世界は一つでなく、己を縛る必要も無く

「始末屋八徳と謎に包まれた花魁は、好き合っていた……と瓦版にありました」

「姉さん、その始末屋、俺と同名ってんでむず痒い。《港崎心中》の話に移ってくだせぇ」

「それでは。あの心中夫婦は最近祝言を上げました。好き合う二人が許されず、処刑をもって引き裂かれてしまう悲劇があれば、夫婦になっても花魁に、夫の心を既に奪われ凶行に至った悲劇もある。好き合って、共にいることが許されている私たちは、幸せなのだなと」

「……ん?」


 先ほどから何度も「始末屋八徳」の単語が上がり、落ち着くことが出来なかった八徳。

 二つの事件を引き合いにして、自らの境遇を綾乃が語ったところに首をひねった。


(まさかこれ、姐さん‥‥‥ノロケているのか?)


「知ってますか八徳さん? これで私、巷では淫売と呼ばれているんです」

「おっしゃりなせぇ。誰に言われたんです? 姉さんに随分な口叩いてくれた野郎は、この俺自ら、痛い目をみせてやりまさぁ!」


 しかし、次の一言に、一瞬困惑気味だった八徳の顏は鋭くなった。

 これに鼻から一息ついて、座りなおした綾乃は首を横に振った。


「致し方ありません」

「致し方ねぇだなんてあるもんか。姉さんに? 何たる不届きもん。わ、若はそのことに対して何も言わないんで?」

「言いません」

「そんな!?」


(若、何やってんだアンタ! こんな時こそアンタが支えるべき場面だろうが!)


 一瞬チラついた、庄助の笑った顔。

 慕うにふさわしい優しさの反面、荒事には不向きな、ナヨったらしさが玉に瑕。だから綾乃の回答に、「それはあんまりだ」とばかりに、八徳は立ち上がりそうになった。


「その代わり、必死になって戦ってくれています。私の為に」

「……は?」


 これを、制された。


「かなり以前から、私と庄助様の縁談は決まってました。幸いなことに、親同士の取り交わしで望まぬ結婚を強いられる夫婦が多い中、私は、子供の頃より庄助様のことをお慕いしてました」

「さようで。って、『かなり以前より』ってなぁ? 許嫁となって時間が経ったってなら、今は既に祝言を上げ、夫婦になってるはずでやしょう?」

「昨年の秋ごろです。縁談が破談になりかけたのは」

「破談!?」


 さらに耳を疑う発言に、八徳は声が張りあがった。


「牛鍋屋を開くと、お義父上様が決めた時でした」

「あ、もしかしてそれって……」

「それを知って、私の実父が、庄助様との婚約を破棄すると」

「まさか!」

「本当です。だから私はこの家にやってきました。父の婚約破棄の命令を無視し、押しかけ女房ですね。庄助様との同居を始めました。分りました? 私が淫売と言われる理由」


 言葉を失った。うら若き娘が、結婚して正式な夫婦ともなっていないうちから、いまだ夫ではない男と同じ屋根の下で生きる。

 乙女として、「あるまじきはしたなさ」と言っても、常識的に過言じゃない。


「お義父上様が父に上手く言ってくれて、縁談の破談ではなく、婚約の延長と上手く言ってはくれましたが。どうでしょうか。私が無理を押し通したことは知っていますから。庄助様と駄目になってとして、他家から縁談の誘いが来ることはないでしょうね」


 いや。そも、ここまでの覚悟を持った綾乃に対して、もはや男だ女だと、性別で考えるのは失礼に値した。

 楽しそうに話している彼女だが、少し前までは、日々自分の選択に不安を感じていただろうことは、八徳にも容易に想像ができた。


「本当に庄助様で良かったのか? という顔をしていますね」

「ええと……」


 本当に、今、それを許容できているのか、思ってしまうと八徳は気になった。


「牛鍋屋の絶対成功です」

「宿六庵の隆盛? いきなりなにを……」

「婚約期間延長の条件。お義父上様は、それを私の父に認めさせました。だから牛鍋屋が成功しないその時、私たちの婚約関係は解消され、私も家に戻らざるを得ないのです」

「それが、若が牛鍋を扱うことに弱音を吐きつつ、研究と料理に余念がない理由ですか」

「庄助様は、旦那様からの提案を飲んだのです。普段逞しいところを見せないあの方が、私の前で、『綾乃さんと共にありたい』と口にされて」


 なるほど‥‥‥と、八徳も今更ながら理解した。

 庄助は、これまで八徳が異世界を知らなかったから、初め出会ったとき、不思議な男に思えた。

 女々しくて、打たれ弱そうな見た目。自信なさそうな振舞い。基本的には引っ込み思案で、それがしばしば八徳を苛立たせたこともある。

 だが‥‥‥


 苦難からは、決して逃げない根性があることだけは、ずっと疑問に思っていた。


 特に牛鍋にはいい印象を持っているところを見たことが無くて。なのに庄助は、それを投げ捨てることだけはしなかった。

 それどころか日々研鑽を重ね、「次はもっと。次こそもっと」と良い料理となるよう、強い信念を見せる時だってあった。


(すべては、姉さんの為に‥‥‥か。やるじゃねぇか。若を慕い、押し掛けてきた姉さん。それを離したくない故に、牛鍋に全身全霊を注ぐ若。なるほど? 好き合うか。好き合うね)


「あぁ、スッキリした」

「スッキリでやすか?」

「一度でいいから、ノロケて見たかったんです。ですが、さすがにお義父上様たちに話すわけにも参りませんし。押し掛けたこともあり、友と呼べる者たちも皆去って行ってしまった。ごめんなさい。本当は八徳さんにもお話しするものじゃなかったはずなのに」

「いえ。これだけのお話しを聞かせてもらいやした。居候とはいえ、この家に受け入れていただいたようで、気分がいいや」


 はじめは、綾乃の話し始めた方向性が分からず、混乱していた八徳。が、その話が聞けたら聞けたで悪い気はしなかった。

 綾乃は、八徳のその言葉にクスリと笑った。


「姉さん?」

「受け入れてますよ? 受け入れてます。ちょっと個性的な家ではありますが、義父上様も義母様も、庄助様も。だから押しかけ女房な許嫁を、受け入れてもらえました。そしてそれは、貴方もです」

「俺も?」

 

 彼女が笑ったその意味が分からず聞いてしまった八徳。更に、自分が言及されたことで戸惑った。


「この家は懐が大きい。流れの侠客だとしても、皆、貴方を受け入れています。義父上様は、更に家が賑やかになったことに喜ばれていました。義母上様は、八徳さんからの上納金あがりは貰おうとはしませんが、居候する上での仁義を通す貴方に信頼をよせ、だから心配しています」

「心配? 女将さんが俺をでやすか?」

「焦りが見えると。毎日の上納金を払うためのシノギを失った故の、積極的かつ献身的な宿六庵への手伝いなのでしょうが。『無理が見て取れる。接客商売に向いていないだろう』と」


(グゥッ! ばれてやがるっ!)


 打ち明けられたのは、指摘されたのは、最近の八徳に対する、居候先面々の想い。

 気恥しいやら申し訳なさやらで、顔の引きつった八徳に、しかし綾乃からの優しさは、引っ込むことはなかった。

 

「庄助様は‥‥‥」

「若は?」

「男らしく、何事もハッキリしている八徳さんが頼もしいと。何か、頼りがいのある兄が出来た様だと」

「自分は! そんな、勿体ねぇ!」


(つか、アンタ俺とタメだろ若)


 評価されたことで全身がむず痒くなった八徳。思わず自分を抱きしめ、両の外腕をガシガシ掻きむしった。

 

「ですから、八徳さん」

「へい! ま、まだ何か?」


 もうこれ以上はやめてくれと。甘い言葉をかけないでくれと思ってならない八徳。

 綾乃へも、おっかなびっくりな表情で問いかけた。


「無理はしないでください。上納金が払えない。だから義理を果たせない。慣れない仕事に精を出す。それが貴方ではないはずです。もう少しゆっくりと」

「ゆっくり?」

「どことなく‥‥‥生き急いでいるように見えましたから」


 が、最期の一言こそ、八徳の胸に突き刺さった。

 受け取った八徳は、一瞬言葉を失い、バァッと、右掌で面を覆った。


(そうかもしれねぇ。ヴァルピリーナに首にされた俺は、”既に死んでいる身”だから身分すらままならねぇ。仕事にもありつけねぇ。唯一の居場所であるここを追い出されたら……と思うと、生きていけぇねぇとも思った。だから宿六庵にすがった。ここで働かせてもらって、利用価値はあると思ってもらって、手放されねぇように)


「無理しているように、見えましたかい姉さん?」

「えぇ、とても」


 改めて綾乃に確認してみる。穏やかな語気での返答に、呆れを越して八徳には笑いが込み上げてきた。


(もう少しだけ、気ぃ抜いてみるか? 今の現状をもっとゆっくり考えてだな。ハハッ! 遊郭に、ヴァルピリーナ。思えば俺は、いつだって一所に依存していた。せっかく異世界に来て世界が広がったんだ。もしかしたら、死んだことになっている俺だって、他の仕事を見つけられて、生きていくことが出来るかもしれない)


「姉さん」

「なんでしょう?」

「ありがとうございやした。しばらく落ち着いて、自分の今後について考える時間をもらえたらと思いやす。何が自分にできるのか。自分は今、何をすべきで、片付けるべきなのか。その間、宿六庵の手伝いも、上納金でも、皆さんには貢献できないとは思いやすが‥‥‥」

「問題ないでしょう? これまでに八徳さんがこの家に落してきた上納金額は、少なく見積もっても、居候として支払うべき相場のざっと3,4ヶ月分は超えてるでしょうから」


 ヴァルピリーナとの悶着で、第二の人生が行き詰ったとも思い、孕んでしまった苛立ち。


「……ありがたく」


 その不安の正体こそ知られてはいないが、不安そのものを宿六庵に受け止めてもらったことが分かった瞬間だった。

 八徳は、綾乃に向かって深々と頭を下げた。同時に、いつも頭のどこかで生じていたカリカリした気分が、フッと和らいだ気がした。

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