第4話 生活を営む上で

 じいさんの初七日も終わり、母親も取り敢えず仕事場のある茨城の自分の家に帰って行った。

 親戚は当たり前のように、もう二度と未来のことには触れなかったし、未来も特に打ち解けようとする素振りもみせなかった。


「未来ちゃん、明日から本格的にこっちに引っ越してくるんだけど……ちょい、その前に話ししよっか」


 じいさんの遺品の整理をしていた未来を居間に呼んだ。


 弦のマンションとじいさんの家では、弦のマンションの方が賃貸に出した方が割りがよいということで、弦がこっちに引っ越してきて、弦の部屋を貸した収入を未来の生活費とすることにした。

 どうせ平日は寝に帰るだけだし、弦はどこでもかまわなかった。それに、未来の環境をかえると、中学の編入手続きや何やら面倒だから、考えるまでもなくこの形になったのだが、若干通勤時間が延びるのだけが、ネックといえばネックだった。


「まず、じいさんとはどんなふうに生活してたか聞かせて。料理とか掃除とか」

「小さい時はじいちゃんがやってくれてたけど、最近はあたしもやってた。でも、役割分担とか決めたりはなくて、適当」

「そっか……。で、料理はできる? 」

「……ちょっとは」

「オレは、朝は食べないし、昼は社食とかだし、帰りも遅いから夕飯は家では食べない。自分の分は自分でできるか? 」


 未来はコクリとうなずく。


「生活費は毎週月曜日に渡す。足りなかったら言えよ。掃除は……」

「あたしやる。それくらいはやらせてください。洗濯も」

「じゃあ、オレの部屋以外な。洗濯は……嫌じゃないのか? 」


 仮にも年頃の女の子だ。加齢臭漂うオヤジと一緒に洗濯するのも、触るのだって嫌なんじゃないかと思う。


「別に……。じいちゃんのも干してたし。逆にあたしの触られる方が嫌」

「別々に洗濯籠用意して、自分の分だけやるって手もあるけど」

「脱衣所狭いから邪魔」


 淡々と話す未来を見て、こいつ笑わないなと思う。テレビとか見ていても、笑顔ったのを見たことがない。わずかに目尻が下がるくらいで、口元まで笑いが広がることがなかった。


「OK。オレも気づいたのは片付けたりするし。基本、お互いにあんま干渉しないようにすればいいか」

「……うん。」


 この時オレは、自分の物差しでしか考えていなかった。

 相手はまだ15歳の女の子で、頼りにしていたじいさんに死なれたばかりだってことを失念していた。

 未来が何か言いかけて止めたことにも気がついていなかった。


 それから数日、ほとんど未来と顔を合わせることもなく、女子中学生とアラサーオヤジの同居生活が始まった。


 生活サイクルが違うせいか、まあ男女同居でのお約束的な、脱衣場で「キャー! 」みたいな鉢合わせがある訳でもなく、トイレで「まだかー?! 」とドアをノックすることもなく、ただ、帰宅したときについている電気と、居間に置いてある畳まれた洗濯物で、同居しているんだな……と、ボンヤリと理解する程度だ。


 束縛される訳でも、自分のスペースを侵される訳でもなく、ただやらなきゃいけないことが激減して、すげー楽!……という感覚しかなかった。

 実際は、未来が凄く気にして、オレがいる時には息を潜めるように生活していたなんて気がついていなかったし、どれだけ寂しい思いをしていたかなんてのもわからなかった。


 ある日、たまたま夕飯時に帰れた時、駅からの帰り道で一人でマックにいた未来を見た。二階の窓から、ボーッと外を見ながらハンバーガーをかじっていた。

 友達がいるのか? ……と思ったが、そんな感じもなく……。


 あいつ、あれが夕飯か?

 飯、作れるんじゃなかったのか?


 家に帰って冷蔵庫を開けてみた。冷蔵庫の中には、調味料や飲み物、ゼリーやヨーグルト、玉子が数個。冷凍庫にはアイスや氷。野菜室には……萎びた野菜が入っていた。


 オイオイオイ……。

 料理してなくないか?あいつ、中学なら弁当だろ?弁当とかどうしてるんだ?


「ウワッ! 」


 奇声にびっくりして振り返ると、セーラー服姿の未来が立っていた。固かった表情がわずかに弛む。


「なんだ、弦さんか。てっきり泥棒が冷蔵庫漁ってるのかと思ったよ」

「泥棒が漁るなら冷蔵庫じゃないだろ」

「それもそうか。弦さん、ずいぶん早かったね」

「ああ、それより野菜室」

「何何?……ああ、こっちは使わないから見てなかった。これ、ヤバいね」


 未来は、シオシオのほうれん草を持ち上げ、ゴミ箱に放り込む。


「ちょっと聞いていいか? 」

「うん? 」


 未来は、野菜室の中を整理しながら(ほとんどゴミ箱行きだが)うなずいた。


「おまえの得意料理は何だ? 」

「……茹で玉子」

「……」


 茹で玉子は……料理か?


「他には? 」


 オレは、何気なくわずかに開いた戸棚の扉を開けてみると、中にはカップラーメンのストックが……。


「……茹で玉子」


 茹で玉子オンリーか!


 オレは、ため息をついた。


「おまえね、それは料理ができるとは言わないぞ。」

「だって、じいちゃんが包丁は危ないからって、持たせてくれなかったんだもん」

「家庭科で料理実習とかは? 」

「混ぜる担当」

「……ならさ、料理できないって言ってくれない? 食事は生活の基本でしょ? ジャンクフードやカップラーメンばっかじゃダメでしょに」


 未来は、プクッと頬を膨らませて横を向く。少し頬が赤いのは、恥じているのだろうか?


「だって、女の子なのに、料理できないなんて言いたくないじゃん」


 オッ?

 初めて感情のある顔を見たぞ。


 笑い顔ではなかったが、無表情でうつむいているだけじゃない、人間らしい未来がそこにいた。


「おまえさ、夕飯マックじゃ足りないだろ? 」

「何で知ってるの! 」

「歩いてたら見えた」


 未来の顔がボッと赤くなる。


「やだ! ハンバーガーにかじりついてるの見られたくないから、窓際のカウンターに座ったのに」


 乙女だねぇ……。


「思ってる以上に外から丸見え。あと、足は組まない方がいいぞ。あそこは足元まで一枚ガラスだから、女性がスカートで座るとかなり際どいんだよな」


 未来は慌ててスカートを押さえる。


「み……見えてた? 」

「大丈夫、大丈夫。真正面からならわからんけど、下からだからギリギリしか見えない……って、オレが覗いてる訳じゃないからな」

「……本当? 」


 軽く未来の頭をはたき、馬鹿なことを言うなと頭をグリグリする。


「オレ、夕飯食ってきてないんだよ。おまえ、まだ食えるだろ? 付き合ってくれよ」

「でも……お金が」

「食費は生活費。心配すんな」


 未来が着替えてくるのを待ち、連れだってファミリーレストランへ向かう。


 金曜日だからか、30分ほど待たされ席に通された。


「好きなの頼めよ」

「いいの……? こんなレストラン、初めてきた! 」


 未来は、辺りをキョロキョロ見ながら、目を輝かせている。


「ただのファミレスだぞ」

「マックとかドトールとかは友達と入ったりするけど、レストランなんかこないもん。じいちゃんも外食嫌いだったし」


 外食嫌いというか、年金で二人生活で、外食に回す金がなかったんだろう。

 そういえば、未来の洋服も今時の中学生にしたら質素というか、妙に男っぽい。


 Tシャツにジーンズで楽ではありそうだが、中学生女子ってもっとこうお洒落な感じじゃないのか?

 っていうか……見覚えがあるTシャツなんだが……?


「それ……、オレのシャツか? 」

「ああ、うん。ほら、この前引っ越してきたとき、いらないから捨てといてって言われたじゃん。着れそうなのいっぱいあったし、捨てるんなら貰ったんだけど、まずかった? 」

「まずかないけど、おまえはそれでいいのか? 」


 中学生女子だよな?

 オヤジのお古なんて、普通完全拒否なんじゃないのか?


「別に。ちゃんと洗ったし、古着みたいなもんじゃん。穴開いてる訳じゃないし、のびてもいないからもったいないもん」

「まあ、おまえがいいならかまわないけど……。で、注文決まった? 」

「……ハンバーグ頼んでもいい?」

「ハンバーガー食って、ハンバーグかよ」

「だって、好きなんだもん! 」


 オレはつまみを数皿とドリンクバーと焼酎のボトルを頼み、未来にはハンバーグのライス・ドリンクバーセットにする。

 セットにすると言ったら、もったいないと拒否していたが、もう頼んだからドリンク取ってきなと言うと、嬉しそうに取りに行った。


「スッゴいよ! ジュースがいっぱいあるの! 温かい飲み物まであったよ」


 嬉々として戻ってきた未来の手には、ジュースが二つ握られていた。


「弦さんが何がいいかわからなかったから、あたしが飲みたいやつ二つとってきたよ。どっちがいい? 」

「オレはあとで焼酎で割るからいいよ。二つともおまえが飲みな」

「いいの?! 」

「ドリンクバーだからな。好きなだけ飲めば」


 贅沢だ! とつぶやきながら、ジュースを飲む未来の顔は弛んでいた。

 子どもらしいというか、年齢相応……いやもしかしたら逆に幼い?


 中3って、こんなだっけ?

 男子は確かに幼かったけど、女子は大人びて見えていた気がした。未来は中3女子というか小学生レベルの反応をしている。

 ジュースを交互に飲んでみたり、キョロキョロと回りの人のご飯を見て歓声をあげたり……。


 楽しそうだな……。


 焼酎を割るための炭酸水を取ってくると、未来は興味津々覗いてきた。


「それ、サイダー? 」

「炭酸水。飲んでみるか? 」


 まだ焼酎を入れる前の炭酸水にストローをさし、ジュースのように口に含む。渋く歪む未来の顔を見て、オレはニヤリと笑った。


「甘くない」

「炭酸水だからな」

「美味しくないよ」

「焼酎入れたらうまくなるんだよ」

「じいちゃんはいつも、焼酎にはお茶だったよ」

「ああ、お茶割りもうまいな」


 それからつまみで頼んだ小皿がきて、未来にもつまんでいいよというと、もう未来は遠慮することなくパクパクと食べた。


 人が目の前で食事をするって、久しぶりだな。飲み会とかはたまにあるが、飯がメインで友人と向き合って食事なんて、彼女と別れてからあっただろうか?


「じいちゃんは和食しか作れなくてさ、たまに友達んちとかでハンバーグとか食べさせてもらうと、凄く美味しくて、じいちゃんにリクエストしたことがあったんだ」

「へえ」

「したらさ、ツミレでハンバーグ作ったんだよ」

「ツミレって……魚のすり身? 」

「そう! それにケチャップ」

「……うまいのか? 」


 みくはクフフ……と笑う。


 笑った!!

 じいさんが死んでから、ほとんど無表情みたいになっていた未来の、初めての笑顔だ。


「不味いの。でも、じいちゃんには美味しいって言ったよ。したらさ、ちょくちょく作るようになっちゃって……。多分、あたしの好物だって、死ぬまで信じてたんだろうな」


 笑顔はすぐに引っ込み、しんみりした雰囲気が流れる。


「今度、ハンバーグ作ってやるよ」

「本当?! 」


 未来の顔にパッと華やかな笑顔が広がる。


「ああ。34歳独身男をなめんなよ。家事はパーフェクトなんだ」

「弦さん、34歳なんだ」

「おう! 若く見えるだろ」


 未来はうーんとつぶやき、顎に手をやる。


「……年相応? 」

「マジか?! だいたい若く見られんだけどな」


 女子中学生にとったら、25だろうが30だろうが、オヤジにしか見えないに違いない。


「30……くらいに見えるかな? 」


 それでも気を使ったのか、未来は慌てて言葉を探した。


「おう、ありがとよ。でさ、話しは変わるけど、おまえの両親に連絡しようと思うんだけどさ」


 未来のくだけていた表情が一転して強張る。


「一応な、状況説明は必要だろ。あと、おまえに確認な。おまえは、父ちゃんか母ちゃんと一緒に住みたいとかあるか? 」

「ない! 」


 即答である。


「ああ、そう。まあ、ないならないでかまわんさ」

「……いいの? 」


 恐る恐る言う未来の頭をポンポンと叩く。


「まあ、おまえの面倒みるために越してきたんだからな。また引っ越すのは面倒だ。おまえがあそこにいたいなら、とりあえず高校卒業するくらいまでは付き合うさ」


 じいさんの日記を見たから、未来の両親にあまり良い印象を持っていないオレは、今さら未来の両親に未来を押し付けようなんて思ってはいなかった。


「とりあえず、両親の住所や電話番号教えてくれ」

「父親のは家に帰らないとわからないけど、母親は……」


 未来が、窓から外を指差した。


「へ? 」

「あそこ。あの肉屋にいるよ」


 ここは駅前のファミレスで、すぐ目の前は商店街が続いている。こんなに近くに母親がいたのか?

 言うなら同じ町内で、回覧板でじいさんの訃報も届いただろう。葬式にも、ご近所さんがパラパラと来ていたくらいだから。


「たまに母親に会ったりは? 」


 未来は首を横に振る。


 それで理解した。

 だからツミレハンバーグ。じいさんも、未来の母親には会いたくなかったに違いない。きっと、肉類は食卓に上がらなかったのだろう。


「まあ、今はスーパーもあるしな。肉屋で肉買うこともないか。帰りに買い物して帰るぞ。明日の朝飯ぶんの」


 じいさんの訃報を知りつつ、顔も出さなかった母親。未来が一人ぼっちになってしまったというのに、知らん顔で……。


 オレは怒りすら覚えていた。


 未来と知り合ったのは最近だし、まだ未来のことはさっぱりわからない。でも、笑わなかったこいつが笑えば嬉しいし、うまいものを食わしてやりたいって思う。


「おまえ、明日は暇か? 」

「うん」


 両親のところへ連れて行かれると思ったのだろう。未来はじいさんの葬式の時並みに緊張したように固くなり、ギュッと手を握りしめてうつむいてしまう。


 オレは、安心させるために出来る限りの笑顔を浮かべた。


「なら付き合えよ。買い物に行く。日用品とかな。友達に車借りれっかな? まあ、レンタカーもあるか」

「買い物? 車? 」

「ああ、明日は早く起きろよ。ってか、起こしてくれ。買い物ついでに、ちょっと遊びに行くか」


 未来は、キョトンとオレを見つめると、一気に脱力して、フワリと笑顔を浮かべた。その、満面の笑みが何とも愛らしい。


「……遊び? わかった! 早く起こすのね」


 チキショー!

 可愛いじゃねえか!


 父性……っていうのか、何やらそんな感情がいきなりわき上がってくる。


 オレって、実は子煩悩なタイプだったりするのか?


 新しい自分を発見した日でもあった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る