第21話 クリスマスツリーの下で
「あのさ、今日だけど勉強するのかな? 」
「うん、そのつもりだけど」
朝食を食べ終えて、後片付けをしようとしていた未来が振り返る。受験をすると決めてからは、用事さえなければ毎週土日は家で勉強していた。
なんとしても特待生になり、オレの負担を減らそうっていう、健気な未来が可愛くってしょうがないが、今日ばかりは家にいられたら困る。
「あのさ、たまには図書館とかで勉強してみたらどうかな? 」
「図書館? 」
「そう。ほら、他にも勉強する人が周りにいたら、いい刺激になると思うんだよな。それにほら、武田君とか誘ってみたら? 」
「なんで武田君? 」
「いや、別に意味はないけど、未来の友達他に知らないから。それに、この間ケーキもらったじゃん。お礼に図書館の食堂で昼飯でもおごれば? ほら、お昼代あげるから」
「いいよ。お礼のお礼でややこしくなるから」
「まあ、いいから。オレ片付けるから連絡してみ」
オレは未来に二千円渡すと、未来から茶碗を受け取った。
武田を指定したのは、他の友達を知らないというのも嘘ではなかったが、未来に気がある武田なら、なるべく長く未来を足止めしてくれるだろうと思ったのだ。
電話をかけに廊下に出た未来は、すぐに台所へ戻ってきた。
「10時に約束した」
「そっか、オレもでかける用事があるから、昼飯は図書館で食べてな」
「どこ行くの? 」
「ちょっと功太のとこ」
嘘ではない。功太に車を借りて、梓の家にツリーを取りに行く予定になっていたから。
「ふーん。帰りは? 」
「夕方くらいかな。おまえはしっかり勉強してこいよ」
「はーい」
後片付けを終わらせ、オレも出かける準備を始める。通常は休日に髭を剃る習慣はないが、同僚とはいえ女性の実家にお邪魔するのに、無精髭を生やして行くわけにもいかず、きちんと髭を剃って顔を洗う。
彼女の家に挨拶に行くってわけでもないから、スーツってのもおかしいだろう。ラフだが砕けすぎない洋服を選んだ。
「なんか、いつもよりちゃんとしてない? 」
先に出かける未来の見送りに玄関まで出ると、未来が何か勘ぐるように見上げてきた。
「そ……そんなことないさ」
「そう? 」
未来が「行ってきます! 」と玄関から出て行くと、オレはホーッと息を吐いた。
サプライズのためとはいえ、未来を騙しているようで、気持ちがザワザワするのだ。
「さてと、オレも出るか」
功太の家により、前に借りたのと同じ車を借りると、ナビに梓から聞いてきた住所を入れた。車で30分くらいらしい。
にしても、こんな車で行ったら驚かれるんじゃないだろうか?
多少古くてもベンツだ。
しかも内装も立派だし……。
途中、大型スーパーに寄り、土産にクッキーの詰め合わせを買い、梓の家に向かった。
梓の家は、中流家庭の家というんだろうか?
ごく普通の一軒家だった。
家の前に車を停めると、玄関横のチャイムを鳴らす。
『はい』
『半田です。梓さんと同じ会社の者なんですが』
『今開けます』
しばらく待つと、パタパタと音がし、鍵を開ける音がする。
梓がドアを開けると、膝丈のワンピースがフワッと広がった。
茶色に花柄のワンピースは、ウエストにベルトがついており、梓の細いウエストと豊満なバストを強調していた。
なんて言うか……この真面目そうな顔にこの体型、ギャップが凄すぎだよな。しかも、会社じゃ全く目立たないから、急にくるとヤられる。
なるべく胸から視線を外して、顔だけ見るようにして挨拶した。
「おはよう。これ、皆さんで食べてください」
クッキーの詰め合わせを梓に渡した。
「ありがとうございます。ママ、半田さんから貰い物したよ」
「あらあら、すみません。どうぞ、お上がりになって」
後ろからやってきた梓母が、スリッパを出してくれた。
「いや、でも……。」
「今、パパが押し入れから出してるところだから、中にお上がりになって待ってらして。ほら、梓、リビングにご案内しなさい」
「半田さん、どうぞ」
「でも車も……」
「車でいらしたの? 」
「はい、友人の車を借りまして」
「梓、張り紙入れとけば大丈夫だから、家の横の私道に駐車してもらって」
梓は名前と電話番号を書いた紙を持ち、オレと一緒に再度車に戻る。
「凄い……ベンツですね」
「ああ、うん。友達のだから」
「なんか、ドア開けるのも緊張しちゃいます」
オレはドアを開けて梓を助手席に招いた。
「あの、うちの横の私道、バックで入れますか? 外で指示出しましょうか? 」
「ああ、うん。バックモニターついてるから大丈夫」
上着も着ないで出て来た梓を外に立たせるなんてできない。
しかし、慣れない車でバックモニターだけで駐車できるほど車に慣れているわけでもなく、実際に窓を開けて後方確認しながらの駐車になってしまう。
梓がクシュンと可愛らしいくしゃみをし、オレは慌てて窓を閉めた。
「悪い、寒かったよな」
「大丈夫ですよ。じゃあ、家に戻りましょう」
車から降りると、梓にオレのコートをかける。
「ありがとう……ございます」
梓は、コートの前を合わせるようにすると、赤くなってうつむく。
その唇が気になるのは、この間わずかに触れてしまったせいだろうか?
梓の家に入ると、リビングにコーヒーと何故か煎餅が用意されていた。
「半田さん、甘いの苦手って聞いたものだから」
梓母は、ニコニコ笑いながら梓の横に座った。
「どうぞ、召し上がって」
「はい、いただきます」
なんて言うか……居辛い。
梓はどちらかと言うと無口な方だし、梓母と共通の話題があるわけでもないから、2対1みたいに向かい合って座ると、何を話していいかわからなくなる。
梓の仕事ぶりを誉めればいいのか?
いや、オレが直属の上司ってわけじゃないしな。
そうか、ツリーのお礼を言えばいいのか?!
笑顔で煎餅をかじりながら、梓母娘との会話の糸口を探っていたら、梓母から口を開いた。
「半田さんには、いつも娘がお世話になっているようで」
「とんでもありません、こちらこそいつも仕事でフォローしてもらってます」
「この娘ったら、女子校育ちでポヤポヤしてるから、きちんとお仕事できるのかしらって心配してたんですけどね、半田さんによくしていただいているおかげで仕事も楽しいようで、よく半田さんのこと耳にしますのよ」
「いや、本当に私が助けていただいてます」
「お祖父様のご関係の娘さんを引き取りなさったとか? 梓ったら、他の人にはできない、さすが半田さんだって、半田さんじゃなきゃできないって、耳にたこができるくらい話すんですの」
「ママ! 」
「あら、本当じゃない。半田さんは素敵な方だって、あなたうるさいくらいに言ってたわよ」
梓は茹で蛸みたいに赤くなり、梓母は楽しそうにホホホと笑った。
明らかに梓の反応を楽しんでおり、仲の良い親子なんだとわかる。
「今回は、梓さんからクリスマスツリーをいただけるとお話しをいただきまして、図々しくお邪魔してしまって申し訳ありません」
頭を下げると、梓母は気さくに微笑んだ。
「あら、いいのよ。もううちでは飾りませんしね、あっても邪魔なだけですもの。でも、この娘が喜んでいた物ですから、どうしても捨てられなくて。貰っていただけて、こちらも助かってるのよ」
「ママ、もうあっち行っててよ」
「あら、ママだってあなたのお気に入りの半田さんとお話ししたいのよ」
「ママ! 」
「はいはい。パパの様子見てこようかしらね。じゃあ、半田さん、ごゆっくり」
梓母がリビングから出て行き、扉がパタンと閉まると、梓は両頬を押さえて呻いた。
「半田さん、母の言うことは気にしないでください。母は人をからかうのが大好きで……」
「いや、まあ、オレのいい噂をしてくれているなら嬉しいけどね」
「そりゃもちろん! いい話しに決まってます! 」
こんなに真っ赤になって言われると、オジサンは楽しい夢を見てしまいそうだ!
まあ、ラブではないにしろ、尊敬とか、親愛とか、親愛の情は感じてくれているようだから、それだけでもありがたいけどね。
しばらくすると、目的のツリーが出て来て、梓父と初対面をした。梓父は梓て似て寡黙なタイプらしく、あまり話しはしなかったが、穏やかで優しそうな人だった。
「お昼を一緒に」と言われたが、未来が帰る前にセッティングして驚かせたいからと辞退し、早々に梓家を退出した。
「わざわざついてきてもらって良かったの? もちろん、帰りは送るけど」
「いいんです。これ、説明書なくなっちゃってるし、組み立てるの説明しますから」
梓は、ベンツの助手席でツリーを押さえながら座っていた。分解されているとはいえツリーは長く、横向きに乗らなかったのだ。
「それに、支えてないと危ないですから」
「まあ、そうだね」
30分かからず家につき、車を庭に横付けした。家をうかがったが、まだ未来は帰宅していないようだ。
「じゃあ、とりあえず昼飯は出前でもとって、チャッチャとツリーを飾り付けようか」
「はい」
飾る場所は居間にし、ツリーを庭から運び込んだ。
「まさかと思うけど、天井にはつかないよな? 」
「大丈夫……だと」
ツリーを組み立てると、天井ギリギリの高さで、てっぺんの星は天井をかすめていた。
「飾り付けをする前に電飾をまいた方が綺麗ですよ」
「本当? 」
真っ先に飾り付けをしようとしたオレを制して、電飾の束を手渡してきた。
梓に手伝ってもらいながら、電飾をツリーに巻き付けていく。
「これ、光るだけにもできますし、音が鳴るようにもできますから」
「へえ……」
飾り付けが全部終わると、かなり壮観だった。
「凄いな」
梓と寄り添い、ツリーを見上げる。
肩が触れて、なんとなく梓を見ると、ツリーを見上げていた梓と視線が合う。
いや、このシチュエーションはまずくないか?
梓の顔から唇に視界が狭まり、そのふっくらとした唇が魅力的に震えて見えた。
だから、ダメだって!
セクハラで訴えられるから!
彼女はオレに恋愛感情なんか持ってる筈ないし、中年オヤジに迫られたら、彼女のトラウマになるに違いない!!
心の声と、身体のバランスがとれていなかった。
実際の行動は、梓と視線が合った瞬間、小指が触れ、薬指が触れ、梓が手を振りほどくことがないことを確かめると、そっと手を包みこんだ。
ふっくらとした感触は、未来の細い手とも違って、女性のものだった。未来が初めて手を握ってきた時は、父性本能のような心の奥がジンワリ温かくなるような感じがしたが、今は身体が火照るような熱さを感じた。
「……半田さん」
「はい、すみません! 」
反射的に謝ってしまい、慌てて手を引っ込めた。
「すみません! つい未来といるようなつもりで!! 」
「未来ちゃんとも手をつなぐんですか? 」
「いや、まあ、子供だから……」
梓は、照れたように「気にしてませんから」と笑ってくれた。
声なんかかけなければ良かったと梓が後悔しまくっていることなど気がつかず、オレは照れ隠しにひたすら未来が手をつないでくることをアピールしていた。
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