お白州裁きとエゲレス人
いつか見た西洋人形が如く-1
雲一つなく、お天道様の威光がすべてに届く、今日裁きの日。
白い球砂利と、ボロボロなムシロに一部影が下りているのは、腕を後ろに回され、麻縄の戒めを受けた八徳が、深々と頭を垂れていたからだった。
「始末屋八徳」
「へい」
「面を上げい」
言葉を受け、スッと身を起こした八徳は、神妙な面持ちで、不快そうに眉を顰めるお奉行に視線を送った。
「始末屋家業は長いか?」
「へい、永真で産湯につかり、4つの時より見習いに。のち13で親父より盃をいただきやした」
「親父。始末屋の親分か。一人前の証……と言ったところだな?」
お奉行と言葉を交わし始め、八徳の中に、いくつもの感情が生まれた。
裁きを受けたのち、待っているのは処刑に違いない。
たとえ己の死が、お円を守るため首代を務めたものであったとしても、やはり死ぬことが怖くないわけはなかった。
一方で安堵も感じた。
遊郭という生き地獄で生まれた糞餓鬼が、一人でここまで生きられるはずがない。育ててくれた親分には、これで恩返しができた。
心残りは幼馴染の紅蝶のことだろうか。
最期の一夜は遅くまで、幼いころに出会ってからこれまでの、思い出話を咲かせつつ、今生に一片の悔いを残さぬよう、八徳は己の知る限りの手練手管で紅蝶を貪った。
(何が手練手管だ。遊郭に生きる男が、遊郭の女と床入りするのは本来ご法度だっての)
昨日のことを思い出した八徳。厳めしい顔したお奉行に顔向けしながら、吹き出しそうになったのを何とかこらえた。
(さてぇ? 俺の必死の様は、紅蝶にどう映ったのやら。仕方ねぇだろう。こちとら昨日が筆おろしだってのに)
遊郭に生きる男と女は肌を重ねてはならない。そして八徳はこれまで、始末屋の仕事以外で永真遊郭より外の世界、異世界には出たこともない。
女を知らなかったわけではないが、女の味は知らなかった。
最後の一夜に、初体験を許された。
いくら八徳が頑張ったところで、その道を生業とする幼馴染に、色々と至れなかったと思うと、可笑しくなったのだ。
そしてそれが、紅蝶との最後だった。
(独り相撲ってやつかな)
今朝、目が覚めた時にはもう、床の間には紅蝶はいなかった。
身支度を整え、幻灯楼を出るとき、楼主以下、
「なら、女郎街のことに長けたお前が、どうしてかような凶行に至った」
「それは……」
八徳の心の中で、どのようなものが今吹きすさんでいるか、傍目からはしれないお奉行は、言を連ねた。
幻灯楼を出て、通りを行く。
遊郭と外界である異世界との関所に当たる、《四郎兵衛会所》に着いてからは、始末屋親分と仲間たちとの別れを交わし、通り抜けた。
お侍の、躯を肩に担いだままでだ。
何も遊郭と異世界との関所は、遊郭側の四郎兵衛会所だけではない。異世界側には、遊郭に出入りする、脛に傷をもった者たちを探し出そうと目を光らせる、いわば異世界側の番人、お役人たちがいた。
遊郭を出て、直ちに捕らえられた。だから、お白州に座らされていた。
「お前なら知らないわけはないはずだ。遊女と遊郭の男が、双方想われの身になることは禁じられている」
「えっ?」
「なんだ?」
「いえ、なんでもありやせん」
疑いと罪を、動機も含めて白日の下に晒す。それがこの裁きの場。そのためお奉行は、八得に問答をかけた。
すでに己の死を受け入れいている八徳は、恐れるとともに、「いっそのことバッサリ殺ってくれたらいいのに」とも思いながら、しかし今の言葉には驚きの声を上げた。
「想いの女郎、確か紅蝶だったか。しばらく謹慎だそうだ。本日の奉行所出頭を腹に決め、お前はひそかに、最後の一夜を紅蝶と共にしたのだろう?」
「それは、一体?」
驚いたのは、お円の罪を肩代わりするため、親分や幻灯楼で組み立てた信ぴょう性のある物語を、お奉行が口にしたからだけではなかった。
「不届き物め。幻灯楼楼主も大層腹を立てていた」
(なるほど。そういうことか)
「あの日、殺害された被害者だが、紅蝶と一席を予定していたと聞いておる。お前は、その到着前に殺害した。そして、げに恐ろしきことだが、血に濡れたその
(何が『気を利かせた』だ。やっぱり忘八は
その信ぴょう性をさらに確固たるものにするため。八徳の死をもって、奉行所からの疑いの目を幻灯楼からそらすため。幻灯楼楼主は、さらに八徳の最後の思い出までをも利用したことがわかった。
「これが、なんだかわかるか?」
「……金子で」
「かなりの額だ。遊郭始末屋の若衆ではまず用立てるのが不可能なほどの……な。『紅蝶が持っていた』との幻灯楼楼主の証言だよ。さて、ここまで事の次第を考察してみたが、これ以上の……」
「詮議は必要ありやせん」
全てを、下手人八徳の不徳が致したことにしてしまう。
その為に、したたかな幻灯楼楼主は、あの現場で使えそうなものすべてを盛り込んで、その責から免れようとしていた。
すなわち、すべては幼馴染であり、想い想われ人となってしまった八徳と紅蝶の間に起きてしまった悲劇。
被害者の、三度目の紅蝶の指名と、三度目の指名こそ「馴染み」という、遊女が誘客との床入れを許す機会。
遊郭の慣習に、八徳の、「紅蝶が奪わるかもしれない」という恐れから、愛憎が目を覚ましてしまい、此度の事件が発生したとの顛末にしてしまう。
被害者の、紅蝶との「馴染み」の予定。
そのための、被害者から紅蝶に渡されるはずだったご祝儀たる高額な金子。
被害者との予定をこなすはずだった紅蝶が、八徳最後の一夜を共に過ごしたこと。これらすべてが、八徳が被害者の侍を殺した根拠と見られた。
……まぁ、初めから、八徳は「自分が殺した」と言っているのだが。
紅蝶がご祝儀を持っているのは、被害者を殺した八徳が奪い、紅蝶に貢いだものだとでも、お奉行たちは思っているのではと、八徳は推察した。
「さて、お前の躯は、四郎兵衛会所のそばに晒されることとなる。何か、辞世の句があれば聞いてやる」
(おっ……とぉ? いきなり来やがったね。どうも)
ある程度は予測していたこと。
死んだのは侍であること。
「自分が殺した」と自首したこと。
状況証拠も十分。処刑までは時間がかからないとは思っていたが、いざ、処刑をほのめかされると身が震えた。
「止まられよ! 勝手に入ることまかりならぬ!」
その時だった。奉行所のどこかから、慌てる衛士の声が聞こえた。
「セキモハタサナイ。アナタタチ、サバクデスカ!」
理由はすぐに明らかになった。奉行所はお白州。それも裁きの刻という厳正な場において、予想外かつ無礼な働きをする影が三つ現れた。
そのうちの一人、天を突くかというほど背の高い、長いひげ面した壮年の偉丈夫が、張り上げた声の大きさよ。気圧されたのか、お奉行はのけぞったように座布団から立ち上がった。
「申し訳ありませぬお奉行。この者たちが我らの制止を聞きませんで。情勢が情勢故、無理に制するわけにもいかず!」
驚きと怒りの色を滲ませ、歯を食いしばるお奉行。申し開きをする奉行所の衛士。
出頭して裁かれ、処刑されて終わるはずだった、今日を自らの人生最後と覚悟していた八徳といえば、そんな奉行所に対し、何か強く訴えに来た見慣れぬ風貌の者たちが作り上げた、物々しい雰囲気となった状況に置いて行かれた。
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