第20話 梓と……って、ないか?!
「わざわざいいのに……」
日が暮れるのが早く、夕方6時にもなれば、もうすでに真っ暗ではあるが、商店街は明るいし、家の周りも電灯はしっかりある。
「オレが誘ったんだし、送るのは当然」
男前なことを言っている武田だが、心中は複雑だった。
恋敵は34才。
若さでも体力でも負けることはないが(ちなみに見た目も)、いわゆる包容力では勝てる気がしない。精神的にも、経済的にも。
ただ、一つ。武田が焦りを感じないですんでいるのは、弦が未来に恋心を抱くほど常識外れではないだろうと思っているからだ。
未来への愛情は溢れ出ているようには見えるが、決して恋愛感情ではないはずだ! ないと思う。ない……よな。
武田にとって未来は初恋だし、世界で一番可愛い女子だと思っている。だから、誰でも未来に惹かれる筈だ……と思い込んでいる。年齢差はあっても、弦だって未来に惹かれるだろうという思いと、常識のある大人が20近く年の離れた未来への恋愛感情を表に出す筈がないという思いで揺れていた。
「あのさ、次のお小遣いもらったら、今度こそケーキご馳走するから」
「別にいいのに……」
手を繋ぐわけでもなく、友人の距離で歩く二人の後ろ姿は、男女の距離としては若干近いかもしれない。
★★★
未来と武田が商店街を歩いていた時、オレはまだ仕事をしていた。
未来がどんなことを思い、ちょっと……いやかなり困った決断を下していたとも知らずに。
「半田さん、この書類なんですけど……、ここのところずれてませんか? 」
梓に打ち込みを頼んだ書類だった。梓が書類の間違いに気づき、打ち込む前に確認にきたのだ。
「本当だ! 山本さんよく気がついたね」
「いえ、元の資料あれば直しておきますけど」
「それね、ちょっと待って……」
元の資料を渡そうとして、すでに残業の時間だと気づく。
「今からだと残業だよね。ごめん、オレがやっておくから」
「そうすると、未来ちゃんの夕飯が遅くなっちゃいますよ」
「いや、まあ昨日のカレーがあるから、夕飯は作らなくていいから大丈夫。じゃあ………前半はオレがなおす。後半よろしく」
二人で手分けしてなおし、一時間ちょいで終了する。
「終わったな。悪かった、残業させて」
「かまいません」
「本当なら、夕飯でもおごりたいとこだけど……」
梓はフワッとした笑顔を浮かべる。
「そんな気にしないでください。未来ちゃんが待ってますよ」
「途中まで一緒だよな? 一緒帰るか? 」
「はい」
「じゃ、ちょっと電話するから待ってて」
「あたしも帰り支度してきます」
オレは「今から帰る」コールを未来にする。
『もしもし、未来? 実はちょっと仕事が延びちゃって、今から帰るんだけど、先に夕飯してて』
『うん、お疲れ。それがさ……弦さんの分まで食べちゃって。ごめん、なんか食べてきて』
『えっ?! あの量一人で食べたの? 』
未来の説明によると、武田兄妹に食べられたとか?
武田の家で一緒に勉強し、帰りに送ってもらった……って、いつの間にそんなに仲良しに?!
話しを聞きながらプチパニックになる。
『今は? 今もまだ武田君は家にいるのか? 』
『もう帰ったよ。理彩ちゃんがお腹すいたっていうから、つい一緒に食べようってカレー出したら、いっぱいおかわりされちゃって。本当ごめんね。ケーキ届けてくれたから、ダメって言えなくて』
武田が買ったケーキは、理彩が食べたのではなく、野菜室の方にしまわれていたのだ。未来を送りに武田達が家を出た後、理彩が帰宅してそのことに気がつき、ケーキを持って走って追いかけてきたらしい。息をきらせた理彩を家に上げ、おなかがすいたと言われカレーを出した……ということだ。
『いや、別に夕飯はいいよ。あげちゃって全然構わない。そっか……、じゃああと二時間くらい遅くなっても大丈夫かな? 』
『大丈夫だよ』
『じゃあ、食べてから帰るから先に寝てて。戸締まりはしっかりな』
『はーい』
電話をきり、梓が着替えて戻ってくるのを待った。
梓は紺色の膝丈Aラインワンピースに、アイボリー色のコートを手にやって来た。落ち着いたお嬢さんといった感じだ。
「お待たせしました」
「いや、あのさ、おうちで夕飯とか用意してもらってたりする? 」
自分が夕飯の支度をするようになってから、飯を作る人間のことも気にするようになった。
「いえ、別に……。社会人になってから、夕飯は別になりましたから」
「ならさ、夕飯に付き合ってよ」
「でも未来ちゃんは? 」
さっきの電話の内容を説明し、未来は食べたけど自分の夕飯がないことを説明する。
「それなら是非ご一緒させていただきます」
「飲み屋でもいい? 」
「どこでも……」
二人で駅前の居酒屋に入った。カウンター席しか空いておらず、横並びで座ったのだが、椅子の間隔が狭いからか腕が触れ合うくらい近い。
「悪いな、お洒落な店とか知らなくて。ここは料理うまいからさ」
「いえ、カウンターとか座ったの初めてで。なんか、お魚とか並んでてお寿司屋さんみたいですね」
「うん、ここは寿司もうまいから、とりあえず刺身の盛り合わせ頼もうか」
生ビール二つと、刺身の盛り合わせを頼むと、お通しと生ビールがすぐにでてきた。
乾杯して一口ビールを飲むと、家で飲む缶ビールと違って、クリーミーな泡が唇を刺激し、冷えたビールが口の中にいい感じに広がる。未来と二人暮らしを始めてから、外で飲むことが極端に減ったからか、格別にうまく感じられた。
「半田さん、美味しそうに飲みますね」
「いや、マジでうまいね。一杯目のビールって、なんでこんなにうまいんだろうな」
「そうですね。最初は美味しいんですけど、半分くらいから苦くなっちゃって」
そういえば、以前会社の飲み会で、梓はなかなか二杯目にすすまなくて、お酒が苦手なのかと思ったのを思い出した。
「じゃあ山本さんはサワーとかのが良かったかな。なんなら、オレが飲むから、サワー頼んだら? 」
「でも飲みかけだし……」
「温くなったら、さらにすすまないでしょ。オレ飲み終わったからちょうだい。あとなんか食べ物頼んで。サラダと焼き魚、あと一品くらいかな」
梓の飲みかけのビールを受けとると自分の前に置き、梓にメニューを渡した。
梓はカルピスサワーと、唐揚げ、ホッケ、海鮮サラダを頼んだ。
「仕事のフォロー、マジいつもありがとな」
「そんな、当たり前です。でも、うちらにお礼言うの半田さんくらいですよ」
「そんなことないだろ」
「そうなんです! お茶出しとかでも、ちゃんと目を見てありがとうって言ってくれるのも半田さんだけだし、他の人はコピーとかやってもらって当たり前だし、間違いとか見つけても、あっそうくらいですから」
例えば、同じことを菜月がやればみなデレッとして「ありがとう」くらいは言う。地味な自分がぞんざいに扱われているだけだという自覚はある。そんなことを言うと、僻んでいるようにしか聞こえないから、梓は「半田さんだけですよ……」と繰り返した。
確かに、そんな奴等がいないとは言わないが、普通にありがとうくらいは言うと思うけどな。
まだ数口だが、すでに頬が赤くなった梓は、女の子らしくて可愛い。未来と生活するようになってから、父性が溢れちゃってるオレは、今までなんとなく距離を取っていた女子全般とも、父親目線で普通に接することができるようになり、きっとそのせいでイメージが代わったんだろう。
「そうだ、半田さん! ク……クリスマスのご予定は? 」
おかわりで置かれたカルピスサワーをゴクゴクッと飲むと、梓は真っ赤な顔をオレの方に向けてわずかににじり寄ってきた。
二の腕が軽く押し付けられ、フワリと良い香りがする。たぶん、香水ではなくリンスの香りだろう。それくらい近くに梓を感じ、オレは思わず引力に逆らえないように引き寄せられそうになる。
イヤイヤイヤイヤイヤ……!!
ここは居酒屋だし、いやだから居酒屋云々じゃなく、彼女はただの同僚で、しかもかなり年下で、オレは恋愛なんかするつもりないし、そもそもオレみたいなオジサンを彼女が受け入れてくれる訳もないし……。
訳のわからない思考が頭をグルグル回り、オレはビールをイッキ飲みして頭を冷やそうとした。
「すみません、ビールおかわり!で、なんだっけ? 」
「あの……ク……クリスマスのご予定を……」
オレのクリスマスの予定を聞いて、どうしたいんだ?!
ヤバい!!
クリスマスの予定なんか聞かれたもんだから、変なスイッチが入ったっていうか……。
目を伏せて言う梓を覗き込んで、そのふっくらとした唇にキスをしたい衝動に駆られる。
「ま……まだ予定はないけど、未来と家でするんじゃないかな」
梓の肩に手を回したくなるのを防ぐために、箸を持って刺身をひたすらつまんで口に運んだ。
「そうだと思いました。あの、クリスマスツリーとかはありますか? 」
「ツリー? 」
「はい、クリスマスはやっぱりツリー飾らないとですよね。うちにツリーがあるんですが、もう飾らないし、未来ちゃんとクリスマスやるならどうかなって……」
「ツリー……ね」
熱くなっていた身体が、サーッと冷えていくようにテンションが下がる。
いや、そりゃそうだよ。
こんなオジサン、クリスマス誘おうなんて、思うわけがない。クリスマス、男女二人っきりなんて、もう何もないわけないし、何かあったとしたら、それって恋愛に進展していく流れっていうか、やっぱりアレだよな。
「けっこう大きなツリーで、もし良かったらもらってもらえませんか? うちにあっても、もう使いませんから」
「いいの? 」
「はい。未来ちゃんに内緒で飾ったら、喜ぶと思いませんか? 」
確かに、サプライズになるかもしれない。
「あの、飾る時はお手伝いしますし。二人でやれば、未来ちゃんに買い物とか頼んだ隙にできると思うんです。ただ、運ぶのがちょっと大きいので、うちに取りにきていただかないとなんですが」
「そりゃ取りに行くよ」
「じゃあ、来週の土曜日か日曜日どうでしょう? 」
「どっちでも大丈夫。その日は未来に出かけるように言っとくよ。で、飾り付けしちまう」
「では土曜日に」
「了解」
それからクリスマスネタを話しながら、焼酎のボトルをいれて飲み続けた。お酒のおかげで梓もスムーズに会話することができ、いつも控え目で菜月の話しに相づちをうつくらいなのだが、積極的に話し、笑い、距離が近くなったような気がした。
「そろそろ帰るか」
スマホの時計を見ると12時過ぎで、ちょっとご飯の筈が、がっつり飲んでしまったことに気がつく。
「もう? ……やだ、こんな時間なんですね。」
お会計をすますと、梓も出しますとお財布を出したが、かっこつけさせてよと、財布を鞄にしまわせた。
「ああ、けっこう飲んだな」
「あたしも……。こんなに飲んだのは初めてで……」
ふらつきそうになる梓の腕を支える。
二の腕を掴んだのだが、その腕の柔らかさに、思わずドキリとする。二の腕の柔らかさって、胸の柔らかさと同じって言うし……と、梓の豊満な胸を思い出して、一人ワタワタしてしまう。
「悪い、ごめん、転ぶかと思ったもんだから」
「いいえ、ありがとうございます。半田さん、終電ギリギリですよね? 急ぎましょう! 」
二人で小走りに駅に向かうと、終電一つ前の電車に間に合った。
梓も同じ方面だから、同じ電車に飛び乗る。
「間に合いましたね」
息が上がった梓は、ドキッとしてしまうほど色っぽく見えた。
最終間際の電車は満員電車並みに混んでいて、オレは他のサラリーマンに潰されないように梓のスペースを確保すべく、腕を梓の背中側に回す。
「すみません、ちょっと走ったら酔いが回ったみたいで……」
「寄りかかっていいからね」
梓は素直にオレの胸に頭をつけてきた。
久しぶりの女性の感触に、オレの動悸は酒のせい以上に跳ね上がった。
電車が揺れ、梓の身体がぴったり密着する。
「すみません」
「……いや」
「ありがとう!」 と言いたいくらいだ!! ……じゃない! オレ、理性保てるかな?
とにかく無心になることを心がけ、どうしても意識してしまう梓の胸の感触を意識しないようにする。
オレの腕にそっと添えられた手が、電車が揺れる度に力が入ったり、鼻の下で香る梓のリンスの香りなど、無心でいるのが難しい状況が続く。
「あの……半田さん」
「何? 」
小さな梓の声に、わずかに身を屈めるように顔を寄せると、その途端に電車が揺れる。
ほんの端っこだけど、一瞬かすめる唇?!
今のはセーフ!!
不可抗力ってやつで、意図したもんじゃない!
思わず硬直してしまい、何も言葉を出せずにいたら、先にフリーズ状態から覚めたのは梓だった。
「この時間もこんなに混んでるんですね」
「……そうだね。最終はもっと凄いよ」
何事もなかったように話す梓だが、うつむいた首筋まで赤いのは、決して酒のせいばかりではないのだろう。
しかし、無いものにしてくれているようだから、あえてオレからも掘り返すことはしない。
ヤバいな!
こんなことで意識するとか、中坊かって!
オレはひたすらヤバい! ヤバい!と、頭の中で繰り返していた。
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