game1. ―4
外から扉が閉められて、一気に静かになった部屋の中で、気付けば部長は全くの通常営業でパソコンに向き直っていた。まるで何もなかったかのようだ。
……何もなかったことにしようとしてます?
こうしてみると、さっきの先輩とは、正反対だなあ。ふたりは仲が良いんだろうか。似てないからこそ、なのかな、とかどうでもいいことを考えながら部長の席へ歩み寄る。鞄は降ろさない。
「部長」
部長が何も言わずに顔をあげた。
あ、ちょっと目が泳いでる。面白い。
「提出、します。お願いします」
「提出?」
部誌発行直後、しかもテスト明けの提出だから、もう少し驚かれるかと思っていたけれど。部長はすぐに無表情を取り戻した。
それなのに――いつもと同じように、何を考えているのか分からない部長なのに、どうしてだろう、今日は、いつもより怖くない。部長にもああやって親しく話す友達がいるという、当たり前の事実をはじめて目の当たりにしたからだろうか。さっきまで会話のあった部室、という空間が、ちょっと違った雰囲気をかもし出しているからだろうか。
原稿用紙を、クリアファイルごと部長に渡す。
「お疲れさま」
我が文芸部で、手書きで原稿を書いているのは私ぐらいのものだ。他の部員は、パソコンで書いてUSBでやりとりをしている。私にもパソコンが使えないわけじゃないが、手書きの方が紡いでる実感があって好きだ。もともと字面や語呂にもこだわるタイプで、書いた文字も総合して作品だと思っている。去年もそういう部員がいたと部長に聞いて、私もそのスタイルを受け継いでいる。
その場から一歩下がった私に、
「もう、帰る?」
部長が声を掛けた。
珍しい。業務連絡以外で部長から部員に話しかけるなんて。
たとえ用事があったとしたって、一文字でも文字数削って喋ろうとする部長なのに。普段だったら、部室を出ていく私にお疲れと声を掛けるぐらいだろう。やっぱりさっきまでの賑やかな空気が残ってるのかな。
「はい、急ぎでやることないですし」
私が所属するこの文芸部は、普段の出席に関しては完全なる自由参加だ。年に三回発行する部誌に作品さえ出せたら、それでよし。欠席連絡すらいらない。
その日の気分では家に持ち帰って書いても構わないし、次の部誌までに作品が完成したらあとはもう遊び回っていたって文句は言われない。
まあ、何だかんだ部室にいると仲間がいて楽しいし、勉強にもなる。独りの殻にこもって書いているとモチベーションが上がらないので、仲間の存在って結構大事だったりもする。そんなこんなで、今年の部員の出席率はかなり高い方だと言っていいだろう。
部長以外の一年生は結構仲がいいのだ。
「あの、よかったら……」
そう声を掛けられて振り向いた私に、部長が躊躇いがちに頬を掻く。眼鏡の奥の目が迷って、閉められたドアの方を見た。
「あいつ、送ってってやってくれないかな。ルート同じとこまででいいから」
ああ、さっきの先輩のことか。
私も、危なっかしいと思っていたところだけれど。
「……はい。いいですよ」
ちょっと返事が遅れた。
通りすがりの怪我人を手助けするのは厭わない。でも、さっきの先輩は……通行人Aというわけにはいかないかもしれない。
直感だけど、そう思う。
でもまあ、今世紀まれに見る部長からの頼みを、聞かないわけはないし。
「電車、桜名からなんですよね?」
桜名駅というのは、この高校の最寄り駅だ。うちの生徒の大半が利用する。
「ああ。ありがとう」
ほっとしたように部長が言う。
ほっとしたように、という感情が読み取れたことが、もはや奇跡のような珍しさだ。
ちょっと、後輩に対して頭が低すぎるような……。
もしかしたら部長も、遠慮してるのかもしれないな。という可能性に、はじめて思い当たった。
最近のこの部活の雰囲気は、明らかに異常だ。
誰も音を発しない、張り詰めた空気。部長が部室の外に『お出掛け』したときだけ和気あいあいと雑談に興じる部員たち。
部員のみんなは、どこか部長を恐がっている節がある。
部員が部長に遠慮して、話し掛けない。
部長も、それを感じているのだろう、部員に話し掛けない。
負のループ。
お互い、相手のことをよく知りもしないで敬遠しすぎなんだ。きっと部長は、部員が思っているほど恐い人じゃない。
私は部長に見えないように肩を竦めると、失礼しまーす、と間伸びした挨拶をして部室を出た。
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