game1. ―1

 ひんやりとしたコンクリートの廊下を、真っ直ぐに突っ切る。

 何となく違和感を覚える。いつもの文芸部室への道。HR後。クラスで唯一同じ部活の琴花ことはは、掃除当番だそうなので、今日はひとり。一学期の期末テスト最終日。もちろんこれからまだ数日学校があって、テストも返ってくるわけだし、今すぐ夏休みってわけにはいかないけど。

 テスト期間は部活がなくて、――といっても、普段から我が文芸部は自由参加だけど――とにかく部室が開くのが久々だから、だから違和感があるのかな、とぼんやり歩き続けて部室の前に立って、ようやく私は違和感の正体に気が付いた。

 時間潰してくるの、忘れたんだ。

 うちの部活で一番乗りをするのはいつも、部長。唯一の二年生であり唯一の男子部員でもある、神木かみき諒輔りょうすけ。そして、一年生の女子部員たちは、彼とふたりきりになりたくなくて、しばらく教室や図書室で時間を潰してくるのが常だった。

 もちろんあからさまに声にすることはない。暗黙の了解のようなもの。

 でも、だからといって、ここまで来てしまった私が今さら教室まで引き返すのは憚られる。この廊下はとても音が響いて、しかもこのあたりは特別教室ばかりなので、足音が聞こえればだいたい文芸部員だ。部長が部室にいるのであれば、たぶん部員が来ていることに、もう気づいている。部長が部室を出たり戻ってきたりするとき、部員はいつも聞き耳を立てていて、部長が帰ってくるとお喋りをやめるのだから、よく知っている。

 と、そこで、私は眉をひそめた。ふたり分の、喋り声がする。

 普段、部長が居るときは静かすぎるほど静かな文芸部室で、喋り声っていうのもそもそも驚きだけど、それ以上に、男子の声がふたり分というのはどういうことだろう。うちの部活の男子は、部長ひとりだけなはず。

 ひとつは部長の声だ。そして、もうひとつは……聞いたことのない声だった。

 部長の友達だろうか。部長が部室にプライベートを持ち込むなんて珍しい。いや、もしかしたら部員が早くは来ないことをもう分かっていて、いつもこうやって友達を連れてきているのかもしれないけど。

 それは私たちには分かるよしもないことだ。部長のプライベートなんて、誰も知らない。プライベートどころか、事務連絡以上のことは喋ったことがない。だから、人格すらも知らない。ただ黙りこくって、部室の空気を悪くして、その自覚があるのかないのか知らないけれど、部室の鍵を開けて少し部員が集まり出したら部活が終わる時間までどこかへ行っている。どこへ行っているのかも知らない。何を考えているのかも知らない。今の文芸部のこういう現状を、どう思っているのかも。

「この人? 『みこと』さん?」

「……そう、海原うみはら琴花ことは

 知らない声の問い掛けに、部長が渋々といった様子で返事をする――どうして琴花の話?

 部室のドアについている磨りガラスでは、室内の様子は色ぐらいしか見えない。どうなっているかは分からない。紙が擦れる音がするから、ついこの間発行したばかりの私たちのデビュー誌、文芸部誌の初夏号を開いているのかもしれない。

 へえ、と、部長じゃないほうが、笑みを含んだ声で言った。

「どうすんの、諒輔」

 いつも部長と呼んでいるから、それが部長の下の名前だということを思い出すのに数秒かかった。

「どうもしない。向こうにとっては怖いだけだろうし」

「怖い、ねえ」

「俺だって彼女のことよく知ってるわけじゃないし」

「知るところからスタートしようとは思わないの?」

「思わない。もう、いい」

 不貞腐れたような部長の声が、乱暴に会話を閉じ、言わなきゃよかった、と呟くのすら聞こえた。部屋の中から廊下の足音はよく聞こえるけれど、廊下から部室の声も案外聞こえるものだ。

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