switch グラウンドの隅
「相変わらず汚い部室だな」
野球部部室のドアを開け放したまま、諒輔が顔をしかめた。
勝手知ったる感じで上がり込む。俺は側の腰を下ろしていたベンチから顔を上げる。
諒輔のことは嫌いじゃない。が、今は正直会いたくない顔だった。
「しょうがないだろ、マネージャーもいない男所帯なんだから」
「いや、これ、もはや男女がどうとかのレベルじゃねーよ」
脱ぎ散らかされたYシャツをつまんで言う。
「人のと混ざったり失くしたりしないの?」
「しょっちゅうするけど、その都度見つかってるから、まあいいかなって。総数は変わんないはずだし」
諒輔が、ロッカーから俺のスポーツバッグを投げた。俺は座ったまま受け取り、中からコールドスプレーを取り出す。痛みを誤魔化す以上の効果は求めていないが、もはや常備品だった。かちゃかちゃと振って、諒輔が目を逸らした瞬間を狙って足首に吹き付ける。痛みが和らぐ――そこで俺はふと手を止めた。
俺がコールドスプレーを買ったことを、果たして諒輔に言ってあっただろうか。
「高校野球終わった今がいい節目なんじゃないの。大掃除とかしろよ」
何の気なしに会話を続ける諒輔に、俺は笑顔を浮かべながら応じる。
「文芸部の部室だって似たようなもんじゃん」
「あれは、散らかってるように見えてちゃんと計算されて置いてあるんだよ」
「へぇ、部員がお前の席に近づけないように?」
茶化して言ってみた軽口はあながち的外れではなかったようで、諒輔はふん、と顔を背けた。
馬鹿……だよなぁ。
学力で明らかに劣っている俺だけれど、どうして俺より頭がいいはずの諒輔が、コミュニケーションでこんなに手間取るのかたまに本当に不思議になる。俺より頭がいい諒輔になら分かっているはずなのだ。このままではいけないということ、そしてそれは早ければ早いほうがいいということ。
三年生の先輩たちから──茉緒先輩から受け継いだ文芸部を、こんな状態にしておくのに、罪悪感を抱きながらも見て見ぬふりをしているぐらいなら、さっさと自分から動けばいいのに、なんて、文芸部から見たら全くの部外者な俺が、口を出す権利はないんだけど。
諒輔が助けを求めてこない限り。
権利があるのは――
「城島」
諒輔の声にどきりとしたのは、文芸部先代部長の茉緒先輩のことを考えていたからだった。
そして、昨年の秋に別れた、俺の元恋人。
「どうなの」
「どう……っていうのは」
諒輔の問いは漠然としていて、俺は聞き返す。ここ数日、部活に行かず明季さんと一緒に帰っていることは諒輔も知っていた。が、それ以上の話はない。諒輔はきつい目で俺を一瞥し、そしてすぐに目を逸らした。
「別に」
「いい子だと思うよ」
「それだけ?」
何が言いたいんだ。
諒輔の顔色を窺うが、完璧な無表情に綻びはなかった。
こいつはそういうやつだった。無表情で動揺を隠すタイプ。普段から顔の動きが乏しいやつではあるけれど、そうでなくても、嬉しくても悲しくても咄嗟に表情筋を固めてしまうせいで、反応がワンテンポ遅れて、遅れてしまったらもうあとから表明するなんて恥ずかしくて、そのまま恐い顔をしているタイプ。
そんな諒輔もいじらしくはあるのだけれど――それで人間関係損しているのを見るにつけ、いたたまれなくなる。付き合いが長いぶん、表情を固める瞬間が、見えてしまうことがあるから余計だ。
「諒輔さ」
諒輔が俺を見る直前に、俺は咄嗟に苦笑のようなものを浮かべた。
顔をあげた無表情に、どうしても我慢できなくて。
言った。
「すぐ表情消す癖やめたほうがいいよ」
「ハルはすぐ笑顔作る癖やめたほうがいいよ」
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