第22話 狩りの支度を 1

 目の前で眉間に縦皺を刻み、作成した資料に目を通すハリソンの様子を見て、こりゃだめだなとウィリアムがつぶやいた。


 はなから一発で通るなどと、クロードは思っていなかった。“復讐者”を狩るために、保安職員の車列が使用するルートをより狙撃されにくいものに絞りこみ、使用する検問も限定、その周囲に厳重な警戒網を敷く。そんな案を、よしそれでいこうとあっさり呑んでもらえると信じるほど能天気ではない。


 その上で、餌として用意した狩場に張り込むと言っているのだからなおのことだ。犠牲が前提の作戦に同意すると言うのは簡単なことではない。


「つまり、誰かが撃たれる可能性をも織り込み、餌にすると」

「はい」


 ハリソンの問いにごまかさずに頷き、クロードはこちらを見つめる眼差しを真正面から受けた。


「他にプランは」

「人数がいれば。あるいは、機材があれば。人数がいるなら、検問を絞る必要はありますが、潜伏拠点ハイドを構築して周囲を監視できます。機材があれば、射撃を受けた時点で砲撃によって叩き潰し、軽歩兵と車両で前進し制圧できます。もちろん、無人機ドローンがあれば上空から監視し、先手を打てます」


 そんなものが無いことは分かりきっていて、クロードはあえてそう説明した。保安企業たるG&Mも、その他同業他社も砲撃可能な装備は持っていないし、無人機ドローンだって手元には存在しない。


 ようやく再展開を始めて土台作りに忙しい米軍に戦場の目である無人機ドローンを貸し出す余裕があるわけも無く、ないない尽くしのこの状況では、クロードの提出したプランが唯一の対処案といっていい。


「死人を織り込んでの作戦、か」

「軍隊では、よくある話です」ウィリアムが言った「戦争ですから」

「だが、われわれは軍隊ではないのだよ、ウィリアム」


 ハリソンが溜息混じりに応える。軍隊とは、常に作戦で生まれる死を計画に織り込んで行動する組織だ。勿論、常から絶対に死ぬ人間を置いて行動するわけではないが、死ぬ公算の高いポジションと言うのはどんな作戦でも存在する。


 たとえば車列の最前方に立つ偵察を兼ねた先遣車などは、最も攻撃に晒されやすく、そうなれば生きては帰れない役割だが、本隊の被害を軽微にするためには置かないわけには行かない。クロードら民間保安企業の輸送車列において、もっともIEDや待ち伏せで死人が出やすいのが、先頭車両だ。


 そういう意味では、G&Mも常から死者が出る可能性を理解したうえで、業務を続けている。軍隊ではなく警備会社であると名乗りはするものの、その実態は民営化された軍隊の模倣品、根は同じというやつだ。そもそも、その運営に当たる者のほとんどが軍隊上がりなのだから、当然である。


「案を採用するにしても、時間が掛かる。それに、まだどこで“狩り”をするかは決まっていないんだろう」


 しばし考え込んだ後顔を上げたハリソンの目には、獰猛な鈍い光が宿っていた。人狩りマンハントを経験してきた人間特有の眼差し。殺すこと、そして殺しを命じることを決意している人間の目だ。


「狩場の選定はまだしていません。それはこちらでやります。可能であれば、クルド人の手も借りて網を張りたいと考えています」


 クロードは頷いて、自分の手元の案の残りを出す。ハリソンはそれに頷き、検問の絞込みと警備強化はこちらで検討すると頷いた。


「それと」

「何でしょうか」

「本当に、車両機銃手ガンナーだけを狙い続けると思うか。たとえ危険な状態であったとしても」


 私なら、そんな状況になれば逃げるか標的を変えるね、とハリソンが続ける。たしかに、その可能性は大いにありえるだろうとクロードも考えた。が、“復讐者”のこれまでの行動は、分かっている範囲で50人近くを狙っておきながら、すべて車両機関銃手だけを狙い撃ちにしている。


 そこまでかたくなに標的を絞っておきながら、いまさら標的をあっさりと変えるだろうか。大抵の場合、標的の選定には理由がある。軍事的なものであれ、そうでないものであれ、標的を絞るのはその理由――軍事作戦上の理由、あるいは私的な標的の好み――があってこそだ。


「可能性はあると思います。こうも執拗に車両機銃手を狙っていながら、いきなり他の標的に鞍替えするとは思えません。仮に狙いが軍事上の作戦目的にあるのであれば、われわれを狙うのは兵站を維持する部門への圧迫と思われます。

 ですが、現在も民間企業による物資輸送は通常通り行われており、作戦目的を達していない以上これからも攻撃は続けられると思います。

 また仮に、軍事的な作戦目標以外の理由が介在するとすれば、危険であるという一点のみで諦めるとは思えません。そうであれば、私的な理由です。聖戦ジハードとは、そういうものですから」


 一気に、しかしゆっくりと説明を終えると、クロードはハリソンの反応をうかがった。彼もイラク、アフガンでの作戦を経験しており、イスラム戦士との戦いと言うものがどういうものかは良く理解しているはずだ。


 彼らはこちらが思っている以上に高度に軍事組織化されている。その行動は一般の軍隊と変わりない基準で決定されることも多く、甘く見ていい敵ではない。実際、だからこそイラク軍は米軍撤退後すぐに窮地に立たされたわけだ。


 が、同時にこの地の争いが悪化した種を忘れてはならない。簡単に宗教的な対立、などと銘打って終わりに出来るものではない、底の無い憎悪の沼。大人も子供も関係なく、自殺行為同然の攻撃に駆り立てる動機が、この地には根付いている。


「君が調べているのはそれか」

「単に、なぜ米軍から保安企業へ標的を移したのかが気になるだけです。何か些細なことでも、手がかりになるものがあるかもしれないですからね。標的選定の確度を高める情報が手に入るだけでも、儲けものでしょう」

「そちらは任せるよ。君の好きなようにしてくれていい。もちろん、狩りの場所を見つけるのを忘れるなよ。それは狩人の特権にして武器だ」

「分かっています」


 クロードの説明を受け、乗り気になったらしいハリソンの言に頷いて返す。それを見、満足したらしい彼は、もう行っていいぞと頷いて提出した資料をデスクに広げ始める。


「おっかない。よくあんなプレゼンが出来るな、死人が出るのは当然って作戦の」

「それが仕事だったんだよ」


 その度胸がすさまじい、と笑うウィリアム。クロードはドアを閉めて肩をすくめ、彼を伴って外へ出た。


「で、場所選びはどうする」

「地図でめぼしはつけた。こちらが高所を取れて、西をはっきりと視認できる場所がいい。地形的に潜伏地点の設営に悩まないでいい場所であることも」


 高所を取るのは狙撃手のセオリーだ。もちろん、ただ高ければいいというわけではないが、そのほうが有利なのは間違いない。同時に、太陽に向けて真っ直ぐ向き合わないポジションを選びたい。スコープの反射は気を使わねばならないところだ。


「まったく、場所が決まって認可が下りたら、またお前と数日寝床を共にせにゃならん」

「かなしき宿命だ。野グソに野ションに。かなしくなってくるけど、それが仕事」


 下品は軍隊にはつき物だろうと笑ってやると、偵察の間中自分のクソを持ち歩く仕事なんざごめんだとウィリアムは溜息をつく。


「ならやめるかい」

「今ここでやめるなら、もうとっくにやめてるとも」

「だろうとも、君はそういう奴だ」


 外に出ると、傾きかけた太陽の投げる熱気が押し寄せた。空調の効いたG&Mオフィスビルで冷えた体から、じっとりと汗が滲んでくる。その汗も滲んだ傍から熱で蒸発していくわけだが。


「狩場は明日探しに行こう。今日は装備の確認と、地形の確認かな。あとAICSを夕方の気温で調整して、この時期の近隣の天候データも必要になる。セシリアを捕まえて、クルド人に連携を依頼しないといけない」

「向こうが乗るか?」

「手柄もなんでもくれてやる。時間があるときに考えたけど、数がないと不確定要素ばかりが増えていくからね」

「殺すためになりふりかまってられない、か。まあ確かにそうだわな」


 ほんとうなら、クルトとアネットにも長射程のライフルをもたせて潜伏拠点ハイドで待機してほしいところだけど、とクロードはその後を濁した。ただでさえ、快適の対局にある狭苦しい拠点に身を潜めて長時間待機するというのは、並ならぬ苦痛を味わうものだ。そのうえで排泄物はその場で処理、長いと持ち込んだ物資が枯渇するまで待機になるのだから、訓練を受けていない人間に要求できるものではない。


 ましてや、アネットは女性である。


「俺とお前は、偵察隊にいてよかったよな、そのへん」

「必要なら垂れ流すのが当たり前になったからね」


 世間的には褒められたものじゃないけどもと付け足して、クロードは自室に入った。


 「どうでした」


 部屋で待機していたクルトが言った。向こうはそれなりに乗り気みたいだよと返して、クロードは床においたガンケースを開け、収納されているAICSをチェックする。ウィリアムは自分に割り当てられた小物の中身を改め、床に並べ始めた。


 偽装ネット、風速計、最低限度の個人医療品、弾着標定鏡スポッティングスコープ、レーザー距離測定器レンジファインダー射撃用三脚HOGサドル、クロードの過去の射撃記録が収まっているデータカード、潜伏地点での各種記録用紙を収めたバインダー、無線、赤外線ビーコン、その他諸々。


 これでもかというほどに詰め込まれた道具を、ウィリアムと手分けして確認する。


「すごい数の荷物ね」


 アネットが並べられた仕事道具を興味深げに見つめつつ呟く。この手の道具は、狙撃手でもなければ触れる機会は殆ど無いだろう。


「僕らの商売道具だ。これらがないと、遠くの標的に一撃必中なんて望めやしない」

「三脚なんて使うのね、いまの狙撃手は」


 射撃用三脚HOGサドルを示したアネットが言う。三脚など、本来であれば重機関銃や汎用機関銃の土台に用いられるようなもので、狙撃に用いるという発想は専門外の人間にはないものかもしれない。


「これはHOGサドルといってね。海兵隊斥候狙撃手スカウトスナイパー出身の兵士が開発したんだ。取り回しは劣悪になるけど、決められた領域の監視、射撃に関しては安定性がぐんと上がる」


 チェックを終えた仕事道具をバッグに押し込み直し、それをウィリアムが閉じる。クロードは自分のガンケースを手にすると、それを担いだ。


射場レンジに行こうか。そこであれこれ調整しないと」





 照準を覗き込む。はるか遠くでは、煤けた砂と空の青がふれあい、その境界線が陽炎で滲んでいるのが見えた。


 シュミット&ベンダーの3-12倍照準器。海兵隊が使っているものとほぼ同じそれの対物レンズが光を取り込み、離れた場所の輪郭をくっきりと映し出してくれる。レティクルはシンプルなMILドットレティクルだ。MILドットとは、狙撃に用いる単位であるMILに合わせた点が照準十字線クロスヘアに刻まれたもののことで、1MILは100メートル先で10センチに当たる。


「キルクーク周辺の例年の気候で見れば、雨はほぼ皆無、夕刻の気温のばらつきも穏やかそのもの、まあ安定してると言っていいんじゃないか」


 セシリアが手配した、貸し切り状態の射場の片隅、頑丈なテーブルに銃を並べ終えたウィリアムが、資料を手に言った。クロードは射場に据えたAICSのスコープから目を離し、ウィリアムのほうを向き直る。


「イレギュラーが少ないのはいいことだ」


 クロードはそういって、ウィリアムが調達してきた資料に目を落とす。ウィリアムの言うとおり、気温のばらつきも少なく、雨天になった例はほとんどない。これが冬になると話も変わるのだが、今は夏真っ盛りの七月だ。


「今の気温、記録したかい」

「してある、昼に比べりゃましだな」

「こっちも、準備したほうがいいのよね」


 アネットが、自分のG3の弾倉にライフル弾を詰め込みつつ問いかけた。クロードはAICSに装填する弾倉に狙撃用のM118LRを5発押し込み、それを数本用意しながら、もちろんとうなずく。


「僕が仕留めるのがベストだけど、何が起こるかわからないからね」


 言ってから、クロードは射撃用三脚HOGサドルを地面に据えた。三脚を座ったままで銃を保持できる高さに調整し、頂点に鎮座するクランプにAICSの前部を挟み込み、頑丈に固定してやる。


「500で照準調整ゼロインをしてある。単位はヤード、バインダーの一番上だ」


 クロードが説明すると、ウィリアムはAICSとともにセシリアが運んできたデータカードを開く。最初のページのデータが、クロードがアメリカの自分の土地でとったデータだった。気温、湿度、海抜、日差しの向き、風速、すべて記入してある。


 距離をヤードで取ったのは、アメリカの射手の間ではヤードポンド法が事実上の標準デファクトスタンダードだからだ。銃身長や口径も、インチ規格で示すことが多い。G&Mに入ってからは、出身国が様々な組織事情に合わせメートル法に従っていたが、それ以前のデータはほとんどヤードで取っている。


「了解、標的、500ヤードで射撃。弾着標定よし、いけるぞ」


 隣でスポッティングスコープをのぞき込んだウィリアムが言う。いつの間にか、その隣にアネットとクルトが伏せてスコープをのぞき込んでいた。


 クロードはAICSをのぞき込むと、スコープの倍率を一度最低にする。最初から高倍率で覗くと視野が非常に狭く、あらぬ標的を見つめてしまうことがあるからだ。最初は小さい倍率でものを確かめ、それから倍率を上げる。


 標的のマンターゲットを視認すると、左手で倍率ノブをひねって倍率を上げ、照準を胸の中央のしるしにぴったりと据える。陽炎の向きを見た。垂直に立ち上っているようで、無風だと判断して、親指でボルト後部右側の安全装置を押し込み、解除する。


「無風、修正なし。射撃よし」


 ウィリアムも同じ判断をしたらしい。クロードはボルトハンドルを持ち上げ、ロッキングラグのかみ合わせを排除するとボルトを滑らかに引いた。金具がぶち当たる限界まで引くようなことはせず、弾倉のカートリッジがせりあがり、ボルトがそれを噛める程度の位置で止めて押し込む。


 滑らかな装填も、狙撃手――ことにボルトアクションを用いる射手に求められる技能だ。ボルト操作がヘタな人間は、再装填に手間取り標的を取り逃がすか、自分が殺される。滑らかに、無駄なく、素早く装填できることも、目立たないが狙撃手の素養だ。


「撃つ」


 ほとんど手癖で滑らかに装填したクロードは言って、伸ばした人差し指をトリガーガードに押し当て、ゆっくり息を吸いながら人差し指を引鉄に這わせた。


 両目はしっかりと開いたまま、意識はクロスヘアのど真ん中、交点の部分に収束する。指をまっすぐに絞ると、シアが外れ、リコイルが肩を伝って身体を揺らす。弾着観測より先に、ボルトハンドルを持ち上げてグッと引く。撃発後の薬莢は、圧力と熱で膨張し薬莢に張り付くことがある。


 蹴りだされた薬莢が地面に落ちるより早く、クロードは次弾を薬室に押し戻し、ボルトハンドルをおろしてラグを固定する。


「命中。2インチ上だな」

「気温差に海抜に……2インチ程度で済んでよかった」


 クロードは言って、スコープ真上のエレベーションノブを回す。500ヤード先で2インチ、1/4MOAの調整ノブで2クリックすると、2インチをわずかに上回る調整量になる。


 調整を終えて撃つ。ほぼ中心点に弾着。左右のずれは極小、徐々に傾く太陽で赤みを増す景色の中で、標的の背後に砂煙が上がる。やや時間を置き、銃身を十分に冷やしてからもう一発。弾着はほとんど真ん中、5インチ(12.5センチ前後)に満たない範囲に集弾している。


 クロードが調整し、精度を1MOAになるように整備してあるおかげで、弾着は問題ない。狙撃に用いる銃の精度や、ドットサイトのドットの大きさをMOAで表すことがあるが、狙撃銃の場合のMOAとは、遠距離でどれだけの範囲に弾が散るのか、という指標である。


 1.0MOAの銃であれば、1100ヤード(約1000メートル)を超える距離でも人間の頭部程度の範囲に銃弾が集まる性能がある、ということになる。銃弾自体の性能限界はさておき、数字の上で見ればAICSはその程度の性能が見込める銃ということだ。


「さて、データを取ろう。600から、900ヤードまで。50きざみで取るよ、いいかい」

「オーケーだ始めてくれ」


 白紙のページを開き防水ペンを手にしたウィリアムの奥で、伏射姿勢になったアネットがG3を発砲していた。クロードが用意した狙撃用のターゲットとは別の、比較的近距離にあるターゲットを狙っている。クルトはその隣でスコープを覗いてアネットの着弾を見ていた。


 それを横目に、クロードはAICSを構えて、ゆっくりと引鉄を絞る。弾着をウィリアムが報告し、修正して撃つ。その繰り返しだ。時間をかけ、銃身の熱に気を使う。“復讐者”を撃つとき、おそらくは冷えた銃身からの初弾コールドボアショットで仕留めることになるだろうとクロードは考えていた。


 そうでなくとも、何発も連続で、休まずに撃った後でとは考えづらい。だから冷えた銃身でのデータを取る。


 射場の限界距離、900ヤードの標的を撃ち終え、弾着を調べると、クロードが故郷で取ったデータより集弾率グルーピングがやや劣っているようだった。


「自前の弾薬がほしいな」

「おねだりしたってすぐには届かないよ」


 結果を見たウィリアムが言う。クロードとしても、自分で調整した弾薬を用いたかったが、いま手元にあるものでどうにかするのが職人というものだ。特に兵士、中でも狙撃手というのは、限られた手札で物事を遂行することが求められる。


 仕方ないと、それ以上のないものねだりを切り上げ、クロードは銃に再び取りついた。まだやるべきことはたっぷり残っている。銃の調整に関しては、やりすぎという概念は存在しないものだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る