外国人居留地

【ククッ! どこの国でも、女が強い一家は安泰じゃのう!?】

【バーロー。他人事だと思って笑いやがって】


 ところは変わる。

 日本の者ではまずお目にかかることの出来ない、様々の物が配置された大きな部屋。


 「そふぁ」だか「かうち」だかという、綿と布が詰まった木組みの長椅子の上で寝っ転がり、足をバタバタさせながら笑いこける少女に、そのそばで腰に手をあて見下ろす八徳は、苦々しげな表情を作った。


【どーにかならないのかコレ。オスカー】


【お嬢様に向かってコレとか言うな。指を指すな。またこっぴどく絞られたいのか貴様】


 感じてならない面倒を、押し付けるように、少女のその傍に佇むオスカーに訴えかける。

 少女を指さして告げるものだから、明らかにオスカーは不機嫌になっていた。


【ヴァルピリーナ様。おふざけが過ぎます。飼い犬にここまで言われて悔しくないのですか?】

【さて? 何を言われるかが重要ではない。大事なのは、この男の人生を、私が握っているという事実じゃ】


 それで耐え兼ね、オスカーは少女に申し出た。

 ヴァルピリーナと呼ばれた少女は、その言葉に詰まらなさそうにため息をひとつき、足を、そふぁに投げ出しながらも身を起こす。

 ひじ掛けに悠然ともたれかかった姿が、八徳に立場の上下を否応なく分からせるから、八徳は思わず舌を打った。 


【この糞餓鬼。餓鬼は餓鬼らしいこと宣えっての。年齢不相応な脅し文句使いやがって】

【年齢と実力は違うものと知れよ八徳。年功序列の日本には、ナンセンスかもしれぬがな。にしても、思わぬいい買い物ができたもんじゃ。では、さっそく始めてもらおう? まずはニュースペーパーからじゃ】

【瓦版な!?】


 奉行所に捕らえられ、遊郭の前に屍が磔されたように、始末屋八徳は死んだ。

 そして、「遊郭の外」という名の異世界に、新生八徳として転生した彼は、そのまた更に異世界、「外国人居留地」という名の、日本の手が及ばぬ領域で、仕事をすることになっていた。


【いやぁ、にしても日本の文屋の執念には凄まじいものがあるのぅ。オッホ! これなんか見てみぃ八徳。まだお前の事件が取り上げられているぞ!?」

【いや、何をお前が興奮しているのか分からねぇんだが。磔にされた”俺”の死体絵図見て、なんでそうも笑ってられる】

【なかなか良く描かれてるではないか!? これほどの描写、かのレオナルド・ダヴィンチも真っ青じゃ♡】

【『真っ青じゃ♡』じゃ、ねーんだよ】

【なんじゃ知らんのか? 我らがヨーロッパの芸術家、天才ダヴィンチは、人間を描くために生から死までを事細かく描いたのじゃ。首つり処刑された罪人のさまに絵筆を滑らせ、あの時は奇人変人と言われたもの。まぁ、あの時は、まさかあの小僧が《不滅の芸術家》なぞご大層な称号を得るとは、ワシにも思い至らなんだがの】

【知らねぇよ。んな、お前の知り合いの事持ち出されても】

【ダヴィンチから見れば、なるほど、この国は垂涎の的かもしれんぞ?】

【いや、興味ねぇから】

【無学な猿が。芸術がわからんとは】

【うるせーよ。ヴァルピリーナの飼い犬が】


 その中の一つ、一日の仕事始め。

 遠くはお江戸。近くは横浜、川崎の最近の出来事が記された瓦版の翻訳を、ヴァンピアーナに読み聞かせることだった。


 思った以上に、ヴァルピリーナは八徳に命じたその日課を気に入っていた。「情報は富だ」と零しながら、嗤いすら漏らしていた。


【ッツ!】

【なんじゃ?】

【侍の集団が”俺”の磔に群がったらしい】

【それがどうした?】

【攘夷派の集団なんだと。そいつらは、そのまま永真遊郭に入って行ったと。なんだって遊郭に? 仇は死んでんだ】


 と、今日の分の瓦版を読み聞かせていくうちに、言葉を失った八徳。

 その内容を、ヴァルピリーナは促した。

 歯切れも悪い八徳の報告に、扇子で自らに仰ぎながら黙っていたヴァルピリーナは、ほどなくパチンと扇子を閉じた。


【それじゃな】

【何がだよ】

【お前が身代わりになった理由じゃ。そも、お前は以前、遊郭での人死には《死に損》となるのが普通と言った】


 《死に損》、間抜けな言葉。

 例えば喧嘩か何かで、何者かが遊郭で命を落とした場合。そのような扱いになるのが一般的だった。


 遊郭は夜の街。酒に女に溺れ、快楽に身を委ねた結果、本能に墜ちる。そのような場で命を落とすことこそ、体裁や世間体も何もない。ただの恥に他ならない。

 そしてそういった場は、奉行所見回りなど、お上の手も入らない。


 事件への役人の調査もない。命を落としたことに、世間体から奉行所へ訴えることもできない。

 生産性の無い死。それが《死に損》。

 

【じゃが、さすがにお前が殺したとする侍は、《死に損》の一言で片づけられなかった。その侍は恐らく攘夷派の志士じゃった。奉行所はもちろん、幕府側】


 淡々としたヴァルピリーナの考察に、八徳は言葉を挟むことが出来なかった。


【ただの《死に損》扱いでは、侍仲間の攘夷志士たちが、死んだ原因を勘繰る。遊郭の中で侍を殺したのは幕府派の人間ではないか。奉行所が調査をしないのは、幕府派の奉行所が攘夷派の弱体化を願っているからとかとな】

【そうなれば攘夷志士が、報復の剣先を、横浜や永真遊郭に向けることになる。横浜は混乱する‥‥‥か?】

【だから奉行所は”お前”を処刑し、磔にしたのだろう。それが方便でも、幕府派と攘夷派の小競り合いによるものではないとして、横浜が混乱する火の元を作らぬように】


 考察を受け、少しずつあの時の事の裏側が理解できたことが、やっと八徳に物を言わせた。

 次いで口を開いたオスカーの予測も手助けとなって、一連の事件について、八徳は己の中に補完できた気がした。


【その恐れがあったから、幻灯楼の忘八も、親父も、事件を《死に損》にさせず、俺が殺ったことにしておいて、その報復を発生させないようにしようと‥‥‥】


 これを、結果良ければすべてよしとでもいうべきか。処刑は覚悟していた。だが、生きていけるならその方が当然いい。

 処刑されていれば知らなかった真実を、こうして推測ながらも八徳は掴むことが出来た。

 そのことに、八徳は幾分スッキリした。


【オイオイ、忘れるなよ八徳。幾らお前が遊郭とその『親父』とやらに恩があったとして、奴らが逃げの為にお前を贄にしたのには間違いないのじゃぞ?】

【そいつぁ……】

【お前を飼う前からこれだけは知っておる。幕府派と攘夷派に分かれているこの国で、急先鋒となるのが侍じゃ。だが恐らく、その妓楼の主は知っておったぞ? 知ったうえで、これを客とした】


 だが、異国からの雇い主、ヴァルピリーナは‥‥‥


【この事件は起きるべくして起きたこと。だが、防ぐこともできた。なればお前が人身御供になったのは、ひとえに奴らの不手際と知れ】


 全く持って八徳を安心させなかった。


【そのおかげで、良い拾い物も出来たわけじゃが。情で物を見るな? 理で考えろ。私の物になった以上それは徹底してもらう】


 《そふぁ》から立ち上がり、腕を後ろに組んで八徳のすぐ前に立った。


【通訳の対価にお前の命を保証した。お前は、腐れ奉行に通訳したことで、私の下での生を選んだ。だが役立たずの面倒を見るほどお人よしではない。私は祖国からこの日本に来た。それは私が目標を叶えるためでもある」


 八徳は‥‥‥微動だにできなくなった。


(これは……)


 この、自分よりも背の低い少女が見上げる野性味あふれた血のように赤い瞳が、八徳の心の臓を鷲掴みしているような感覚。


(これだ。この感覚。あの、奉行所の時の‥‥‥)


【振り落とされるな? 私の物となったお前は、私の活動による、これからの日本の移り変わりを間近で見ることになる。その時、今のような考えでは、ついてこれんでな】


 悪辣とでも表現できるヴァルピリーナの貌から、八徳は、目を背けられなかった。


【あ、日本征服ではないから、安心じゃぞ?】

【るせーよ。今の俺の焦りを返せ】

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