第2章:ウィルスの街

1話:あたしキレてないからね!

 月のない夜に、星さえ隠す深い森。

 ただ聞こえるのは足音ふたり分。

 光る水を満たしたガラス瓶が小道をかすかに青白くする。


「申しわけございません。このような出発になってしまい……」


 あたしの後ろを3歩ほど離れて、しずしずと女がついて歩く。魔道士、かつ医者、かつ王女のミランダ。


「申しわけございません、壮行会もなく、剣の授与式もなく、門出のファンファーレもなく……」


 そんなのはいいの。

 大勢に送り出されるのは恥ずかしいし、剣はオリハルコン以外どれも同じだし、ファンファーレなんか聴いた日には決まって早く死ぬし。


「足もとが暗くて、申しわけございません」


 夜のうちに出ようといったのは、あたしなんだから。

 コウモリ魔人が現れたら、次の魔人が出るのは24時間後。それまで城を出たほうが市民に被害がないの。


「申しわけございません」


うるさい、もう!

あたしは足を止め、イラついた顔でふり返った。

ギュッと目を閉じたミランダは、気をつけの姿勢でグーの手を握っている。

かわいいよ、かわいいけどさ。

あたしが不機嫌なのは、そういうことじゃなくてさ。


「お、お供の者がおらず、申しわけ……」


 そうよ!

 魔王討伐隊の一行が、あんたとあたしのふたりだけって、ひどくない?

 西パステルの武士がみんなやられちゃって、ひとりも残ってないのは仕方ないよそりゃ。

 けど、頭のいい作戦係とか、回復呪文が歌える坊さんとか、魔物と話せる仲介役とか、そういうメンバー誰ひとりいないっていうのは、普通なら頭おかしいと思われるよ。

 魔王も相手にしないと思うよ。


 それを逆手にとって?

 相手にされないスキをついて、ふところまでたどり着いて、グサッと?

 ないない。

 それはナイ!


「どうするつもりだ」


 ずっと自問していたことが、つい口に出ていた。

 ミランダはうつむいてしまった。

 あーあ。

 相当マジな顔つきだったのかな、あたし。べつにキレてないからね。キレてはないよ。


 いや、キレてた。ゴメン。

 あんたのせいじゃないからね。

 勇者なしで遠征してたから、大勢が犠牲になっちゃったんだよね。

 あ、そうか。あんたが召喚できなかったせいもあるか。

 ま、まあ、それは置いといて。

 ほら、こっち向いて。


 何か気の利いたことをいって励まそうと、アゴを指で持ち上げた。

 あたしは見た。王女の閉じたまぶたから、大きなひと粒がこぼれ落ちようとしているのを。

 わわ、そんな、どうしよう——

 次の瞬間、あたしは自分でも信じられない行動をとった。


 勇者ユーイはミランダ王女に顔を寄せると、目もとの水滴をそっと指でぬぐい、長いまつげをやさしく愛撫した。

 そのあと一気に顔を寄せて、口びるを重ねた。

 つかの間、時間が止まった。

 密着を解いて、ユーイは放心するミランダにいった。


「お仕置きされたいか、泣き虫」


 あたしは自分のキャラに驚愕した。





 ふたりは黙々と夜道を進んだ。

 城下町からだいぶ離れて、隣の街までもうすぐという時に東の方角がしらじらと光をはらんできた。


 あれからミランダ王女はパッタリと静かになった。

 叱られたかと思えば突然キスされて。さらにお仕置きだ、なんていわれて。

 誇り高い箱入りプリンセスにとっては、ショッキングなシチュエーション。あたしがしたことなんだけど、お気の毒でした。


 あたしのほうも無言で歩き続けた。自分の身体が脳みそと連動しなかったという事実に混乱しながら。

 やっぱ女が男に転生するって、無理があるのかな。

 最初ミランダを見たときにも、勝手にアレが勢いづいちゃったもんね。

 わりと男前のこの細マッチョ勇者、待ちに待った最強の身体っぽいんだけど、ちゃんと制御できるかなあ。


 いよいよ夜が明けようとするころ、ミランダの足どりが目に見えて遅くなった。

 あたしは野宿を決断した。睡魔で鈍くなった人間が生き残るのは難しい。

 魔族には見えなくなるテントを張り、彼女ひとりに入ってもらった。あたしはフェニックスの盾で身体をぼやかすことができるからいいのだ。


 テントにくっついて横になったあたしは、眠りにつきながらシグナル王子を思った。あたしたちの行く先遠くに西パステルの同盟国があり、そこで合流するとのことだった。

 今からすでに待ち遠しい。

 それまでぜったい生き残ってやる。


 眠りにつく寸前に、ミランダ王女の手がテントの中から隙間をすべって伸びてきた。

 戸惑いがちにあたしを探す指を、あたしは自分の身体に導いた。

 王女さま。森で寝るなんて緊張するね。人生で初めての体験ばかり続くね。手をつないであげるから、ぐっすり寝ようね。ほんとにごめんなさい、いろいろと。


 夢の世界に落ちる時、小さな手がぎゅっと握ったような気がした。












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