横浜黒船もんすとら 首代八徳 怪奇現象あとしまつ

キャトルミューティレート

《始末屋八徳横恋慕》

お侍の仏さま。朱に濡れた禿の少女-1

 造りも雅、色鮮やかで艶やかな楼がひしめく大見世通り。

 お天道様がお隠れになって数刻。しかしぼんやりと光を漏らす提灯が連なっていることから、この町は夕闇とは無縁だった。

 

「どいた!」


 三味線に太鼓の音色。狂ったような男女の笑い声と……嬌声が入交る。目にも耳にも、そして鼻腔から入る甘い空気すら、淫らさを感じさせる夜の街。


 ここは不夜城。横浜永真遊郭。

 遊女と酒が男を狂わせ、一時の夢を見せる代わりに、懐のものをすっからかんにさせてしまう。


「どいたどいたっ!」

「ごめんよごめんよぉっ!」


 あくまでこの町の顔は、夢見る男たちが蜂となり、蜜をすすりに来る、花たる遊女であるべき。

 そのような場所で、本来、荒々しく野太い声は似つかわしくない。


「八徳!」

「言われねぇでも分ってらぁな親父! オラッ! 道を開けやがれ助平衛スットコドッコイども!」


 故に……だ、町のそこら中で、いつもなら鳴りやまぬ楽し気な音色は途絶え、通りを忙しなく影たちが駆け巡る。この町の裏の住人たちが姿を現し、恫喝じみた声をあげながら、街に遊びに来た客人たちを無理やり押しのける様に、永真遊郭に遊びに来た男たちは思った。


 何かあったに違いない。


 大見世通りを行きかう客たちは、声を張り上げ道を走り抜ける一団のため、その身を道の端、建物に寄せた。


 ただ裏の住人たちの集団が、急いでいたから道を譲ったわけじゃない。

 人込みを、まるで刀で唐竹割をするように、道に沿って二つに分断する、一団の先頭を走る、よく髭を蓄えたゴロツキ然とした若衆の一人。八徳という青年の、血に飢えた野良犬のような野性さと粗暴さに気圧された。


 そうしてほどなく、荘厳とした一棟に、八徳とその親分、子分どもが辿り着いて間もおかない。


「ごめんなすってぇ!」

「あぁ! 来てくれたかい始末屋!」


 半ば蹴破るように、玄関口に踏み入って、開口一番を挙げたのは、八徳の親分だった。


「いきなり呼び出しやがって! 詳細もわからず、『とにかく来い』たぁ幻灯楼さん」

「詳細も何も。実際にその目で確かめてごらんよ!」


 始末屋。八徳たちの生業。

 遊郭で夢にうつろったあげく、その支払いが、義務が、果たせない者に仕置きを与え、債権を回収する者たち。

 遊女や妓楼が遊郭の表の顔なら、始末屋は怖いほうの顔だった。


 面倒ごとがあったら表に姿を現すのが、始末をつける始末屋だから。そんな存在がお呼びを食らった。なら、当然その要件は穏やかであるはずがなかった。


 八徳の親分の口上に、姿を見せた妓楼、《幻灯楼》の楼主は、とにかく慌てふためいた様相を見せていた。始末屋一団が駆けつけても、その表情に安堵の色はなかった。

 伝えるべきものも伝えず、「とにかく一見を」とばかりに、楼の奥、問題の場所へと足早に向かっていった。


 (刃傷沙汰? 人死にが出たらしいが……)


 楼主の後に続く始末屋の親分。さらにその後をついていく八徳たち。


 少しの気持ち悪さを、八徳は感じた。

 問題の幻灯楼内には、遊女も客も、部屋から廊下へと身を乗り出していた。野次馬根性が出ているのだろうが、口ずさまれた彼らの言を拾う八徳には、どうにも得心がいかなかった。


 (んで幻灯楼の忘八親父ともあろうもんが焦ってる? こんなの、この町じゃ別に珍しくもねぇだろうに)

 

 男のサガを酒が、女が、爪と指でもって起こし、引き上げ、本能を解放させる町。

 良識の戒めから解き放たれた客が、問題を起こすのは珍しいことじゃない。

 そしてその中には、少なくない数の、人死に事件だって存在した。


 (一体、なんだって……)


 それにしては、幻灯楼楼主の焦りが過ぎている。それが不自然だった。


「チッ!」

「Ooooopsy! Watch it out! You son of a bitch!」


 物思いにふけってしまい、先を行く親分の背から、いつしか視線を外していたのがよくなかった。

 八徳は、楼別塔へ続く廊下の分岐点、十字廊下の視界から、不意に姿を現した客の男とぶつかった。


「八徳のあにぃ!」

「気にするな。親父に続く!」


 言われたのは罵詈雑言。ともにいる仲間から声もかけられたが、八徳は気にしない。むしろぶつかった衝撃に我を取り戻し、改めて親分の背を目で追った。


「お……い?」


 やがてくだんの現場に到着して、光景に、八徳は絶句を禁じえなかった。

 滅茶苦茶に荒らされた客間。仰向けに倒れ、その時は腹を抑えていたのだろう、その部分・・・・で両手を重ねたまま硬直している、侍の仏さま。

 着物を染め上げ、畳いっぱい広がっている血の海は、どれだけの失血に至ったか伺わせた。


「八徳かい?」

「……紅蝶。こいつぁ……」


 もう一つ。

 倒れた仏様のそばで、血の海の上で、力なく跪く禿カムロの少女。その隣には禿の少女の姉貴分で、八徳の顔見知りの若い女郎が、禿の少女の肩を抱いていた。

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