流れの侠客、顔無き通訳。しかして正体、情報そのもの-1
【ほう? 良く学んでいるようじゃな。八徳】
【るせぇわ】
楽しげな声に対し、八徳はため息をついてバッサリと切り捨てた。
「あの、通訳殿、どうして突然、三甲堂についての言及を」
「呉服屋様、これはあくまでヴァルピリーナ殿のご質問と捉えられよ」
エゲレス語でのやり取りに置いて行かれるのに不安を感じ、八徳に声をかけたのは、今日のヴァルピリーナとの商談相手。横浜の呉服屋の旦那だった。
ヴァルピリーナら異国の者は、外国人居留地内で日本の商人と商談した。
日本人が外国人居留地で異国人と働いているというのが、情勢的に、同じ日本人に知られるのがまずいから、通訳の時は、こうして八徳は目出し穴の開いた頭巾を被っていた。
上から見たなら六角型の部屋。壁は赤く塗られ、赤い絨毯が敷かれ。
その中央に設置されているのは、鏡面となるほど磨かれた木材を組んだ豪勢な造りの机。
宙を薄く漂う、ヴァルピリ-ナが吐き出した煙草の煙以上に、部屋内では百花満開を思わせる甘い香の匂いが充満していた。
呉服屋の旦那も、従者を連れてきているから孤軍奮闘にはなるまいが、見慣れぬ環境に身を置いた状況。
余裕たっぷりに笑みを見せ、足を組み、椅子の背もたれに身体を預けながら硝子杯に入った血のように赤い葡萄酒を眺めるヴァルピリーナの雰囲気も相まり、そのおどろおどろしさに恐縮していたようだった。
少女には違いないはず。だが日本の年頃の娘など比にならない風格と、意外過ぎる問いは、明らかに呉服屋を狼狽させた。
また、日本人であることはわかるが、頭巾を被っている通訳のことも、呉服屋には不気味だった。
「面白い話を聞きました。最近、ご同業は《三甲堂》の若旦那が殺されたそうですね。確か《港崎心中》でしたか? 花魁に熱をあげた新婚の若旦那へ、嫉妬にかられた女房が斬りかかった事件に対してそう銘打たれた」
先日居酒屋で耳にした《港崎心中》については、ヴァルピリーナも知っていた。あの後、八徳が報告しただけではなく、その後の瓦版も読み聞かせていたからだ。
それを、「商談を有効に進めるネタになりうる」として、彼女が商談に持ち出した。
これを八徳が通訳する。通訳する中で、少し事件が気になっていた八徳も、自分の疑問をちょこちょこ織り交ぜるつもりだった。
「それが、なんでしょうか?」
「he said, So what?(他人事の様だぞ?)」
「never let him go away(逃がすものかよ). seem like clothing bussiness going good, even abailable waste huge money at place buying girls.(服飾業界は好調のようだ。少なくとも遊郭で遊び惚けるほどのな)」
この場は商談であるはず。なのに悪どい笑みを浮かべるヴァルピリーナと八徳の様相は、尋問をしているようにしか見えない。
「随分と、華やかな場で遊ばれるのだと。ご業界は、金の回りが良いようですね」
「Cheap material from overseas?」
「海外から安く生地が手に入るからでしょうか? 見たことない柄も多いでしょう。お江戸からの買い付けも多いでしょう? あちらは流行に敏感だ。対してこれまでの、国内の生地仕入れでは原価がかかり、薄利となる」
「……良く、ご存じの様だ」
八徳が介したヴァルピリーナの問い詰めについて、驚いたように目を丸くした呉服屋旦那は、恥ずかしそうに笑った。
「どうされるおつもりで?」
手の内が開かされてしまったからか、すぐさま呉服屋の旦那は、表情を真剣なものに切り替えた。
「and now, any request's(要求、呑んでくれそうだぞ?)」
「I just need to know situation of clothing bussiness. and in this case, the information will be usefull not only my dealing. better to spread around this settelement. It's "IOU" Oscar?(ま、ただ状況が知りたかっただけだから。この情報は独占するより、この地に展開した方が良いだろうな。居留地に貸しを作る。オスカー)」
「Greate Idea lady(宜しいかと)」
「通訳殿?」
何が来ても受け止めて見せるぞ。というような表情を作った後、ヴァルピリーナ側の者たちは、ずっとエゲレス語でやり取りをしていたものだから、雰囲気的に話が纏まったのを呉服屋は察知したのか。
八徳は、呉服屋の旦那に強い眼差しで睨まれた。
「特に要求はありません」
「それは本当ですか!?」
(うげ、だから基本的にはヴァルピリーナの考えだっての)
その強き視線に八徳はたじろいでしまう。
ただ、嘘は言えないから、ため息をついたのち、重々しく口を開いた。
「彼らの言葉の意図が‥‥‥私にはわかりませんが、それで良ければ、そのままお伝えします」
「是非っ!」
食らいつきそうな顔に気圧された八徳。
訳していいのかとヴァルピリーナ達に視線を送るが、彼女たちは余裕の表情を崩さず。まるで「好きにしろ」とでも言っているかのようだった。
「その状況をヴァルピリーナ殿が個人的に利用することはないようです。ただ、この外国人居留地には情報を展開すると。貸しを作ると」
「買わせて頂こうっ!」
「……え?」
「今、ヴァルピリーナ殿の手にある生地素材の全て、これまでの取引価格で、全て買い上げよう!」
だから、とりあえず伝えてみる。途端だった。高級机に両手を叩きつけ、突然呉服屋の旦那が咆哮した。
八徳でさえ、話が飲み込めていない中の呉服屋旦那の即断即決。
しかし状況が分かっていないのは八徳だけのようで、
「マイド!」
その雄たけびを耳にしたヴァルピリーナと言えば、葡萄酒の入った硝子杯を高く掲げ、たどたどしい日本語を口にするとともに、葡萄酒を一気に煽り、空杯を机に叩きつけた。
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