を乗せた商人が、コーランよりもAKの事に熟知した“ならず者”が、そして時には自分たちのような戦士が人目につかぬように通り抜ける荒れ地。アフガニスタンのヒンドゥクシュ山脈と、こことでその眺めに大差はなく、そこにいることによる危険にも大きな差はない。


 E地点ウェイポイントエコーでの交信を終え、小休止を終了させてから二〇分近くが経過していた。フェイズ1、国境を徒歩で越えての目標への接近が終了し、フェイズ2、すなわち襲撃の実行へと作戦の段階は移行している。こそこそと人目を忍び、他人の庭をおっかなびっくり渡り歩く夜盗の時間はじきに終わる。


 とはいえ、これから行うことに大差があるわけでもないが。夜盗も押し入りの誘拐犯も、世間一般からしてそう大差あるまいとクロードは口元に笑みを浮かべる。


 E地点から標的のいる目標地点までの間に、敵の警戒網はない。少なくとも無人機の収集した情報ではそういうことになっている。CIAの分析官や、そういった活動兆候を探る専門家の意見はあまりあてにならないとクロードは思っていたし、それもあくまで、降下前の分析にほかならない。ゆっくりと銃口をめぐらせ、すぐさま射撃を行えるようにしたM4A1を意識したまま、左手を岩にそえ、身体を支えて段差を慎重におりる。


 岩と木とで構成された斜面を下り、まばらに生える藪の間を縫うように進んで行く。先ほどまでの行軍とは違い、互いの距離をあるていど離しての移動だ。つまるところ、戦闘に備えた展開を行っているという事になる。無論それは活動状況が変わったからに他ならない。


 一六人の任務部隊はすでに四人一組に分割されていて、それぞれが各々の役目のために標的への接近を行っている。デイヴを中核とした支援担当は、すでに目標地点を確認できる岩棚の上に陣取るために別働を始めている。襲撃を行うクロードとジョン、そして古参のデルタ出身者であるエドガー・ジョシュ・ウィーラー曹長が所定の位置につき、クロードが決行の合図を下せばすべてが始まる。


 足元の倒木を跨ぎ、背の高い藪を迂回して、なだらかになり始めた傾斜をしっかりと踏みしめて下りつつ、前方の木立の隙間からその向こうにある目標――渓谷を見下ろすように山肌のふもとに近い、斜面のなだらかな部分に作られた村――のある方角へと目を向けた。そのまま視線と一緒に銃口をゆったりとめぐらせ、静かに息を口の端から逃がしつつ、増幅された闇の中に動作がないことを確かめて前進を再開する。


 たとえ段階が潜入から襲撃へと移り変わっていようと、接敵し、だれかが火蓋を盛大に切って落とさない限り、静かに、気取られぬように距離をつめることこそがもっとも重要な要素になる。よしんば速度が求められる状況であったとしても、敵の火線の中を前進するよりは慎重に息を殺して接近するほうが結果として早く済むと、クロードの中の常識はそう認識していた。どだい、ひとたび戦闘が始まってしまえば、標的を捕捉するどころではなく、なおかつ逃げ出さないとも限らない。そうさせないためにも、何をおいても接近することが重要なのだった。


 浸入は水が染み渡るように、とはかつて選抜過程の実地訓練を担当した教官の言葉だが、このとき襲撃に参加していた一二名の作戦要員らの動きは、まさに水がゆっくりと広がり、足元を浸していくように音もなく静かだった。ゆっくりこそ早い、という原則にのっとり、マツの木立の間を縫い、音を立てやすい落ちた枝や粒の大きな砂利の多い箇所を避けて移動する。


『クロード、前方に注意。動作あり、武装したのが三名、徒歩で移動している』


 ヘッドセットからデイヴの声。クロードは斜面を下った左手、細く車一台が通るのがやっとといった道の方に注意を向けつつ、左の拳を頭の横に挙げて右ひざを地面についた。停止のハンドシグナルだ。


 背後に控える三人の部下がクロードと同じように膝をつき、それぞれの担当領域を警戒し始める。クロードはそれをちらと見、息を殺したまま視線を前方に向け直す。ほどなく、木々の間を通して人影が見えた。まだ遠く、その詳細を見て取れるほどの距離ではなかったが、油断し、警戒心のない足取りで歩いていることは見て取れる。


「01から04、確認した。“散歩”だな。後続は見えるか」

『04、後続の類いは見えず。周囲に他の動きはない、今こちらの射界から物陰に入った。対処は委ねる』

「01了解、おねんねしてもらおうか」


 斜面沿いの細い山道を、三人の人影がこちらに接近しつつある。近づくごとに間に隔てる樹木の数が減り、その姿も鮮明に見えるようになってくると、クロードは減音器サプレッサの先をそちらに向け、部下に“射撃は僕に続け”と手信号を介して指示しつつ、安全装置を解除した。


 距離はもう、その身にまとった衣服の仔細までわかるほどに近づいている。パトゥをかぶり、ひげを蓄え、AKを携えた男たち。彼らの警戒心の感じられないとりとめもない世間話――夜間の巡回への愚痴が聞こえ、一五メートルとないほどに距離が詰まった瞬間、クロードは暗視装置でないと識別はかなわない不可視光の赤外線照準をピタリと先頭を歩く男に据え、穏やかに引鉄を絞った。


 バズッ、と発射薬の燃焼ガスがサプレッサのバッフルによって拡散される鈍く重い音に、甲高いボルトキャリアの稼働音が交じる。撃っている側からすると、遠くまで聞こえてしまいそうなほどに大きく聞こえる音だが、その実、銃口という筒で強い指向性を持たされ、そのうえ高音域の大部分をかき消された射撃音は五〇メートルも離れればかすかなものでしかない。特に雪の降る夜は。


 最初の一発から間を置かず、三発の銃声が続く。遠慮容赦のない先制打、音速を超えるM855A1カートリッジの洗礼を受けた男たちが、声を上げるまもなくその場に崩れ落ちる。そのままそこに追い打ちを叩き込み確実に無力化すると、クロードはすぐに安全装置をかけ直して、膝立ちの姿勢のまま男たちに照準と視線を向け、耳を澄ます。


 動作はない、確実に死んでいるし、自分たち以外の誰かが銃声を聞きつけて騒ぎ出す様子もない。問題ないと判断し、ゆっくりと立ち上がる。移動再開を手信号で伝え、再び慎重な足取りで歩き出すと、クロードはPTTの送信スイッチを押した。


「01から04、始末した。異常はないか」

『04、感づいた奴も、新手もいない』

「了解、死体を路肩に隠してから標的への接近を再開する。アウト」


 死体の転がる山道に出ると、クロードは部下の一人に警戒を命じて、今しがた生産したばかりの三つの死体を残った部下とともに引きずり、先程まで身を隠していた斜面に横たえた。その死体のいずれも、ひげは自分と同じくらいに蓄えているが、自分よりはよほど若い。まだ三十にもなっていないだろう彼らの遺体から武器を引き剥がし、そこらの藪の中に抜弾して転がすと、クロードらは再び道を見下ろせる斜面の中を移動し始める。


 現在位置から目標地点まで最短距離で移動するためには、山肌に沿って蛇行する細く起伏の多い未舗装の道を少なくとも一度横断する必要があった。先ほど殺した男たちが通ってきた道だ。


 道と林の間まで出るとそこで一度止まって膝をつき、あたりを見回す。無論異常はない、動くものは自分たちだけ。それを確かめ、しっかりと頭のなかに道筋を立ててから道を横切る。もともと人が通るのに合わせて地面が慣らされ、頻繁に何かしらが通ることで維持されているだけのようだった。路肩――と言っていいのかわからないが――には一抱え以上ある岩がごろついているし、路上にもいささかどうかと思われるほどの凹凸が見て取れる。


『01、02だ。こちらもぼけっとしていたのを始末した』


 ジョンの声だった。クロードはあまり気乗りしない道路横断を終え、再び岩と藪とちょっとしたマツ林のなかに足を踏み入れると、十二分の注意を払って周囲を確認してから口を開いた。


「定点歩哨かい、それとも巡回?」

『立ちんぼだ、河川の隣で焚き火の準備をしていた。いまはなんでか神様の前だろうよ』

「了解、こちらも寝てもらったからね、あまり待ってもらうことはできなさそうだ。01から03、聞こえるかい」

『03だ、こちらは警戒等なし、歩哨の類も確認していない、あと少しで待機ポイントだ』


 三つある襲撃班のひとつを受け持つエドガーは落ち着き払った様子だった。自分よりも三つほど上の三九歳、第57任務部隊に来る前はデルタフォースに所属し、軍歴は二〇年を超えるベテランだった。デイヴとともにこの隊を支える信頼の置ける下士官で、歳の割に息切れの様子もない。


「了解、こちらが少し遅れている。ペースを上げるが、パーティまでもう少し待ってくれ」

『首を長くしておく、03アウト』


 ペースを上げよう、とクロードは無線ではなく、直卒する部下に言った。彼らはうなずき、ローレディにカービンを保持する姿勢をとかないまま、歩き出したクロードの背後に続く。


 道を超え、緩やかなのぼりの坂を越える。途中、小さな崖じみた剥き出しの岩を山道から離れるように迂回すると、急斜面を右手に、左手を鋭く、そして垂直に近い角度で切り立つ岩に挟まれた細い隙間を縫って上に出る。そのあとはさして語るべきところのない山歩きになった。とはいっても平坦には程遠く、闇の中を手探りではあったが。


 山道を確認でき、かつ近づきすぎない距離を維持してそのうねりをたどるように進むと、さして時間をかけずに目標を目視できる位置に出る。クロードらの現在位置のほうが、やや高く、標的が逗留するとされる場所の眺めが一望できた。


 そこは小さな村だった。小さな、とは言うが、その外周はこのあたりでは珍しいことにレンガや石材などで作られた壁に囲まれており、中央にレンガ造りの三階建ての母屋、その周囲には、母屋に比して小さくはあるが、十分に人が暮らせる大きさの家屋が複数個、納屋と、車庫と思われるものまで備えている。


 クロードらから見て村の向こう側には河川が通っていた。とはいっても急勾配の下だ。ジョンの率いる班はそちらの側から迂回をしている。視線をゆっくりとめぐらせ、緑のベールをかぶった村の全貌を確認しようとすると、視界の端、村の川側の外壁の辺りで赤外線ビーコンの瞬きが確認できた。ジョンたちだろう。視線を左にゆっくりとめぐらせる、そちらにはエドガーたちがいるはずだが、その姿は障害物の陰にあるのか見当たらない。


 自分たちの側の外壁には、金属製のゲートが存在していた。出入りのためのそこの周囲に目を向け、動作がないことを確かめてから前進を再開する。片手でM4A1 を保持しつつ、もう片手で送信スイッチを押した。


「01はもうすぐ待機位置につく。02から04までの各班、報告事項はあるか」

『02、待機位置にいる。異常なし』

『03も同じく』


 少しの間をおいて、デイヴの声が『こちらも監視を継続している。動きはない、今ごろはいい夢のなかだろう』と続いた。


「それはいい知らせだ。もうすぐたたき起こすのが申し訳ないが」


 まったくだ、とジョンがうなずく気配。クロードはその間に木陰を抜け出し、藪の横を通って、外壁までたどり着いた。周囲に音はない。自分の息遣いと、装備のすれる音。ブーツが地面を踏みしめる音。それらを聞きながら、ゆっくりと鉄のゲートへ近づく。


「ジム、どう思う」


 ゲートまでたどり着くとクロードは尋ねた。ゲートは塗装がところどころはげ、さびが浮かんでいるが、頑強であることに変わりはなかった。施錠されていて外からあけるのは無理だ。が、小脇に人が通れる大きさのドアがある。ゲート自体は車両用だ。


「爆薬で壊せます。はっつけてドカン、あとはくぐるだけ。デリバリーよりも早く済む」


 ジムが笑みとともに答え、その背後に控えていた一人が彼のバックパックから一セット分の爆薬を出して彼に手渡した。クロードがジムにうなずくと、彼はドアに近づき、その施錠部分を吹き飛ばせるように爆薬の設置を始める。


『01から各位、設置を開始した。実行はこちらから無線で指示する』

『01から03、こちらは“通用口”をあける用意はできてる』

「02は?」

『02だ。川に降りるための裏口を抑えた、合図でやれる』

「了解、少し待て」


 無線の送信スイッチに手を触れたまま、爆薬の設置に余念がないジムのほうを見る。マニュアルの通り、付属のテープの上からダクトテープで補強するように成形爆薬を金属戸に設置する。あっという間に用意を終えた彼が、爆薬に信管を差し込み、そこから延びるコードを起爆装置につないで顔をあげ、こちらに親指を立てると、クロードはうなずいてドアのわきに身を寄せた。


 自分の側にジムが、ドアを挟んだ反対に残りの二人がつく。ブリーチング時の爆風で死傷しないためだ。クロードの後ろについたジムが起爆装置の安全装置を解除し、ポンと肩をたたいた。準備完了ということだ。


「準備完了だ、04はバックアップ可能か」


 M4A1をドアに向けたまま送信スイッチを押して問う。返答は声ではなく、短く二度の空電音の途切れだったが十分だった。いまさらジョンとエドガーに何度目かの確認をする必要もない。彼らはすでに襲撃部隊だった。実行あるのみ。


「やるぞ、起爆実行エグゼギュート

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